3月19日(月)今日はハンガリーに行くのであるが、スロバキアのビザを持っていないから、オーストリア経由で行くしかない。朝7時の普通列車で Breclav を出発。オーストリアに入ると、通勤客で込み合ってきた。ウイーン北駅に8時半到着。ここですぐに地下鉄でウイーン西駅まで行く。何とか、9時発のブダペスト行き特急列車(オリエントエクスプレス!)に間に合った。
オリエントエクスプレスでブダペストに出発。 列車はパリから来たもので、15両の長い編成で到着。定刻にウイーンを発車し、約30分で国境に着いた。今朝入国したばかりのオーストリアをわずか2時間で出国し、ハンガリー最初の駅、Hegyeshalom に停車。ここに来たのは18年ぶりである。当然のことながら、駅の様子は18年前とは全然違う。
列車内に、両替屋が乗って来る。チェンジマネーをしろとしつこいが、レートがいいはずはないので、断った。それでもなかなか立ち去らないので、ポケットに残っていたチェコのコルナを換えることにした。100Kc換えて、600Ft(フォリント)。と言う事は、1Ft≒0.5円。フォリントの価値は、18年前の10分の1になってしまった。
ハンガリーに入り、最初の停車駅はジョール。ここも、以前来たことがある。ジョールを出て少し行くとコマーロムを通過。ドナウ川の向こうに、スロバキアのコマールノの市街が見える。ハンガリーのコマーロムとスロバキアのコマールノとは、国境にまたがる双子都市である。ここも、スロバキア側のコマールノには来たことがある。
ドナウの対岸はスロバキア。 12時過ぎ、ブダペスト東駅に到着した。駅構内の両替所で300FF追加両替したが、レートは最悪であった。家に手紙を出したかったので、キオスクで絵葉書を買い、郵便局を探したが、見つからなかった。
ハンガリーに来たのは、単にユーゴスラビアへの通過のためである。だから、今日中に、南部の都市セゲドまで行きたい。セゲドに行く列車は、ブダペスト北駅から出る。そこで、地下鉄で北駅まで行くことにした。昔は1Ftのコインを自動改札機に投入する方式であったが、今は切符を買うようになっていた。地下鉄の切符は100Ft。100倍に値上がりしている。
地下鉄でとにかく町の中心のデアクテル駅まで行き、そこで一旦降りて郵便局を探すが見つからない。仕方ないので、また100Ftの切符を買い、北駅に行くべく、エスカレーターでホームに下りて行った。
エスカレーターで下っていくと、降り口のところに地下鉄職員が何人か立っている。ハンガリー人は素通りなのに、私だけ女性の地下鉄職員に呼び止められ、
「切符を拝見」
と言われた。それで切符を見せると、その女性地下鉄職員は私の切符を取り上げ、
「この切符は無効ですね。不正乗車の現行犯として罰金を払ってもらいます」
と言いながら、私の切符を私の目の前で破り捨ててしまった。
「ちょっと待ってーな、ねえちゃん。何でそれが無効やねん?ちゃんと上で買うたきっぷやがな!」
と言ったが、その女性地下鉄職員は、
「あ、そう。非を認めないつもりね?じゃあ警察を呼びます」
と言って、トランシーバーで警察を呼び始めた。一瞬の間に、他の地下鉄職員もやってきて、気が付くと、私は10人近い地下鉄職員に取り囲まれていた。彼らは口々に、ものすごい剣幕で、
「お前は不正乗車をしたんだ。交通局の規定に従い、罰金を払わなければならない」
と言ってきた。やられた!まんまとペテンに引っかけられてしまった!
こういうときは、まず、相手が本物かどうか見極めなければならない。もし偽者ならば、無視して逃げればよい。でも、残念ながら、彼らは本物の地下鉄職員であった。全員制服を着用し、胸には職員証をつけていた(ただし、裏向きに!)。
相手が本物ならば、とりあえず従わなければならないが、相手に領収書を要求するのがセオリーである。大体、罰金を払わせておいて懐にポコリンを目論んでいるので、こちらが領収書を要求すると、引き下がることが多い。
ところが、彼らは、こちらが言う前に、もうすでに領収書を切ってしまっていた。罰金金額1500Ftとなっている。
一体どうなっているんだ、これは?もしかすると、本当に私の切符は無効だったのだろうか?私が間違っているのだろうか?いやいや、そんな訳ない。切符はちゃんと窓口で買ったものだ。これはペテンだ。そうか、窓口もグルで、違う切符を売りつけられたのだ。そうに違いない。そして、トランシーバーで連絡したんだ。だから、エスカレーターの降り口のところでこいつらが私を待ち構えていたんだ。でも、わずか1500Ftの罰金のためにそこまでするだろうか?それに、領収書を切ると言う事は、罰金を取っても自分たちのものにはならない。にもかかわらず、何でこんなことをするのか?不正乗車を多く摘発すれば、報奨金でも出るのだろうか。
いろいろな考えが脳裏をかすめたが、はたと思い出した。私は今からセゲドに行くのであって、こんなところでこいつらと遊んでいる暇はないのである。本来私は罰金を払う必要は毛頭ないのであるが、750円の罰金だから、さっさと渡して、早く北駅に行かなければならない。そうしないと、列車に乗り遅れてしまう。悔しいが仕方ない。
1500Ft渡すと、彼らは、領収書の半券を私に手渡すとともに、領収書の控えの方にサインをしろと言ってきた。それで、「アホ バカ マヌケ」とサインしてやった。彼らはニコニコして、「You may go now. Good bye.」と言っていた。何が「Good bye」だ!
あとで領収書を見ると、ハンガリー語、英語、ドイツ語で「不正乗車につき、罰金として金1500Ftを領収したことを証する」と書かれていた。やっぱり、事情を知らない外国人ばかりを陥れるために特別に作った領収書だろう。職員がエスカレーターの出口のところで待っていて私だけを調べたことや、私の切符を破り捨てたこと、すぐにトランシーバーで警察を呼んだこと(結局警察は現れなかったが)、罰金の領収書にわざわざ英語とドイツ語が印刷されていること、いずれを考えても、交通局が組織ぐるみで外国人をターゲットにしてペテンを働いているとしか考えられない。ちなみに、後で他の旅行者から聞いたところによると、ブダペスト市営地下鉄の規定では、不正乗車をした乗客がすぐに認めれば罰金は600Ftだが、不正乗車を否認し、警察を呼ぶような事態になると罰金が1500Ftになるのだそうである。それで、あんなに急いで警察を呼んだのである。変に納得。
ブダペスト北駅に行くと、駅前に郵便局があったので、そこから絵葉書を投函。それから、セゲド行きの列車に乗った。セゲドに午後5時に到着。
さて、今日はここに一泊して、明日朝の列車でユーゴスラビアに入りたい。セゲドからはユーゴスラビアのスボティツァ(Subotica)まで行く普通列車が朝6時半に出ている。今日中に切符を買っておいたほうがいいだろうと思い、窓口に行ったが、国際乗車券は2階のオフィスで買えといわれ、2階に行ってみたが、オフィスは午前8時から午後4時までとなっており、閉まっていた。これでは、明日の朝6時半の列車の切符はもはや買えないではないか。それで、インフォメーションに行って聞いてみたが、今度は英語が通じない。それでも、相手の言うハンガリー語を想像で解読すると、どうやら市内にもオフィスがあり、そこで買えると言っているようだ。
言われた通りに行くと、確かにオフィスがあって切符が買えた。767Ft、思ったよりも安かった。オフィスも午後6時までなので、あと数分遅かったら閉まってしまうところだった。
今晩は3つ星の Hotel Royal に泊まる。12700Ft、約6000円。ちょっと最近高いところばかり泊まっている。高いホテルに泊まったついでに、夕食もちょっと贅沢をして、ホテル内のレストランでハンガリーの伝統料理。目の前で作ってくれる。美味しかったが、やっぱり高くて3000Ftもした。
目の前でハンガリーの伝統料理を作ってくれる。
3月20日(火)昨晩は蚊で寝られなかった。何で冬に蚊が出るねん?寝不足のまま、朝6時にホテルをチェックアウト。市電で駅まで行く。
6時35分発のスボティツァ行き普通列車は、わずかに2両の編成、しかも、私の車両には、乗客は自分を含めて2人だけ。
ハンガリーのセゲドからユーゴスラビアのスボティツァまで、普通列車で行く。 列車は約30分で国境の Roszke に到着した。ハンガリーの出国手続きをする。これは簡単。そこから約10分で、今度はユーゴスラビア最初の駅 Horgosh に到着。パスポートコントロール、税関検査。税関では、外貨持ち込み申告書に記入する。これを怠ると、出国時に所持金全てを没収されるという、恐ろしい制度である。ただ、実際には、出国時に検査されることは少ないらしく、申告しない人も多い。でも、できることなら申告しておいた方が安心であることは言うまでもない。
ユーゴスラビア領に入ったが、乗って来る地元の人たちは依然としてハンガリー語を話している。ユーゴスラビアの北部には、ハンガリー人が住んでいるのだ。セルビア民族主義の吹き荒れる中、ユーゴスラビアに住むのは大変であろうと想像する。
午前8時30分、終点のスボティツァに到着した。駅構内の両替所で残っていたハンガリーフォリントをユーゴディナールに替えようとするがダメ(当然か)。フランスフランもダメ。米ドルまでもがダメ。それで、市内の銀行に行ってみたが、やはりフランスフランも米ドルもダメ。どうなってるんだ、ここの国は?米ドルが両替できない国など、初めてだ。
銀行の窓口のじいさんが言うには、ここで替えられるのは、唯一オーストリアシリングだけだそうだ。ラッキー、ウイーンで使い残しのシリングがちょっとだけポケットに入っている。350シリングを替えて、1500 DIN(ユーゴスラビアディナール)。ということは、1 DIN≒2円。
ちなみに、ユーゴスラビアで一番いいのはドイツマルクで、これは両替しなくとも、1DM=30DINのレートでそのまま使える。と言うより、ユーゴスラビアでは物の価格がドイツマルク建てで決まっており、ただし、自国通貨のディナールでも支払い可、というおかしな状況になっているのだ。これを見ても分かるように、ユーゴスラビアの国民は、誰もディナールを信用していない。まあ、1ヶ月で価値が30分の1になり、毎年のようにデノミをしなければならない通貨など、信用する人がいるはずもないが。
さて、今までは東欧レールパスで旅行してきたが、ここからはバルカンパスを使用することになる。ユーゴスラビア、マケドニア、ギリシャ、トルコ、ブルガリア、ルーマニアの6ヶ国の鉄道に通用するパスである。最初に使用するときは駅でスタンプをもらわなければならないのも他のパスと同じ。
ところが、スボティツァ駅の窓口でパスを提示し、スタンプを押してほしいと申し出ると、
「これは切符ではない。切符でないものにスタンプは押さない」
と突き返された。いくら説明してもダメ。窓口の人はかたくなに拒否しつづける。
しばらくすると、人が代わったので、スタンプを求めると、やはり
「これは切符ではない。切符でないものにスタンプは押さない」
と、全く同じことを言われた。でも、
「趣味で駅のスタンプを集めているのでここに押してほしい」
と口からでまかせを言うと、この人はスタンプをポンと押してくれた。これでこっちのものである。
スボティツァの駅で2時間ほど待って、ノビサド行きの列車に乗り込んだ。昼過ぎにノビサド着。ここでベオグラード行きに乗り換える。NATO軍の空爆により破壊された鉄橋は、橋げただけがそのまま残っている。今は、新しい鉄橋がその横に架けられている。
NATO軍の空爆で破壊されたノビサドの旧鉄橋。 ベオグラードには午後3時に着いた。ユーゴスラビアまで来たら、少しは暖かくなるかと思ったが、逆にハンガリーより寒いくらいだ。まず、今晩の宿探し。駅前のホテルは1泊55ドイツマルクと言うが、そんなにドイツマルクを持っていない。ディナールなら1600ディナール、ドル払いは不可と言う。つまり、泊まれないと言うことだ。私が持っているのは、さっきオーストリアシリングから替えた1500ディナールだけだ。
仕方がないので、今晩の夜行でマケドニアに行くことにする。ドイツマルクを持っていないので、何をするにもお金が足りない。そのくせ、手持ちの1500ディナールは手に余る。ドイツマルクへの再両替はできないからだ。つまり、ユーゴスラビアにいる間に、このディナールは使ってしまわないと無駄になる。
考えて、今晩の夜行列車はクシェット(簡易寝台)に乗ることにした。乗車券はバルカンパスを持っているから、寝台券だけ買えばよい。600ディナール。これで、残り900ディナールである。
ベオグラードのカフェの親切なマスター。 夕食300ディナール、車内での食料150ディナール。ユーゴスラビアの人気歌手のCDを買い、300ディナール。その他、ちょこちょこ買い物をして、大体使い切った。
夜行列車は午後9時15分発。マケドニアのスコピエを経由して、ギリシャのテッサロニキまで行く列車である。空いていたので、クシェットのコンパートメントは1人で占有。クシェットは内側からドアをロックできるので、安心して眠れる。昨晩は蚊で寝られなかったこともあって、乗ってすぐに寝込んでしまう。
3月21日(水)午前1時半、ニシュ(Nish)に停車。南部ユーゴスラビアの中心的都市である。2時過ぎ発車。午前4時半、国境駅のプレシェボに到着。パスポートコントロール。外貨申告書のチェックなし。ちゃんと入国時に申告したから問題はないはずだが、それでも、チェックされるよりはされない方が良いに決まっている。午前5時半発車。
続いて、マケドニア最初の駅タバノフツェに停車。ここで入国手続き。問題なし。
午前7時、マケドニアの首都スコピエに到着した。駅から徒歩10分のところにあるユースホステルに行くが、まだ朝早かったのでチェックインできず、またあとで来いと言われた。
適当に市内をぶらついて時間をつぶす。両替所で40ドル替えて2777 DEN(マケドニアデナール)。1 DEN≒2円。
マケドニアに移動し、スコピエ市内をぶらぶら歩く。 知り合いに絵葉書を送ることにして、売店で絵葉書を11枚買う。公園のベンチに座って絵葉書を書き、そのあと中央郵便局に行って投函した。そのうちに昼近くになったので、ユースホステルに行く。今度はチェックインできた。1泊1590デナール。あまり安くない。
午後から市内観光。要塞跡を見る。昼食280デナール。博物館に行ったが、長期休館中。残念。
スコピエの要塞跡。 街を歩いていると、ムスリムをかなり多く見かける。白い帽子をかぶった老人や、ベールで顔を隠した女性が割合多く歩いている。市内にはモスクもかなりある。そういえば、今朝、列車の窓から外を見ていたが、心なしか、モスクのある村はみすぼらしく、教会のある村はきれいに見えた。「民族差別」という言葉が見え隠れする。
スコピエは一国の首都にしては田舎町だが、治安が良く、安心して歩けるのが良い。でも、物価は結構高い。
夕方、駅に行った。明日、ギリシャのテッサロニキに移動である。ギリシャ行きは一日1本、午前7:15の特急列車だけである。要するに、今日、私がベオグラードから乗ってきたあの列車である。昨晩はクシェットに乗ったので座席指定券は不要であったが、明日は普通席に乗るので、座席指定券が必要かもしれない。それで、座席指定券が必要かどうか聞き、もし必要ならばそれを買うつもりで駅に行ったのである。
駅の国際乗車券発売窓口でバルカンパスを提示し、ギリシャ行きの列車は座席指定が必要かどうか聞くと、
「座席指定券は要らないが、乗車券を買う必要がある。君の持っているバルカンパスとか言うのはどういう切符だか知らないが、これでは乗れないから、テッサロニキまでの乗車券を買いなさい。」
と言われた。何たること!ここでも昨日のスボティツァ駅と同じである。駅員はバルカンパスを知らないのである。押し問答しても仕方ないので、引き下がる。自分としては、座席指定券が必要ないことさえ確認できれば、それでよい。
マケドニアのパンはドーナツ形(同じようなパンは、ギリシャやトルコでも見かける)。
3月22日(木)予定通り、午前7:15の列車でギリシャに向かった。途中、バルダル川に沿って、景色のきれいなところを走る。
9:40、マケドニア最後の駅、ゲフゲリアに着いた。駅の銀行で、残ったマケドニアデナールをドイツマルクに再両替。出国手続きは簡単。
10:20、ゲフゲリアを出発。わずか3分で、ギリシャ最初の駅、イドメニに着いた。ギリシャ時間11:23、マケドニアとギリシャとで時差が1時間ある。
ここでは、全員列車を降りて駅のポリスに行き、入国スタンプをもらう。マケドニア人はともかく、日本人の私はギリシャ入国に問題なかろうと思っていたら、私が一番問題だった。他のマケドニア人たちは次々とパスポートを返却されるのに、私のパスポートは一向に戻ってこない。最後に係官から、「君には聞きたいことがある。ちょっと中に入れ」と言われて、事務室に連れて行かれた。
行くと、「ギリシャに入国する目的は?」とか、「所持金はいくら持っているのか?」「これからどこに行くのか?」などの質問を浴びせられた。更に、係官は私のパスポートを持ったままコンピューターに何か打ち込み、ずっと画面を凝視している。ブラックリストと照合しているようである。私のパスポートはいろんな国のスタンプが所狭しと押されているので、時々このようなことがある。しばらくして、パスポートが無事返却された。普通は、最後に麻薬犬のお出ましとなるのであるが、ここでは犬は出てこなかった。
この駅で、とても感動的な場面に出会った。実は、ゲフゲリアから、老夫婦が乗車してきたのであるが、この老夫婦は、列車にわずか3分乗っただけで、ここイドメニで降りたのである。そして、息子さんと思われる、出迎えに来た男性と涙を流して抱き合っているのである。きっと、何らかの理由で、親子が国境をはさんで離れ離れになってしまったのだろうと思う。列車で3分といえば、おそらく歩いてでも来られる距離である。その間にある国境が、それを阻んでいるのである。国とは何なのか、そして、それらを隔てる国境とは何なのか、考えさせられる思いがした。
12時、イドメニを出発。しかし、10分も走らないうちに、再び停車。信号機の故障(?)で列車は30分以上足止めを食らった。
テッサロニキに午後1時半に到着。さすがギリシャは南国である。太陽がさんさんと降り注ぎ、町全体が明るい。ちょっとオーバーに言えば、早くも日本の初夏のよう。
市内の銀行で両替。500FF替えて、25700ドラクマ。1ドラクマ≒0.3円。
今日はどういうわけか、えらくお腹がすいたので、まず昼食に行った。あれもこれも頼んで食べたまでは良かったが、気が付くと、4000ドラクマも食べてしまっていた。ちょっと食べすぎ。
ギリシャのテッサロニキに着いて、ほっと一息。でも、食べ過ぎた。 駅近くの安そうなホテルに泊まる。外から見ると安そうだったが、聞くと、一泊8000ドラクマという。ちょっと高いが、一泊だけなので妥協する。
3月23日(金)朝8時半の列車でギリシャ東部の街、アレクサンドロポリスに向かう。次の目的地はトルコ。イスタンブールまで一日で移動することもできなくはないが、途中で一泊した方がゆっくりできる。
列車はあるときは平原を走り、あるときは渓谷を走り、あるときは石灰岩台地のようなところを走り、またあるときは山の中を走って、テッサロニキから7時間かかってアレクサンドロポリスに着いた。でも、この列車はここで終点ではない。まだ先まで行くのである。そもそも、この列車はテッサロニキ始発ではなく、アテネから来たのである。まさしくギリシャの端から端まで走る列車である。
私はアレクサンドロポリス駅でなく、アレクサンドロポリス港駅で降りた。駅前の Hotel Bergina に泊まる。5000ドラクマ。これぐらいの値段なら、許容範囲。
港の様子や公園、魚市場などを見る。
アレクサンドロポリスの港。
アレクサンドロポリスの魚市場にて。