「草野球の窓」
ミャンマー野球紀行

  「ミャンマー野球に触れた20日間」  
ニッポン草野球人(草窓All Japan 韓国遠征メンバー) 比嘉 満 ひが みつる


29歳草野球人の一念発起

 30才という節目の年齢まで残り1年となった29才の誕生日、8年間勤めた会社に辞表を出した。やりたいことはたくさんあった。飽きるほど野球を見たい、今までと違った仕事がしてみたい、海外留学、長期の海外旅行等々。仕事を覚えさせてもらった恩はあったが、自分の夢のために8月末で退職。期限を設けて30才の誕生日までは自由な時間を持つことにした。

 2002年中はアメリカでメジャーリーグ観戦、韓国でのアジア選手権の野球、ソフトボール観戦、韓国プロ野球観戦の為に1ヶ月間の滞在、その滞在中に「草窓オールジャパン」での韓国遠征にも参加した。日本の野球に至っては何試合見たか覚えていないほどに連日の観戦。とりあえず「飽きるほど野球をみたい」「長期の海外旅行」という夢は実現した。これだけ見ても野球に飽きることはなかったが。。。

 資金が不足してきたこともあり、期限の8月を前に最後の長期旅行として再びアメリカに行く予定を立てた。目指すはシアトル、ロス、ニューヨーク。
 しかし期間1ヶ月のメジャーリーグ観戦旅行の計画を練っていた矢先にアメリカとイラクの戦争が始まる。家族に心配を掛けてまでアメリカに行くことは出来ず、残念ながらメジャーリーグ観戦はあきらめることとなった。
 そこで「アジアならテロとか戦争の影響はないだろう」と思い、アジアへの旅行に変更することにした。


ミャンマーに野球がある!

 3月15日の夜、インターネット等でアジアの旅行情報を探し始める。アジアで行ったことのある国は韓国、中国、タイ。この3カ国以外の国に行こうと思い、「中国はでっかいな」、「タイはベトナムよりも遠いのか」、などと思いながらアジアの地図を見ていた。
 ふと、2月に行ったタイ旅行で印象に残っていた場所に、アユタヤという遺跡の町があったことを思い出した。このアユタヤはビルマ(現ミャンマー)との戦争に負けて滅ぼされてしまったそうだ。頭がない首から下だけの大仏がたくさんあって、「ビルマ軍はすごいことするなぁ」と漠然と思ったことを思い出した。

 インターネットでとりあえずミャンマーを検索してみた。すると驚いたことに、

『ミャンマー野球連盟設立支援運動』  『ビルマに野球を〜日本生命野球部、、』

の文字を発見。ミャンマーに野球があることなんてまったく予測していなかったので、驚きと共に早速ページを見てみた。
「U-LAW」と書かれたトップページには、

『ミャンマーへスパイクを!』  『日本生命野球チームミャンマーへ』

の文字が。。。このページに使われている写真は自分にとってかなりのインパクトがあった。半袖、半ズボンの選手はグローブをはめているものの、守備についている足元は素足である。また、

『数日間で結構です。ミャンマーに渡航し、野球練習にご協力戴ける方も募集しています』

の呼び掛けまで。。行く国はこのページを見たときに決まったのである。※「U-LAW」HPは現在ではリニューアルされています。


心はミャンマーへ

 早速、U-LAW事務局の伊藤氏まで道具を寄付したい、ミャンマーチームと一緒に野球をしてみたいとのメールを書いた。伊藤氏から16日の午後に早速返信があり、私のメールをミャンマーチーム総監督の岩崎さんへ転送してくれて、17日には岩崎さんから「お待ちしています」とのメールが来る。こうして、わずか1日でミャンマー行きが決定した。

 今までの協力者の名前を聞いて、驚くというか「俺でもいいのかな?」と思ってしまった。元慶応大学野球部監督で現アジア野球連盟事務局長の前田祐吉氏、シドニーオリンピック代表の野上修選手、現近鉄の下山真二選手等の日本生命野球部、現社会人野球チーム監督、甲子園出場経験のある投手等々。。高校では軟式野球、高校卒業後は草野球だけの自分が行って大丈夫かな?と。。
 まぁ、そんなことを考えていても仕方がないので開き直って、子供、初心者とのキャッチボール、ノックくらいは出来るだろうと日程を決めた。当初の予定では10日間の予定だったが、どうせ野球をするのならもっと長い期間が良いと考え4月23日から5月13日の20日間となった。

 所属チームの友達に余ったスパイク等、野球道具がないか聞いてみたところ、早速6人からスパイク、グローブなどの野球道具を寄付してもらえることとなった。飛行機での荷物運搬には預ける荷物が20キロ以内の重量制限がある。6人からの寄付と私からの分で20キロを超えてしまうため、荷物の重量が20キロになった時点で寄付の呼びかけをやめた。わずか2日間の呼びかけで、予想以上の寄付をしてもらって本当に嬉しかった。やはり、持つべきものは同じ趣味の友人だな、と思った。

 行くと決めたのは良いが、ミャンマーについての私の知識はとても乏しかった。(今でも乏しいが。。) 知っていることと言えば、アウンサンスーチー、軍事政権、ゴールデントライアングル(タイ、ミャンマー、ラオス3カ国国境付近での麻薬栽培)、映画「ビルマの竪琴」を見て日本人が戦争に行ってたくさんの人が死んだ、と言うことぐらいだった。ミャンマーの正確な位置さえわからなかったほどだった。ガイドブックの「地球の歩きかた」を探しに行くも需要がないらしく地元のどこの本屋にもなくて、結局東京の大きな本屋まで行って購入。インターネットの情報と合わせミャンマーについてようやく勉強することが出来た。勉強といっても現地の生活環境等のミャンマーの基本情報くらいだったが。。。

       ・    ・    ・   

 こうして短期間の準備期間を経て、いよいよミャンマーへ出発する当日となった。4月23日は日本、いや世界中でも中国で発生した新型肺炎SARSの話題で持ちきりだったが、「俺は普通の人より丈夫だし健康だから感染しない」と自分で決めた間違った確信を胸にいよいよミャンマーへ向かうこととなった。

2003年7月1日掲載


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