今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

日本の良さは今のままでも、案外伝わるみたいですよ、安倍サン?

大西 赤人       



 安倍首相就任後、最初の通常国会が19日に閉会した。そこかしこでボロが出つづけ、マス・メディアも支持率低下を頻《しき》りに言い立てているとはいえ、相次いだ“やらせ”タウン・ミーティングに関しては――一昔前の婚約指輪でもあるまいに――「給与3ヵ月分の返納」で幕を引き、政府税制調査会・本間正明会長の不祥事辞任に関する任命責任はアッサリ回避。一方、与党の圧倒的な数的優位に基づき、改正(悪)教育基本法案、防衛庁の「省」昇格関連法案をはじめとするあれこれの法案は言わば通し放題だった(新規21案件は総て成立)。従って、いよいよ安倍サン、意気軒昂。

「安倍晋三首相は19日夜、首相官邸で記者会見し、憲法改正について『歴史的な大作業だが、私の在任中に何とか成し遂げたい』と明言した。改正手続きを定める国民投票法案に関しては、来年の通常国会で成立を目指す考えを示した」(19日付『サンケイ・ウェブ』)

 世評によれば、安倍は、祖父・岸信介の(政治的)DNAを受け継いでいるとの強固な自負があるそうで、ゆえになおさら、その祖父が果たし得なかった憲法改正(悪)を至上の責務として見据えているらしい。一国の命運を左右しかねない政治課題に個人的かつ大時代的な思い込みで向き合われては困ると思うが、もちろん、そんなふうに感じる僕のような人間のほうがヘソ曲がりということになるのかもしれない。

 実際、就任当初はいささか腰が引けていた新首相のここへ来ての本領発揮(?)ぶりに、いわゆる世の保守層は何とも嬉しげだが、そりゃあそうだろう、野党といっても大半を占める民主党の少なからぬ部分は、元を辿《たど》れば同じ釜の飯を食った仲間。むしろ、当の自民党の内側にこそ大所帯ゆえの異論も噴出するわけだが、それとて昨年の優勢民営化に際しての小泉首相による強権発動が何とも効果的。今後、仮に憲法改正が現実的なテーマとなった場合、自民党の中にも反対意見はあるに違いないと思うものの、前例に準じて首を切られる定めが見えてしまったなら、それでもよしとするだけの器量の持ち主がどれだけ居るか?

 他方、共産党や社民党は精々薬味程度の存在だし、以前は厄介な存在だった労働組合も骨抜き、歯抜け、僅かに勢力を保つ自治労や日教組にしたところで、自らの積年の戦略的失敗も加わって弱みを露呈し、公務員攻撃、教員叩きを受ける中では防戦一方。世間一般には、取り立てて過激な次元に至らずとも、幾らかでも反体制的・反権力的な言辞を採る人々は「ブサヨ」と馬鹿にされ、とりわけネット社会においては、匿名性の持つ暴力によって集中砲火を浴びせかけられる。これではあまりに強者のワンサイド・ゲームで面白くないのではないかと思うくらいだが、言ってみれば、ファンなれば贔屓《ひいき》チームに点数が入れば入るほど楽しくて仕方ないとでもいうところだろうか。しかし、たとえば過日の高校における単位未履修問題にしても、学校現場に問題があることはたしかにせよ、それは文部科学省による有形無形の指導、監督、圧力が惹き起こした結果なのだから、同省の責任は否みがたいはず。ところが、11月6日に行なわれた衆議院の「教育基本法に関する特別委員会」質疑では、こんなやり取りがあった。

 教育基本法改正案の第九条「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならないこと」に触れ、民主党の西村智奈美議員が、田中壮一郎政府参考人(文部科学省生涯学習政策局長)に穏当な疑義を向ける(「西村ちなみチャレンジサイト 活動の記録」より)。

「多くの教員は、自己の崇高な使命を深く自覚していると思います。であるからこそ、朝早くから夜遅くまで多くの仕事を抱え、たくさんの報告書を書き、子供たちの個別の対応に走り回っている。私の周囲にも教員をしている知人は何人もおりますけれども、家まで仕事を持ち帰ったり、自分の子供と遊ぶ時間を削って、自分の子供の世話をする時間を削って学校での仕事に対応しているというような話、本当にたくさん聞かされております。
 この政府案の第9条、私は、ちょっとそういった教員の皆さんに対しては、大変厳しいものになるのではないか、そういう懸念をしております。それはどういうことかと申しますと、第9条の第1項であります、『絶えず研究と修養に励み、』というふうに書かれております。これは現行法にもなかったことで、新たにつけ加わった項目でありますけれども、実際に今多くの教員は、いわゆる燃え尽き症候群、バーニングアウト寸前になっている教員が多くいます。今、例えばメンタルヘルスを壊して休職している教員の方は何人おられますか。その教員の方、あるいはもう本当に燃え尽きそうになっている方々に対して、『絶えず研究と修養に励み、』というこの基本法が一体そういった教員の方々にどういう影響を与えることになるのか、これは本当に私は懸念をしております」

 ここで田中参考人が「自分の思いがなかなか子供に伝わらない、自分の教育方法、昔どおりの教育方法では子供がついてきてくれない、そういう問題を抱えている先生方も結構いらっしゃるのではないかというふうに私どもは認識しておるわけでございまして、そういう先生方のニーズに即した適切な研修の機会が与えられることが非常に重要であろうと思うところでございます」とそつなく官僚的答弁で応じると、西村議員は「『絶えず研究と修養に励み、』というようなこの文言は、私、非常に今多忙をきわめる教員の人たちに対して大変大きな影響を与えることになると思います」と、伊吹文明文部科学大臣に見解を質《ただ》す。すると、伊吹文科相いわく――。

「先生、教員にもいろいろあるんじゃないでしょうか。もし先生がおっしゃるような崇高な使命を持ってやっておられる教員ばかりなら、なぜ九万近くの未履修の生徒を輩出させるんですか。やはり基本的に、先生の今おっしゃっているような立派な、家へ仕事を持ち帰ってまでとおっしゃっているような立派な先生であれば、この『崇高な使命』だとか何かという理念的なことを書いてもらったもとで自分たちは仕事をしているという誇りが一層大きくなると私は思いますね。
 そして、過労になるとかどうだということがあるのならば、それはそれで考えなければいけないことがあるけれども、では、憲法に崇高なことが書いてあるからといって、そのとおり実行している日本人がほとんどいないから、今のような問題が起こるんじゃないんですか」

 いやはや、居直りというか逆捩《さかね》じというか、自らの不行き届きを棚に上げるばかりではなく、むしろ投げられた手榴弾を素早く投げ返すような呆れるほど見事な(?)手際である。

 まあ、こんなふうに当方なんぞがゴチャゴチャ文句を言ってみても、蟷螂の斧だかゴマメの歯軋りだか、要するに何の痛痒《つうよう》も与えはしないであろうものの、安倍首相や、彼に代表される日本の大きな方向転換を図る人々を見ていると、僕は「勝ち組」という言葉を想い起こす。ただし、「勝ち組」といっても、近年流行りの格差社会におけるいわゆる「勝ち組」ではなく、第二次大戦後、ハワイやブラジルの日系人の間に存在した本家「勝ち組」のことである。異国にあって正確な情報を得ることが出来なかった人々は、祖国の敗戦を信じず、特にブラジルでは臣道連盟なる組織が作られ、真っ当な見解にを持った「負け組(認識派)」を攻撃、ついには天誅《てんちゅう》を称してリーダーたち23名を暗殺するまでに至ったという。

 安倍首相、及び、その政治姿勢を信奉する人々もまた、当時の「勝ち組」のように、1945年8月以降の日本というものを受け容れていないのではないかと思う。いや、もちろん、現実の歴史は積み重なっているわけだが、少なくとも、教育基本法を変え、憲法を変え、引いては日本の様々なスタイルを変えることによって、要するに戦後60年をあたかも“なかったこと”にし、さしずめパソコン流に言えば「上書き保存」してしまいたいのではないのだろうか。

 首相就任前、官房長官時代の安倍サンが、憲法の政府解釈を変更して集団的自衛権行使の容認を模索する意向を示した時、社民党の福島瑞穂党首は、記者会見において「『歴代の首相の中でも集団的自衛権の行使が(現行)憲法下でできると明言した人はいない。小泉純一郎首相の方が安倍氏より100万倍ましだ』と批判した」(8月24日付『産経新聞』)と伝えられている。小学生の口喧嘩じゃあるまいし、本当にこのような粗雑な物言いをしたのだとしたら、一体それで公党の代表が務まるのかという気はする――実際、この発言はネット上でも恰好の話のタネにされていた――けれども、たしかに、今の安倍首相を見ていると、“あの”小泉サンでもまだマシだったような気がしてくるので恐ろしい。

 僕の娘(大学四年生)は、先頃、ピースボートの百日間世界一周に参加してきた。ピースボートといえば、これまた一定の政治色をあげつらう向きもあるけれど、娘の場合、単純に色々な国を見てみたいという動機で、世界18ヵ国の土を踏んで戻ってきた。そして、帰国すると、“外国に行って一番良かったのは、「日本って、いい国だな」と思えるようになったこと”としみじみ口にしていた。別に「美しい国へ」などと大号令の下に舵を切るまでもなく、日本の良さは今のままでも――実は、今だから、まだしも――案外伝わるものみたいですよ、安倍サン?
(2006.12.27)


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