今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

ジーコや具志堅用高の発言が示す、スポーツを“さえ”蝕《むしば》みつつあるテレビという存在

大西 赤人       



 決勝トーナメントに入って佳境を迎えつつあるFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ・ドイツ大会だが、前回、「一戦を終えただけで早くも、クロアチア、ブラジル戦における「奇跡」恃《だの》みとなっている」と書いた日本チームに“神風”は吹かず、呆気なく一次リーグ敗退。それでも、クロアチア戦で引き分け、“たら・れば”のオン・パレード――オーストラリアが負けたら、クロアチアが大勝しなければ、ブラジルに2点差以上つけたら――とはいいながら最終戦に望みをつなぎ、しかもブラジル相手に1点を先制したのだから、柳沢慎吾風に言えば、「いい夢、見させてもらったよ」というところだろうか。

 四年間の総括もそこそこに、早速、オシムとか何とか、「絶好機のシュート・ミスを惜しむ!」という未来のダジャレ見出しが眼に浮かぶような縁起悪い(?)後任監督名が世間を賑わしているけれども、それはさておき、ネット上を中心にして、クロアチア戦終了直後の共同インタヴューにおけるジーコ監督のコメントが大きな話題となっていた。オーストラリア戦、クロアチア戦が連続して昼間(現地時間午後三時から)の試合だったために日本チームは厳しい条件を強いられたが、ジーコは“テレビがそれを望んでいる以上仕方がない”という趣旨の発言をしたものの、当日のテレビ(テレビ朝日系)の通訳は、その部分を訳さなかったというのである。しかし、英国BBCなどはインタヴューの内容を伝えていたし、生放送での発言を隠蔽することなど不可能。追って、次のような記事も登場した。

「ジーコ監督はクロアチア戦後の記者会見で、豪州戦に続いて試合開始時間が午後3時(日本時間午後10時)だったことについて、『こんな時間にサッカーをやること自体、間違っている。試合時間を遅くすることを提案したい』と厳しく批判した。
 1次リーグは1日3試合が行われる場合、午後3時、6時、9時のキックオフ時間が設定されており、午後3時の試合は気温が30度に迫る暑さとなっている。『体力的な準備を整えていても、動けなくなるし、ミスが出る。選手は守られていない。彼らが燃え尽きない日程を考えるべきだ』と話した。
 豪州戦とクロアチア戦は、昨年12月の組み合わせ抽選後に、日本のテレビ局の要望もあり開始時間が変更された。ジーコ監督は『サッカーはビジネスになっており、選手が犠牲を払っている』と指摘した」(6月20日付『アサヒ・コム』)。

 ジーコは「テレビ局の要望」としているけれど、より具体的に――正確に――言えば、FIFA自体が商業主義によって動いており、その結果、アジア地域におけるサッカー・イヴェントの多くを手がけ、同時に日本のテレビ局の意向をまとめて放送権料を納める電通の力が大きく働いたということのようである。遡《さかのぼ》ると、こんな記事も見つかる。

「国際サッカー連盟(FIFA)は10日、W杯ドイツ大会の日程変更を発表した。テレビ放送のため、当初の予定から各国の時差などを考慮した。日本戦の開始時間は2試合が変更され、次の通りに決定した。
 ▽オーストラリア戦(カイザースラウテルン) 日本時間6月12日午後10時(同13日午前4時から変更)
 ▽クロアチア戦(ニュルンベルク) 同18日午後10時(どう19日午前1時から変更)
 ▽ブラジル戦(ドルトムント) 同23日午前4時(変更なし)」(2005年12月10日付『ニッカンスポーツ・コム』)

 さすがに世界ランク1位のブラジル戦ばかりは、日本の都合――マネーの力(?)――でも動かすことが出来なかったということだろうか。

 地球は丸く、メディアが発達すればするほど、時差は完全には消しがたい大きなネックとなる。昔、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の名物番組『三菱ダイヤモンドサッカー』は、金子勝彦アナの名調子により、世界各国のゲームを録画中継していたが、何と一試合の前後半を2週に分けて(!)放送していた。それでも、アバウトなファンだった僕などは、勝敗を他のメディアで知ることもないまま、ノンビリと一週間を待っていたものだが、そんな事は今ではあり得ない。リアルタイムで観たいという人々の欲求は高まり、同時に日常生活との兼ねあいもあるし、より重要な要素としては視聴率を稼ぐためにも、人々の見やすい時間帯での生放送が望まれることになる。従って、ワールドカップに限らず、国際イヴェントでは各国の放送時間との調整は当然であり、オリンピックなどでは、特にアメリカの意向が重視される場合もまま見かける。

 仮に日本が予選を突破していれば、試合時間の変更が槍玉に挙げられることにはならなっただろうし、そもそも、まだ二戦目が終っただけの段階で監督が苦戦の原因を日程に求めている光景は情けないとは思う。自分たちだけが苦しかったというのならば判るけれど、相手の居る――相手にとっても不利なはずの――ゲームだったのだから、考えるべき問題点は他にあったはずだろう。ただ、通訳が咄嗟《とっさ》に省略したとも推測されるこのような一種のタブーに似た発言がジーコの口をついたという事実については、非常に興味深いものを感じる。

 最近、同様の出来事が、ボクシング界のニュー・スターである亀田興毅〔WBA(世界ボクシング協会)世界ライトフライ級2位〕に関連しても報じられた。亀田三兄弟の長男であり、父親や弟二人とともに大言壮語や派手なパフォーマンスで世間を賑わし、“浪速のロッキー”と異名を取る彼は、デビュー以来11戦11勝。OPBF(東洋太平洋ボクシング連盟)東洋太平洋フライ級チャンピオンを返上し、8月には、空位となっているWBAライトフライ級王座を懸けて、同級1位のファン・ランダエタ(ベネズエラ)との決定戦が予定されている。さて、周囲の商魂たくましい盛り上がりぶりとは別に、この亀田興毅、(潜在的可能性を含めた)力量への高い評価を多く見聞きする一方、“本当に強いのか?”と疑問視する向きも決して少なくない。僕はボクシングに関して詳しくはないが、これまでの亀田の対戦相手には、いわゆる「噛ませ犬」や盛りを過ぎた対戦相手が多いようで、数字だけ見れば破竹の勢いそのものである戦績も、実は水増しないし上げ底なのではないかという印象は拭いがたい。

 そして、先頃、亀田の所属する協栄ジムの大先輩に当たり、世界戦13度の防衛を果たすという国民的英雄だった具志堅用高が、興毅に関して相当な苦言を呈したため、同ジムの金平桂一郎会長(具志堅を育てた故・正紀会長の息子)が激怒の末に「絶縁」を宣言するという一件が持ち上がった。そこで、具志堅がどんな発言をしたのかを調べてみると……。

「亀田興毅君のここ何試合かは、内容は悪い。パンチできっちり倒したのではなく、相手が棄権したり、ローブローだったり、レフェリーが止めたり。ボクシングを普段見ない人は、KO(TKO)で勝ったら『強いのね』と思ってしまうけど、我々元ボクサーや現役選手で、彼を本当に強いと思っている人がどれだけいるだろうか」
「日本選手と戦わず、本来のフライ級はWBA、WBC(世界ボクシング評議会)とも王者が強いこともあり、1階級下げて空位の王座決定戦に出る。金をかければ、そんなに簡単に世界挑戦できるのか。ボクシングの歴史から見たら、この現状は何だ。今度挑戦するWBAライトフライ級王座はかつて僕が持っていたタイトルだけど、彼と一緒にされたら困る」
「判定でも内容のいい試合はあるし、強い選手とやって負けたっていいじゃないか。経験を積んで強くなる。でも、テレビ視聴率のためには、そうはいかないのだろう」
「ボクサーはリングの外では紳士であるべきで、やっていいことと悪いことがある。協栄ジムは教育すべきだ。二男は試合後にリング上で歌うけど、僕がJBCにやめさせるよう求めたら『テレビ局の意向だから』。特別扱いせず、やめさせないといけない」(6月26日付『毎日新聞』)

 具志堅にせよ、「彼は強くなる要素を持っている」「彼らの人気はボクシング界にとってプラスだ」とも述べており、金平会長の反発を知ってからも「一般の人が思っていることを話しただけ。(略)技術的な批判も、亀田くんの将来を思ってのことだ」(6月28日付『サンスポ・コム』)と語っている通り、単純な全否定ではなく、素人目には、かなり核心を突いているように見える。けれども、「事実誤認も甚だしい」(同前『サンスポ・コム』)、「今は興毅の世界戦に向けてみんなが盛り上げていかないかん時とちゃうか」(同前『スポニチ・アネックス』)と憤慨する金平会長や、「一般の人が言うならともかく、具志堅はジムの先輩。興毅は後輩じゃないか。器の小さい人やと思った」(同前『中日スポーツ』)と不満を隠さないトレーナーである父親(亀田史郎)の見方のほうが正当なのかどうかは、「別に好きなこと言ったらええ。なんぼでも言ったらええ。オレはそんなレベルじゃない」(同前)とする興毅本人も含めて、今後の試合が明確にして行くことだろう。

 それはそれとして、ここでも興味深いのは、自身も白井・具志堅ジム会長として言わば同じ箱舟に乗っているはずの具志堅が、二度に渡って――「テレビ視聴率のためには」「『テレビ局の意向だから』」――という形で、テレビという存在に否定的に言及していることだ。ジーコにせよ具志堅にせよ、テレビとの関係は持ちつ持たれつ、いや、むしろ絶大なる後ろ盾として奉るべき存在と思われる。その彼らが、このように一種のタブーをあえて侵さざるを得ないほどに、テレビという存在は、スポーツを“さえ”蝕《むしば》みつつあるということなのであろう。
(2006.6.30)


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