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国宝木造建築を訪ねて
〇国宝建築巡り
〇国宝建築用語解説
国宝木造建築を訪ねて(1)
日本人と木とのかかわり
〇
地円飛角の構成
〇
鎌倉時代の大仏殿は復元できるのだろうか
〇
東大寺南大門の柱
〇
床下調湿
〇
国宝建築に見る木材利用
日本人と木とのかかわり
西本願寺唐門の彫刻
豊かな森林資源を背景として、私たち日本人の祖先は世界にも類を見ない木の文化を作り上げてき
た。その幾つかのものが建築、仏像、工芸品などとして残されている。ここでは国宝に指定さ
れている建物が石や土などではなくすべて木材で作られている建築を取り上げて、日本人と木とのかか
わりについて見てみよう。
現存している木造建築で、日本は勿論世界でも一番古いものは
法隆寺 の幾つかの建物である。金堂、
五重塔、回廊、中門、東室などで、7世紀から8世紀初めにかけて建てられたものとみられ、建てられ
てから現在まで既に1300年を経過していることになる。また、建てられてから現在まで1200年以
上を経過している建物は法隆寺の他に法起寺、
薬師寺、東大寺、
唐招提寺などに残され、その数は19を
数えている。木材は有機物であることから長年月の間には当然劣化するが、これらの建物はなぜこ
んなに長持ちしているのだろうか。長持ちさせる対策として、地震や強風に堪えられる木組みの技術、
腐朽の原因となる床下の湿気を徹底的に塞ぐこと、定期的に解体修理を行って傷んだ部分を取り替え
たり、補修したりすることなどが上げられる。このように木の建物を長持ちさせる技術も古くから発
達してきた。
8世紀以後も木材で数々の著名な建物が建てられてきたが、現在国宝建築に指定されている建物
の数は200を越えている。また、その建物の種類は、お宮、お寺の施設が多いのだが、これら以外
では城、学校、教会、茶室、能舞台など、儀式用ばかりでなく、住宅風の建物も含まれ、
その用途は多岐にわたっている。
国宝建築の中で一番大きい建物は東大寺金堂(大仏殿)で、
高さが48mちかくあり、木造建築としては世界で一番大きいことでも知られている。これに対し、小さ
い建物もある。円成寺春日堂・白山堂はともに高さがたかだか
3mくらいの小さなお宮である。
国宝建築の中には彫刻、螺鈿、金箔、漆などで美しく飾られているものもある。その代表的なも
のとしては、京の3唐門として知られる豊国神社、
本願寺、大徳寺の唐門、
それに日光東照宮の建物
や中尊寺金色堂などがある。このように木材を装飾する技術は、日本で古くから発達し、それには日本
人独特の繊細な感覚が発揮されている。
国宝建築に見られるこのような木の良さを生かして使おうとする祖先の木に対する愛着は、現在まで
脈々と受け継がれ、それによって、木の家に住みたいという人々が今なお多く存在するのではなかろ
うか。
地円飛角の構成

修理を終え色も鮮やかな室生寺五重塔
9世紀前半に建てられたこの五重塔の垂木は地円飛角の構成を採用している
20数年前であろうか、韓国に所要で訪れたとき、いくつかの伝統的な建物を見る機会があったが、そ
の建物の垂木に小丸太が使われているのを見て、大変驚いたことがあった。当時日本では小径間伐木の
利用開発が叫ばれているときでもあり、これに少なからず関与していた私にとっていいヒントが得られ
たことを喜んだものである。
その後、日本の国宝建築に興味を持ち、カメラを片手に全国の国宝建築を見て回ることになったが、
奈良などの古い建物を注意深く見ていると、何と小丸太の垂木が使われている建物があるのには驚い
た。
室生寺を初めて訪ねたのは1999年のことであったが、日本で一番美しいといわれている室生寺五
重塔は前年の台風7号により周りの古木が倒れその直撃を受けて大きく壊されてしまっていた。そのほ
ぼ2年後、五重塔が修復されたという情報を得たので、早速、再度訪れることにした。修復なった五重
塔は塗料も塗り替えられ、目にも鮮やかな朱色に輝いていた。そして良く見ると、垂木が上下二段にな
っていて、下段の垂木は小丸太であることに気が付いた。
このように屋根の垂木が二段重ねになっている建物があるが、下段を地垂木、上段を飛燕垂木とい
う。このうち、下段の地垂木が円形の材で、上段の飛燕垂木が角形の材を使っている場合、地円飛角の
構成と呼んでいることがその後判った。室生寺の五重塔は地円飛角の構成を採用しているわけである。
地円飛角の構成をとる建物は鎌倉時代以前に建てられ、それ以後は建てられなくなったことから、この
構成を持つ建物は鎌倉時代以前に建てられた古い建物であることを示しているという。しかし、日本に
現存する建物の中で一番古いといわれている法隆寺の建物群はいずれもこの構成をとっていない。それ
では法隆寺以前はどうかというと、法隆寺より古い山田寺の建物が、劇的にも部材が原型をとどめた状
態で発掘され、円形の垂木が使用されていたことが明らかになり、法隆寺より古い時代にも円形の垂木
が使用されていたことが証明されたという。それでは法隆寺の垂木はなぜすべて角形なのか、それは一
つの謎とされているという。また、鎌倉時代以後に建てられたにもかかわらず、地円飛角の構成を採っ
ている建物があるが、これは奈良時代の工法を後の時代にもあえて採用したためではないかといわれて
いる。このような例外はあるとしても垂木が地円飛角の構成をとる建物は1100年以前に建てられた古い
建物と見てよさそうである。
室生寺五重塔以外に垂木が地円飛角の構成を採る国宝建築には次のようなものがある。720年に
建てられた薬師寺東搭、8世紀後半に建てられた
新薬師寺本堂、
東大寺の天平創建時の建物転害門および本坊経庫(校倉造)、8世紀前半の五重塔の模型
海龍王寺五重小搭、同じく八世紀後半の五重塔の模
型元興寺極楽坊五重小搭、8世紀後半に建てられた栄山寺
八角堂、同じく8世紀後半に建てられた唐招提寺金堂、
1053年に建てられた平等院鳳凰堂等である。また、
興福寺東金堂および五重塔は8世紀
前半に創建されているが、度々の火災で焼失を繰り返し、現存の建物は15世紀前半に再建されたもの
であるが、創建時の姿が踏襲されていて、垂木は地円飛角の構成を採っている。また、現存の
興福寺北
円堂は1210年に再建されたものであるが、この建物の垂木の構成は珍しく3段になっていて、上2
段の飛燕垂木が角材、地垂木が六角断面材である。当時の木造では6角形や8角形は円形を意味してい
たので、これも地円飛角の構成といえるものであろう。
最近、世界文化遺産に登録されている木造建築を訪ねて、中国や韓国を旅しているが、中国の
故宮や
韓国の仏国寺などではほとんどの建物の垂木が地
円飛角の構成であることに気が付いた。始めに書いた
韓国での丸い垂木も間伐材を利用したものでなく、この垂木の構成の範疇に入るものかもしれない。
いずれにしても間伐材を丸棒削りで削り、それを垂木に用いた一般住宅を建ててみては如何なもので
あろうか。
(山林 No.1439 大日本山林会 (2004.4) に掲載)
鎌倉時代の大仏殿は復元できるのだろうか
東大寺金堂(大仏殿)の併せ柱
直径約1mの芯木を3ないし4丁継いで、長さ約30mとし、その周りに扇形断面の材を鉄釘と帯鋼で張
り付け、直径約1.2mの併せ柱を合成している
東大寺金堂(大仏殿)は天平時代に創建されたが、鎌倉時代の1170年に戦火のため焼け落ちた。直ぐ
に1195年復興されたが、1567年再び戦火のため焼け落ちた。この復興は鎌倉時代のように直ぐには行え
ず、1709年ようやく再建された。これが現在の大仏殿である。
しかし、現在の大仏殿は鎌倉時代のものに比べ、間口が三分の二に縮小され、また、柱は1本の木を
使ったものではなく、芯材の周りに小さな木を寄せ集めた併せ柱であった。鎌倉時代の大仏殿を1本の
木を使って建てる場合、直径1.5m、長さ30mといわれる大きな柱を92本必要とするが、二度目に再建
された江戸時代には、既にこのような大きな柱は入手が困難になっていたのである。
鎌倉時代の大仏殿再建に際しては次のような話が明治45年に刊行された木材の工芸的利用に載ってい
る。
(前文略)建築雑誌第182、3号(明治35年2月、3月)所載関野貞氏の説により当時において如何に
巨大なるなる柱を用いたりしか及之が捜索、伐木、運材等に如何に苦心せしかを知るに足る今同氏の説
を左に抄録せん
5尺以上の柱を92本探そうといふのですから今は勿論むづかしいでしょうが其当時でも余程困難
であった。其頃周防国に今の木曽とも云う様な立派な森林があったらしい。そこへ俊乗坊重源上人始め
陳和卿其の他大工の棟梁等が此等の柱となるべき材木を探しに往ったところが其の山へ入って見るとな
かなか容易にそういふ大きな柱は見当たらない到底普通の手段を用ひては探すことができないといふの
で相当の柱を見付けた者には一本に付いて米1石づつ遣るといふ懸賞募集にしたそれで皆一生懸命にな
って深山幽谷を跋渉して柱を探しまはったさて見出した所の木を伐ってみると外の方は立派であるが中
は腐っていて役に立たぬそう云ふ様な故障があって10本採っても1本か2本しか役に立つのはない併し
非常な熱心で探したものであるから先ず数だけの柱を見出すことが出来た所が極平らでない深山幽谷を
跋渉して探したものですから其柱を出す為に方々の谷を埋め山を切開いてそうして佐波川と云ふ川の源
へ出した其の川を流して下そうとしたが川の水が浅くて流れない種々工夫して遂に118箇川を堰いで
水をただえ漸く流し下したそうして海へ出し筏に組み船で引張て木津まで持ってきたそれから柱1本に
付き牛を120匹附けて東大寺までやうやう曳いてきたその柱は4尺56寸から5尺56寸位長さは90
尺から100尺前後の一木であった又東大寺造立供養記に昔の柱は3尺8寸あったが今日は5尺である昔
より今の方が太い柱を使ったと云ふて自慢話があるそれで鎌倉時代には一木を使ったことが明らかであ
る随って天平時代にも一木を使って居ったと云ふことを証拠立てることが出来ると思います
このように、大仏殿を建替えるためには用材調達がいかに困難であったかが判る。またその後の1000
年の間に、日本の森林資源は年々高樹齢木がなくなり、最近では全く若齢化してきていて、現状では到
底鎌倉時代の大仏殿は建てられそうもない。
それでは、今後、鎌倉時代の規模の大仏殿を復元するとすればどうすればよいのだろうか。径150cm
の柱がはたして必要なのかどうかは別として、これだけの径が必要であるとした場合、それでは何年で
これだけの径の立木が得られるのだろうか。もしスギを使うとして、日光東照宮境内や高野山の墓地の
スギなどを見ると、樹齢500年ともなれば径150cmに近い木が得られるのではなかろうか。現在の大仏殿
は建設後凡そ300年を経過している。後何年持つかは良くわからないが、修理を怠らなければ今まで以
上長く持つことは間違い無かろう。とすれば、今からそのための用材を植林しても間に合うのではなか
ろうか。大仏殿をこれから500年持たせ、その間に次の建替え用材を育てるのである。必要な本数を見
越して植林しては如何なものであろうか。
(山林 No.1440 大日本山林会 (2004.5) に掲載)
東大寺南大門の柱
東大寺南大門は鎌倉時代、俊乗房重源によって、金堂(大仏殿)とともに建てられたものである。
したがって、南大門は建立後800年余の歳月を経ていることになる。これだけの歳月を経ると木材
はどうなるのか、柱の表情を撮影して見た。
柱−1
左は柱、右はその表面
柱−2
左は柱、右はその表面
柱−3
左は柱、右はその表面
柱の根元
土台石に接する部分はかなり腐朽してきている
柱の根元
腐朽部分を補修したもの
擦り減ったほぞの先端
床下調湿

太山寺(神戸市西区)本堂の床下
亀腹を施工して床下の湿気を防いでいる
法隆寺 中門の内側には立派な柱が林立していて壮観であ
る。これらの柱の下部、土台石に接すると
ころから30cmほど上の部分に、どの柱にも凹凸の模様が見られる。大変上手に加工してあるので一見
しただけでは判らないが、どうも柱を継ぎ足して補修しているらしい。法隆寺は凡そ400年に一度解
体大修理が行われているが、その際、柱の補修が行われたのであろう。中門は七世紀の後半から八世
紀の始め頃建てられたというから、建てられてから既に1300年を経過していることになる。良質のヒ
ノキ材が使われているとのことであるが、これだけ経過する間には,土台石に生じた結露水が柱を湿
らすこともあり、これが度重なれば良質のヒノキ材といえども徐々に腐朽していくのだろう。
この他、柱が補修されている例は多いが、常楽寺本堂
(滋賀県)の向拝の前面の柱は4本とも高さ
2mくらいのところで継ぎ足されている。向拝の前面の柱は雨水に曝され易く、かなりの高さまで腐
朽が進んだのであろう。また、東大寺南大門の柱は、土台石に接するところが補修されているものや
未補修のものがあり、未補修のものの中には、ほとんど腐朽していないものや大部腐朽が進んでいも
のなどがあり、腐朽の程度が柱によって異なることが判る。
これらの柱は全く風通しのよいところに建っている例であるが、それでも長い間には腐朽が進むこ
とを上記の例は示している。これに対し、湿気のこもるところに使われている木材ははるかに短い期
間で腐朽が進むと考えられる。五重塔の心柱がそのよい例でほとんどの柱が継ぎ足されているとい
う。
国宝建築の床下を見ると、木材の耐朽性をはかるため次のような方策が取られている。高床式にす
る、基礎を高くする、亀腹(基礎を漆喰で固めたもの)を施工する、風通しをよくするなどである。
これらの一つあるいは複数を併用して、床下に湿気が停滞しないようにし、使用部材の耐朽性の向上
がはかられている。例えば、坂出市の神谷神社本殿は高さ
1m50cmも石積みして基礎を上げ、その
上に高床式の建物が建っている。今は高床の一部が板囲いされているが、元はなかったという。昔は
お宮の周りに囲いがなく、人が自由に出入りが出来た。そこで八十八ヶ所巡りの巡礼が高床の下にも
ぐり込んで一夜を明かしたので、その対策として板囲いが設けられたという。基礎を高くし、その上
高床式であるから、地面からの湿気が上がらず、かつ風通しがよいので、使用木材の耐朽性の向上に
大いに役立っているといえよう。
ほとんどの国宝建築はこのような床下換気方式が採られているが、二条城二の丸御殿は例外で,床
下を壁などで囲み所々に換気孔が設けられているに過ぎない。云いかえれば,ほとんどの国宝建築の
床下は極めて開放的であるのに対し、二条城二の丸御殿の床下
は閉鎖的であるといえる。
現在の住宅の床下は二条城二の丸御殿の床下よりさらに閉鎖的であるといえる。床下をコンクリー
トの布基礎で固める現在の方式は地震対策として考えられたといわれているが、布基礎の強度を保つ
ためには換気孔は小さいほどよい。しかし、小さな換気孔では湿気がこもり、床下の木材を腐朽させ
てしまいかねない。建築直後の初期性能は耐震性に優れていても、何年か経ち土台やその周辺の木材
が腐朽し始めると、たちまち地震に弱い建物になってしまう。築後10年で床板が落ちた例を何度も目
撃している。また、昨今は築後25年もすれば建てかえる住宅が増えているといわれているが、布
基礎がその原因の一つになっているのかもしれない。床下を開放的にし風通しをよくすることが、使
用木材の耐朽性の向上をはかる上で不可欠なことは多くの国宝建築が長年月にわたって実証している
ところである。
それではコンクリート布基礎の床下の湿気対策はどうすればよいのか。その具体的な方法は、先ず、
家の周辺に深さ50cmくらいの溝を掘り、穴明きパイプを埋めこんで床下への水の流入を塞ぐ。次に、
粒状木炭を不織袋に詰め座布団状にしたものを入手し、床下に敷き詰める。梅雨時かび臭くなる家で
はその効果は極めて大きく、これが一番よい対策の一つであると私は考えている。
(山林 No.1441 大日本山林会 (2004.6) に掲載)
国宝建築に見る木材利用
日本は木の文化の国といわれている。40年余にわたって木材利用の研究にたずさわってきた私
にとって、木の文化の由縁をたずねることは避けて通れないことのように思われた。日本では建物、
木工品、木彫などに古くから木材が使われている。これらの中で、木の国日本を代表している木製
品は何であろうかと考えた。やはり建物であろう。建物にも種々のものがあり、全てを対象にする
わけにもいかない。そこで最も古く、評価の高い国宝建築について見てまわ
ることにした。国宝建築は全国で125ヵ所、200を越す建物が指定を受けているが、これらは全て木
造である。これらを見て回り、写真に撮り「国宝建築探訪」(海青社)にまとめた。ここでは、その中
で特に木材の利用のされ方について気の付いたことを述べたい。
法隆寺のいくつかの建物は天平時代に建てられ、世界で一番古い木造建築である。1300年にも及
ぶ長い歴史の中で、寺院としての各種建物がほぼ完全な形で残されており、手入れも良く行き届き、
世界に類を見ない木造建築の宝庫となっている。法隆寺で国宝に指定されている建物は18にも及ぶ。
このような多くの建物の中でも中門内側のヒノキの柱群(写真―1)は実に壮観であるが、これらの
柱の脚部を見ると、どの柱も補修の跡が見える。法隆寺は鎌倉、江戸、昭和などほぼ400年毎に解体
大修理が行われてきたというが、その際、脚部の土台石に接していて悪くなった部分を切り取り補
修したものであろう。
風通しの良い柱の脚部がどうして腐朽するのだろうかと疑わしくなるが、何
しろ1300年にも及ぶ長期間のことであり、土台石のわずかな結露水がこのような結果をもたらすの
であろう。各地の国宝建築を見て気の付くことは、土台まわりの風通しを大変良くしている事であ
る。法隆寺綱封蔵、正倉院正倉などの高床式はその最たるものであるが、高床式でなくても、大抵
の建物は床下が見通せるほど開放的であるほか、床下を漆喰で固め、敷地からの湿気を防いでいる
ものも多い(これを亀腹と呼んでいる)。このように古く建てられ現存する木造建築は木材の腐朽
を防ぐために、床下が湿らないよう細心の注意が払われているのがわかる。その結果、梅雨を持ち、
湿気の高い日本でも1300年にも及ぶ古い建物が現存するのであろう。
写真−1 法隆寺中門内側柱群
正倉院正倉に保存されてきた御物は長年月を経てきているにもかかわらず保存状態が良い。その
原因は正倉院正倉が校倉造で、湿度が良くコントロールされてきたことによるとされている。しか
し正倉院正倉内の温湿度の実測結果によると、外気の影響が大きく、必ずしも機密性は良くない。
これに対し、最近、宮崎県の南郷村に平成の正倉院として校倉造の建物が建てられ、その内部の温
湿度が測定されているが、その結果は極めて機密性に富んでいて、年間を通じて温湿度はほぼ一定
に保たれている。同じ校倉造でも両者の温湿度の測定結果は大きく異なっていることになる。
木材は湿気を吸うと膨張し、乾燥すると収縮する。このように湿気を吸ったりはいたりする現象を
見て、木材はいつまでも生きていると表現する人もいるが、その度に木材は膨張、収縮を繰り返し
ている。三寒四温といわれるように、1週間に1回乾湿が繰り返されるとすると、1年で52回膨張、
収縮が繰り返されることになる。1000年で52000回ということになるが、一体何回膨張、収縮が繰
り返されたら木材と木材の間に隙間が生じるのだろうか。
平成の正倉院と正倉院正倉の機密性の違いは正倉院正倉があまりにも古くなりすぎ、建築当初は高
かった機密性が、年代とともに大きくなる隙間によって失われたのではないかと考えられる。ちな
みに正倉院正倉の壁面をよく観察すると、校倉部材の所々に詰め物が施されているのがわかる
(写真―2)。いったい何年経てば機密性が失われるのか、百年か、2百年か、あるいは数百年か、
興味の尽きないところであるが、その追跡調査は南郷村の校倉造の今後に期待するしかない。いず
れにしても、校倉造で千年以上も機密性を保たせることには自ずから限界のあることを正倉院正倉
は示している。なお、正倉院正倉の御物はスギの箱の中に収められていて、その中の湿度は年間を
通じほぼ一定であることが確かめられている。御物は校倉造とスギ箱の二重の木材によって守られ
ていたのである。
写真−2 正倉院正倉校倉
東大寺転害門の柱の中には大きな節が沢山あるものも使われている(写真−3)。また、平等院鳳
凰堂の柱の中には繊維のねじれたものが見られる。節や繊維のねじれは一般に木材の欠点とされて
いて、狂いや割れが生じやすい。しかしこれらの柱は直径30cm以上もあり、節や繊維のねじれは建
物に特に支障をきたしているわけではない。一方、法隆寺をはじめ多くの寺院の回廊や建物の窓に
は連子格子が取り付けられているが、格子の桟は高々3〜4cmの四角い、細くて長い棒である
(写真−4)。
この桟にもし節やあてがあったり、繊維がねじれていたりしていたら、多分節のと
ころで折れたり、あてのところや繊維のねじれに沿って曲がってしまい、使い物にならないだろう。
何百年も桟として真っ直ぐでいるためには、全く欠点は許されないのである。これらのことは、節
などの欠点を持つ木材は大きく使う必要があり、小さくして使いたいのなら、欠点のない木材が必
要であることを示しているといえよう。現在の国産材は若齢で欠点をもつものが多いにもかかわら
ず、木材の使われ方のほうは小さい断面になりすぎていて、両者の間には大きな齟齬が生じている
ことを、国宝建築に使われている木材は示唆しているといえよう。欠点の多い国産材は大きく使う
必要があるのではなかろうか。
写真−3 東大寺転害門柱
写真−4 法隆寺回廊連子格子
(随想森林 45 (2001)に掲載)
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