今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

ライブドア堀江貴文社長の逮捕

大西 赤人       



 東京地検特捜部によるライブドアへの強制捜査(16日)、それに引きつづく堀江貴文社長以下の幹部役員逮捕(23日)は、彼の得意な“想定外”という言葉を使いたくなるほどに意外な出来事ではなかったが、それでもやはり『エッ!?』と感じさせられた。今から一年ほど前だったか、とある事業プランを携えて堀江を訪ねた知人が、“あんな会社、近いうちに捜査が入るはずだよ。そういう情報が流れてる”と吐き捨てていたことを覚えている。その時は、堀江から“要するにあなた、金が欲しいんでしょ?”と言われた上に話がまとまらなかったという知人の鬱憤のせいかと思って半ば聞き流していたのだが、今回、報道を見ていると、特捜は実際に相当以前から内偵を進めていたようだ(昨秋、堀江の予想外の衆院選出馬を受けて一時的中断が挟まり、時間を要したらしい)。

 元々、何かにつけて法律のグレー・ゾーンないしは抜け穴を突く形で商売を膨れ上がらせてきた堀江なのだから、言ってみれば脛は傷だらけ、叩けば埃《ほこり》だらけというところだろうか。それにしても、逮捕容疑は証券取引法違反(偽計取引、風説の流布)だが、そもそも昨年あたりからの日本経済の回復――株価の総体的上昇――は、それが本当に望ましい姿なのかをひとまずおくならば、まさにライブドアに代表される新興IT企業各社の急成長に引っ張られたものであろう。

 そう考えれば、ライブドア――堀江の経営手法が相当に胡散臭いものであったとしても、それによって株の価値は高まったのだから、むしろ“被害者”はほとんど存在しないか、したとしても少数に過ぎず、大多数はその恩恵に預かってきたのではないだろうか。実際、ライブドア株を買った多くの個人投資家たちは、強制捜査・逮捕があったからこそ、それを受けた株価暴落によって、言わば“初めて”明らかな損害を蒙《こうむ》る形となったわけである。もちろん、特捜も勝算(起訴→有罪)あっての事だろうが、所詮は未だ逮捕の段階。しかし、例によってマス・メディアは、ついこの間の年の暮れから正月あたりまでホリエモン、ホリエモンと――秘書の女性まで含めて――もてはやしていたことなどなかったかのように、押しなべて「転落」という象徴的な言葉で堀江を断罪している。

 たまたま見ていたテレビの昼のワイド・ショーでは、堀江を“愛情を受けずに育った人”“家庭生活に歪みのあった人”と決めつけ、子供の頃から金銭に偏った“やや特異な精神構造”の持ち主と分析。その上で、コメンテーターたちはこぞって、彼は愛情や人の命のように金では買えない物が世の中に存在することを理解し得なかった人間であると批判していた。

 たしかに堀江は「世の中に金で買えない物はない」と公言して憚らなかったけれども、番組の中で再現されていたインタヴューでも明らかだったように、それが唯一絶対であると主張していたわけではなく、「世の中には金で買えない物がある」と考える人はいいけれども、逆に「世の中には金で買えない物がある」という価値基準を絶対と据えたら間違ってしまう、子供たちにも誤解を与えると述べていたのだ。その趣旨は、次の記事などからも窺われる(2004年11月20日付『アサヒ・コム』)

「堀江『世の中、おカネで買えないものはないし、おカネの前ではすべて平等なんです。いくら貧乏でも、才能があれば、それをおカネに換えられるし、頑張った分だけ報われる。頭がいいとか、運動能力が高いとか、芸術的な才能があるとかって、絶対的な基準で比較はできない。でも、稼ぐおカネで推し量ることはできるんです』

「堀江『おカネで買えない価値がある』なんて言うのは、自分が努力しないことに対する逃げ、自分の才能が足りないことを認めたくない逃げですよ。僕は、自分に能力がないんだったら、努力するか、あきらめるか、はっきりしろよって言いたいですね」

「『何で命に値段がつくんだ!』
 小学生だったこの人【大西注:堀江を指す】の将来に備え、両親が生命保険会社の保険の加入を相談していたときのこと。自分の死亡時に給付金が支払われると知って、思わず大声を出していたという。親子の無条件な愛にカネが介在する違和感。『人の命に値段があることが、本能的に受け入れられなかった』と振り返る。カネとの格闘の原点だ」

 つまり堀江は、間違いなく多くが経済本位の価値観に則って動いている現代日本において、“世の中、金(だけ)じゃない”と耳に優しい言葉で逃げ場を設けることの危うさ・ゴマカシを素直に提示していたわけである。もしも彼が、一般的な意味で、金で買えない物――たとえば判りやすい例として寿命とか、ある種の精神的ないし身体的能力とか――が世の中に存在することを認識していなかったとしたら、ただただ極めて単純な阿呆であり、たとえそれが徒花《あだばな》にもせよ、ここまでの繁栄にさえ到達することは出来なかったであろう。その意味で僕は、以前にも書いたように(colum277.htm)(colum294.htm)、堀江の商売人としての率直さについては、決して賛同こそしないものの、僕は反面教師的には共感することが出来た。

 彼が大きなミスを犯したとすれば、やはり衆院選出馬ではなかったろうか。小泉政権と誼《よしみ》を通じ、むしろ“刺客”候補を買って出ることで一種の貸しを作り、たとえ落選したところで莫大な宣伝効果を思えば痛くも痒くもない……そうソロバンを弾いたのかもしれないが、いかんせん相手が大き過ぎた。選挙前には「改革の旗手」扱いで手放しの誉め言葉を浴びせていた自民党の幹部たちは、「人物を隅々まで調べるのは難しい」(小泉首相)「党の要請で応援に赴いた」(竹中総務相)などと剣もホロロ。弟だ、息子だと歯の浮くようなエールを送っていた武部幹事長でさえ、「党は推薦も公認もしていない」「私はどんな若者にも父親のような気持ちで接している」と、こちらが恥ずかしくなるほどの冷淡さだった。

 どこかの週刊誌の広告には、「小泉首相『ホリエモン切り捨て』の瞬間」という見出しで、強制捜査着手を前に小泉首相がGOサインを出したというニュアンスが臭わされていたけれども、17日に行なわれたヒューザー・小嶋社長国会喚問との競合したタイミングを考え合わせると、例の耐震偽装問題が大物政治家へと波及することを避けるべく、世間の批判の矛先《ほこさき》を少しでも逸らす狙いだったのではないかという勘繰りをどうしても拭《ぬぐ》いがたい。

 いずれにせよ、ここで改めて留意しなければならない点は、堀江以下の面々は、まだ容疑を受けて逮捕されただけであり、その罪が確定したわけではないことである。既に、彼の全面否認に対して、幹部役員は容疑を認めた上に堀江の関与を示唆したというような――検察側によるものと思われる――“リーク”情報が小出しに報じられ、早くも再逮捕・最勾留への流れまで囁かれはじめている。その様子は、前回(colum308.htm)触れた佐藤優の『国家の罠』に詳細に描かれた作為的・意図的な検察の捜査手法とほとんど重なり合ってさえ見える。堀江を利用し、用済みとなればアッサリ放り出す自民党の粗雑さを攻撃する側が、そのためゆえに現段階で無闇に堀江を罪人扱いするとしたら、それは浅薄な誤りと言わなければならないだろう。(2006.1.25)


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