今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

スポーツにも、必要以上のナショナリズムが絡むと、話がおかしくなる

大西 赤人       



 開催時期、実施方法、出場メンバーなど色々と不十分はあるものの、野球界における年来の夢とも呼び得る本格的な国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」が始まっている。日本は1次リーグA組を勝ち抜いたものの、三戦目の韓国には2対3と惜敗しての二位。ところで、2月20日の合宿初日、日本の牽引車たる主将・イチローは、「アジアラウンド(1次リーグ)では向こう30年、日本に勝てないと思わせるぐらいやっつけたい」(2月22日付『スポニチ・アネックス』)と語ったと伝えられる。まあ、かなり威勢のいい言葉だが、所詮、どこかの国が現時点で“日本に30年は勝てない”と断定しているわけではなく、“日本に今後30年勝てないと思わせるぐらい圧倒したい”との願望に過ぎない。オリンピックでも何でも、「(ゲームを)楽しみたい」とリラックスの趣旨を履き違えたような選手が多い昨今、初の大舞台に向かって、この程度に気合を入れるほうが当然というものだろう。

 このイチローのコメント、日本では特別に大きな話題にはならなかったようだが、各国――特に韓国――においては時ならぬ物議を醸《かも》したらしい。『朝鮮日報』(日本語版)の記事を追うと、この発言に関連して、イチローへの批判的言及が並ぶ。少し煩雑になるけれど、御覧になっていない読者も多いと思うので触《さわ》りを引用すると――

「WBC日本代表チームの主将であり看板打者のイチロー(シアトル)が韓国を数段下と評価する露骨な発言をした。
 イチローは今月21日、福岡ヤフードームで訓練を終えた後、『今度のWBCで、戦った相手が“向こう30年は日本に手は出せないな”という感じで勝ちたいと思う』と大言壮語した。このような発言が22日付けのスポーツ報知紙やスポーツ日本誌などの新聞を通じて報道された。
 直接名指しこそしなかったものの、今度のWBCアジアラウンドの相手国が韓国、台湾、中国であることから、事実上、韓国に向けての発言と受取られる。日本代表チームの戦力がアジアNo.1であるという自信とともに、韓国や台湾などが日本を克服するには力不足だという考えを表明したものだ」(2月22日付)

「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表のイチロー(33/シアトル)がマスコミを通じて『“向こう30年は日本に手は出せないな”という感じで勝ちたいと思う』との自身の発言について釈明した。
 日本の『スポーツ報知』紙は、『それくらいの勢いで勝ちたいということであって、特定の国を狙ったものではない』というイチローのコメントを24日付で報じた」(2月26日付)

「『イチローの神格化作業』とも思える日本のマスコミの過熱報道ぶり。日本のプロ野球を経験したWBC代表チームの宣銅烈(ソン・ドンヨル)投手コーチはこれについて明快な解釈を下す。
 『日本は天皇を崇拝する国じゃないですか?』天皇の言葉は日本の全国民を団結させる。『野球天皇』イチローもこのことをよく知っているようだ。『戦った相手(韓国を指すものと思われる)が“向こう30年は日本に手は出せないな”という思いになるほどの勝ち方をしたい』という発言は、韓国代表選手を刺激し、日本代表チームが一致団結する効果を発揮している。天皇の一言はこのような力があるのだ」(同前)

「朴賛浩、『妄言』イチローに完勝」(3月6日付)

 いやはや。比較するのもおかしいものの、さしずめ“首相靖国参拝”非難をも連想させるような激しさ。実際に日本を破った昂ぶりも手伝ってか、ついには「妄言」扱いである。これらいささか大げさな論調を見て、逆に日本では、彼《か》の国の過剰反応を攻撃する声も出ている気配だが、上記『朝鮮日報』にしても、一方的にイチロー及び日本を攻撃しているわけではない。

「一歩引いて冷静になって考えれば、この上なくむなしくなる。これまでも何度なく繰り返されてきた、お馴染みのパターンなのだ。いつどこで会ったとしても両国の間には常に何かが割り込んで来る」(2月25日付)

「日本代表チーム対日本プロ選抜チームの壮行試合を観戦した。
 試合前、日本の国歌が場内に響きわたった時だった。崔熙燮が居心地悪そうに立ち上がりスタンドの通路に向かった。他の選手たちも座ったままグラウンドに空ろな視線を送っていた。
 国家代表としての責任感と日本戦を控えている覚悟が心の余裕をなくしたようだ。そのうえ韓国が日本の植民地統治に反対した独立運動記念日(3/1)も目前に迫った微妙な時期だから『君が代』が響く状況でのすっきりしない態度も理解できる。しかし日本の国歌演奏に韓国選手たちだけが座っていたということは、多少偏狭な印象を与えるに十分だった」(2月27日付)

「『あいつ【大西注:イチローのこと】は本当に礼儀正しいヤツだ』
 国境を越え、野球の後輩の礼儀正しさに接した宣コーチは終始笑みを浮かべていた」(3月3日付)

「自尊心の強い韓国ファンの反感を買ったが、今こうしてイチローの姿を見ていると、許してあげてもいいのではないかと思えてくる。アジア予選で韓国に2-3で逆転負けしたイチローは今、米国で『夜間バッティング練習』を自ら願い出て、ひたすら汗を流しているのだから」(3月10日付)

 スポーツは面白い。そして、国と国との対決は、それぞれの歴史的な経緯を踏まえるからこそ一層の盛り上がりを伴なう。しかし、そこに必要以上のナショナリズムが絡んでしまうと、話がおかしくなる。先頃のトリノ・オリンピックは、最後の最後で女子フィギュアの荒川静香が金メダルを獲得、それまでの低調だった日本への鬱屈を一気に補うかのごとき大熱狂を呼んだ。大会前、年来アイドル的存在となっていた安藤美姫、控えめキャラながら根性を発揮して五輪出場権を得た村主章枝、そして年齢制限に引っかかって出場がかなわなかった浅田真央に較べて、荒川は――実力の評価はともかく、人気面では――明らかに“悪役・敵《かたき》役”だった。中には「鉄仮面」と評す向きさえあった冷徹な容貌も、今となってはクール・ビューティー……。

 僕は、荒川、コーエン(米国)、スルツカヤ(ロシア)がほぼ一線に並んで迎えたフリー演技の時も、前回大会で僅差の銀メダルに泣き、持病をも抱えているスルツカヤに幾らか肩入れする程度で、誰が勝っても構わないと思いながらテレビ中継を観ていた。そして、何とも堅実なスケーティングでポイントを重ねた荒川に対して、コーエン、スルツカヤは揃って重圧に潰されての転倒劇。この時、二人のミスを密かに切望した日本人がさぞ多かったことだろうなあと思っていたのだが、その本音を思いきりあからさまにしてしまったのが小坂憲次文部科学相。

「トリノ五輪フィギュアスケートの金メダリスト、荒川静香選手が2月28日、文部科学省を訪問した際、小坂憲次文部科学相がライバルのロシア選手の転倒を喜ぶ発言をしたことに対し、一部テレビ番組で知った視聴者から同省にメールなどで数十件の苦情が寄せられた。小坂文科相は6日、おわびの談話を発表した。
 小坂文科相は荒川選手と懇談した際、転倒して銅メダルだったロシアのイリーナ・スルツカヤ選手について『人の不幸を喜んじゃいけないけど、こけた時は喜びましたね』と発言。一部テレビ番組でこの場面が放映された。小坂文科相は6日の談話で『金メダル獲得が大変うれしいとはいえ、一部配慮に欠けた発言をしたことについては深く反省しており、荒川選手及びスルツカヤ選手に対しておわびを申し上げます』と述べた」(6日付『毎日新聞』)

「荒川選手は帰国した先月28日夜、文科省を訪れて帰国報告をした。この際、小坂文科相は『他人の不幸を喜んではいけないが、ロシアの選手がこけた時には喜んだ。これでやったーって』と発言。荒川選手は何も答えなかった。
 この様子が一部で報道され、文科省や小坂文科相の地元事務所に『教育・スポーツ担当の大臣としてふさわしくない』などの意見が電話やメールで数十件寄せられた」(同『アサヒ・コム』)

 まま見聞きする政治家の“失言”としてはかわいい限りのような気もするけれど、やはり立場というものがあるわけで……。小坂大臣が文部科学省ホームページの中で発表したメッセージには、次のように記されている。

「その後の懇談で、荒川選手の金メダル獲得が大変うれしいとはいえ、一部配慮に欠けた発言をしたことについては、深く反省しており、荒川選手及びスルツカヤ選手に対してお詫びを申し上げます」

 たしかに荒川の快挙を貶《おとし》めた面もあったにせよ、謝罪するとしたら、まず何よりもスルツカヤに対してではないかと思うのですがね。

 さて、この金メダル争いに関しては、別の痛烈な記事も眼に留まった。「ミス喜ぶ寂しい歓声」と題された村上秀明の「見た聞いた思った」(4日付『日刊スポーツ』)には、こんなふうに記されている。彼は、各国のメディアやオリンピック委員会の事務所ブースが集まったメーンメディアセンター(MMC)で、日本の関係者がテレビ観戦している場に居合わせたという。

「荒川の登場直前に演技したショートプログラム首位のコーエン(米国)の演技がテレビ画面に映し出されたときだった。出だしのジャンプで転倒。その瞬間、日本の関係各所から『やったー』『いいぞ!』という声が聞こえた。次のジャンプでも両手をつき、再び『オー』という失敗を喜ぶ大歓声。恥ずかしい気分になった」

「荒川の素晴らしい演技に拍手喝采は当然のこと。ただ、コーエンの演技のミスで大喜びするのはどうなのか。最終滑走だった優勝候補スルツカヤ(ロシア)の演技ミスでも同様に歓声が上がった。もし、競技場内で同じ盛り上がりをしていたらと想像したら、何か情けなくなった」

 それに較べて、村上も続けて触れている事だが、スピードスケート会場に大挙押し寄せていたオランダ応援団のフェアな姿勢は実に際立っていた。もちろん自国選手に対する声援は絶大だが、それと同じように、たとえ相手がオランダ選手を打ち負かした選手であっても、暖かい声援を送っていて、これこそあるべきスポーツの楽しみ方と感じられた。実際、国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長も、トリノ大会を総括する記者会見の中で、「『フェアプレーの精神から言うと、スピードスケートのオランダ応援団。すべての(国・地域の)選手に大きな声援を送っていた』と称賛した」(2月26日付『時事通信』)と伝えられている。
(2006.3.12)


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