リトアニア→ポーランド→チェコ→オーストリア→チェコ


3月12日(月)

 今日はポーランドに移動である。朝一番に駅に行き、ポーランドの Suwalki までの切符を買う。33.20リタス。

 それからホテルに戻り、バイキングの朝食を食いだめ。食べていると、ホテルのマネージャーが出てきて、「日本の方ですか?」。聞くと、杉原領事の旧邸(旧日本領事館)がこの近くにあるという。第二次世界大戦中、ナチスから迫害されている人々を救うため、日本のビザを発行した領事である。当時、日本とナチスドイツとが同盟関係にあった中、ビザを発行し続けた杉原領事の勇気と正義感には敬服するほかない。

 旧日本領事館は、ホテルのすぐ近く、歩いて5分ぐらいのところにあった。リトアニアが攻め込まれ、首都のビルニウスが陥落したあと、カウナスが臨時首都となったとき、日本領事館がここに置かれて、杉原領事がここでビザを出し続けたのだそうである。門柱には、「希望の門、命のヴィザ」と書かれていた。

カウナスの旧日本領事館の門柱には、「希望の門、命のヴィザ」の文字が刻まれている。

 昼前にホテルを出て、駅まで行く。3両編成の列車で、国境の Sestokai まで。反対側に、ポーランドの列車が停まっている。これに乗り換え。14:05発車。14:20、リトアニアの最後の駅 Maskava でリトアニアの出国検査。14:40、発車。ポーランドに入る。時差が1時間あるので、時計が戻って14:05、ポーランドの最初の駅、Trakiszki に到着した。

リトアニア(左側)とポーランド(右側)の国境。

 ここでポーランドの入国審査であるが、私のパスポートは末尾に査証欄を増補してあるのを、偽造パスポートと疑われ、大もめ。係員は30分以上私のパスポートを調べていたが、最後には何とかスタンプをもらえた。国境で両替しておきたかったが、両替に行っている時間がなくなってしまった。

 Suwalki に午後3時に到着。この駅で列車を増結するので、少し停車時間がある。その間に駅に出て行くが、ここは田舎駅で、少なくとも、駅付近には両替のできるところはなかった。

 もうひとつ、ここからは、持参した東欧レールパスで乗車できるはずである。ただし、使用開始前に、駅でスタンプをもらわなければならない(ユーレイルパスなどと同じ)。Suwalki の駅でパスを提示し、スタンプをもらう。これでこっちのものである。これからは、ポーランド、チェコ、スロバキア、オーストリア、ハンガリーの5ヶ国の鉄道が乗り放題である。

 Suwalki でも両替ができなかったので、次の大きな町、ビアリストクに向かう。17:40着。駅前の銀行で500FF両替し、270Zl(ズロッチ)。実は、フランスフランから両替すると率が余り良くないのだが、前にアフリカに行ったときに替えたフランスフランが残っているので、それを使ったまでである。でも、本当は、フランスフランは置いておいて、あと1年待ってユーロに換えた方が使いやすいのではあるが。

 銀行で両替したついでに、近くにホテルがあるか聞いてみた。歩いて少しのところに、Hotel Jard という中級のホテルがあるらしい。行ってみる。一泊120Zlのところを、二泊で200Zlに値切って泊まる。韓国のオンドルのように、床が暖かい。

 このホテル内には、インターネットカフェがあるほか、ラジオ局のスタジオが2つ入っている。そのうちのひとつ、Radio Jard という、若者向けのFMラジオ局から、即席で出演を頼まれた。ホテルの支配人が部屋まで訪ねてきて、日本からのお客は珍しいからぜひ出演してほしい、ということであった。私としては、あんまり出たくはなかったが、先方から熱心に頼まれて、仕方なしに出演することにした。約10分間、DJがポーランド語で質問し、私が英語で答える。先ほどの支配人が通訳する。とこんな感じで進んだ。話の内容は、日本の町の様子、日本人の生活、今日本で話題になっていることなどなどの紹介である。まあ、面白い経験にはなったけれども、やっぱりこういうのは苦手である。

どう言う訳か、FMラジオに出演。


3月13日(火)

 朝から、ビアリストク市内の観光。教会をいくつか見る。美術館4Zl。歴史博物館4Zl。昼食は魚料理で6Zl。ポーランド語は全く知らないが、かなりの単語がロシア語に似ているので、何とか必要な用は足せる。

ビアリストクの市内。

 午後から、バスで郊外に行く。ここでも、教会などを見る。

 フライドポテトのことを、ポーランド語で Frytki と言うということが分かった。


3月14日(水)

 9:55の列車で、ワルシャワに向かう。12:05着。今日はカトウィッツェまで行くつもり。ここで列車乗り換えである。カトウィッツェ行きは、全車座席指定なので、乗り換え時間の間に座席指定券を駅の切符売り場に買いに行こうと思い、列車を降りた。

 駅構内を歩いていると、1人の老人が若い男に襲われ、財布を取られるのを見た。さらに、そこにたまたま2人の警官が通りかかり、男を捕まえようとした。男は激しく抵抗し、警官と男とが大乱闘。でも、最後には男は取り押さえられた。ワルシャワ駅には強盗が出没すると言う話は前から聞いていたが、早速のお出ましとなった。

 6Zl払って座席指定券を買い、Katowice まで行く。Katowice に午後3時過ぎに到着。

 とにかく、駅前を適当に歩いて、今晩のホテル探し。駅前の大通りを歩いていると、不審な男3人組が、私と平行に歩いている。殺気を感じたので、立ち止まって様子を見た。すると、やつらも立ち止まる。これはやばい。回れ右して、来た道を早足で戻ろうとしたその瞬間、3人組の1人が掴み掛かってきた。必死で振りほどく。あと2人も、掴み掛かろうとして来た。その前に全速力で逃走。昼間の大通りなのに、こんなことがあるのである。さっきのワルシャワ駅で、これは気をつけないといけないと思ったが、その直後に、自分も狙われることになってしまった。やはり、ポーランドは余り治安が良くないようである。

ポーランドの売店。

 結局、駅裏の Hotel Polonja という2つ星ホテルに泊まる。1泊朝食付きで110Zl。ちょっと高いなあ。どこかにユースがあるのかもしれないが、分からないので仕方ない。


3月15日(木)

 今日はポーランドを離れ、チェコを通過して、ウイーンまで移動の予定。ブダペスト行きのユーロシティーに乗り、ここからチェコの Breclav まで行き、そこで乗り換えてウイーンに入る予定をしている。ユーロシティーは、パスを持っていても追加料金が必要なはずである。駅で聞くと、21.50Zlの追加料金を払えと言われた。思ったより高かった。

 9:17のEC131で出発、すぐに国境の Zebrzydowice に到着した。ポーランドを出国。次の駅、Petrovice u Karvine でチェコに入国。いま、ヨーロッパでは口蹄疫が流行しており、チェコに入国する乗客は、皆、消毒液を染み込ませたマットの上を踏んで、靴を消毒しなければならない。マットを踏むと、牛乳のような白い消毒液がにじみ出てきた。私はスリッパ履きなので、やりにくいやりにくい。

 Breclav には午後2時に着いたが、ウイーンに行くにはここで乗換え。列車を待っていると、来たのはまたユーロシティーであった。追加料金は払いたくない。

 仕方ないので、とにかく乗るだけ乗って、オーストリアの最初の駅で降りることにした。国境を越えている間は、普通は検札に来ない。だから、検札が来る前に、オーストリアの最初の駅で降りるのである。

 Breclav を出て、オーストリアの最初の停車駅 Hohenau までの間、チェコの出国手続き。パスポートチェックと税関検査があったが、検札はなし。約10分で Hohenau に到着。ここで降りる。駅のプラットホームに検査官がいて、ここでオーストリアの入国手続きをする。

 ここからは、ウイーンまで普通列車がある。これで行けば追加料金不要だ。1時間ほど待たねばならないが、まあいいだろう。天気が良くない。今にも雨が降りそうなので、駅車内の待合室に行く。この駅にも両替所がないので、ウイーンに行ってから換えることになる。それまで、また無一文で過ごさなければならない。

 駅の待合室に行くと、日本人の旅行者が1人、やはり列車を待っていた。

「こんにちは。どちらへ行かれるんですか?」

「実は、チェコに行こうと思って朝の列車でここまで来たんですけど、気が付いたらパスポートが無くなってたんですよ。それで国境を越えることができなくて、朝からずっとここにいるんですよ」

「え〜っ、それは大変だ。すぐウイーンに引き返して、日本大使館に行かないと」

「それが、不思議なことに、パスポートは出てきたんですよ。どういうことか分からないんだけど、私のパスポートはチェコにあったんですよ。それで、今チェコから来た列車で持ってきてもらって、さっき受け取ったんですよ。それで、次の列車でチェコに行くのに、ここで列車を待ってるんですよ」

今チェコから来た列車と言うのは、つまり私が今 Breclav から乗ってきた列車のことである。

「つまり、チェコ行きの列車内でパスポートを落とし、人間だけが国境で降ろされて、パスポートはチェコに行ってしまった、というわけですね」

「それが、そうでないところが不可解なんですよ。私は、パスポートをウイーンの駅で無くしたんですよ。それに、私のパスポートはチェコのどこかで見つかったらしくて、とにかく、列車内じゃないそうなんですよ」

それにしても、不思議な話もあるものである。でも、パスポートが出てきて、何よりである。

 そんな話をしているうちに、ウイーン行きの普通列車の時間になったので、ホームに行く。雨が降り始めた。16:40に、ウイーン北駅着。駅前の銀行で500FF換えて、1010ATS(オーストリアシリング)。雨が更に強くなった。

ウイーン北駅に到着。

 10年前に学会でウイーンに来たときに泊まったユースホステルに行こうと思い、おぼろげな記憶をたどりながら、そのユースに向かった。最寄の地下鉄駅は覚えていたが、地下鉄を降りてからどう行くのが思い出せない。雨の中、その辺を歩き回って捜すが見つからない。そのうちに、日が暮れてきた。地下鉄駅に戻り、その辺の人に聞いて、やっと場所がわかった。行ってみると、確かにそのユースを発見、その瞬間に、全ての記憶が蘇った。でも残念なことに、ユースは夏だけで、今は学生寮になっていた。

 そこで別のユースを紹介してもらい、行ってみた。でも、満室。

 仕方がないので、近くにあった何とか言う長い名前のホテルに泊まる。1泊1280シリングと言われたが、ああだのこうだの言っていると、1000シリングでよくなった。それでも8000円もするが、もう私も学生ではないし、一万円以下なら我慢することにする。こんなに簡単に妥協するとは、まあ、やっぱり年ですね。


3月16日(金)

 ウイーンに来たのは、実はある目的があったのである。スロバキアのビザ申請のためである。10年前に来たときには、まだチェコスロバキアの時代であったが、ウイーンでビザ申請をすれば、15分ぐらいでビザがもらえたのである。今でもそうであることを期待して、スロバキア大使館に出かけていった。場所は、ホテルのフロントで聞くと、一発で分かった。

 スロバキア大使館はすぐに発見できたが、ビザは即日ではなかった。受け取りは来週の月曜日になると言う。それではダメである。ちょっと遅すぎる。ビザ申請中はパスポートを取られてしまうから、他の国に行くわけにも行かない。かと言って、来週月曜日までずっとウイーンにいる気もない。スロバキア行きは諦め。

 終日、ウイーンの市内をあちこち歩き回る。特に見るものもなし。

ウイーンの地下鉄。


3月17日(土)

 朝10時過ぎの列車で、ウイーン北駅を出発。再びチェコに向かう。プラハは10年前に来たから行くのはやめにして、ブルノが良さそうに思われた。Breclav で乗り換えである。

 Breclav に着いて、列車を待っている間に、はたと思いついた。ここの方が、ブルノよりもホテルが安そうである。それで、駅員にホテルがあるか聞いてみると、駅前徒歩5分のところに安いホテルがあるという。それで、とにかく行ってみることにした。

 そのホテルは、Hotel Terezka と言い、一泊 500Kc(チェココルナ)、2000円弱である。トイレは共同だが、バスは各部屋にあるという、ちょっと変わった作りになっている。それも、シャワーではなく、本物のお風呂。お湯もちゃんと出る。これで1泊2000円以下だから、これは安い。Breclav に泊まって正解(実はそうでないことが後ですぐに分かるのである)。

 午後から、ブルノを見に行く。切符は乗り放題のパスだから、自由自在に移動できる。ブルノまで、急行列車でわずか40分。

 ブルノは、割合大きな町であった。今日は土曜日で、ブレツラフでは食堂が開いていなかったので昼食抜きになっていたが、ブルノではいくつか食べるところが開いていた。そのうちのひとつで昼食。街並みも大変面白い。個人的には教会と言うものはあまり好きではないのだが、教会もひとつだけ見る。2時間ほどブルノの町を見て、ブレツラフでは食べるところが開いてそうになかったのでブルノで食糧を買い込んでから、普通列車でブレツラフまで帰ってきた。

ブルノの教会。

 ホテルに戻ってくると、部屋に置いてあった荷物の南京錠の番号が変わっていることを発見。何者かが開けようとしたらしい。でも、開けられなかったようで、被害なし。今日着いたばかりだからベッドメーキングするわけでもなし、だから、ルームメードの個人的犯行ではない。部屋の鍵はフロントに預けて出て行ったのだから、ホテルぐるみの犯行に違いない。要するに、フロントもグルである。ここのホテルのフロントは割合愛想がいいと思っていたが、話をするのもいやになった。


3月18日(日)

 日曜日なので、今日は休息。本当は今日ハンガリーに移動したいが、両替にやや不安があったので、余り国境を越えたくなかった。今までにも、休みの日に次の国に入り、両替に苦労した経験が山ほどあるからだ。

 午前中、近くのインターネットカフェに行く。1時間以上使って、60Kc。安い。少し買い物もする。昼過ぎにホテルに戻ってくる。

 今度は、誰かが部屋に入った形跡はなかったが、逆に、部屋の掃除もしてくれていなかった。ここのホテルは、従業員が客の部屋に入るのは、金品を物色する時だけらしい。

 午後、市内を散策。

ヨーロッパはどこも堂々とした建物が多い。


   


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