今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

“仏作って魂入れず”という空疎な国会

大西 赤人       



 民主党・永田寿康衆議院議員及び同党の「堀江メール」にまつわるドタバタ劇には恐れ入った。自民党・武部幹事長と「ライブドア」堀江元社長との関係は見るからに疑わしいにせよ、幾らTシャツ経営者の“ホリエモン”とはいえ、3000万円もの裏金をメール一本で「処理してね」なんぞと指示するかとなれば相当に眉唾もの。飛びつきたくなるような“ネタ”ではあっても、それならばなおさら、一定の裏づけを求められることは当然の話だ。

 前原幹事長自ら「信憑性は高い」と繰り返しながら、それがニセモノ臭い――少なくとも立証が困難――となってきたら、“疑わしい金の流れの存在は確実であり、メールの真偽は二の次”と強弁。ついには永田議員が精神的に不安定になって休養・入院では、過去、疑惑を受けると決まって身体を壊して病院に逃げ込んだ灰色政治家連中と何の変わりもないというものだ。本人が申し出た議員辞職に値するほど悪質な行為か否かはともかく、執行部の責任問題まで浮上するから何とかウヤムヤにしたいとの姿勢がありあり。大体、22日の党首討論でも、小泉首相の例によってのノラリクラリ答弁を聞きながら――単なる癖なのかもしれないが――その一言一言にコクリコクリうなずいている前原幹事長の姿は、カウンター・パートたる野党を率いるリーダーにはとても見えず、さしずめ、本気で反抗するつもりのない優等生学級委員が教師に諭されているとでもいうところ。

 このような言い方は危なっかしいことを承知であえて書けば、そもそも永田議員の言動に関しては従来も悪評フンプン(彼の名前とともに「折り紙」「クルクルパー」「阪神大震災」などのキーワードで検索をかけると、それこそ今回のメールの一件とは異なり、映像などの確証をも伴なった武勇伝が幾つも見つかる)。先日、耐震偽装問題に関する参考人招致において、同僚である民主党・馬淵澄夫衆議院議員が平成設計の内河健所長をキリキリ締め上げて一気に評判を上げた様子に羨望・嫉妬を抱き(?)、俺も負けじと逸《はや》ったがゆえに勇み足を演じたのではないかとも勘繰ってしまう(もっとも、馬淵議員自身、ブログでは「与党は、その権力を背景にこうしてすべての批判を押さえ込もうとしてきた。こんな力に負けてはいられない」「民主党全員で闘う姿が求められている」などと気炎を上げていたが)。

 まあ、民主党の本質には“亜・自民党”ないしは“自民党′《ダッシュ》”、それどころか悪《あ》しき意味合いとしての“超・自民党”という要素が見出されるわけで、二大政党制によって民主的な政権交代が促進され、国民のためになるなどという幻想は崩壊していると言い得るだろう。従って、その基盤となった小選挙区比例代表並立制度の導入に大きな問題があったことも明らかであり、次のような記事を読むと、反省しないよりはしたほうがいいかもしれないが、当時、あれだけ多くの反対を押し切ってしまったのに、今更何を言っているのだとガッカリさせられる。

「社民党は11、12両日に開く党大会で、旧社会党時代に小選挙区比例代表並立制導入を柱とした政治改革関連法案に賛成したことについて『正しかったとは言えない』とする『見解』を又市征治幹事長が発表する。旧社会党が採決時の造反を理由に処分した9人の元議員(故人を含む)の処分を撤回し、名誉回復する」(11日付『アサヒ・コム』)

「社民党の村山富市元首相は11日午後、党本部で記者会見し、衆院への小選挙区比例代表並立制導入に賛成し、自衛隊合憲を打ち出した自らの判断について『残念に思う。反省がある』と述べた。さらに、路線転換した執行部を『これで良かった。情勢に応じて戦術・戦略が変わるのは当然』と評価した」(同日付『時事通信』)

 田原総一郎が“小泉サンは本当にツイている”と言う通り、耐震偽装問題、ライブドア問題、BSE問題等々、どれか一つだけでも本来ならば政権の命取りとなりかねない傷を抱えながら、追及する側の不手際に助けられ、首相も「民主党にも頑張っていただきたい」と余裕のエールを送る有様。23日に衆院政治倫理審査会で行なわれた耐震偽装に関連しての伊藤公介元国土庁長官に対する審査にしても、不明確な弁明続出なのに、「堀江メール」騒ぎに隠れてしまってメディアの扱いも控えめ、既に幕引き・一件落着の気配である。

 ところで、この審査会、伊藤議員は証人や参考人として喚問されたわけではなく、自ら(身の潔白を明かすために)審査を申し出た形だが、とはいえ、必ずしも名誉な立場でもなかったと思う。ところが、最初の質問者である自民党・渡辺博道議員は、“同僚”の伊藤議員に対して、こんな調子で問いかける。

「判りやすく説明をしていただくよう、お願いを申し上げたいと思います」「お問い合わせをなさいました」「質問をさせていただきたいと思います」「お聞かせいただきたいと思います」「先生は少なくとも元国土庁長官でもございます」「部屋に入られたということでございます」「お話しをいただきたいと思います」……

 どうしてこれほど低姿勢、へりくだった話し方をするのだろう? まるで、質問者のほうが無理に頼み込んで出てきてもらっているかのようだ。これに対して、伊藤議員のほうも負けず劣らず馬鹿丁寧に応じる。

「事務局のほうにも調べさせまして、報告をいただいているところでは」「十年ぶりぐらいにパーテーをやらしていただいて」「返金をさせていただきました」「弁明書の中でも御報告をさせていただきましたように」……

 後続の民主党、公明党は幾らかマシだったものの、それでも「……ございます」「……いただきます」というような物言いは頻々と耳についた。

 日本語は敬語の使い方が難しいと言われ、裏返せば、だからこそ、それを巧く使いこなすことで深みを増す場合もある。しかし、最近は尊敬語、丁寧語、謙譲語が入り乱れ、どれがどれかの区別もハッキリしない。意図的な慇懃《いんぎん》無礼を狙うのならば話は別だが、本人は敬語のつもりだとしても、非常に不自然で聞き苦しいものになってしまうことも多い。商売絡みのやり取りや接客マニュアルならば過剰な敬語の使用もまだしも判るけれど、日本を動かす国会でのあまりにクドい応酬には閉口させられる。特に大臣や官僚をはじめとする「××させていただいております」という類《たぐい》の言い方は、一体誰を意識してのものなのかと訊いてみたくなる(当然、「国民の皆様を念頭に置かさせていただいております」とか何とか返ってくるのだろうか)。先ほど引いた「御報告をさせていただきましたように」などは、細かく見ると「御」「させて」「いただき」と三段階にもくるまれているが、余計な物を削ぎ落とせば「報告したように」あるいはせめて「報告しましたように」くらいで用は済むし、それでも決して尊大な口調とはなるまい。

 テレビに至っては、完全に誤りとまでは言いきれないものの、アナウンサーやレポーターが「食べたことございますか」とか「読んだことございますか」とかと質問するのがひどく気持ち悪い。「ございます」は、基本的には自分が一歩下がる時に使うものだろう。某消費者金融のコマーシャルで連発される「全国でご返済できるんです」「お近くのコンビニでもご返済できるんです」というフレーズも耳障りだ。なぜ「ご返済」と来て「できるんです」と続くのか。しかも、その後には「返したい時に返せます」……主体は客ではないのか? トリノ・オリンピックを見ていても、「良い滑りを見せていただければ」「思いきり滑っていただきたい」「練習を拝見して」と言う具合に、解説者が選手たちに対して敬語(?)を使う光景が気になった。偉そうに構えることはないにせよ、ほとんどの場合、解説者はその競技において選手たちの先輩に当たるわけだし、ここまでの言い方は必要あるまい。

 もう一つ、たとえば、「行く」を「お出かけになる」、「食べる」を「召し上がる」、「着る」を「お召しになる」など純然たる尊敬語の代わりに、「行かれる」「食べられる」「着られる」というような「れる・られる」で済まそうとするため、可能の表現と混乱する例も多い(その混乱を回避するため、可能については「ら抜き言葉」が選択される嫌いさえ感じられる)。先日、皇太子が記者会見で愛子内親王は相撲好きと話したことを伝えるニュースでは、愛子内親王は力士の名前を「よく覚えられている」というナレーションが流れていた。もちろん、この場合の「覚えられている」は尊敬語だろうから、さすがに相手が子供なので、あまり仰々しい表現は避けたいという微妙なバランス心理が現われたものだったろうか。しかし、字面だけ取れば、可能表現との区別はつかず、「はいはい、よく出来ましたね」という尊大な言い方に聞こえなくもない。

 要するに、システマティックに表層的な「敬語」を使うだけでは、“仏作って魂入れず”という空疎な結果となってしまうわけである。
(2006.2.26)


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