今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

A級戦犯が祀られた靖国神社に対する昭和天皇の心情を伝える「富田メモ」と小林よしのりの『いわゆるA級戦犯』

大西 赤人       



 今年は西暦2006年、平成ならば十八年。元号を使うとむしろピンと来ないが、昭和二十(1945)年の敗戦からは、去年が満六十周年だったので、言わば戦後も還暦。そこでいよいよ日本も生まれ変わろうというところなのか、今年は八月を前にして、一段と靖国問題がかまびすしさを増しているように感じられる。とりわけ先頃、日本経済新聞のスクープを他紙が揃って追いかける形で大々的に報じられた富田朝彦・元宮内庁長官(故人)による「富田メモ」は、昭和天皇の靖国神社――A級戦犯が祀《まつ》られていること――に対する心情を新たに生々しく伝えるものとして波紋を呼んでいる。

 富田氏は「【19】74年に宮内庁次長に就任し、88年6月に長官を退任するまで、昭和天皇との会話などを日記や手帳に残していた」(20日付『毎日新聞』夕刊)人物であり、88年4月28日付で手帳に貼り付けられていたこのメモによれば、昭和天皇は、1978年に松岡洋右元外相や白鳥敏夫元駐伊大使らA級戦犯が靖国神社へ合祀されたことに強い不快感を抱き、「だから私はあれ以来参拝していない」などと語ったと記されている。1945年から75年にかけて八回参拝していた昭和天皇は、事実、A級戦犯合祀以降は靖国神社に参っておらず(春秋例大祭への勅使は継続)、その理由を改めて明らかにする形となっている。

 この「富田メモ」については複数の専門家が信頼に値すると述べており、日本経済新聞としても事前に相当な検証は行なっているであろうものの、この発言の主が昭和天皇であるという絶対の確証はないようだ。むしろ、当該メモが手帳に貼り付けられていること、インクが新しく見えることなどから捏造《でつぞう》ではないかとする穿《うが》った見方さえあり、そこまでは至らずとも、発言の趣旨に加え、「参拝」という言葉や「それが私の心だ」なる言いぶりから推して、実際は徳川義寛・元侍従長(故人)によるものではないかとの推測も少なくない。

 偽物としたらもちろん、別人の発言であっても話は全く違ってくるわけで、その点に関する十二分の鑑定・追認は必要に違いない。けれども、現時点での「富田メモ」は、“昭和天皇がA級戦犯合祀を不快に思っていた”“それがために昭和天皇は靖国神社参拝を行なわなくなった”という歴史的事実を物語る一級資料として世に現われている。この結果、靖国神社に否定的な立場の人々には“昭和天皇でさえこのように感じていたことが明らかになったのだから、我々はその心情を重く受け止めるべきだ(首相や各大臣は靖国参拝を止めるべきだ、靖国とは別個に国立慰霊施設を作るべきだ、etc……)”とする風潮が出ており、また、自民党内でも、“論議の種となりがちなA級戦犯を分祀して、天皇をはじめとする公式参拝を実行しやすいようにすべきだ”という論調が勢いを増しているようである。

 けれども、こんなおかしな話はないと思う。そもそも日本国憲法では、過去の歴史的な失敗を踏まえ、天皇を国民の象徴として位置づけ、その政治への関与を厳しく制限している(それがゆえに昭和天皇自身、好きな力士を質問されても答えないほどに言動を規制されることにもなった)。その昭和天皇の靖国神社に関する心情が今更に表面化したからといって、だからどうだというのだろう? 当然、史料的な意味合いはあるとしても、少なくとも進歩的な人々が、自らの主張を支える根拠として“昭和天皇自身がこう思っていたのだから”などと言い出すことは、全くもって本末転倒である。

 新右翼の鈴木邦男氏(「一水会」顧問)は、「勿論、『お言葉』の政治利用は避けるべきだろうが…」と題した24日付の「今週の主張」において、保守派(靖国推進派)は“たとえ天皇でも、政治利用してはいけない”という立場で「富田メモ」を軽視あるいは無視しようとするかもしれないと予想している。そして、「なんせ天皇の地位も役割も憲法に明記されているからだ。天皇は政治的力はない。又、政治的力を行使すべきではない」としつつも「果たして、今回の『富田メモ』は、否定されるべき『天皇の感情的言葉』なのか。そう断じていいのだろうか。もっと重大なものがあると思うが…。私も分からない点が多い」と複雑な心境を覗かせている。天皇に重きを置く人々であれば、「富田メモ」――昭和天皇の発言をいかに受け止めるかとまどったりためらったりするのは無理もないけれど、天皇に重きを置くことに反対の人々がこれに意味を見出すとしたら、明らかにパラドックスである。昭和天皇がどのような心情であったとしても、本来それは、現在の靖国論議を左右する要素たり得ない性質のものだ(ところで、余談ながら、世間では「天皇」だけでは呼び捨てなので無礼とする向きもあるけれど、元来、「天皇」とはそれ自体が既に尊称である)。

 ところが、「富田メモ」が報道されるや、たとえば『朝日新聞』は早速に「次期首相の靖国参拝」の是非を問う電話による全国世論調査を行ない、「反対が60%を占め、賛成の20%を大きく上回った。今年1月の調査では反対46%、賛成28%で、今回、反対が大幅に増えた」「【昭和天皇の発言については】発言を『重視する』は、『大いに』(24%)と『ある程度』(39%)を合わせて63%。『重視しない』は、『あまり』(21%)と『まったく』(12%)を合わせて33%。『大いに重視する』は年代が上がるほど高く、70歳以上では33%にのぼる」「天皇発言を重く受け止めるほど、首相の靖国参拝に反対する傾向が読み取れる」などと報じている(25日付『アサヒ・コム』)。もしも、このような調査結果を靖国反対派が“国民の多くも昭和天皇の思いを重く受け止めている”などと援用するならば、実は自ら墓穴を掘るに等しい。

 近年、靖国問題と密接不可分なA級戦犯という存在――それを産み出した東京裁判を見直そうとする動きも盛んである。中でもベストセラーとなっている小林よしのり著『いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL』(幻冬舎)は、例によって小林流の「ゴーマニズム」を発揮して、勝者が敗者を一方的に断罪した東京裁判の欠陥を指摘し、引いては、その“歪められた”東京裁判史観に基く戦後日本の意識を改革する必要を判りやすく読者に訴えかけている。

『いわゆるA級戦犯』は、インドのパール判事を裁判官の中でただ一人「本物の法律家」かつ「国際法の専門家」として評価し、被告全員について無罪判決(少数意見)を下した彼に惜しみなく絶賛の言葉を尽くす。また、当時から“どうして広田までが?”と多くの日本人を驚かせたと伝えられる文民の広田弘毅(元首相、外相)をはじめ、常に極悪人のごとく擬される東条英機をも含め、A級戦犯とされた人々が実はいかに高潔であり、日本の国を真摯《しんし》に想っており、引いては大東亜の共栄を願いつつも、とてつもない外圧の中でやむにやまれず、しかもそのたまたまの地位・役職ゆえに米英以下の国々と戦う道を選択・決断せざるを得なかったかを描き出す。たしかに東京裁判は完璧にはほど遠く、死刑判決が適切だったかにも大きな疑問があり、正当な裁きではなかったのだろうと思う。特にアメリカが、自身を正義の体現者のごとく振る舞った事実は、今に至る彼《か》の国の傍若無人な一面に照らしても明らかではあろう。

 小林の主張は、「戦争なんか、大っ嫌いに決まっている!」「しかし残念ながら未だに戦争を『犯罪』とする法律は存在しないのだ」との前提に基づく「戦争そのものは犯罪ではない」という一言に象徴されている。それは一面の真理には違いなかろうけれども、ただし、この本で追求されている東京裁判の否定、それに伴なうA級戦犯の否定は、要するに過去の日本の再評価、復権、名誉回復であり、結果的には、言わば何から何まで“日本は悪くなかったのだ!”というものでしかない(なお、小林は「あとがき」の中で、1953年に戦争受刑者への国家補償の必要を認めた「遺族援護法」一部改正が与野党の賛成で成立したことをもって、「戦争犯罪者にされてしまった人々を、国内法上の犯罪者にしない」という認識が「国民の了解事項となった」と見做《な》しており、これは保守派の人々に共通の論理のようである。しかし、たとえ「戦犯」であっても国家補償の対象に加えるべきであるとするプラグマティックな考え方が、あまねく「戦犯」は犯罪者ではなくなった――「もはや日本にはA級戦犯などいない」――という解釈に直結するかどうかには疑問を感じる)。

 歴史に対する評価とは、計算式のように一つの回答だけが導かれるものではなく、見る者個々の拠《よ》って立つ歴史観に左右される。とはいえ、『いわゆるA級戦犯』のような本を読んでいると、ある意味では皮肉なことに、そこに一定の訴えかける力・説得力を見出せば見出すほど、東条英機以下個々人の是非をひとまず超えて、天皇という存在が一層浮かび上がってくる。即ち、アメリカをはじめとする勝者の側の思惑などはそれこそ脇に置き、日本固有の問題として、当時の権力を持つ人々から市井《しせい》末端の人々までが、ひとしなみ「天皇陛下のため」に衷心《ちゅうしん》から行動し、または、天皇を神として戴く日本の国のために「靖国で会おう」と心に決めて戦っていたのであればあるほど、必然的にその人々は、天皇の存在あるいは天皇制という機構ゆえ――それらを守ろうとするがゆえ――に死んでいったということにならざるを得ない。“日本は悪くなかったのだ!”引いては“悪かったとすれば、戦争に負けたという失敗だけだ”という具合の危なっかしい前提を踏まえて、本来ならば究極の責任の所在を求められるべきはずの天皇あるいは天皇制については無形のブラック・ホールとしてついに安置しつづける日本の姿は、情報公開や説明責任が重要とされる今日《こんにち》においては、改めていかにも不思議不可解な構造である。(2006.7.31)


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