ブルガリア→ルーマニア→フランス→日本


3月29日(木)

 今日、最終目的地、ルーマニアのブカレストに移動である。ブルガリアを離れる前に、レフがまだ少し残っているので、使い切るために食料の買い出しに行く。水と食料さえ買っておけば、何かの理由で今晩ブカレストに遅く着いて両替ができなくとも、何とかしのげる(この予感は見事的中した!)。

 ベリコ・タルノボからブカレスト方面へ行く列車は一日1本、11:51発のみ。午前11時、ホテルを出発。駅に行く途中、美術館に立ち寄った。昨日入場料を払わなかったから、2レフ払いたかったからだ。美術館に行くと、「木曜日は無料公開日だから、お金は要らない」と言われた。「今日が無料公開日と言うことは分かりました。でも、昨日細かいお金がなくて、お金を払わずに入れてもらったんです。ですから、これは、昨日の分ですから、受け取ってください」とたどたどしいロシア語で言って2レフ差し出すと、分かったようで、入場券をくれた。黙って通り過ぎても良かったが、やはり、払うべきものは払うべきである。そうすれば、お互いにすがすがしい気持ちになれるものである。

ブルガリアは野犬ばっかり。

 駅には、11時半に着いた。列車が定刻に来るはずはないとは思っていなかったが、それにしても列車はなかなか到着しない。仕方がないので、駅の待合室で待っていた。ようやく列車が到着したのは、13:45。ほとんど2時間遅れであった。単線であるために、ダイヤは恒常的に乱れているようである。

駅の切符売り場(ベリコ・タルノボ駅)。

列車到着。

 乗ると、車内はとんでもない状態だった。2等車は高校生ぐらいの若者でいっぱいで、彼らはタバコを吸いながら酒盛りをしており、さらには椅子をはずしたり、天井を突き破ったりしながら、大声でどんちゃん騒ぎをしている。始めからか彼らがやったのか知らないが、一部コンパートメントの窓ガラスやドアは壊れているし、天井の蛍光灯はほとんど全部が壊れている。彼らは更に窓から身を乗り出し、奇声をあげながら外に向かってビール瓶やごみを投げ捨てたりしている。何だこいつらは?

若者の集団に壊された椅子。

天井も突き破られる。

 とにかく、コンパートメントのひとつに座っていると、程なくしてブルガリア人の車掌が2人まわってきた。バルカンフレキシーパスを提示すると、車掌の1人がパスを取り上げ、

「この切符は無効だ。ちょっとこっちに来てもらおう」

と言い、隣のクシェット車に連れて行かれた。またまたトラブルである。

 2人の車掌は私を空いたクシェットのコンパートメントに入れ、中から鍵をかけてカーテンを引いた上で、再び

「この切符は無効だ」

と言ってきた。とんでもない。何で切符が無効やねん?

「どうして切符が無効なんですか。問題ないはずです」

と抗議したが、

「君の切符は2つの点で不備だ。ひとつは、この切符はわが国では使えないと言うこと、もうひとつは、君は特急券と座席指定券を所持していないと言うことだ」

と言ってきた。確かに、バルカンフレキシーパスは、どこの国で使えるのかと言うことが券面に全く表示されていない。だから、うちの国ではこの切符は使えない、と言われたとき、こっちは全く反論できないのである。

 更に悪いことに、パスには、

「Passes may not be issued to nor used by residents of Bulgaria, Greece, Former Yugoslavian Republic of Macedonia, Yugoslavia(Serbia & Montenegro), Rumania and Turkey.」

と英語で書かれているのである。鉄道パスと言うものは、普通、それが通用する国の国民は使えないのである(たとえば、日本人は Japan rail pass を使えない)。バルカンパスはブルガリアで使えるが故に、「ブルガリア人はこのパスを使えない」とパスに謳われてるのである。ところが、この国では英語が充分に通用せず、それで車掌たちは、上の英文中の「residents」の部分を抜かして考えて、

『このパスはブルガリアでは使えない』と明記されている

などと言い出したのである!

 もう、こうなったら万事休す。パスが無効だといよいよ確信した車掌たちは、何を言っても取り合ってくれない。日程に余裕があれば、最悪、列車から降ろされることを覚悟して車掌とけんかしても良いが、もう明後日の飛行機で帰国である。今日中に何とかブカレストまで行きたい。仕方ない、切符を買うか。どうせ10レフもあれば足りるだろう。

「分かりました。ブカレストまでの切符を買えばいいんでしょう?いくらですか?」

車掌たちは、そら来たとばかりにニタッとして互いに顔を見合わせた。悪い予感である。

「20ドルだ。レフは使えない。米ドルの現金で払ってもらう」

何だって!ブカレストまで20ドル?そんな事ありえない。ベリコ・タルノボからブカレストまでの距離から考えて、20ドルは高すぎる。仮に、特急券、座席指定券を含んでいるとしてもだ。

「20ドルもしますか?ブカレストまで。何かの間違いではないですか?」

「おう、そういう気か?この列車は国際特急列車だ。乗車券と特急券、座席指定券が必要なのに、お前はそれを何一つ持たずに乗車したんだぞ。本当なら、不正乗車で罰金200ドルのところを、素直に今切符を買えば見逃してやると人が親切に言ってやっているのに、何だその態度は!」

「...」

「素直に20ドル払うか、それとも次の駅で警察に突き出されて200ドル払う方がいいのか!!」

「...」

ブダペストの地下鉄と同じような展開になってきた。これ以上こじらせるとまずい。結局、私は20ドルふんだくられる羽目になった。どうも私はついてない。

 お金を手渡すと、車掌の一人が切符を切った。その切符を見ると、ブルガリア語で「普通乗車券 ベリコ・タルノボ→ルーセ」と書いてあった。ルーセというのは、ブルガリアとルーマニアの国境駅の名前である。やっぱり、特急券も座席指定券も必要なかったのだ。

「あのー、ブカレストまでじゃないの?」

「心配ない。ルーマニアはその切符(バルカンパスのこと)で乗れる」

やっぱり奴等は、バルカンパスを知っていたのだ。英文が読めないふりをしていただけなのだ。それでなければ、わざわざ2等車から私を無人のクシェットに連れてきて鍵をかけ、カーテンまで引く必要もないはずである。やっぱり、初めから切符に難癖をつけてドルをふんだくるつもりだったのだ。畜生めが!

 17時、列車は国境のルーセに着いた。遅れは3時間に拡大していた。本来ならば、14時着である。例の車掌たちは、ここで交代らしく、列車を降りて行った。すぐに出入国検査官が乗り込んできてパスポートチェック。これは問題なかった。税関検査も問題なし。車内には両替屋も乗り込んできたが、レートが極端に悪そうだったので両替はせず。

 列車は、延々ルーセ駅に停まっていた。なかなか出発せず暇だったが、隣のコンパートメントにスウェーデン人が乗っているのに気づき、そちらのコンパートメントに行って、話をしていた。このスウェーデン人は、インドを旅行していて、インドから陸路で帰ってきたという。インドからパキスタンに入り、イランを横切ってトルコに入り、トルコを抜けて、今、ブルガリアまでたどり着いたと言う。これから、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツを通って、スウェーデンまで帰るらしい。

 19:30、やっと列車は動き出した。ドナウ川を渡る。対岸はルーマニアのジョルジュである。駅に着くと、ルーマニアの係官が乗ってきて、パスポートチェック。スウェーデン人はビザ不要。私は、東京のルーマニア大使館でビザを取ってきていたが、係員は、「わざわざビザを取ってこなくても、日本人はここで無料でビザが取れたのに」

と言っていた。

 パスポートチェックのとき、スタンプだらけの私のパスポートが見えたらしく、スウェーデン人は、私のパスポートを見たいと言ってきた。それで、1枚1枚ページをめくりながら、スタンプの説明をしながら、行った国の話をしていた。

 すると突然、1人のじいさんが、

「おい、若造、えらそうな口たたいとるやないか」

と言いながら、コンパートメントに入ってきた。このじいさんは、自分を、チェコのオストラバ在住の世界旅行家と名乗り、世界の全ての独立国と、60以上の植民地を回って、訪問国数のギネス記録保持者であると自己紹介した。何でも、海外旅行歴55年で、世界の全ての独立国を回ってしまったので、今は、世界の全ての100万都市を回っている途中だと言う。全ての独立国を回ったギネス記録保持者は自分以外にも何人かいるが、世界の全ての100万都市を回った者はまだいないらしい。それで、一番乗りを目指しているのだそうだ。

インドから陸路で帰って来たと言うスウェーデン人旅行者(右)、世界の全独立国を旅行したと豪語するチェコ人のじいさん(左)。

 そのじいさんが、何を思ったのか、

「おい、若造。お前は南極に行きたいと思わないか」

と聞いてきたので、

「もうすでに南極には行って来ました。」

と答えると、

「南極と言うのは南極点だろうな」

と言うので、

「いえ、南極点はまだですが、中山基地と言う、中国の基地に3ヶ月ほど滞在しました。」

と言うと、

「南極点に行かずして、南極に行ったことにはならんよ、君!まあ、わしは行ったけど」

軽くあしらわれてしまった

スウェーデン人が、

「今まで行った国の中で、一番危ない目に遭ったのはどこですか?」

と聞くと、じいさんは、次のような話をはじめた。

「アフガニスタンも結構危なかったが、一番危なかったのと言われたら、やっぱりザイールじゃ。あれは、ザンビアからザイールに入ったときのことじゃ。国境を越えたところの村で、ルブンバシまで行きたいと言ったら、危険だから行くな、と言われた。それでも行きたいと言うと、一台のタクシーが、それなりの金を出すなら行ってやる、と言ってきた。それで、そのタクシーで行くことにしたんじゃ。客は当然わし一人と思っていたら、知らん男2人が乗って来る。わしの金でただ乗りのつもりじゃ。まあええわいと思ってルブンバシに向かったんじゃが、10キロも行かないうちに、兵士の検問に会った。民兵らしい。ただ乗りの2人の男たちは、タクシーを飛び降りて、草むらに逃げ込もうとした。それを見た兵士は、草むらに向けて銃を乱射したんじゃ。草むらから悲鳴がし、それから声が途切れたんじゃ。タクシーにはわしと運転手と2人が残ったが、当然、兵士に連行されることになった。とにかく、ルブンバシまで連れて行かれ、民兵のアジトのようなところで取調べを受けることになったんじゃ。もちろん、金目のものは全部巻き上げられた。そして、わしと運転手は並んで座らされ、取調べを受けた。取調べ中、わしはじっとしていたが、運転手は、座りなおそうと思って、ちょっと腰を上げたんじゃ。その瞬間、兵士は運転手を撃ち殺してしまったんじゃ。そしてわしに、『さっきの2人の男と言い、この運転手と言い、これらは皆、お前のせいだぞ』と銃口を向けながら言うんじゃ。このときばかりは観念したが、結局、わしは飛行機で国外退去となり、有り金全部取られたが、命だけは助かったんじゃ。」

 じいさんはその他にも、いろんな国の話をしていた。じいさんの話を聞いている間も、列車は全く動き出す気配がない。ジョルジュ駅に停まったままだ。もう、辺りは真っ暗である。列車の蛍光灯は壊れているので、常夜灯のような小さな電気しかない。コンパートメントの中も真っ暗だ。

 このじいさんも、車掌に切符は無効だと言われ、30ドルふんだくられたらしい。それで、2人で、車掌の悪口を散々言って、うさ晴らしをしていた。でも、不思議なことに、スウェーデン人は車掌から何も言われなかったし、ドルを請求されることもなかったらしい。

 ブルガリアでは列車は込んでいたが、乗客の大半はルーセで降りてしまい、車内はひっそりとしている。あまりに発車が遅いので、廊下に出て、駅の方を見ていた。すると、物陰から、若い女2人がこそっと出てきて、我々の隣の車両のドアを開けて乗り込んできた。しばらくして、2人の女は列車から降り、急ぎ足で立ち去っていった。きっと、かっぱらいの女だろう。駅停車中は荷物に注意しなければならない。ギネスじいさんが言うには、ルーマニアはヨーロッパでは一番治安の悪い国で、特に、ブカレストは最悪らしい。ブルガリアのソフィアも治安が悪いことで有名だが、ブカレストは更にひどいと言う。

 2時間以上経過し、午後10時を回ったが、列車はまだ動き出さない。それで、スウェーデン人が、「皆でお茶を飲もう」と言い出した。「お湯はあるの?」と聞くと、「沸かせばよい」と言う返事。そして、リュックから、鍋とアルコールランプを取り出し、コンパートメントの中で、しかも椅子の上で火をつけて、お湯を沸かし始めた!私はやめた方が良いと止めたが、スウェーデン人は、どうしてもお茶が飲みたいと言って聞かない。

コンパートメントのシートの上で湯を沸かすスウェーデン人。

 お湯が大分沸き立ってきたとき、急にコンパートメントのドアが開き、ルーマニア人の車掌が、「切符を拝見」と入ってきた。アルコールランプで鍋をあぶっていたスウェーデン人は驚いて、鍋をひっくり返しそうになったが、車掌はコンパートメントの椅子の上で火を使っていても何も言わず、切符だけを確認すると、「Thank you」と言って出て行った。本当ならば、我々はこっぴどく怒られるところだったのに、いいかげんな車掌である。スウェーデン人も、チェコ人のギネスじいさんも、「ああ、びっくりした」と胸を撫で下ろしている。だから、やめとけと言ったのに。

 23時、ついに列車が動き出した。やれやれだ。もし順調に走れば、1時間余りでブカレストに着くはずだ。外は寒い雨が降っている。


3月30日(金)

 午前0時過ぎ、列車はブカレスト北駅に到着した。本来、午後5時過ぎに着く列車だから、ほとんど7時間遅れである。スウェーデン人とチェコのギネスじいさんはブダペストに向かうと言うことで、別の列車に乗り換えていった。私は、とにかく駅前の Hotel Cerna にすべり込む。駅の両替所は閉まっていたので、ルーマニアレイを持っていなかったが、チェックアウト時に払うと言うことで泊めてもらう。1泊、315000レイ。桁が多いが、ドルに直せばたった13ドルである。

 翌朝、目を覚ますと、市内はうっすらと積雪していた。昨日の寒い雨が、夜半から雪に変わったらしい。今回の旅行は、最初のヘルシンキと最後のブカレストで雪に迎えられた。

ブカレストはうっすらと積雪。

 まず、両替に行く。200FF替えて、700000レイ。ということは、1レイ≒0.5銭。レイから円に換算するには、0を二つとって2で割ればよい。両替に行ったついでに近くを歩き回ってみたが、特に面白いものもない。ブカレストと言うのは見所に乏しい町だと聞いていたから、まあ、仕方ないか。

 今までの宿泊費を計算してみると、1泊平均3200円ほどで来ている。今回の旅行では、結構高いホテルにも泊まったので、もうちょっと行っているかと思っていたが、意外に安く収まっている。それで、今晩は、少しいいホテルに引っ越すことにした。1泊平均3500円にすることにして、逆算すると、今晩は70ドルのホテルに泊まればいいことになる。

 昼少し前に今のホテルを出、市内に出て行った。道を歩いていると、5分おきに誰かが声をかけてくる。チェンジマネーとか、ガイドをしてやるとか、物売りとか、日本が好きなので日本人と話をしたいとか、いろいろである。もちろん、全部無視。

 市内を散々歩き回ったが、どうもあまり気に入ったホテルがない。極端に高そうなところか、逆に極端に安そうなところしかない。2時間以上歩き回って、結局、Hotel Central という3つ星のホテルを発見。これは70ドルぐらいだろうとピンと来た。

 フロントで値段を聞くと、1泊69ドル!我がセンスもなかなかのものである。ここに泊まることに決める。部屋はなかなか上等。

 ホテルの部屋に入ると、机の上に、「あなたを犯罪から守るために」と書かれた警察のパンフレットが置いてあった。スリ、偽ポリス、強盗などの手口が書いてあり、それらへの対処法や警察の連絡先が書かれていた。

ホテルには、警察作成の防犯用パンフレットが置いてある。

 荷物を置いて、まず、洗濯。明日の飛行機で帰るのに、こんなに汚い服ではどうしようもない。着ている物をことごとく洗濯。着替えてさっぱりしたので、次は市内見物に行くことにした。

 部屋を出て、ホテルの廊下を歩いているときであった。まだ一部の部屋は清掃中らしく、ドアが開け放たれて、ルームメードが出入りしていた。そのうちのひとつを何気なく覗くと、部屋に置いてある、客のものと思われるカバンがことごとく開けられているのが目に入った。もちろん、ルームメードがそこから何かを盗む瞬間を見たわけではないが、それ以外に、メードが客のカバンを開ける理由はない。3つ星のホテルでも、客室に置いておく荷物には、きちんと施錠しなければならない。

 市内を数時間ぶらぶらして、インターネットカフェにも行って、それから夕食をとって帰ってきた。市内を歩いてみた感じ、ギネスじいさんが言うほど治安が悪いようにも見えない。こそ泥やスリは確かにいそうだが、かと言って、危険なわけでもない。これなら、アジア各国と同じぐらいの治安だ。

 市内にあった電光掲示板によると、気温は日中でも0℃。寒い一日であった。

ブカレスト市内の様子。


3月31日(土)

 午前中、市内を少しだけ見に行く。11時、バス停に行き、キオスクで切符を買って、空港行きの783番バスを待つ。なかなか来ない。半時間近く待って、やっとバスが来た。それに乗り込む。

 しばらくすると、若い男3人がバスに乗り込んできた。見た瞬間、スリのグループと分かった。そのうちの1人が私の隣に座り、もう1人が私の向かいに座った。残りの1人は、少し離れたところに座っている。すると、向かいの男がおもむろに、「今何時ですか?」と聞いてきたので、とりあえず時計を見せてやって反応を見た。本当にスリなら、いろいろアタックしてくるはずである。もちろん、荷物はきちっとガードする。

 向かいの男は、自己紹介をした後、友達になりましょうと言ってきた。そのあと、自分は日本に興味があるとか、空手が好きだとか、いろいろ言っていた。男はポケットから紙片を取り出し、今から面白い手品を見せてあげると言ってきた。なるほど、まず油断させておいて、それから手品を見せて、その間に横の男が私の財布を摺るという寸法か。

手品なんかしなくても、全部バレてるよ

と言うと、2人の男は、ばつの悪そうな顔をしながら、次のバス停ですぐさま降りてしまった。

 ここで、気を抜いてはいけない。あと1人、後ろの方に座っている。やはり予想通りであった。しばらくして、その男が、私の隣に席を移ってきた。それで、

「あんたの仕事仲間はさっき2人とも降りてしまったよ」

と言うと、この男も、バレてしまったのなら仕方ない、と言う顔をしながら、次のバス停で降りてしまった。

 ブカレストのオトペニ空港に12時過ぎに到着。

まるでゲームセンターのようなブカレストのオトペニ空港。

 ここから、一度パリに戻り、パリで乗り換えて関西空港までである。パリ行きのエールフランスAF1889便は午後2時過ぎに離陸。パリまで2時間半のフライト。パリで少し待って、午後8時過ぎ、今度は日本航空のJL426便に乗り継ぐ。ジャンボジェットだが、満席でうっとうしい。スチュワーデスの多くが、50歳代とおぼしき年齢なのでびっくりした。昔スチュワーデスをしていて一度退職した人で、子供が独立してまた時間的余裕のできた人をパートで採用しているとしか思えない。

 パリから大阪までは11時間のフライト。

東欧3週間の旅を終え、ブカレストからパリに向かう。


4月1日(日)

 関西空港に午後3時到着。

(おわり)


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