#投入堂(なげいれどう)・三徳山(みとくさん)


投げ入れ堂

三徳山・三朝町

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#投入堂


三徳山(みとくさん)900mは、鳥取県三朝町に位置する山。その山中の一角に「投入堂」(なげいれどう)がある。三徳山の開山は、飛鳥時代(706年)、役行者(えんのぎょうじゃ)が、子守権現、勝手権現、蔵王権現の三権現をお祀りしたのが始まりとされる。その時代、大和の国「大峰山」(おおみねさん)系の流れをくむ修験道の霊場として栄えた。後に、平安時代(849年)、「円仁」(えんにん)により御本尊の釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来三仏が祀られて、天台宗「三佛寺」(さんぶつじ)が開かれたとされる。。
三佛寺の「奥ノ院」が「投入堂」(500m)である。断崖絶壁に建つ「投入堂」は、役行者の「法力により投げ込まれた」と伝えられる。建立は、平安中期。檜皮葺(ひわだぶき)、切り妻(きりづま)舞台造り(ぶたいづくり)のお堂を中心に、他に三十数宇のお堂が立ち並ぶ霊場として栄えた。伯耆三山(大山・船上山・三徳山)の一つ。江戸時代には、美徳山(みとくさん)と呼ばれていた。後に、投入堂は、「国宝」指定となる。拝観は、お堂手前の斜面で拝観する。険しい断崖に建てられたお堂の容姿は、優美な仏にたとえられる事から、一目見ようと訪れるハイカ−も多い。。
山名の由来・法心(美しい)・般若(にごりのない)・解脱(働きのある心)の三徳を指す。

山岳信仰と天台宗

役行者とは、役小角(えんのうずぬ)と呼ばれる。大和の国葛城の出(635年)。若くして「孔雀明王」(仏教世界で言う・明王の一つ)を感得し、熊野や大峰山などで修業を積んだとされる。山岳信仰、修験道の祖として後々まであがめられた。人間離れした所業や所作は伝説として今日に受け継がれる。
天台宗とは、平安時代に中国から伝わる宗派の一つ。開祖は、伝教大師最澄とされ、「法華経」を基に「天台密教」を世に広めたとされる。これら山岳信仰は、三徳山に限らずとも、天台密教と深く結びつきながら、時代と共に発展していくと推定される。



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