平成16年8月14日(土)ここの国は、町の様子や人々の感じが、何となくソロモンに似ているような 気がする。ヌクアロファの市内など、ホニアラの市内にそっくりだ。トンガは 王国であるため、もう少しましなところかと思っていたが、実際に来てみると、 街は結構ごみが散らばっていたりして汚いし、経済的には少し停滞している ような感じを受ける。ソロモンではクーデターが起きてしまったが、まさか クーデターは極端としても、政情不安がトンガで起きていないのは、国王に 対する国民の忠誠心のおかげであろうか。
バーベーキュースタンド。
ちょっと休憩して、サンドイッチを食べる。 昨日から気付いていたが、市内には中国人経営の店が多数あるが、その多くは、 鉄格子を下ろして、その鉄格子越しにお金や商品の授受をしていた。 やっぱり治安は悪いのだろうか。人々の 視線も、少しいやな感じがするときがある。多少は用心した方がいいのかも 知れない。ある店などは鉄格子の向こうに機関銃を置いてあるのが見えた。 でも、後で宿の主人に聞いたところによると、トンガでは銃火器の所持は 違法なので、それはおそらくおもちゃだろうとのことであった。
今日も、午前中だけ市内を見に行く。買い物少々と、サンドイッチを 食べる。午後はほとんどの店が閉まってしまうので、ゲストハウスで過ごす。
せっかく来たので、島内観光にも出かけたいと思うが、観光スポットは いずれも辺鄙なところにあって、タクシーかレンタカーを借り切らないと とても行けるようなところではないらしい。昨日、例の嘘八百ドライバー は、「島内観光は25T$だ」と言っていたが、それはあまりに安すぎる。 きっとそれも嘘だろう。その話を宿の主人にすると、
「それは、きっと3人集まったときの話でしょう。1人なら多分その 3倍ですよ。」
とのことだった。うん、それなら納得できる。
昨日は、私とスペイン人旅行者(トンガが大好きで、もう、何回も 来ているらしい)の2人しかここには泊っていなかった ようであるが、今日は、新たに5人が来た。うち2人はイギリス人の 若い夫婦。もう2人はニュージーランド人の中年の夫婦。あと一人、 何人か知らないが個人旅行の女性。イギリス人夫婦はすでに例の嘘八百 ドライバーと話をして、明日午後に島内巡りに行く予約をしていた。 ラッキー、それに混ぜてもらえば、3倍払わずに観光ができる。ただし、 料金は30T$だったらしい。うーん、やっぱり25T$と いうのは嘘だった!
平成16年8月15日(日)昨晩は相当に冷え込んだ。トンガなど常夏の国かと思っていたが、今は 南半球では真冬なので、昼、太陽の出ている間は暑いぐらいであるが、 朝晩は意外に冷え込むものである。 夜中、あまりに冷え込むので、持参したパソコンをつけたまま寝る ことにした。パソコンをストーブ代わりに使うのは 初めてだ。果たして効果があるのかどうかは「?」。でも、 パソコンの底面に40Wと書いてあるから、まあ、40Wのストーブとしては 機能するでしょう!
朝起きると、今日は日曜日なので、宿の主人が、しきりに教会に 誘ってくれる。 国民全員が敬虔なキリスト教徒であるトンガでは、日曜日に教会に 行くのは当然のことなのだそうだ。それに、宿の主人曰く、市内の 中央教会に9時半ごろに行けば、、国王の日曜 礼拝を見ることができるから、さらに面白いですよということ である。でも、うーん、私はやっぱり教会というものは非常に苦手だ。 いくら国王に会えると言っても、あまり行きたくないなあ。でも、 先日もラグビーの観戦に誘われて行かなかったから、今日は行かないと 悪いだろうかなあ。
市内の教会の一つ。 でも、宿の主人は、結局私に声をかけることなく、一人で教会に 出かけてしまった。やれやれ、少し助かった。そんなわけで、午前中 はゲストハウスで論文書き。日本にいるといろいろと雑用があって なかなか仕事が進まないが、こうやって脱出すると、静かに集中して 仕事ができる。
宿のおばさんと話をしていて、中国人経営の店が鉄格子を降ろして いる訳が分かった。以下は、あくまで宿のおばさんの話だが、 それによると、大体以下のようなことらしい。実は、トンガにも 中国人がかなり来ており、残念なことに、一部の者が強盗、殺人、 詐欺などの犯罪を働いているのだという。何と 国王を騙して、国王の金を持ち去った豪傑もいる そうである!そんなわけで、中国人の店主たちは、報復を恐れて、 店を必要以上に厳重にガードしているのだそうだ。トンガは元々犯罪など とは無縁の平和な島であったため、人を疑うことを知らず、そのため、 一部の悪質な中国人の餌食になってしまったらしい。例えば、トンガに 工場を作るとか、トンガ製品を中国に輸出するとか言ってやってきた 中国人に、トンガの銀行はすぐに巨額の融資をしたらしい。ところが、 その中国人たちは、金を借りるとすぐに他国に高飛びして、行方不明に なってしまったと言う。トンガの経済が落ち込むほどの巨額で あったらしい。宿のおばさんは、
「それまでも、日本人がトンガに来て、協力隊の人が各地で教師をしたり、 日本政府が道路や工場などの寄付をしてくれていたので、中国人も同じ だと思って信用したのが間違いでした」
と言っていた。そのような経済犯以外に、ナイフで武装した強盗も トンガ国内のあちこちで暗躍中で、トンガ人は中国人を恐れているとの こと。中国はかつてはいい国であり、中国人もいい人々であった のに、天安門事件以降、最悪の国になってしまった。非常に残念なこと である。
鉄格子をおろした、中国人経営の商店。 今日は、午後から、イギリス人夫婦とともに、島内一周ツアーに出かける 予定になっている。例の嘘八百ドライバーが、午後2時に迎えに来ることに なっている。果たして時間通りに来るのか?
イギリス人夫婦と一緒に、表に出て待っていたが、2時にはドライバーは 現れなかった。2時半、やっとドライバーが来た。曰く、
「トンガでは、日曜日にタクシーが営業する時は警察の許可が必要なんです けど(トンガが敬虔なキリスト教徒の国であり、日曜日は安息日であるため、 日曜日に労働するには許可が必要らしい)、まだその許可が下りてません。 ですから、今日行くのは無理です」
とのことであった。何たること!私は明日でも良かったが、イギリス人夫婦が 明日朝一番の飛行機で別の島に行くとかで、島内一周は、どうしても今日 行かなければならなかった。しばらくもめたが、結局、仕方がないので 許可なしに行きましょうということになり、我々は出発した。
ツアーの内容は、大こうもりの棲息地→潮吹き穴→クック船長の上陸地→ ラパハの王墓跡→ハモンガの遺跡→このドライバーの家でトンガ料理→ ゲストハウスに帰着、ということであった。
最初に行った大こうもりの棲息地では、木に逆さにぶら下がっている大 こうもりを多数見ることができた。英語では「Flying Fox」と言うらしい。 肉は食用にもするらしく、鶏肉に似た味がするという。
その次は、「Blow Hole」と呼ばれる潮吹き穴である。確かに穴も少し あるが、ほとんどは崖で、太平洋から押し寄せる波がこの崖に当たり、 海水を10メートル以上吹き上げる。そういう崖が続いているので、あちこちで 水しぶきが上がっているのが見える。まあ、やはり、一種の奇観に属する と言えるであろう。
Blow Hole と呼ばれる潮吹き穴が海岸沿いに延々とつながる。 その次は、クック船長の上陸地。トンガタプ島の深く切り込んだ湾の一番奥 の草むらに、ひっそりと上陸記念碑が建っていた。それを見た後は、ラパハ というところにあるかつての王の墓跡を見て、それから海岸に向かった。 この海岸の近くの家で飼育されている豚は、海に入って 行って魚を捕るらしく、それだけで一種の観光名所になってしまった らしい。そして、豚が捕ってきた魚をまた人間が取るのだそうだ!
クック船長上陸記念碑
海に入って魚を取る豚。通称、Fishing Pigs。 最後は、ハモンガの遺跡。石で作った門のようなものが残っている。 我々が行った時には、地元の子供が門の上で遊んでいた。写真を何枚か 撮って見せてあげると、子供は大喜びして、お礼と言いながら、近くの椰子の 木によじ登って実を取って来て、石で叩き割って、私にくれた。なかなか おいしい椰子ジュースであった。
ハモンガの遺跡。 それで見る所はすべて終わったので、このタクシードライバーの家まで 行って、奥さんの手作りのトンガ料理をご馳走になった。 ふかしタロイモと、これまたタロイモの葉で包んだラム肉を ココナツミルクで味付けした料理であった。これを庭にござを敷いて座って 食べる。前にパプアで食べた家庭料理に似ていて、割合おいしかった。 食事をいただいていると、このドライバーのお父さんが出てきて、 君は中国人かね、と聞くので、日本人だと答えると、
「おーお、日本人でしたか。これは失礼。日本はトンガに色々な物を寄贈 してわが国を助けてくれた友好国じゃ。ようこそいらっしゃいました」
と急に態度が変わったので面白かった。どうやら、朝の、宿のおばさんの 話もまんざら嘘ではないようだ。
例の嘘つきドライバーの奥さん手製のトンガ料理。料理そのものは美味しかった。
平成16年8月16日(月)朝、また市内を見に行く。郵便局より絵葉書を数枚投函。それからインターネット カフェに行って、メールのチェック少々。
ゲストハウスに戻ってからは、宿の主人とずっとだべっていた。夕方、もう一度 市内に出て行く。
夜、ゲストハウスのオーナー家族と一緒に夕食。キャッサバとチキンラーメン。
平成16年8月17日(火)午前中、また、ヌクアロファの市内を見に行く。市場にも行く。今まで、市場の前を 通ったことは何回かあったが、なぜか、市場には入らなかった。トンガ滞在の最終日に なって、やっと初めて市場を見に行った。市場は規模は小さいものの、いろいろな物が 置いてあって面白かった。野菜やフルーツが多いが、衣料品などもあるし、市場の一角 にはおみやげ物コーナーもあって、民芸品なども置いてある。前から一度食べてみたいと 思っていたパンの実を買う。今、シーズンオフなので少し 高くて、1個1T$。後で、宿で調理してもらうつもり。
午後からは昼寝。3時のおやつに、宿の主人がパンの実を調理してくれた。 硬い皮をこすり取り、薄くスライスして、油で揚げて、フライにして食べる。 これがまた、塩を振りかけて食べると、なかなかおいしい。
市場で買ってきたパンの実。
まず、堅い皮を削り取る。
それを、縦に割る。
これが、パンの実の断面。
さらに、薄く切る。
それを、油で揚げる。
あとは塩を振って食べるだけ!結構美味しいでっせ〜。 夕方、もう一度市内に出て行って、インターネットカフェに行く。 それから、荷物をまとめる。たまたまゲストハウスに、私と同じ飛行機で出発するという アメリカ人が泊っていて、一緒にタクシーで空港まで行くことにする。そのうちに 例の嘘八百ドライバーが現れて、午後8時、ゲストハウスを出発。本当はこいつの 車は使いたくないのだが、ゲストハウスが専属契約しているので、仕方ない。
しかし、乗る時になってやっぱりトラブル。トンガに着いたとき、空港からゲスト ハウスに向かう途中で、嘘八百ドライバーは、
「帰りの空港行きの料金は、1人で乗れば15T$だが、もし、2人なら一人当たり 8T$で行くよ。だから、帰りは誰か同乗者を探した方が良いよ。お金の節約になるよ」
と言っていた。そして、たまたま、アメリカ人の同乗者が見つかったのである。 それを知った嘘八百ドライバーは、
「本当は何人で乗っても1人15T$なんだけど、君たちはマイ・グッド・フレンド だから、特別に1人10T$にしてあげよう」
と言い出したのである!私は、真剣に切れてしまった!もう、 本当に、始めから終わりまで嘘嘘嘘で固められた嘘八百野郎だ!私もあちこちの 国でタクシーを利用したが、ここまで嘘ばかり言うタクシードライバーは 初めてだ。こいつ1人のおかけで、どれだけトンガの印象が悪くなった ことか!最後の最後までこんなことがあって、非常に気分が悪い。
空港には午後8時半到着。ニュージーランド航空NZ56便はすでに到着 していた。オークランド発、トンガのヌクアロファ、西サモアのアピア経由、 ロサンゼルス行きである。アメリカ人は、8か月前にアメリカを出発し、 南米の各国を周遊し、それからヨーロッパに飛んで、ヨーロッパを一通り 見た後、バンコクに飛んで、ベトナムやカンボジアを訪れた後、南下して マレーシア、シンガポール、インドネシアを経てオーストラリア、 ニュージーランドを観光し、トンガに来たと言う。そして、これから アメリカに帰るのだと言う。一生忘れられない旅行ができて、感慨無量 だと言っていた。8か月の世界一周旅行、お疲れ様でした。
空港税は25T$。ニュージーランド航空NZ56便はアメリカまで飛んで行く ので、機体はB767を使っていた。今まで小さなプロペラ機ばかり乗っていた ので、ものすごく巨大に見える。300人乗りだが、機内は満席。しかも、 トンガ人かサモア人か知らないが、皆、搭乗券の 座席指定を無視して座っていたり、本来座席のない幼児を隣の席に 座らせたりしているので、何がなんだかさっぱり分からない。 フライトアテンダントもお手上げ状態で、結局、実質的には自由席と なってしまった!午後10時、西サモアに向けて離陸。
平成16年8月16日(月)NZ56便は、一時間半の飛行で、西サモアのアピア郊外にある、ファレオロ 国際空港に到着。ここで、24時間の時差がある。 すなわち、時刻は午後11時30分で変わらないが、日付が一日戻って、 8月17日の午後11時30分から、8月16日の午後11時30分になった のである。2回目の8月16日だ。つまり、日付変更線を越えたのだ。
入国問題なし。トンガの出国スタンプが8月17日、西サモアの入国 スタンプが8月16日。出発前日に目的地に到着するという貴重な(?) 体験である。ずっと前、ソ連からチェコスロバキアに列車で入った時に、同様の 事態が起こったことがあったが、当時のソ連はパスポートにスタンプを押して くれなかったので、証拠が残らなかった。でも、今回はばっちり証拠が残る。
トンガを出国した前日に西サモアに入国した証拠を示すスタンプ。 左ページのたて向きに押された丸いスタンプがトンガの出国スタンプ。 2004年8月17日に出国したことを示している。一方、右ページの大きな 四角いスタンプが西サモアの入国スタンプ。上段に、入国日として、 2004年8月16日と記入されている(下段は、2004年10月16日までの滞在 許可を示す)。 空港で50ユーロ交換して、150S$。S$はサモアドルであるが、地元の人たちは、 「タラ」と言っている。「Dollar」がなまったものかどうかは不明。
もう真夜中なので、空港から市内まではタクシーしかない(後で知った ことだが、実は、真夜中でもバスはあったらしい)。しかし、タクシー ドライバーはどいつもこいつも悪役プロレスラーのような顔つきをした 大男ばかりだ。その中で、一番人の良さそうな顔をしているドライバーを指名、 値段交渉をする。最初の値段は、何と、150S$!つまり、さっき替えた50 ユーロ全部である!6500円だ!立ち去る振りを何度かしたり、手のひらに ボールペンで数字を書いたりして値段交渉。結局、45S$ということになった (翌日、地元の人に聞いたところでは、市内−空港はサモア人の場合40S$で、 外国人であることと、深夜であったこととを考えると、妥当な料金との ことであった)。
空港からアピア市内までは40km近くもあるので、遠い遠い。ドライバー が、
「あんた、中国人かね」
と言うので、
「日本人ですよ」
と言うと、
「コンニチハ!××$%#△※§□≦○$◎◇*!」
と言ってきた。こんにちは以降は全くでたらめな日本語だ。
「Sorry, I don't understand」
と答えると、ドライバーはニヤリとして、
「思った通りだ。お前は日本人ではなくて、実は中国人だろう!」
と言っていた。
泊るところも全く当てがなかったので、とにかく、どこかいいホテルに行ってもらう。 結局、バレンタインホテルとかいうところに連れて行かれる。一泊40S$。ということは、 1600円ほどである。サモアでは、建物に上がるときは履物を脱ぐようで、入り口の ところで履いているサンダルを脱がされた。ホテル自体は、割合きれいなホテルだ。 トイレとシャワーは共同で、しかも、水シャワーだが、まあいいか。朝食込 なのはうれしい。もう、日付が変わって、夜中の1時なので、すぐに寝る。