日本→(グアム)→(トラック)→(ポナペ)
→(コスラエ)→(クワジャレイン)→マジュロ


平成13年8月7日(火)

 20時40分名古屋空港発のコンチネンタルミクロネシア航空CS972便でグアムに向けて出発。小さな737型機。


8月8日(水)

 グアムに真夜中の午前1時に到着。そのまま、朝まで空港で寝ていることにする。

 午前4時に関西空港行きの全日空便があり、それに乗る人たちが、午前3時ごろから続々と集まってきた。グアムに遊びに来たらしい若い女性が、椅子の下の床の上に直接寝ている私を見て、

「ああ、びっくりした〜。椅子の下に誰か寝てはるわ〜」

とか言っている。格好悪いとは思ったが、あまりの眠さに勝てず、そのまま寝ていた。

 午前8時過ぎ、やはりコンチネンタルミクロネシア航空のCS957便で、マーシャル諸島のマジュロに向けて出発する。この便は、グアム発、トラック島、ポナペ島、コスラエ島、クワジャレイン島、マジュロ島経由ホノルル行きである。途中の島に一つ一つ寄って行くのが面白い。

 午前10時、最初の経由地トラック島に到着。ここの空港は滑走路が短いようで、滑走路の端っこぎりぎりに無理に着地して、全力で逆噴射して急ブレーキをかけ、それで何とか滑走路の反対の端っこぎりぎりで辛うじて止まった。よく海にはまらないものである。

トラック島に着陸。

 トラック島でしばらく止まって、それからポナペ島に向けて離陸。約一時間でポナペ島に到着。時差があるので、午後1時到着。ポナペはにわか雨になっていた。

次はポナペ島に着陸。

 ポナペにまた1時間ほど止まった後、ポナペを離陸して、今度はコスラエ島に向かう。これも約1時間。午後3時に到着。ちょっと外に出てトランジットルームに行ってみるが、ほとんど青空空港である。

トラック島、ポナペ島に続いて、コスラエ島に着陸。

 午後4時、今度はクワジャレイン島に向けて再度離陸。またまた約1時間でクワジャレイン島に着いた。再び時差があるので、午後6時到着。ここは米軍基地になっており、外国人は、許可なく外に出られない。写真撮影も多分不可だと思うが、基地の建物と反対側の風景を、一枚だけ撮らせてもらった。

その次には、米軍基地のあるクワジャレイン島に着陸。

 クワジャレイン島を午後7時に離陸、1時間の飛行で、やっと目的地のマジュロ島に到着した。午後8時の到着。出発したのがグアム時間の午前8時で、グアムとマジュロで2時間の時差があるから、10時間かかったことになる。10時間飛びつづけも疲れるが、今回のように、飛んでは着陸、また飛んでは着陸の繰り返しの10時間もまた疲れる。本当に、ほとほと疲れてしまった。

あちこちの島を経由して、マジュロ島に着いたのはもう暗くなってから。YOKWE と言うのは、マジュロ語でこんにちはと言う意味らしい。

 マジュロで、マーシャル諸島の入国手続き。これがまた遅い遅い。私の前にいるのは15人くらいで、ブースは2つ開いているのに、私の番がくるまで1時間以上かかった。

 外に出たら、もう夜の9時半である。タクシーで市内まで行く。3ドル。Uliga 地区で降りて、ホテル探し。安ホテルを探すが、見つからない。

 とりあえず、1泊だけ高級ホテルに泊まることにして、近くの RRE Hotel に行った。一泊75ドル+税金9ドルで、合計84ドル。その割には、部屋は余りよくない。40〜50ドル程度のホテルの設備しかない。温水もちゃんとは出ない。まあ、島だから物価が高いのは仕方ないが、設備の割には高いという感じは否めない。


8月9日(木)

 午前中、まず、安ホテル探し。昨日は着いたのが夜遅かったから、暗くて見落としていたが、近くに中国人経営の安いホテルが2軒あった。でも、どちらも満室。仕方がないので、市内をぶらぶらして見て歩きながら、ホテル探し。少し歩くと、博物館があった。見学無料。マーシャル諸島の昔ながらの風俗・文化についての展示。まあまあ面白かった。Uliga 地区を抜けて、Delap 地区まで歩いていったが、安いホテルは無し。あ〜あ、今晩もあの値段だけ高級ホテルに連泊か。

マーシャル諸島の首都、マジュロ市内のメインストリート。

マジュロの下町。

 午後から、Rita 地区を見に行く。特に面白いものも無し。

 こうやって書くと、マジュロには、色々な地区があるように思えるが、実際にはこれですべてである。あとは、空港の向こうに Laura 地区というのがあるだけ。マジュロは島だが、単なる島ではなく、環礁である。だから、細長い。幅は、広いところでも300メートルもないのではなかろうか。細いリングのような島である。火山の火口が沈降し、その沈降した火口に沿って珊瑚礁ができたものらしい。マーシャル諸島の島々はどれも、「太平洋に浮かぶ真珠の首飾り」と形容されている。

環礁は、リング状の珊瑚礁からなっている。陸地の部分はきわめて細い。

 環礁の外側の海は、太平洋に荒波が直接打ち寄せている。一方、内側の海は港になっていて、かなり大きな船がいくつも停泊している。

 ここに来る前は、南の島だから、フルーツなどは豊富に産するのだろうと勝手に想像していた。でも、実際に来てみると、地元のフルーツなど売っていない。細い島で、土地がない上に、珊瑚礁なので石灰岩地質のため、土地が痩せているのだろう。椰子の木とパンの木はあるが、それらの実も、道端などで売っているわけでもない。生活物資は、おそらくアメリカからの輸入に頼っているのだろうと思う。

 町を歩いていると、日本人は結構見かける。ダイビングのツアー客である。今日も、夕食に行ったレストランで、2名の日本語で話している観光客を見かけた。マイナーな国かと思ったが、意外に観光客は多いとも言える。


8月10日(金)

 今日は、午前中、Laura 地区に行くことにした。ミニバスで1ドル50セント。空港を越えて、島の西の方まで行く。約1時間かかった。

Laura に向かう道。写真では分かりにくいが、道の両側の椰子林のすぐ向こうは、両側とも海である。それぐらい、環礁の陸地部分は細い。

 Laura は単なる村であった。終点の売店で昼食を買うと、日本から来た客ということで大歓迎してくれて、昼食をタダにしてくれた。えらい親切な人たちだ。

Laura の村。

 帰りも同じミニバスで帰ってきた。乗ってきたおばあさんが日本語が話せる。それも、結構上手である。第1次大戦後から第2次大戦までの間、南洋諸島は日本の統治下にあったからだ。ちょっと複雑な心境。

 昼から、ホテルで寝ていた。私は、ダイビングなど興味もなければ技術もお金もない。日本からのツアー客は皆ダイビング目当てらしく、ダイバーにはいいのかもしれないが、私のような全く普通の観光客は、マーシャルに来てもすることがない。

Laura 村で出会った親子。


 


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