「釣魚大全」 アイザック・ウォルトン著
THE COMPLETE ANGLER =原題 1653年初版
何百版と版を重ね、その新装のたびに名版画職人たちが
腕をふるい技を競い合っています。機会があったら一読を!
「釣魚大全」には、”思索する男たちのレクリエーション”という副題がつけられています。それは
この本が単なる釣りの実用書ではないことを示しているわけですが、内容もサブタイトルどおり、
釣りのモラル、釣趣にポイントが置かれています。
大物魚の写真があったり、釣り気をそそる渓流の絵があったり、あの手この手で釣りあげた魚釣
りの体験談があったりという安直な誘いはありませんが、悠然とおおらかに、のどかに釣りを楽し
もうとする姿勢だけはキッチリと貫き通されています。だからギラギラと脂ぎった、釣り一辺倒の即
物感がないぶんだけ考えさせられたりもするのです。このあたりは、いわゆる”キャッチ・アンド・リ
リース”などよりも数倍深い釣りの思索があると思われます。
大切な事は、釣りの技術を磨くことは必要なことで、技術が向上してくるとそれだけ余裕の釣り
ができます。だけれども決して腕がよくなっても魚獲りになってはなりません。
つまり、<魚は釣れなくてもいい>そういうことです。
釣りを楽しむという方法にもさまざまなタイプ、やり方がありますが、釣りをしながら魚から離れ考え
ながら楽しむ釣り、飄々としてのんびり風の釣り、考える釣り人でありたいものです。
どうやって釣るかどうすれば釣れるか、実戦的なテクニックを考えるのではなく、自然の一点景と
して魚や釣りに接しそれを自分の精神の奥底で静かに沈殿させて思索する・・・・・・・・・・それは、
ウォルトンが著そうとした世界です。
数を釣らない釣り人、匹数にこだわって魚を捨てるほど数釣りしたところで、それは釣りの楽しみ
とはちょっと違います。魚獲りにばかり気をとられた釣行は何やら空しいと思います。
いい釣り環境があって魚がいて、エゴに独占されない釣りができれば釣りはもっとおおらかでレク
レーションとしての遊び心が倍加するのではないでしょうか。
自分との語らいが釣りの中にはあるはずだし、苦しいときには釣りをしてその苦しみを忘れるといっ
たようなものです。趣味というか楽しみでやるべきもので、余裕のない魚獲りにだけはなりたくない
ものです。
もしできれば、1本の竿や1本の鉤でいろいろな魚を釣る、釣りの原点に戻れたらいいと思います。