データベース不思議発見


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はしがき

「データベース不思議発見」は、アスキー発行の月刊誌『ネットワークス』1993年8月号から1996年4月号まで、27回にわたって連載された。1ページもらって(最初は2ページだった)好きなことを書いていいというのは初めての経験だった。

 僕は、専門がオンラインデータベースというわけでもないのだが、最初に出版した単行本が「ニフティサーブ・データベース徹底活用マニュアル」という解説本だったこともあって、オンラインデータベースには関心を持っていたし、自分でもよく使っていた。

 連載がスタートした頃は、データベースに詳しい人や活用している人にインタビューしたり、データベースに関する話題を取り上げて紹介しようと考えていた。第1回は作家の松本侑子さん、第7回はフォトジャーナリストの森枝卓士さんにインタビューしてまとめている。

 しかし、第2回で、指揮者のレナード・バーンスタインの日本公演に関するちょっとした事件、第7回で俳優のリバー・フェニックスの突然の死の真相について取り上げた辺りから、連載がひとつの方向を向くようになった。新聞やテレビで見かけた面白そうな話題について、オンラインデータベースを使って検索をして、その真相や、後日談や、思わぬ裏話を探り出してみようというものだ。

 オンラインデータベースを駆使すると、事件をはじめとした物事の側面がけっこうよくわかる。作家の広瀬隆さんは、海外のオンラインデータベースを使って、いくつものノンフィクションの秀作を書いているが、それのほんのまねごとをしようというわけだ。

 この路線だと、データベースという切り口さえとれば、自分が関心を持っているテーマについて、自分の思いを綴っていくことができる。そのあと、『ネットワークス』が休刊になるまで、この連載は楽しみながら続けることができた。

 検索するオンラインデータベースは最初はニフティサーブやコンピュサーブが中心だったが、連載の後半にはインターネットへ比重が移っていった。この辺の時代の変化も面白い。

 編集担当だった、大槻さんと単行本にしたいねと話しながら、まだ実現していない。内容としては、データベースの利用に関心のない人にも十分面白いものだと思っているし、データベースに関心のある人なら、活用のノウハウを手に入れることができる。

 連載しっぱなしにしておくのは、著者としても残念なので、これから、多少時間はかかるが、連載全編をホームページで紹介したいと思う。4年前のものもあるので、その後のことについて、「後記」の形で解説も付け加えていきたい。

 取りあえず、95年11月号から96年4月号まで、最後の6回分を掲載します。ぜひお楽しみください。(1997.7.14)

 95年7月から10月までの4回分を掲載します。(1997.7.25)

 94年11月か95年5月までの5回分を掲載します。(1997.10.16) 


ライオン・キングとジャングル大帝の、知的財産権な関係

データベース不思議発見 第13回   Networks 1994.11


 小さい頃からディズニー映画をよく見ていた。最近は、『バンビ』などの名作がレーザーディスクとして発売されるので、せっせと購入して繰り返し見ている。新作も、まめにチェックしている。

 しかし、94年の夏に大ヒットしている『ライオン・キング』だけは事情が違う。僕と同じ年代の方にはわかると思うけど、手塚治虫さんの『ジャングル大帝』の真似をしたとしか思えない。そういうわけで、『ライオン・キング』は見る気がしない。たぶんビデオになっても見ないと思う。

 もちろん僕以外にも、当然気づいている人はいて、7月半ばには、朝日、読売など数紙に、アメリカで『ライオン・キング』と『ジャングル大帝』の著作件論争が始まっているという記事が載った。やっぱりな、と思って続報を期待していたのだが、論評が載った程度で、その後の動きがよくわからない。話題を呼びそうなテーマなのに、テレビや週刊誌でも騒ぎにならない。しびれをきらして、データベースで調べてみることにした。

 海外のことなら共同通信。NIFTY-Serveの共同通信記事情報で調べてみると、さすがに詳しい記事がたくさん出てきた。最初に論争を始めた『ロサンゼルス・タイムズ』『サンフランシスコ・クロニクル』の記事の内容も詳しく紹介されている。「漫画家の里中満智子さんらが、ディズニーの著作権侵害に腹を立てて署名活動を始めた(8月5日)という記事も見つけた。

 CompuServeで『ロサンゼルス・タイムズ』や『サンフランシスコ・クロニクル』の原文記事も読んでみたが、数回に分けて詳しく報道していた。アメリカの著作権に対する力の入れ方がよくわかる。

 事態の展開は、日米の文化の違いを表わしていて面白い。最初に著作権侵害を言い出したのは、アメリカ。真似された側の日本ではない。記事によれば、ディズニー側は「『ジャングル大帝』など見たこともない」と全面的に否定。それに対して、新聞は、類似点を細かく上げて反論している。

『ライオン・キング』の原題が「ジャングル王」だったとか、主演の声優は小さい頃見た『ジャングル大帝』のリメイクだと信じていたとか、アメリカで放送された『ジャングル大帝』の名前は(レオじゃなくて)キンバ、『ライオン・キング』はシンバと1字違いとか。

 不思議なのは、手塚プロダクションでは、「著作権侵害はない」としていること。それも、「『ジャングル大帝』が『ライオン・キング』に影響を与えたのが事実なら、手塚さんが生きていれば喜ぶだろう」とエールまで送っている。この対応は、アメリカ人には理解できないようだ。

 当事者である手塚プロダクションが訴訟をしないのでは、これ以上事態の展開のしようがない。アメリカのマスコミの騒ぎも急激にしぼんでしまったようだ。

 その後、里中満智子さんら488人の漫画家がディズニーへ抗議文を送ったという記事が8月21日付の日本の新聞各紙に載り、朝日新聞は8月27日付けの社説「前略 W・ディズニー様」で、天国のウォルト・ディズニーへの手紙という形で、今回の騒動を上手にまとめている。

 しかし、騒ぎが収まりつつあるといっても、僕自身の気持ちは釈然としない。

 確かアメリカ映画の『荒野の用心棒』は黒澤監督の『用心棒』にそっくりだということで訴訟になり、アメリカ側が賠償金を支払っている。日本人がいつでも、著作権に寛容なわけではないのだ。

 手塚治虫さんは、ウォルト・ディズニーから大きな影響を受けている。自らもファンだと公言していた。だから、訴訟はしないのだろうか。下司の勘ぐりかもしれないが、訴訟をすると手塚側にも何か困るような理由があるのかなと思ってしまう。

 里中さんたちの行動に対しては、夢を壊すのはやめてくれという高校生の意見も新聞に掲載されていた。

 日本人には、裁判に訴えるのは、そんなにめくじらたてなくても、という傾向がある。それに、日本人は著作権や知的財産権の意識が低いと言われる。それでは世界に通用しないとも言われる。

 この機会にもっと広く議論するべきではないだろうか。手塚治虫とディズニーという誰でも知っている話題なのだから。臭いものにはフタを繰り返していては、いつまでたっても「国際化」は進まないと思う。

 それにしても、ディズニー側が『ジャングル大帝』をもとに制作したとはっきり言えば、すっきりした気分で映画館に行けるのだけれど。

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同じ町内の大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞した

データベース不思議発見 第14回   Networks 1995.1


 1994年10月13日、スウェーデン・アカデミーは大江健三郎さんのノーベル文学賞受賞を発表した。別に面識はないのだが、たまたま同じ町内に住んでいるので、自分のことのように喜んでいる(大江さんは4丁目、僕は7丁目)。

 翌日近くの本屋に出かけてみたら、見事に大江さんの本がなくなっていた。これまでも、新刊が出るたびに注目され、それなりの部数が売れ、書評にも広く取り上げられてきた。しかし、こんなブームになったのは初めてのことだろう。

 僕が大学生の頃は、本好きなら大江くらい読んでいないと、という空気があった。いまは決して“流行って”はいない。しかし、これからは長い間確実に売れ続けていくだろう。ブームではなく定着した人気を保つはずである。やはりノーベル賞の威力はすごい。

 新聞によれば、ひとりの作家がこれほどのブームになるのは1968年の川端康成氏のノーベル文学賞受賞、三島由紀夫氏の割腹自殺以来のことだそうだ。最近は作家が亡くなってもブームというほどにはならないし、芥川賞や直木賞も単行本セールスの面では昔ほどの力はなくなっている。しかし、さすがにノーベル賞の威光は衰えていない。もちろん文学賞以外もも含めて、日本人はまだ8人しか受賞していないという希少価値が大きいけれど。

 テレビを見ると深夜まで家の前に報道陣が詰めかけて大騒ぎだった。翌日もおよそ文学とは関係なさそうなワイドショーまでこぞって取り上げていた。見ていて興味深かったのは、コメンテイターとして出演した文化人・タレントの人たちの多くが、「いやあ、難しいからあまり読んでないんですけど……」と口をそろえていたこと。

 ノーベル物理学賞とか化学賞だったらその人の著作を読んでいなくても別に恥ずかしくないのに、文学というのは読んだり理解したりしていないと恥ずかしいものらしい。大江さんの作品、特に最近のものは難解だから、読んでいなくて当たり前だと思うのだけれど。

 ここで問題です。93年のノーベル文学賞は誰が受賞したでしょう?

 答えられる人は少ないだろう。僕も記憶になくて新聞記事データベースで調べてみたら、アメリカの黒人女性作家トニ・モリスンさんだった。朝刊3面の800字弱の記事だから(朝日新聞)、気がつかなかった確率は高い。テレビでもそれほど大きくは取り上げられなかっただろう。

 彼女の作品は、小説2作と『ビラヴド―愛されし者』(上下巻・集英社)『青い眼がほしい』(早川書房)、エッセー『白さと想像力―アメリカ文学の黒人像』(朝日新聞社)の3作しか翻訳されていない(NIFTY-Serveの日外アシスト・BOOKで検索)。確か、『ビラヴド』は「ノーベル文学賞受賞!」という帯をつけたのを1年くらい前に書店で見かけた覚えがある。

 日本では大江さんの受賞は大騒ぎになったが、93年にトニ・モリソンさんがノーベル文学賞を受賞したとき、アメリカはどうだっただろう。

 アメリカの新聞は『USA TODAY』を除けば、地方紙が中心だが、トニ・モリソン(TONI MORRISON)で検索すると、どの新聞かも数十から百以上の記事が出てくる。93年の受賞時期に集中しているわけではなく、書評などまんべんなく取り上げられている(NIFTY-Serveなら、INFOCUEのSMART SCANのNEWSで、新聞の横断的な検索ができる)。やはり人気作家なのだ。

 面白かったのは、ロサンゼルス・タイムズの93年10月9日の記事だ。ノーベル賞を取ったにも関わらず、彼女の作品がひとつも映画化されてないことを皮肉っている。彼女の小説のうち、映画化権がすでに取られているのは、スパイク・リー監督が持っている「Sula」など3作品のみ。1993年10月の時点ではどれも映画化を検討中の段階だ。映画にはあまり詳しくないが、おそらくまだひとつも映画化されていないと思う(NIFTY-ServeのMagill映画データベース(GO MAGILL)で検索してみたが、該当する映画はなかった)。

 ハリウッドではこぞって彼女の他の作品の映画化権の獲得に動き出している。
「ハリウッドは突然モリスンに興味を示した。モリソンの出版社の広報担当は、『電話がかかりっぱなしだ』と語っている……」。

 こんなふうに突然騒ぎだすところなど、日本もアメリカも変わらない。日本の映画界からは大江健三郎さんの作品の映画化の話は出てこないようだけど(その後、『静かな生活』を伊丹十三監督が映画化。これは伊丹作品の中でも僕の好きな一本です)。

 大江さんの受賞はアメリカでもきちんと報道されていた。『ワシントンポスト』10月14日掲載の記事はかなりの長文で(1833語)、日本と日本の文学にかなり詳しい David Streitfeldという人が書いている。大江さんの生い立ちから、障害を持った息子の光さんのことまで詳しく紹介している。

 大江文学には、日本の敗戦と息子の誕生の2つ事件がが大きな影響を与えているという視点は、日本の新聞にも書かれていたが、特に大江さん自身の敗戦体験に関する部分は日本の新聞よりもずっと詳しく書かれていて、日本とアメリカの興味の重心の違いを感じた。この記事は内容のある名文なので一読をおすすめします。

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10歳の女の子がUNIXをあやつるパトリシア・コーンウェルの小説が面白い

データベース不思議発見 第15回   Networks 1995.3


 話題の女性作家パトリシア・コーンウェルの小説を薦められて読んだ。最近、「4F小説」がブームなのだそうだ。4F小説というのは、著者・訳者・主人公・読者が女性(Female)と四拍子そろった小説のこと。

 コーンウェルの小説は女性検屍局長のケイ・スカーペッタが主人公で、刑事のピート・マリーノと協力して連続殺人、レイプ殺人など凶悪事件を身体を張って解決していく。シリーズ第1作の『検屍官』が50万部、2作目の『証拠死体』が30万部。3作目の『遺留品』も初版15万部。発売2週間で15万部の重版が決まったそうだ(朝日新聞93年2月7日朝刊)。4作目の『真犯人』まで翻訳が出ている。
(97年10月現在、『死体農場』『私刑』『死因』と、7作目まで翻訳が出ている。年末には、8作目の『Unnatural Exposure』の翻訳が出るはずだ。発行は講談社文庫)

 過激な犯罪小説は好きじゃないので、普通だったらいくらベストセラーといっても手にもとらなかったはず。読んでみることにしたのは、主人公の姪の女の子がコンピューターおたくで、面白いと聞いたからだ。

 1作目の『検屍官』から読み始めたが、冒頭から縛ってレイプして絞殺するという事件が頻発して度肝を抜かれた。検屍官というのは殺人事件の現場に出向いて遺体を検屍、解剖し犯人の割り出しに協力する仕事。日本だと警察の一部という感じだが、アメリカでは検屍局という独立した組織があり、死体に関する一切の権利と責任を持っている。現場でも検屍官が遺体に最初に手を触れ処理を指示する。探偵のように事件解決のために動くことも多いらしい。

 事件は過激だけれど、女性が書いているので残虐な殺人に対する告発と非難が前面に出ている。猟奇的なところは全然ない。推理小説としての構成も緻密で読み応え十分だ。

 検屍官が主人公だから科学捜査に関する場面も多い。DNA鑑定とかレーザーを使った指紋の検出とか、最新のものがどんどん出てくる。著者は実際に検屍局にいたので、このへんの記述は具体的で素人にもわかりやすい。もちろんコンピューターも駆使されている。

 そこで登場するのが姪のルーシーだ。活躍するのは第1作と第4作。『検屍官』ではまだ10歳。小学生の女の子がPC-AT互換機からUNIXまで精通していて、検屍局のコンピュータへのハッキングを解明する(432ページのあたり)。『真犯人』では17歳の高校生に成長していて、当然コンピューターに関する知識もアップ。FBIの求めに応じて、UNIXの知識を総動員して不法なファイルの書き換えを解明する(392ページのあたり)。UNIXに関する説明も、コンピュータは苦手なケイに姪のルーシーが説明するという形で、わかりやすい。

 まあ1冊くらい読んでみようかなと思っていたのに、原稿の〆切で忙しい時期に4冊立て続けに読んでしまった。読み終わると次作が読みたくなる。コーンウェルはほぼ1年に1作の割で小説を発表している。第4作がアメリカで出たのは93年6月。ということは、アメリカでは5作目がすでに出ているはずだ。

 書籍データベースの「BOOKS IN PRINT」で調べてみると、94年9月に第5作「The Body Farm」が発売されていた。第4作の場合、日本で翻訳が出るまで約半年かかっているから、第5作が出るのは、95年3月くらいまで待たなければならないだろう。新聞の書評を検索してみるとなかなか面白そうだ。舞台もこれまでのバージニア州リッチモンドから変わるらしい。洋書店にはあるだろうから買ってこようかな。たぶん翻訳の出版までには読み終えられるだろう。コンピュータについての描写とか原書で読んでみたい気もするのだ。

       *  *  *  *  *  *  *  *  *

 ここまで原稿の構想ができて、今回はなかなかいい出来だと内心思っていた。ベストセラーがうまく紹介されているし、「The Body Farm」という最新情報も盛り込んである。

 しかし、ふらっと書店に立ち寄って文庫の平積みを見ていたら、なんとコーンウェルの第5作『死体農場』が並んでいるではないか。えっ、もう翻訳できちゃったの。あわてて巻末の解説を読んでみたら、すでに第6作の「From Potter's Field」も書き上げていて、訳者の相原真理子さんの手元に届いているという。そうか、ベストセラーの場合はなるべく早く出版するために訳者は出版前に原稿を受け取っているんですね。

 第6作に関する情報がないかCompuServeで検索してみたが、現時点では見つからない。アメリカからの情報(新聞も雑誌も書籍)は距離に加えて英語の壁がある。パソコン通信やDHLが距離の壁は崩してしまったけれど、翻訳されるまで2年はかかった英語の壁もそのうちなくなってしまうのかもしれない。第6作の日米のタイムラグはどのくらいになるのだろうか。 洋書で読むべきかどうか迷っている。

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マウンテンパーカーで内外価格差を知る

データベース不思議発見 第16回   Networks 1995.4


 Networks誌(アスキー刊)でオンラインショッピングの特集記事を書いたときに、CompuServeのオンラインショップ「ELECTRONIC MALL」をあちこちと覗いた。以前から本やレーザーディスクはときどき買っているが、他のショップはあまり利用したことがない。しかし、この機会についでにカタログを集めてみようかと、いつくかのショップで無料カタログをメールオーダーした。

 1週間ほどしてカタログか郵便でいくつか届いた(日本まではサービスしていないのか、なしのつぶてのところもあった)。パンフレット程度のあっさりしたものが多かったが、目を引いたのが「Land's End」というアウトドア系のウェアやグッズのブランドだ。

 180ページにおよぶB5版カラーのカタログをめくっていると、けっこうよさそうなマウンテンパーカーやフィールドコートが目に付く。そのほかにも、ボタンダウンシャツ、ラグビーシャツから、ネクタイ、ジャケット、パンツまで、何でもそろっている。もちろん女性物もある。

 ちょうど冬用のコートがほしいと思っていたので、試しにマウンテンパーカーを注文してみることにする。ある程度金額を頼んだほうが送料が安くつきそうなので、ほかに、スウェットシャツとパンツも注文する。

 アメリカに服を注文するとき面倒なのはサイズだ。すべてインチで表示されているから換算が必要になる。しかし、Land's Endはイギリスやカナダ向けを考えているので、センチメートル表示の換算表がちゃんとついている。

 ウエスト、腕の長さなどを測定して、サイズを決定。CompuServeにアクセスして、オンラインで注文をした。ファクシミリでも注文できるのだが、せっかくだからパソコン通信にした。送付方法が7種類もあるので少し迷ったが、Prioryty Mail(Air)というのを選ぶ。2週間から4週間で届くらしい。

 さて、期待して待っていると、2週間もしないで届いた。カタログの印象よりいいくらいでなかなか気に入った。価格は79.50ドル。これが8000円かと思うと得したような気分になる(1万円以上は絶対にしそうだ)。送料は6品で5000円弱しかかかっていない。支払いはクレジットカード。1か月ほどして銀行から引き落とされた。

 これだと、オンラインショッピングを体験しました、というだけの話だが、このあと話は少し面白くなる。さっそく知り合いのところへ着ていったら、「おっ、ランズエンドだね」という話になった。彼の所には、日本語版のカタログがあって、何とそれを見ると全く同じマウンテンパーカーが倍近い1万3800円もしているではないか。僕の得した気分はさらに倍になった。

 もちろん、日本語版のカタログは英語に悩まされることはないし、送られてきた商品が気に入らなかったときの返品の手間も少ない。しかし、そのために5000円以上多く払うのはどうだろう。内外価格差とよく耳にするが、これなんだなと実感した。友人にはアメリカ版のカタログを送ることを約束した。あとで聞いたら、日本だとぴったりのサイズがなくて困るけど(彼は日本人にしては大柄だ)これなら大きなサイズがあって助かると言っていた。

 話はもうひとつある。94年末に日本DECから「Digital HiNote Ultra」という超薄型軽量のノートパソコンが発売された。僕の回りには旅先などにパソコンを持ち歩くライターや編集者の知り合いがが何人かいる。しかし、現状のノートパソコンは重すぎたり、キーボードが小さすぎたり、もうひとつぴったり来るものがないというのが大方の意見だった。

 小さくするんじゃなくて、キーボードはそのままでうんと薄くして軽くしてくれないかなというのが共通の認識だったのだが、まさにそれを取り入れたノートパソコンが出現したのだ。おまけに、最低価格のモノクロディスプレイタイプは21万8000円という思い切った価格設定だ。これだ! とみんなの意見が一致した。

 そのとき思いついた。アメリカで買えばもっと安いんじゃないだろうか。Land's Endのマウンテンパーカーのことが頭をかすめたのだ。

 早速CompuServeで調べてみる。DECは「Digital's PC Store」(GO DD)というオンラインショップをCompuServeに持っている。ここで調べてみると、日本の最低価格のモノクロディスプレイのものが2099ドル。何とほとんど変わらないではないか。日本DECもけっこう無理しているのだ。これなら、日本語版のOSがついていて保証もある日本版を買ったほうがいい。さすがに、最上位機種は同じスペックで、アメリカ4999ドルに対して日本62万8000円と内外価格差が出てくるが、DOS/Vマシンの低価格機というのは、日本のほうが安いくらいの値段になっているのだ。

 こんなふうにオンラインショッピングも立派な情報収集の場になる。こうやってアメリカと日本の価格差をみんなが肌で知るようになれば、物の値段はもっと安くなるに違いない。

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阪神大震災でインターネットの意味を考えた

データベース不思議発見 第17回   Networks 1995.5


 95年1月17日。その日は妻が早くから起きていて、僕が6時頃に起きて階下に降りていくと、「大阪のほうですごい地震があったみたい」と聞かされた。テレビでは、震度や放送局での揺れの様子などが報道されていた。

 最近地震が多いんだよなという感じでテレビを見ていたのだが、事態はどんどん深刻になっていった。倒壊した高速道路の映像が放送され、行方不明者の数も死者の数もじりじりと増えていった。

 地震のとき、震度や大雑把な被害状況などの速報はテレビがいちばんだ。いまは、地震が起きて数秒で情報が流れてくる。しかし、少したつと情報を垂れ流していくだけのテレビから情報を集めるのは効率が悪い。あちこちチャンネルを変えても全部の情報が拾えるわけではないし、亡くなった方の名簿なども、えんえんと続く画面を目を凝らして見つめていなくてはならない。

 これを補完して阪神大震災のときに活躍したのがパソコン通信とインターネットだ。死亡者名簿もパソコン通信に掲載されていれば、簡単に検索して自分の探している人が確認できる。関西方面への電話はつながりにくく、うちも知り合いの安否がわからなくてやきもきしたが、パソコン通信では特設のフォーラムやSIGで安否情報が飛び交っていた。
 否定的な意味で「オタク」の3文字がつきまとうパソコン通信が一挙に見直された感じだった。

 パソコン通信が災害のときにこんなふうに役立つのはある程度イメージしていたが、もうひとつのネットワーク=インターネットも活躍した。
 たとえば、神戸市外国語大学のWWWサーバー(http://www.kobe-cufs.ac.jp/)は、被害の状況を伝える画像を次々に掲載した。これは、神戸市役所広報部の人が被災地を走り回り、撮影したものだ。自治体自らがインターネットに情報を発信できたのは、神戸市が他の自治体に先駆けて、すでにホームページを持っていたことが大きい。

 神戸市では、市立中央図書館を中心に各区の地域図書館、神戸市外国語大学図書館、六甲アイランドのファッション美術館のネットワークを構築する計画を進めている。図書館ネットワーク自体はそれほど珍しいものではないが、神戸市では汎用機ではなくUNIXによるネットワークの構築を進めていた。その副産物としてサーバーに神戸市のホームページを作ったのだ。図書館に行けば市民もインターネットにアクセスできるようにしようという計画もある。

 その準備の途中での大震災。おそらく予定の954月スタートはおそらく延期になるだろうが、ホームページは思わぬところで力を発揮した。
 神戸市外国語大学だけでなく、神戸大学(http://www.kobe-u.ac.jp/)でも、神戸大学の人たちからの報告や安否情報、支援活動について載せていた。

 インターネットにいくら現地の生の情報が載っているといっても、どこにあるか見当がつかないというかもしれない。僕も神戸市や神戸外大などについて知識があったからすぐにアクセスできたのだが、やはり多少慣れていないとわからないし、慣れていても全部の情報に到達できるわけではない。

 そんなとき、インターネットでは情報の所在を集めたサーバーが現われる。今回の場合は、「阪神大震災 情報索引」(http://www.iij.ad.jp/earthquake/ntt/eqc/)が提供された。スタートしたのは2月6日とちょっと遅かったが、震災に関する情報を提供しているサーバーが効率よく並べてある。もちろんリンクしているので、クリックすればそこへ飛んでいくことができる。地元だけでなく、日本じゅうのサーバーが情報を提供しているのがよくわかる。

 今回の震災の様子は、各局のテレビが先を争ってヘリコプターを飛ばし記者を派遣して、報道合戦を繰り広げた。ヘリコプターの音がうるさくて救助活動に支障があった、無神経な質問をするレポーターがいたなど、現地からは報道に対して批判的な意見も多かった。

 確かに東京にいると大半の情報はテレビから得ることになる。しかし、インターネットにも同程度かそれ以上の情報が集まっている。もっと太い回線が使えるようになれば、動画で被災地の様子を見ることもできるはずだ。

 インターネットで発信されている情報は、現地の人の生の声だ。記者やアナウンサーのフィルターをかけずに、現地の生の様子が伝わってくる。インターネットがもっと普及すれば、いまのマスコミはそれほど重要なものではなくなるに違いない。テレビや新聞は、震災で大活躍したインターネットと報道していたが、マスコミなんて無力にしてしまう力を持っていることにはまだ気づいていない。

 テレビの報道は一度見ればそれきり。テレビ局にはビデオが保存されるかもしれないが、それを取り出して再度見ることは一般人にはまずできない。しかし、インターネットなら、サーバーに残っている限り、いつでも取り出すことができる。情報が蓄積するにつれて、データベースとして存在価値が高まっていく。しかも、情報は無料で提供されている。

 今回のような災害について商用のデータベースはあまり力を発揮できない。新聞データベースの情報はインターネットの質と量にはとてもかなわないし、しかも有料である。

 インターネットはどういうものか、データベースとしてはどう機能するのか、以前から考えていたが、今回の阪神大震災で少しわかってきたような気がする。
(震災時のインターネットについては、『震災とインターネット』(田中克己編著・NECクリエイティブ刊・1456円)が詳しくレポートしている)

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75歳のレイ・ブラッドベリ氏は近々本を3冊出版の予定

データベース不思議発見 第19回   Networks 1995.7


 高校生の頃、レイ・ブラッドベリの小説をよく読んだ。ブラッドベリ氏はアメリカのSF作家。「火星年代記」「十月はたそがれの国」などの短編集や、長編「何かが道をやってくる」など、今でも印象に残っている作品が多い。僕が熱心にSFを読むようになったのは、レイ・ブラッドベリによるところが大きいと思う。

 1920年生まれというから、今年は75歳。代表作のほとんどは60年代までに書かれていて、僕が読み始めた頃には新作を手にすることはほとんどなかった。それが久しぶりに、日本でも新作の翻訳が出た。86年に出た「死ぬときはひとりぼっち」(原題:Dearth is a Lonely Business)で、ブラッドベリ初のハードボイルド小説と帯にうたわれていた。書店で見つけて早速購入したのだが、何となく読む機会を失して本棚にしまい込んだままになっていた。

 そして、先日近くの砧図書館の外国文学の棚をぶらぶらと見ていたら、「黄泉からの旅人」(原題:Graveyard for Lunatics)という94年発売の最新作を見つけた。「死ぬときはひとりぼっち」の続編ということで、全作は立派なハードカバーだったが、続編のほうは新書サイズのソフトカバー。前のがあまり売れなかったのかな、最近はブラッドベリも昔ほどの人気はないのだろうかと、何となく切ない気分だった。

 図書館の本は返却期限があるので、早速読み始めた。ブラッドベリのハードボイルドか、と前作は何となく読まずにおいていたのだが、読み始めるとさすがに面白い。舞台は50年代のハリウッド。ブラッドベリ氏はその時期に「白鯨」のシナリオを書いたりしてハリウッドに深く関わっていたので、雰囲気はすごくよく出ている(ように思える)。

 殺人事件らしきものが起こって、その周辺でいろいろな事件が起こるのだが、結末もあっと言わせるもので申し分ない。しかも、全体にブラッドベリらしい、幻想的で不気味な(ハロウィンの夜のような。かれはハロウィンをよく題材にしている)雰囲気におおわれていて、ファンとしても楽しむことができた。

 70歳を過ぎてこれだけ緻密な作品を書くのは、さすがブラッドベリと感慨にふける。あわてて前作を読み始めたが、次の作品にも期待がふくらむ。日本ではレイ・ブラッドベリのことが取り上げられることはほとんどないが、アメリカではどうなのだろう。

 例によって、まずCompuServeで新聞記事や雑誌、書籍のデータベースを調べてみる。BOOKS IN PRINTというアメリカで出版されている書籍のデータベースで見ると、「The Bradbury chronicles」という傑作短編を集めたシリーズが第7巻まで出ている。BOOKS IN PRINTでは、本の内容まではわからないので、Book Review Digestで書評を探してみると、「The Bradbury chronicles」には、ブラッドベリ氏の初期の作品で未発表の「The Troll」が収録されている。クロニクルのシリーズは日本では発売されるのだろうか。1冊10ドルのペーパーバックだから、洋書を買うのもいいな。

 洋書を買うのなら、インターネットで有名になった「ダイイチ輸入図書取次サービス」がある。ニフティサーブでも使えるようになったので、ずっと便利になった。30万冊という洋書のデータベースを検索して目的の本を探し出し、そのまま注文できる。円高も進んでいるので、国内で注文するよりずっと早くて安い。

 CompuServeのIQuest(NIFTY-ServeならINFOCUE)でアメリカの西海岸の新聞も検索してみたが、「Ray Bradbury」を含む記事は各新聞ごとに数百件から数十件と膨大な数だ。メニュー方式の検索ではこれ以上絞り込むのは難しい。Los Angeles Timesなどの最近の記事だけを見てみるが、ブラッドベリ氏に関する直接の記事というより、他の本の書評のなかで引用されている記事が多いようだ。やはりSFの大家なのだ。

 いろいろ探して、95年3月26日掲載のLINDA FELDMANによるインタビュー記事を見つけた。それによると、ブラッドベリ氏はいまでも元気に執筆を続けていて、近々、短編集とエッセイと宗教に関する本、3冊を出版予定らしい。これはチェックしておかなければ。

 このくらいの情報は、SFの専門家なら、雑誌を読んだり洋書店をのぞいたりして、つかんでいるだろうが、素人にはなかなかそこまではわからない。データベースならこの程度のことは1時間もかからずに把握できる。この便利さは手放せない。

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イーグルスの情報を探していたら
オールディーズのフォーラムを見つけた

1995年8月号に掲載予定だったが、都合で載らなくなり、次号では時期的に遅いので、結局未掲載になった原稿


 94年、「ホテル・カリフォルニア」で有名なアメリカのロックバンド、イーグルスが12年ぶりに再結成してコンサートツアーを開始した。12月には来日公演も予定されていたが、チケット発売直前に、メンバーのひとりグレン・フライの急病のために延期。94年12月1日付けの朝日新聞によれば、「アメリカのコンサートツアーは95年1月から再開。この公演は5月上旬まで続き、日本公演はその後になる見込み」ということだった。

 しかし、6月に入っても日本公演に関する情報はさっぱり入ってこない。もしかして、中止になってしまうのだろうか。そんな不安を感じているロックファンの方も多いかと思うので、代表してCompuServeに行って調べてきました。

 普通なら西海岸の新聞で調べてみるところだが、今回はちょっと違った手段をとってみた。CompuServeでも、NIFTY-Serveと同じようにFINDコマンドであるキーワードに関連するフォーラムやデータベース、オンラインショッピングを検索することができる。「FIND ROCK」と入力すると、十数個のメニューが出てきた。

 なかでも、ROCKNET Forumは、CompuServeの音楽関係のフォーラムでは昔から有名だ。CompuServeのフォーラムには、NIFTY-Serveの会議室に当たる「MESSAGES」というメニューがある。なかは、Section→Subjectという階層構造になっているので、NIFTY-Serveの会議室より目的の発言が探しやすい。

 今回のように「イーグルス」についての情報を探すようなとき、日本のフォーラムやSIGだと難しいが、CompuServeなら比較的簡単だ。階層構造をたどっていくだけでなく、メッセージのタイトルについてだけだがキーワード検索もできる。

 いろいろ探してみたが、イーグルスに関するメッセージは発見できなかった。もうコンサートは中止になってしまったのだろうか。それとも、115ドルという破格の値段だったイーグルスのコンサートには関心が少ないのだろうか。

 Rocknet以外にも面白そうなフォーラムがあった。American Oldies Din Forumはポピューラミュージックのなかでもオールディーズという「古い」音楽を扱うフォーラムだ。1955年から1970年と書いてあるので、イーグルスの情報がある可能性はないが、面白そうなのでちょっと覗いてみる。

 50年代のオールディーズ、60年代のオールディーズという大きなくくりのSectionのほか、エルビス・プレスリー、ビートルズなどアーティスト別のもの、ブルース、ドゥーワップなどジャンル別など、いろいろなSectionがある。

 アメリカ中にあるオールディーズのFM放送の情報が載ってるのもあった。アメリカはオールディーズ専門のFM局がたくさんある。70年代にロック少年だったぼくには、うらやましい限りだ。日本だと、東京FMの山下達郎氏の番組くらいしかオールディーズ・プログラムはないのだ。

 ぼくは何といってもビーチボーイズのファンなのだが、サーフィンミュージックのSectionもちゃんとあった。入ってみると、リーダーのブライアン・ウイルソンの新しいソロアルバムについてのメッセージがいくつかある。これは1991年に発売の予定でお蔵入りになっている「Sweet Insanity」というアルバムのこと。「95年4月には発売されるという噂を聞いたんですが」「そうですか、それよりもブライアンは再婚したみたいですよ」「ビーチボーイズのコンサートツアーにも復帰したらしい」などと、とりとめのないメッセージが続いている。僕もこの会話の輪に加わりたいなと思ってしまった。

 もうひとつ、All-Music Guide Forumというフォーラムもあって、ここにも、ブライアン・ウイルソンについてのメッセージが載っていた。ビーチ・ボーイズ関係というのは今でも根強い人気があるようだ。最近30曲くらいレコーディングしているとか、うれしい情報があった。

 イーグルスに関する情報を探していたのに、思わず脱線してしまった。フォーラムでは見つからないようなので、新聞記事から少し探してみよう。LOS ANGELES TIMES の記事データベースを「Eagles AND Consert」で検索してみると、1月23日のローズボウルでのコンサートの記事が出てきた。コンサートツアーは予定通り1月から再開されていたようだ。これでひと安心。首を長くして日本でのコンサートの発表を待つことにしよう。

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本当のコンピュータの父が91歳で亡くなった

データベース不思議発見 第20回   Networks 1995.9


 1995年6月15日の朝日新聞である人の死亡記事を見つけた。ジョン・アタナソフ(John Vincent Atanasoff)氏。「アメリカの物理学者で、世界初のコンピュータ開発者。91歳で脳卒中のために亡くなった。アイオワ大学教授だったアタナソフ氏は、1939年に世界初のコンピュータを開発した」とある。

 あれ!? 世界初のコンピュータは確か1946年のエニアック(ENIAC)じゃなかったっけ!? しかし、記事を続けて読んでいくと、「しかし、その業績は忘れられ、エニアックが長年最初のコンピュータとされていた。1973年に連邦裁判所がエニアックはアタナソフ氏のコンピュータをモデルにしたとの判断を下し、コンピュータの開発者と公に認められた」とある。

 へえ、これは知らなかった。僕も今まで世界初のコンピュータはエニアックと思っていたし、そういう原稿を書いたこともある。もっと詳しいこと知りたいと思って、内外のデータべースを検索してみた。

 1939年当時、アタナソフ氏はおそらく宣伝が下手だったので、世界初のコンピュータの発明は注目されることがなかった。コンピュータなんて誰も知らないのだから、当たり前といえば当たり前の話だ。しかし、それを知ったプレスパー・エッカート(J. Presper Eckert)氏とジョン・モークリー (John W. Mauchly)氏が、こっそり真似してエニアックを作ったらしいのだ。

 具体的には、アタナソフ氏が作った世界初のコンピュータを、モークリー氏が見に行き、詳しいことを聞いて、それをもとにエニアックを開発した。しかし、軍の機密であることを盾にとって内容を公表しないまま特許を取り、エニアックを世界初のコンピュータと認めさせたのだ。「世界初」のコンピュータ、エニアックは弾道計算のために作られた軍事用のものだった。

 73年に判断が下された裁判というのは。その特許権について争ったもの。結局アタナソフ氏の主張が認められ、晴れて世界初のコンピュータは1939年のアタナソフ氏開発のものとなった。しかし、この判決はマスコミには大きく取り上げれらなかったので、エニアックが世界最初のコンピュータという誤った認識は長く残ることになった。モークリー氏はそれをいいことに、自分がコンピュータを発明したと言い続けていたらしい。いまでもエニアックが世界初のコンピュータと記述している百科事典や辞書の類はかなりある。

 1988年になって、アタナソフ氏の功績を正しく評価した本がアメリカで出版されている。「The First Electronic Computer : The Atanasoff Story」(Alice R. Burns & Arthur W. Burns)「Atanasoff, Forgotten Father of the Computer」(Clark R.Mollenhoff)の2冊だ。後者は『ENIAC神話の崩れた日』(クラーク・R・モレンホフ著 工業調査会)として翻訳されている(この本はぜひ読んでみようと思う)。アタナソフ氏は、1990年に当時のジョージ・ブッシュ大統領から「National Medal of Technology」を授与されている。

 しかし、自己の名誉を回復するのに長い年月をかけ、それがようやく認められたところでアタナソフ氏は亡くなった。世間がいったん思いこんだ事実を変えるのはいかに難しいのかは、先頃の松本サリン事件の第一発見者の件でも明らかなことだ。奇しくも、エニアックを開発したプレスパー・エッカート氏はアタナソフ氏に先立つ6月3日に76歳で死去している。このときも相変わらずコンピュータの生みの親という報道が多かった。

 朝日新聞の記事に載っていたアタナソフ氏の写真はとても人の良さそうなおじいさんだった。それを見ながら昔のことを少し思い出した。

 僕が始めてコンピュータに触れたのは1978年、大学3年の時。大学を卒業してからはしばらく離れていたが、何年かしてパソコン通信を始め、やがて、パソコン通信やパソコンに関する原稿を書く機会が増え、インターネット全盛の現在に至っている。これもすべてアタナソフおじいさんの発明から始まっているわけだ。

 そんなことを思い返しながら、すべての始まりとなったコンピュータの父、ジョン・アタナソフ氏と、真似ではあってもコンピュータの発展に力のあったプレスパー・エッカート氏の冥福を祈りたいと思う。

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クマのプーさんはカナダ出身という不思議な新聞記事

データベース不思議発見 第21回   Networks 1995.10


 1995年7月23日の朝日新聞で不思議な記事を見つけた。見出しは、「クマのプーさん、実はカナダ出身」。本文を呼んでみても何のことやらよくわからない。

『子グマの「プーさん」は1914年8月24日、カナダのオンタリオ州で若いカナダ軍士官に買われ、士官が所属する連隊のマスコットになったことが、士官の残した日記から分かった。連隊が第一次大戦でフランスに駐留した際、プーさんはロンドン動物園に預けられ、「クマのプーさん」シリーズの作者A・A・ミルンに“発見”された』

 とあるが、クマのプーさんというのは、A・A・ミルンの息子のクリストファー・ミルンの持っていたぬいぐるみをモデルにして書かれた童話だったはず。それがロンドン動物園にいたというのはどういうことなんだろう。

 実は、僕はクマのプーさんにはちょっとうるさいのだ。子どもの頃手にした『クマのプーさん』『プー横町にたった家』の2冊がずっと好きで、そのあとも関係の本を集めていた。特にクリストファー・ミルンの書いたエッセイ『クマのプーさんと魔法の森』は、本のためにすっかり有名になったクリストファー氏の複雑な思いが語られていて、印象深かった。

 1991年の冬にうちの奥さんとイギリスに旅行したときには、ロンドン郊外のハートフィールドという小さな村までレンタカーで出かけた。この村のアシュダウン・フォレストにミルンの別荘があって、ここをモデルにしてクマのプーさんを書いたと言われている。童話の中に出てくる<プー棒投げ橋>なんかがそのまま残っている。いまは、雑誌やテレビで紹介されて日本人観光客もよく行くらしいが、その頃はあまり知られていなくて、観光案内ぼ短い記事だけを頼りに探したので、目的の橋にたどりつくまでけっこう苦労した。でも、本の挿し絵と寸分違わない橋を見つけて感激したものだ。

 朝日新聞の記事は最後に「UPI共同」とあった。ニフティサーブで「共同通信記事情報(GO KYODO1)」で探したが、記事の内容は朝日新聞の記事とほとんど変わらない。新聞掲載のときに短くし過ぎて意味が通じなくなることがあるが、そういうことではないようだ。

 しかし、検索の途中で偶然、
「アシュダウン・フォレストの所有者が死去して、宅地開発業者に切り売りされそうになったが、クリストファー・ミルン氏とファンの反対運動で、地元のイーストサセックス郡が買い上げて公園として維持していくことになった」
 という記事も見つけた。辞書を引いていると関係ない語の説明をつい読んでしまうように、データベース検索でも直接関係はないけれど、面白い記事が見つかることがよくある。クマのプーさんの森はこれでずっとあのままで残るのだ。よかった、よかった。

「UPI通信(GO UPI)」で、「Milne AND Pooh」とキーワードを入れ、ミルンとプーでAND検索をしてみるが、記事は見つからない。共同通信で見つけた記事の最後には、「ロンドンUPI=共同」とあった。UPI通信のデータベースにはアメリカ配信のものしか蓄積されていないのかもしれない。

 ここでめげることなく、アメリカの新聞を横断的に検索した。ニフティサーブのINFOCUEやCompuServeのIQUESTは、複数の新聞記事をいっぺんに検索できて便利だ。海外(おもにアメリカ)の人物や事件についてなら、だいたいこれで調べがつく。

 ここでも「Milne AND Pooh」で検索してみると、かなりたくさんの記事が検索できた。クマのプーさんというのは、アメリカでもけっこう人気が高いようだ。それを総合してみると、最初の「クマのプーさん、実はカナダ出身」の真相がわかってきた。

 プーさんの本名(?)はWinnie-the-Poohというが、このWinnieという名前のもとになったのが当時ロンドン動物園にいたウィニーという名前の本物の熊だったのだ。そのウィニーの名前をぬいぐるみにつけたということらしい。そうだったのかと思って、うちにある本をいろいろ探してみたら、クリストファー・ミルンが(本物の熊の)ウィニーに餌をあげている写真が載っていた。ロンドン動物園にはウィニーの像もあるから、イギリスの人たちにはよく知られていることなのだろう。しかし、日本の新聞にいきなりあの短い記事を載せるのはちょっと不親切な気がする。

 今回検索できたほかの新聞記事には、アシュダウン・フォレストの詳細な観光案内(夏休み向けの企画だ)もあった(これからはアメリカ人が殺到して<プー棒投げ橋>は混雑するかもしれない!)。イギリスの奇妙な博物館の紹介記事では、ストラトフォート・アポン・エイボンのテディ・ベア博物館にクマのプーさんの初版本(ミルン氏のサイン入り)があることもわかった。こうして、何かのきっかけでデータベースを検索すると、思わぬ収穫があって、楽しい。

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イギリス湖水地方に
「カワイイ」の好きな日本人があふれている

データベース不思議発見 第22回   Networks 1995.11


 知り合いから「鈴木君が言ってたイギリスの湖水地方、あそこに日本人観光客が殺到して困っているんだって」という話を聞いた。この連載でも書いたことがあるが、僕はアーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」に始まる12冊の冒険小説が大好きで、数年前に舞台になったイギリスの湖水地方にも出かけたことがある。それ以来、湖水地方はいいよ、といろんなところで言い回っているのだ。

 しかし、日本人観光客が殺到しているのは、僕が宣伝したからではない。ピーター・ラビットのためだ。ベアトリックス・ポターがピーター・ラビットの絵本を初めてかいたのは1893年。生誕100年というので、1993年には大きなブームがやってきた。日本でも、銀行がキャラクターに使ったり、大貫妙子の「ピーター・ラビットと私」がヒットしたりして、以前からの静かな人気にここ数年火がついた。

 ポターは後半生を湖水地方の村で過ごした。彼女は詳細なスケッチをもとにさし絵を描くので、ピーター・ラビットの絵本に登場するシーンのいくつかを、湖水地方に行くと実際に目にすることができる。原画を展示している建物もあって、キャクターグッズも買うことができる。日本人の好みに合った観光地なのだ。

 しかし、ピーター・ラビットの故郷が50年前、100年前のままで残っているのは、イギリスのナショナル・トラスト協会の努力のたまものだ。湖水地方の自然を愛していたポターは生前に周辺の土地を購入し、死後はナショナル・トラスト協会に寄付をした。だからこそ、ピーター・ラビットの故郷は100年後もこれからもそのまま残っている。そんな大事にしているところに、日本人観光客が大挙してやってきては、ナショナル・トラスト協会の人も困ってしまうだろう。

 前置きが長くなったが、知り合いによればこれは東京新聞で読んだ記事だという。東京新聞の記事はデータベースにはなっていないが、おそらく外国の通信社の記事がもとになっているに違いない。いろいろ検索してみたら、NIFTY-Serveの「ロイター・海外新聞記事情報」(GO TEXTLINE)でそれらしい記事が見つかった。

 検索範囲を最近2年間にして、「Lake District AND Japanese」で検索すると、16件の記事が見つかった。特に7月から8月の2か月に8本が集中している。東京新聞の記事の元と思われる記事は7月24日付の3本。
「日本人は湖水地方のベアトリクス・ポターの庭から出ていくように言われている」
「ピーター・ラビットの故郷にやってくる人の30%が日本人」
 だそうだ。冗談めかした言い方だが、日本人は
「ばたばたとやってきて、そっくり持っていく」
  とけっこう辛辣だ。
「やってくる女の子たちは『Kawairashii』ものが大好き」
 という日本人のことがよくわかっているレポートもある。もっとも、
「ピーター・ラビットが人気があるのは、純英国産のものだから。クマのプーさん(前回に書いたがカナダ生まれ)も、パディントン(ペルー生まれ)も人気がない」
 とちょっと首を傾げる見方もあった。

 それにしても、なぜ日本人はちょっとブームになると大挙して押し寄せるのだろう。ピーター・ラビットだけでなく、フランスの南プロバンス地方も日本人ばかりだと聞く。少し前には赤毛のアンのカナダのプリンスエドワード島の人もどうして日本人の女の子ばかり来るのだろうと不思議がっていたそうだ。

 日本の女の子(学生もOLも)は好奇心もお金もあるということだろうけど、僕はいちばんの原因はパックツアーじゃないかと思っている。最近は海外旅行も繰り返し行く人が増えて、普通のパック旅行では満足しない人が多くなっててきた。しかし、英語が不安なので個人旅行はしたくない。そこで、旅行会社はあの手この手で新しいパックツアーを組むわけだが、湖水地方などは格好のターゲットだったのだ。湖水地方はロンドンから鉄道で3〜4時間かかって、それほど気軽に訪ねられるところではない。これまでは、日本人はあまり行かなかった場所なのだ。

 湖水地方に日本人殺到の記事は他の新聞では見かけなかった。各新聞社とも系列の旅行会社を抱えて、湖水地方パックを売り出しているところもあるから、報道しにくいのだろうか。ついついそんなことまで考えてしまう。

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情報の宝庫インターネットでビーチボーイズを探す

データベース不思議発見 第23回   Networks 1995.12


 この連載のテーマはデータベースだから、インターネットのことを取り上げることはないだろうと思っていた。インターネットにはさまざまな情報が満載されているが、検索するのはひどく難しい。オンラインデータベースを検索するのが、図書館のなかを歩き回って分類された情報を探し出すことだとすれば、インターネットは、行ったことのない街中を、闇雲に歩き回るようなものだ。

 一応ガイドブック(「インターネットイエローページ」とか雑誌の記事とか)はあるけれど、その情報が正しいとは限らない。思いがけない発見があるかもしれないが、何も見つからずに時間を浪費してしまう可能性のほうがずっと高い。

 つまり、オンラインデータベースのように検索しやすい形に整理されていないインターネットは、たとえ「情報の宝庫」だとしても、「データベース」として使うのには困難があるのだ。

 大学生がインターネットで情報を集めて論文を書こうとすれば、情報収集だけでたっぷり半年から一年はかかるという話も聞く。いままで三日かかって集めていた情報が数十分で手に入るというのが、オンラインデータベースの良さだから、半年から一年かかっては話にならないのだ。

 しかし、「情報の宝庫」の中身には大いに関心がある。何があるかわからないというのは、もしかしたらとてつもなく有用な情報があるかもしれないことだ。二年ほど前に初めてインターネットのWWWサーバーを体験。一年ほど前には自分でもアクセスするようになった。国境を超えてサイトを飛び回るネットサーフィンの感覚もわかってきた。

 そんなわけで最近、改めて「データベースとしてのインターネット」について、考え直し始めている。海外のオンラインデータベースにアクセスするには高額の料金がかかるのに、インターネットは国内でも海外でも料金は同じ。情報収集の窓口としてうまく使えるようになれば、貴重な戦力になってくれるはずだ。そこで、多少時間をかけてインターネットでひとつのテーマを追いかけてみることにした。

 以前から、インターネットは音楽、それもロック、ポップス、ソウル系の情報が充実していると聞いていた。自分の興味から音楽関係のテーマを追いかけて見るとしたら、何と言っても二十数年来ファンひと筋のビーチボーイズだ。特に95年は、リーダーのブライアン・ウィルソンのセカンドアルバムが発売され、1967年に発売されるはずだった幻のアルバム『スマイル』の28年ぶりの発売も噂されるなど、話題が多い。

 というわけで、その辺の詳しい情報がみつからないものかと、インターネットにアクセスしてみた。インターネットにそれほど詳しいわけではないが、目当てのサーバーを探すのに役に立つのは「Yahoo!」だ(www.yahoo.com)。Yahoo!では、キーワードを入れて、サーバーを検索することができる。

「Beach Boys」で検索すると、サーバーが7つ検索できた。その名も「ビーチボーイズ」というサーバーに行ってみると(www.iglou.com/scm/bb/hvo.html)、ビーチボーイズの全アルバムリストはもちろん、ブライアン・ウィルソンの最新アルバムの一部も聞けるし、ブライアンの次のアルバムに関する情報も出ていた。

 インターネットのサーバーには、リンクするサーバーがリストアップされているが、ここにも他のビーチボーイズのサーバーがリンクしている。クリックしてみると、海賊版のカセットを通販で売っている危ないサーバーもあるし、日本のサーバーまであった。マツモトアキヒコという人の作っている英文のホームページでなかなか充実している(www.st.rim.or.jp/~mono/index2.html)。

 ほかにも、ブライアン・ウィルソンの伝記やレコード会社のニューアルバムの解説など、ほかでは手に入れるのが難しそうな情報がいろいろとあった。それに、いけばビーチボーイズの最新情報がいつでもある場所がわかったのが大きい。

 実は以前にも、ビーチボーイズに関する新しい情報を集めようとして、NIFTY-ServeのINFOCUEで検索したり、CompuServeのクリッピングでピックアップを試みたのだけれど、「beach boys」たちの犯罪の記事(この場合は浜辺の少年たち)が出てくるだけだったりして、あまりうまくいかなかった。

 政治、経済や事件に関係するものに比べて芸能・風俗関係のものは検索するのが難しい(というかデータベース化されていない)のだ。ここで言い切ってしまうと、「ビーチボーイズの情報を集めるのならインターネット」なのである。

 これで味を占めて「Yahoo!」でいろいろ検索してみたら、以前にこの連載で検索したことのあるアーサー・ランサムのサイトがあることもわかった。

 インターネットにアクセスするのなら、雑誌に出ている面白いサーバーにアクセスするだけじゃなくて、自分の興味のあるテーマのサーバーを積極的に探してみてはどうだろう。ひとつ見つければ、そこからリンクしていくつもサーバーが引き出されてくる。そこに定期的にアクセスすれば絶対貴重な情報が手に入るはずだ。

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『日本の駅舎』の次は、「世界の駅舎」を編集したい

データベース不思議発見 第24回   Networks 1996.1


 一年前に、JTBから出た『日本の駅舎』という本の編集をした。最近では原稿を書く仕事の比重が増えているが、元々は編集者なので、今でも一年に一冊くらいは単行本の編集をする。

 この『日本の駅舎』という本は、日本中の駅舎の写真を撮り続けている友人のカメラマンの杉崎行恭氏がまとめたもので、残しておきたい100の駅舎の写真と解説が収録されている。車両や沿線の写真集というのは数多いが、駅舎だけに焦点を当てたのはあまりないはずだ。

 駅舎は建築物としても価値のあるものが多いが、廃線に伴って壊されたり、歴史のある駅舎がコンクリートの新築に変わってしまったりと、大事に扱われていないものが多い。そんな風潮に一矢報いたいと出版した本だ。日本100選の駅に選ばれれば、よもや建て替えはできないだろうということもある。

 幸い好評で、何度か増刷もできた。一年前にこの本を作っているときから杉崎さんと話していたのだが、次は『世界の駅舎』を作りたい。鉄道の生まれたヨーロッパには古い駅舎がずっといい状態で残っているし、すっかり飛行機にとって替わられてしまったが、鉄道とともに発展したアメリカの駅舎にもいいものがあるはずだ。

 そのためには基礎となる資料がほしい。アメリカやヨーロッパですでに駅舎の写真集が出ているかもしれない。それが手に入れられればいろいろと参考になるし、『世界の駅舎』が本当に出版できるのか、見込みも立てやすくなる。それ以来、洋書店などでことあるごとに探してみたのだが、なかなか目的の本は見つからない、ヨーロッパやアメリカでも車両や鉄道沿線の写真集は数多く、そのなかには駅舎も登場するが、駅舎に絞ったものはないようだ。

『日本の駅舎』を出してそろそろ一年がたち、本気で動き出す必要が出てきた。こういうとき頼りになるのはやはりデータベースだ。この連載でも何度か紹介したが、NIFTY-Serveからゲートウェイできる「Books in Print」では、米国内で出版された本がすでに絶版になったものも含めて、タイトルや著者名やテーマなどから検索できる。

「railroad AND station」で検索してみたところ、12冊が見つかった。鉄道の駅が舞台になった児童向け読み物もあるが、「The Country Railroad Station in America」「Railroad Station: An Architectural History」など役に立ちそうな本もいくつかあった。米国の書誌データベースなのでどうしてもアメリカの鉄道に偏ってしまうが、これがきっかけとなって他の本も見つかるかもしれない。同じ出版社で同種の本を出していることも多いからだ。

 これまでの連載なら、ここで終わるところだが、最近インターネットの情報量の増加と検索のしやすさに目を見張っていたので、そちらでも調べてみることにした。本を検索しても、手に入れるまでに時間がかかるが、インターネットならその場で世界の駅舎の写真と解説が読めるサイトが見つかるかもしれない。世界中の情報が集められるインターネットの便利さに最近どっぷりとつかっているので、つい楽をして情報が集められればと思ってしまう。

 前回と同じようにYahoo!で「Railroad Station」で検索してみると、69のサーバーが見つかった。アメリカも鉄道ファンは多いようで、各地の鉄道博物館のサーバー、鉄道ファンクラブのサーバーなどいろいろある。アメリカだけでなく、ヨーロッパ、オセアニア、アジアのサーバーもある。駅舎に関するサイトというのはやはりなかったが、この中からこまめに情報を集めていけばかなりの資料が集まりそうだ。

 Yahoo!を引きながら、この間から気になっていたのが、「Open Text」という検索用エンジン。これで検索してみると、Yahoo!よりもはるかに多い1010以上のサーバーが検索できた。解説を読んでみると、Open TextはWWWサーバーで公開されている全文を検索しているらしい。Yahoo!より検索件数が多くなるのは当たり前だが、かといって検索に時間がかかるわけではない。待たされるのは数秒程度でほとんど変わらない。

 どうも世界中のあらゆるWWWサーバーのデータを自動的にすべてコンピュータに取り込んで、それを高速に検索しているということらしい。何ともすごいシステムを考えたものだ。1010件のデータはダウンロードしてゆっくり調べることにした。だいぶ時間がかかりそうだが、期待はできる。

 インターネットの情報蓄積が増えて、検索システムも整ってきて、有料のデータベースなんていらないという時代が来るかもしれない。ずっとデータベースを使い続けて便利さは理解しているが、料金がまだまだ高いことに不満を感じていた。インターネットはそんな状況を大きく変えてしまうかもしれない。

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DATでデジタル著作権問題を考える

データベース不思議発見 第25回   Networks 1996.2


 DAT(Digital Audio Tape)は数奇な運命をたどっている。もう覚えていない人もいるかもしれないが、DATはCD(Compact Disc)と同程度の音質を実現するデジタル方式のカセットテープ。87年3月に日本で世界に先駆けて発売されたが、この最初のDATはCDから直接デジタル録音ができないという中途半端な製品だった。

 CDから同じ音質で録音されては著作権が侵害されると欧米のレコード会社や音楽制作者を中心に反対の声が上がり、取りあえず機能を下げて出すことになったのだ。この頃の報道を読むと。著作権問題に関するネガティブなトーンのものが多い。当然ながら、中途半端さが災いして、DATの売れ行きは伸びなかった。

 DATの伸び悩みに焦った業界は、90年には欧米の反対を押し切ってCDから1回だけデジタル録音のできる新タイプを発売。しかし、1回は録音出来るが、もう1回つまり孫にあたるテープは作れないという複雑な機能が新聞や雑誌の記事を読んでもわかりにくく、新タイプと旧タイプの違いがうまくアピールできなかった。スタート時にけちがついたこともあって、新タイプを投入したDATの起死回生作は結局成功しなかった。

 そして、92年に発表されたDCC(Digital Compact Casette)とMD(Mini Disc)がDATにとどめを刺す。DCC、MDともにCDやDATに比べると情報量が4分の1くらいに落ちるので、デジタル録音してもそのままの音質にはならない。当然、著作権は問題にならず、すんなり発売された。

 話が横道にそれるが、ここでも、ビデオのVHS対ベータのような、松下(DCC)対MD(ソニー)の主導権争いが勃発した。DCCはアナログのカセットテープも再生できるのを売り物にしたが、オーディオのソニーのブランドには勝てず、現在はMDが独走している。

 しかし、せっかくDATという音質のいい録音できる媒体があるのに、何でMDという音質の落ちるものを使わなければならないのだろう。著作権の尊重ということはわかるけど、メーカーはDATが生き残れるようにもう少し策を練ればよかったのにと思う。

 結局、最盛期には家電、オーディオ関係のメーカーほとんどが出していたDAT製品は次々と姿を消し、現在では唯一ソニーがデッキやウォークマンなど数種類の製品を発売しているだけになってしまった。ここまでのことは、DATについて新聞記事を検索するだけでわかる。著作権問題も絡んでいたので、新聞でも熱心に報道され、検索していくとかなり細かいことまでつかめるのだ。

 ぼくがDATにこんなにこだわるのは、取材で愛用しているからだ。知り合いから携帯型のDATを見せられ、インタビューの音がいいよとすすめられた。価格もその頃には5万円台になっていたので、ちょうど使っていたカセットテープレコーダーが壊れたのをいい機会に購入した。

 確かにDATの音はいい。インタビューの場は必ずしも録音状態がいいわけではない。これまでのカセットの録音では、聞き取りにくかったり、音が重なって聞こえなくなることがしばしばあって困ったものだ。DATではガードを通る電車の音がしても、その間からきれいに分離した相手の声が聞こえてくる。以来、DATはインタビューの必需品になった。それまでテープ起こしはけっこうストレスのたまる作業だったのだが、DATにしてからはきわめて快適な作業になっている。

 DATの新聞記事を検索して時間の流れに沿って読んでいくと、いろんな問題が関係していることがわかる。おそらくデジタル時代の著作権の問題がかなり突っ込んで議論になった最初のケースだ。インターネットの時代になり、デジタル著作権の問題は五里霧中と言ってもいい状態だが、その端緒がDAT問題の中にあるのだ。

 欧米と日本の企業や社会の意識の違いも見える。アメリカの新聞記事を検索していくと、扱い方がかなり違うのだ。向こうは著作権の保護が前提としてあり、そこから議論が始まっているが、日本ではそこまで意識は進んでいない。これはアメリカの新聞記事を検索すればわかる。

 DATに関してはアメリカで何冊か単行本が出ているようだ。この八年間のDATの歴史を追いかけてみるとけっこう面白いルポルタージュになるんじゃないかという気がしている。準備のためにもう少し細かく検索を続けてみよう。

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世界一有名な獣医にして作家、
ジェームズ・ヘリオット氏が78歳で亡くなった

データベース不思議発見 第26回 Networks 1996.3


 イギリスの作家ジェイムス・ヘリオット氏の最新翻訳『ドクター・ヘリオットの猫物語』(集英社)を買って、カバーの著者経歴を読んで驚いた。95年2月死去とある。

 1916年生まれのジェイムス・ヘリオット氏はイギリス北部ノースヨークシャで獣医を務めるかたわら、70年に自らの獣医としての体験を元にした作品を発表。イギリス、アメリカだけでなく世界中でベストセラーになり、BBCテレビなど連続ドラマ化され、映画にもなっている。

 もちろん日本でも翻訳が何冊か出ている。僕が最初にジェイムス・ヘリオット氏の本をどこで見つけたか記憶は定かでないが、イギリスを舞台にした獣医の話ということで、迷わず文庫本を買たように覚えている。弟夫婦が獣医ということもあって、動物や獣医の話はけっこう好きなのだ。それに、イギリスに関する本は、この連載でも紹介した一番の愛読書であるアーサー・ランサムの書いた『ツバメ号とアマゾン号』の舞台として大いに関心がある。

 ヘリオット先生の本が出るたびに読むのを楽しみにしていたのだが、しばらくぶりに見つけたら、思いもかけず半年以上前に亡くなっていたというのだ。

 そんな記事あっただろうか、日本では死亡記事が出るほど有名じゃないのかもしれないと思いながら、新聞記事データベスーを検索してみると、2月24日の朝日新聞と読売新聞に、23日に亡くなったという記事があった。夕刊のベタ記事だから見逃していたようだ。

 ヘリオット先生の小説は、1940年代から50年代のイングランドの片田舎の何でもない獣医の先生の日々の暮らしを書いたものだ。まだ抗生物質もなく農家の人たちも迷信や民間療法を信じている。そんな中で雨の日も風の日もボロボロの車で回り、牛や馬を治療する。

 本当に何でもない話なのだが、動物へも人間へも愛情のこもった、先生の性格がにじみ出た文章は何ものにも変えがたいものだった。50歳を過ぎてから、獣医の仕事のかたわら書き続けたものなので、本の数は少ないが、それだけに何度も何度も読み返したくなる魅力にあふれている。動物好きの人なら絶対夢中になるはずだ。

 日本では新聞に小さな死亡記事が出ただけだったが、イギリス、アメリカではいくつのもの新聞、雑誌が追悼記事を掲載していた。

 彼の書いた19冊の単行本は全世界で6000万部売れている……これは、3000万部、5000万部とニュースソースによって違っていた。どちらにせよとてつもないベストセラー作家であることは変わりがない)。そのうち17冊は翻訳され、その中には日本語版もある……欧米の作家にとって日本語に翻訳されるのは注目に値することらしい。有名な作家の紹介には「日本語にも翻訳されている」というのがよく出てくる。欧米の言葉以外に真っ先に翻訳されるのは日本語だし、見慣れない漢字の縦書きの本になるのは珍しいのだろう。

 ヘリオット先生は72歳まで現役の獣医として仕事をしていた。彼が書いたのは、50年代までの自分の暮らしを元にしたもので、そのあとの60年代以降、30年以上は書かずじまいだったのだが、どうも書き残したということではないらしい。60年代以降は科学も発達したが、その分面白い話も少なくなってしまったと語っている。

 こんな話が、イギリスのロイターの配信記事やアメリカのUSAトゥディなどの記事データベースから見つかった。

 インターネットのYahooで検索してみたら、ヘリオット先生に捧げるというホームページガひとつだけあった(www.wpi.edu/~mazz/herriot.html)。まだ、完成はしていなくて、家族、住まい、経歴、単行本の一覧、テレビシリーズ、映画など、項目は並んでいるが、データの入っていないものも多い。

 しかし、追悼文もあるし、オンラインデータベースで検索できた大量の英文記事を読みながら見つけたエピソードや情報は、実はこのサーバーで簡単に手にすることができた。もちろんそれ以上の情報もある。お金と時間をかけてデータベース検索したのになと、何だか拍子抜けしてしまった。

 オンラインデータベースのなかにある、ジェームズ・ヘリオットに関するデータはそこらじゅうに散らばっている。だから、検索をして記事をピックアップする必要があるのだが、それでも記事という大雑把なくくりのデータが集められるだけで、実際にはそれを読んでさらに必要なものを取り出さなければならない。

 僕はそうした作業をして、毎月の連載を書いているのだが、このヘリオット先生に関するサーバーにアクセスするだけで、ほとんどお金もかけずに情報が集まってしまう。ジェームズ・ヘリオットに関心のある誰かが僕の替わりに情報を集めて、それを誰でも利用のできるホームページにして公開しているから、可能になるのだ。

 誰かがホームページを作っていなければ仕方がないわけだが、この世界の中で、自分と同じ関心を持っている人(でインターネットでホームページを開きそうな人)は、どんなマイナーなテーマでも数人はいるようだ。僕も今までいろんなテーマでYahooを検索してみたけれど、何も見つからなかったことはまだ一度もない。インターネットの底の深さと広さには驚かされることが多い。

 数年前、オンラインデータベースを使うようになって、情報の入手の早さと量の多さに感動した。そして今、インターネットを使うようになって、それがさらに次の段階に進んだことを感じている。インターネットは、自分の探しているどんな内容の本(ホームページ)もすぐに見つかるような夢の図書館なのだ。

 ヘリオット先生への思いを綴っていたのがどうも横道にそれてしまったが、自分をテーマにしたインターネットのホームページがあると聞いたら、先生はどんなことを思うのだろう。

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世界に37もあるムーミンのサーバーを見ながら、
データベースの未来に思いを馳せる。

データベース不思議発見 最終回 Networks 1996.4


 最初に書いた単行本がオンラインデータベースに関するものだったこともあって、データベースにはずっとこだわり続けてきた。本を出版して91年頃は、日本のデータベースはまだまだ発展途上で、どんなキーワードを使うか以前に、データベースごとに違う検索式の作り方とか、本来はコンピュータのシステムがカバーすべきことに人間が苦労させられている時代だった。

 日本のデータベースも次第に使いやすくなり、検索できるデータも増えていった。しかし、その頃でもアメリカのデータベースは新聞が横断的に検索ができ、雑誌の本文まで収録されたデータベースがあるなど、日本のデータベースよりは数段進んだものだった。

 その状況は今でも変わっていない。日本のデータベースはアメリカから遅れたままだ。新聞の横断的な検索は日経テレコンで一部できるだけだし、雑誌の本文データベース化も進んでいない。

 日本のデータベースがアメリカに追いつくにはまだまだ時間がかかるのは間違いないのだが、インターネットの登場によって状況が変わってきた。インターネットとデータベースは普通に考えると全く別物だ。インターネットはそれぞれが世界に向けて発信したいデータを勝手にコンピュータ上で公開するもの、データベースはお金を取ることを目的に限られたユーザーに対してデータを使わせるものだ。しかし、インターネットが普及していけば、データベースはインターネットに吸収されてしまうかもしれないのだ。

 以前はデータベースを構築するためには、キーワードを切り出す必要があった。全文を検索していては時間がかかって使いものにならないので、必要なキーワードだけをピックアップして、そのキーワードについて検索していのだ。キーワードの切り出しはある程度はコンピュータで行なうことができたが、精度を上げるためには人間がチェックしなければならない。そこに手間がかかるという理由でデータベース検索は高価だったのだ。

 しかし、コンピュータの性能が上がるに従って状況は変わりつつある。今までデータベースを全文検索するのは時間がかかりすぎて実用にならなかったのが、最新の機械ではそれほど時間がかからないのだ。実際に、インターネットの検索サーバーでは、世界中のサーバーのデータをすべて集めて、数秒でその全文を検索している。

 さて、ここでどういう事態が生じるのか。キーワードを拾うのに手間がかかるということで、高額の料金で提供していたデータベースの基本が崩壊してしまうのだ。今、たいていの新聞や雑誌は電算写植やDTPで作られ、記事はすべて電子化されている。となるとデータベースにするのは簡単だ。どうせ印刷のために一度使ったデータなのだから、無料で提供すればいい。全文検索は簡単にできるから、キーワードを拾う経費必要もない。こうして、データベースは無料化していく。あるいは、有料のデータベースは使われなくなる。

 そんなことはない、新聞記事データベース、雑誌記事データベースとして、きちんと対価を取ってやっていくと考えている人は、時代遅れと一喝するしかないだろう。インターネットという誰でも情報発信のできる場所ができたために、世界の情報事情は変わりつつあるのだ。

 今僕は、フィンランドの作家、トーベ・ヤンソンさんのムーミントロールシリーズを読み返している。ムーミンと言えば、テレビアニメと思う人が大多数だろうが、ヤンソンさんの書いた8冊のシリーズは、ナチスに脅かされた経験を下敷きにして、けっこう深刻なテーマを抱えている。もちろん子供が読んでも面白いのだが、大人になって読み返してみて、これは大人のために書かれたものかもしれないと思ったくらい中身が濃く深い。ヤンソンさんは1970年以降はムーミンシリーズは書かず、大人向けの小説の執筆を続けている。

 ムーミンはもちろんアメリカでも出版されているし、書籍データベースを検索すれば、単行本のデータがいくつも出てくるだろう。しかし、最後の作品が1970年だから、雑誌や新聞のデータベースでは、見つかる可能性が少ない。電子情報の歴史は浅いから、少し前のことを調べるのには弱いのだ。

 しかし、Yahooで検索したら、37のサーバーが見つかった。中には、物語のムーミンとはあまり関係のない日本人が作っているアニメ関係のページもあったが、著作リストや登場人物を掲載した面白そうなホームページもいろいろとあった。その時点での最新の情報しか扱わない新聞や雑誌に対して、インターネットでは、トーベ・ヤンソンとムーミンに関心を持っている人が存在する限り、新しい情報が蓄積され続けるのだ。

 おそらく数年すれば、今のような閉鎖的な(会員以外は利用できないような)データベースは消滅するだろう。企業情報、株価情報などインターネットの中で、料金を徴収するものは一部残るだろうが、たいていの人にとって、必要な情報はいくらでも無料で手に入るという時代になるに違いない。そうなったときは、あふれる情報からいかに必要な情報を選び出すかが重要になるだろう。

 いまインターネットの情報規模はそれほど大きなものになっていなから、Yahooなどの検索サーバーで事足りている。しかし、情報が加速度的に増えていけば、検索される情報は膨大になり、さらにそこから選択する技術が重要になってくる。

 僕にとって、使いにくいデータベースの使い方のこつを伝授するために本を書いていたむなしい時代は過去のものとなった。これからは真の意味で世界中のサーバーに散らばった貴重なデータをどう探し出してくるかが重要な時代になるだろう。それを見据えた、検索のテクニックに関する本をこれからぜひとも書いてみたいと思っている。

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