今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

鈴木宗男議員の懐刀と報じられた元外務省・佐藤優の『国家の罠』の中で、とりわけ関心を惹かれたのは、佐藤の説明する「外務省の基本的な外交スタンス」だった

大西 赤人       



 本サイトの「リンク」ページにも出ている村越さんが「とても面白かったよ」と貸してくれたので、以前から買おうと思いながら取り紛れていた佐藤優の『国家の罠』(新潮社)を読んでいる。著者は、同書の副題に「外務省のラスプーチンと呼ばれて」とある通り、数年前に起きた外務省における一連の騒ぎの中で、鈴木宗男議員の懐刀あるいは右腕的存在として大々的に報じられた人物。鈴木議員ともども徹底的なメディア・バッシングに遭った挙句、2002年5月、外務省関連の国際機関「支援委員会」に対する背任と、国後《くなしり》島におけるディーゼル発電機供与事業に関する偽計業務妨害との疑いで逮捕されるに至った。容疑を否認しつつ、第一審で懲役2年6ヵ月・執行猶予4年の有罪判決を受け、現在控訴中である(ちなみに、収賄や議院証言法違反、政治資金規正法違反の容疑で2002年6月逮捕、議員辞職勧告を受けた鈴木は、保釈後、懲役2年の実刑判決を受けたが無実を訴え控訴。昨年秋の衆院選でカムバック当選を遂げている)。

 まだ途中とはいえ、『国家の罠』は、当時、田中真紀子外相と鈴木との関係を中心に面白おかしく報じられた外務省の内幕を改めてリアルに描き出して実に興味深い。しかもそれは、いわゆる“暴露モノ”とは異なり、佐藤の極めて細密な記憶力と冷静な筆致によって、非常に説得力を伴なうものとなっている。「十二月三十一日午後四時半頃、私は地下鉄赤坂見附駅すぐそばの天丼スタンド『てんや』で、瓶ビールを飲みながら海鮮かき揚げ丼を食べていた」というようなむしろ過剰なほど細部にこだわった書きぶりは、勾留《こうりゅう》中の立場で記録を残すべくもない検察における取調べ状況に関しても、まるでテープ起こしのような再現を成立させている。

 佐藤の趣旨は、私利私欲とは無縁に日本のためを慮った自分たちの行為が、後になると、意図的な「国策捜査」によって意図を歪められ、悪事に擬されたというベクトルで一貫する。彼は、「世のため人のためによかれと思って事を進め、それは確かに成果をあげる」(「あとがき」)のだが、逆に世間からは迫害を受ける「天狗」に鈴木や自らをなぞらえる。そして、「日本国家が天狗の力を必要とする状況は今後も生じ」、「天狗の善意が再び国策捜査によって報いられること」もあるだろうが、それは「『運が悪かった』と諦める」しかなく、「誰かが国益のために天狗の機能を果たさなくてはならない」とする。その上で佐藤は、「過去の天狗が自らの失敗について記録を残しておけば、未来の天狗はそれを参考にして、少なくとも同じ轍は踏まないであろう」と考え、この回想録を記したと書いている。

 もっとも、鈴木に対する佐藤の終始変わらぬ大変高い評価については――政治家・鈴木宗男は本当にそれに値するのかもしれないが――いささか奇妙な印象さえ受ける。鈴木への批判が高まりはじめた時期、佐藤に対し、外務官僚の後輩がカラオケバーで酩酊して“鈴木さんは総会屋だ。佐藤さんは今や鈴木さんの利益を体現する企業舎弟になってしまった。少し距離を置いてくれ、批判もきちんとすべきだ”と絡む場面がある。そこで佐藤は、次のように書く。

「私はその問には答えずに、『飲み足りないようだな。もっと飲めよ』と言って、ロックグラスにウイスキーをなみなみと注ぎ、ロシア風に右手を組み合わせて(ブンデルシャフト)、後輩と一気のみをした。そして、頬に三回キスをした。後輩は絨毯の上に倒れ、激しく嘔吐した」
 しかし、佐藤の内心――真意は、それ以上には描かれないのである。

 さて、『国家の罠』の中で、とりわけ僕が関心を惹かれた点は、佐藤の説明する「外務省の基本的な外交スタンス」だ。彼によれば、なべて外務省は「親米派」ではあるが、そこには「日本はアメリカと価値観を共有するので常に共に進むべきであるという『イデオロギー的な親米主義』と、アングロサクソン(英米)は戦争に強いので、強い者とは喧嘩してはならないという『現実主義』」とがある。そして、ソ連崩壊・冷戦構造の崩壊以降、反共的な前者は存立基盤を失ない、代わって、三つの見えにくい潮流が形成された。即ち、“これまで以上にアメリカとの同盟関係を強化する狭義の「親米主義」”、“中国と安定した関係を築くことでアジアにおいて安定した地位を得ようとする「アジア主義」”、“日、米、中、ロシアの四大国によるパワーゲームの時代において、日本の地政学的意味を重視し、ロシアとの関係を近づけ、日米露三国で中国を抑え込もうとする「地政学論」”。これらと、元から外務省内にあった派閥とが絡み合い、省内抗争が複雑なものとなっていたというのである。

 小泉政権が誕生し、トリックスター・田中真紀子が外務省へ送り込まれ、まず鈴木や佐藤ら「地政学論」(ロシア重視)が葬り去られ、次いで田中自身の失脚により「アジア主義」(中国重視)が後退し、「9.11同時多発テロ事件」を踏まえて、日本人の排外主義的ナショナリズムの高まりなどを背景とする「親米主義」が唯一の路線として残った――それが佐藤の総括である。外務省の内実を窺い知ることは難しいけれども、この分析は現実の流れといかにも符合しているように思われる。

 以前、僕は、決して明確ではないのに定理のごとく使われる「国益」という言葉に対する疑問を記したが(colum230.htm)、そこでも述べた通り、日本の「国益」は必ずしも一通りではなく、人それぞれの見方・立場によって異同があって不思議ない。僕などは、日米同盟を至上のものとする“より”は、地理的、歴史的に見ても、中国との関係を緊密に――あるいは、少なくともできる限り良好に――保つことのほうがむしろ妥当ではないかと考えているのだが、そういうふうに人に話すと、しばしば反対意見が返ってくるし、実際の外交面では、このところますます日中間の摩擦が強まっているようにさえ見える。年来の靖国問題や領土問題などに加えて、麻生外相や民主党・前原代表による「中国脅威論」が盛んに報じられ、安倍官房長官も靖国問題に関連して中国の対応を批判するなど、今更に彼《か》の国を仮想敵国として位置づけて行きたいのだろうかと感じるほどである。

 10日付『朝日新聞』によれば、9日に北京で開かれた日中両政府による非公式局長協議では、中国側が「日本国内で『中国脅威論』が高まり始めていることへの懸念を表明」、「『日本のメディアはなぜ、中国のマイナス面ばかり報道するのか。良い報道がなされるよう中国ではメディアを指導している。日本政府も指導すべきだ』とも述べ、『報道規制』を促したのに対し、日本側は「『中国としても反省すべき点があるのではないか』とし、報道への注文も『日本ではそういうわけにはいかない』と、応じなかった」と伝えられる。

 佐藤優は、「日本人の排外主義的ナショナリズム」の特徴として、第一に「より過激な主張が正しい」、第二に「『自国・自国民が他国・他民族から受けた痛みはいつまでも覚えているが、他国・他民族に対して与えた痛みは忘れてしまう』という非対称な認識構造」を挙げていた。たしかに中国という国には不透明な部分が存在しており、日本との関係においても、総ての面で向こうが正当であるとは言えまい。しかし、北朝鮮による脅威を散々言い立てながら、それがさほどのリアリティーを伴なわないことが現実化しつつある中で、今度は、遥かに大きな存在である中国との対立関係を煽ろうとする――必然的に、遥かに大きな脅威を仮想する――かのようなやり方が日本の外交であるとしたら、それはまさにいかなる形の「国益」にも結びつかないものとなってしまうのではないかと思う。
(2006.1.16)


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