今週のコラム                                 大西赤人/小説と評論

「モーニング娘。」の大車輪

                                

大西 赤人       


 年末年始のテレビで目立ったものが二つ。一つは、いわゆる「大食い」番組。出場者は真剣なのだろうけれども、好きになれないなあ。1月3日の夜などは、同じ午後7時から、TBSテレビが『フードバトルクラブ! 今世紀最強の大喰い王グランドチャンピオン決定トーナメント決勝』、テレビ東京が『TVチャンピオン「元祖・大食い選手権史上空前、かつて類を見ないスゴすぎる勝負“2時間ラーメン食いっぱなし駅伝”」――どこまでが正式な番組タイトルなのやら――と大激突。どちらも全く見ませんでしたが、不況と言われる中、死ぬほど食うというのが多くの視聴者の“夢”なのでしょうかね?

 もう一つは、「モーニング娘。」の大活躍――というか大車輪。メンバー増員で質より量と言ったら身もフタもないけれど、個々のキャラクター云々よりも、むしろ13人がひとかたまりになって舞台やスタジオを物理的に占領して「存在」しているという感じ。以前に書いたポジティヴな意味合いでの“「色モノ」の胡散臭さ”も薄らいできたように思う。「売れてるうちに売ってしまえ」という背後の思惑が見え透いて、まあ、彼女たち自体の様子は特に悲惨でも切実でもないのだけれど、とはいえ、なんとなくこんな歌を思い出してしまう。

サーカスの唄(作詞:西条八十、作曲:古賀政男)

旅のつばくろ 寂しかないか
俺も寂しい サーカスぐらし
トンボ返りで 今年も暮れる
知らぬ他国の 花を見る
(略)

越後獅子の唄(作詞:西条八十、作曲:万城目正)

笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児《みなしご》 街道ぐらし
ながれながれの 越後獅子

今日も今日とて 親方さんに
芸がまずいと 叱られて
撥《ばち》でぶたれて 空見上げれば
泣いているよな 昼の月
(略)

 前者は松平晃が1933(昭和8)年に、後者は美空ひばりが1951(昭和26)年に唄ったもの。どちらも僕の生まれる前のヒット曲で、過去、何度も聞いたことがあるわけでもないのだが、不思議に印象に残っている。同じ西条の歌詞に似通った短調のメロディー、口ずさんでいると、相互乗り入れ状態になってしまったりする。特筆すべきは「トンボ返りで 今年も暮れる」という一節――何と端的で哀感に満ちた歌詞だろう!(『越後獅子の唄』は、美空の主演映画『とんぼ返り道中』の主題歌だったというから、ここでも両者には共通点がある)。

 ところで、「モーニング娘。」大車輪の一環としては、1月2日夜に放送のドラマ『モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ』(TBSテレビ系列)があった。『伊豆の踊子』(後藤真希)、『はいからさんが通る』(石川梨華)、『時をかける少女』(安倍なつみ)のオムニバス三本立て。ちょうど前の日にWOWOWで山口百恵の『伊豆の踊子』(1974年度作品、監督=西河克巳、脚本=若杉光夫)を再見したばかりだったので、ゴマキこと後藤真希の踊子ぶりはいかがなものかと少々興味を惹かれ、ビデオに録って“拾い見”した。

 百恵版『伊豆の踊子』は、当時人気沸騰していた彼女の初主演作だったのだが、過密なスケジュールの中の急仕上げに違いない映画の割りには、結構よく出来ている。社会的エリートである書生(一高生)と、底辺に位置する踊子はじめ旅芸人たちとの対比が描き出され、表面的には二人の純愛ロマンスを追っていながらも、要するにそこから東京へ帰る――脱出する――ことの出来る書生の姿は、むしろ冷酷なものとしてさえ感じられる。何と言っても百恵の“不幸顔”が踊子役にピッタリだし、こちらも映画初出演で書生を演じた三浦友和は堅実。一の宮あつ子や中山仁、あるいは(売れる前の)石川さゆりなどの脇役陣にも味があった。

 では、ゴマキの新版(演出=星田良子、脚本=寺田敏雄)はというと、何しろ彼女に陰がない。泣いても笑っても、内側から滲み出てくる想いが感じられないので決定的に弱い。まあ、それはそれとして、驚かされたのは、踊子が書生(小橋賢司)に「水戸黄門漫遊記」を読んでもらう場面。セリフを書き起こすと――

薫「難しい字、たくさん読まれるんですね」
書生「え? あ、ああ……。」
薫「高等学校は、どうしたら行かれるの?」
書生「それは、勉強をして、試験を受けて……。」
薫「女でも?」
書生「ウン、最近は女の人も増えてはきてるね。学校に行きたいの?」
薫「あたし、尋常の二年しか行ってないから……。でも、ダメですよね、学校へ上がるには、お金もたくさん要りますよね?」
書生「ウン……。」

 作者の体験に基づくといわれる『伊豆の踊子』の時代背景は、川端の実際に即せば、1918(大正7)年頃と考えられる。もちろん、現在とは学校制度が大きく異なる。義務教育は尋常小学校6年のみ。続く中等教育としては、2年間の高等小学校があったが、より勉学を深めるならば、男子は5年間の(旧制)中学校、女子は4年ないし5年間の高等女学校へ通った。そして、なお限られた男子だけが、3年間の(旧制)高校――または私立大学予科――へ進学した。当時、旧制高校は全国で8校しかなかった(ちなみに旧制中学が337校、高等女学校は420校)。

 女子の場合、どんなに成績が良くても、(旧制)高校へ入学することなど考えられなかった(高等女学校から女子高等師範学校や女子専門学校へ進むというような少数の例はあった)。1918(大正7)年のデータによれば、日本の高等教育(師範学校、専門学校等を含む)在学者実数は、男64308人、女僅かに2983人! 17歳から21(または22)歳の人口に占める在学者の割合は、1915(大正4)年に男1.9%、女0.1%、1920(大正9)年に男3.0%、女0.2%……。

 ゴマキ見たさにチャンネルを合わせた人々に対して、こんな歴史的レクチャーをするわけにも行くまい。製作者としては、“今ならば義務教育は中学校までだが大多数が高校に進むのに、薫はそれも出来ないような身の上”程度に理解されればそれでよし、と割り切ったのだろうか? しかし、ここでは、全国で8校しかない高校の中でも頂点たる第一高等学校に学ぶ選ばれた書生と、義務教育さえ「尋常2年」で辞めた踊子との隔たりが見る者に伝わらなければいけない場面である。「女でも?」「ウン、最近は女の人も増えてはきてるね」なる珍妙なやり取りは、いささか粗雑に過ぎたように思う。
(2002.1.6)


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