平成12年8月17日(木)タイ航空のTG623便で出発。JALとの共同運航便であるが、機体はタイ航空であった。11時45分関西空港発。バンコクに現地時間の15時10分着。
ここで2時間余り待って、バンコク発カラチ経由マスカット行きTG507便に乗り継ぐ。出発が少し遅れて、18時発。カラチに現地時間の21時着。カラチを21時50分発、マスカットに現地時間の22時10分着。
マスカット到着前に、機内で入国カードが配られなかったので不思議に思っていたが、どうやらこの国には入国カードというものはないらしい。入国審査官にはただパスポートを提出するだけ。入国審査官は、入国目的も滞在予定日数も聞かず、パスポートにビザがあるのを確かめて即スタンプを押してくれた。
100ドル両替して38リヤル100パイサ。1リヤル=295円ということになる。
私は原則としてホテルは予約しないが、今回は最初の一泊だけ特に予約してきていた。予約してきたのは、空港の近くの Seeb Novotel である。本来1泊100ドルほどする高級ホテルだが、サマーセール中とかで、1泊45ドルの特別料金だったからだ。飛行機の到着時間も遅いし、マスカットの空港は市内まで約40kmもあって遠いので、サマーセールならまあ最初の1泊ぐらい空港の近くのホテルに泊まってもいいか、と言うわけである。
これを見ても分かるように、中近東は夏がオフシーズンなのである。もちろん、余りにも暑すぎるからである。でも、降り立ったマスカットはそれほど暑くもなかった。これなら、気温は30度台であろう。日中の最高気温も、せいぜい40度である。それなら充分耐えられる。もちろん、日本よりは暑いが、ドバイやバハレーンでは最高気温が50度にも達するから、それに比べればマスカットの夏は楽勝である。
空港からミニバスに乗る。Novotel は空港からマスカット市内寄りに1kmほど行ったところにあった。バスに乗るほどでもなかった。ただ、Novotelは幹線道路から一筋中に入ったところにあり、幹線道路から直接行けなかったので、ガードレールを乗り越え、草むらの中を歩いて辿り着いた。洗濯だけしてすぐに寝る。
8月18日(金)朝食は45ドルに含まれているので、1階のレストランに行く。バイキング形式。腹一杯食べておく。
空港近くの様子。 Novotel は空港まで無料バスがあるので、それに乗る。空港前のミニバス乗り場で降ろしてもらい、ミニバスで市内に向かった。ルイ地区まで300バイサ(=0.3リヤル)。そこで別のミニバスに乗り換えてムトラ地区まで行く。100バイサ。
マスカットのムトラ地区。 降りて目の前にあった Corniche Hotel に泊まることにした。1泊10リヤル+税金10%だが、「ええ〜っ、そんなに高いんですか?」と言うと、税込みで9リヤルに負けてくれた。1泊2700円ほどということになる。ホットシャワー、冷房完備。それでも1泊2700円は痛いが、湾岸諸国はどこもホテル代が高いので、まあ仕方ないか。
金曜ということもあって、店は大体閉まっている。イスラム圏は金曜はだめである。こちらも休養日にして、昼からずっとホテルで寝ていた。
8月19日(土)朝早く目が覚めたので、外を見ると、早朝の礼拝のためにモスクに人々が集まっていた。それに合わせて、店も開いている。まだ朝の4時台なのにである。
朝5時にホテル前のスタンドで朝食。サンドイッチ200バイサ、紅茶50バイサ、ゆで玉子50バイサ。
午前中、ルイ地区を見に行く。国立博物館500バイサ。なぜか、アポロが持ち帰った月の石が展示してあった。次に郵便局に行って絵葉書を出す。その後サルタン護衛軍博物館に行く。1リヤル。これは結構面白い展示があった。参観するときは、本物の軍人が付き添って説明をしてくれる。オマーンはイエメンと国境紛争をしているらしく、「これは撃墜されたイエメン軍の飛行機の破片、これは捕虜になったイエメン軍兵士の衣服」などと一つ一つ説明してくれた。
ルイ地区。
サルタン護衛軍博物館にあった戦車の展示。 昼食チキン・ビリヤーニ600バイサ。午後からその辺を散策。
せっかくオマーンに来たのだから、マスカット以外の町にも行きたいと思って長距離バス乗り場に行ってみたが、バスは極端に本数が少なく、使い物にならないことが分かった。オマーン人は皆自家用車を持っているから、それでもいいのだろう。結局、他の町に行くのはあきらめ、マスカットにいることにする。
チキンビリヤーニ。
8月20日(日)今日は、自然史博物館を見に行きたい。メジナ・カブース地区にあるはずである。とにかく、ミニバスでメジナ・カブース地区に行く。
マスカットというのはもちろんオマーンの首都の名前だが、実際には一つの町ではなく、いくつかの町が集まってできた複合都市である。そのうちの一つが泊まっているホテルのあるムトラ地区であり、昨日見て歩いたルイ地区であり、今日見て歩くメジナ・カブース地区である。それ以外に、マスカット地区というのもある。マスカット地区と区別するために、複合都市としてのマスカットを大マスカット(Larger Muscat)と言うこともあるようである。
そろそろこの辺だと思われるところで、ミニバスの運転手に "Natural History Museum" と聞いてみるが、運転手も、たまたま乗り合わせた乗客も皆分からない。英語が分からないのか、それとも場所を知らないのか、はたまた両方か?
とにかくミニバスを降りて、通りがかったタクシーを片っ端から止めて聞いてみるが、どのタクシーも知らない。これではどうしようもない。
最後に1台、「多分あれだと思う」というタクシーが来た。値段交渉をして、500バイサで乗る。ところが、行って見ると、そこではなかった。タクシーは自然史博物館を探し求めてその辺をぐるぐる回った。最後に、近くの銀行で聞くと、そこにいた銀行員の全員が違う場所を教えてくれた!それらを一つ一つチェックして回る。これも違う、あれも違う…。こうして、いくつ目かでやっと自然史博物館に辿り着いた。
500バイサ払って降りようとすると、「こんなに苦労して探してやったのに何だ。2リヤル払え」と運転手は怒り出した。こっちははじめの約束通り500バイサを主張してけんかになった。でも、苦労して場所を探してくれたのは事実だから、1リヤルで折り合うつもりでいた。しかし、相手は2リヤルからびた一文下げてこない。いくら言ってもダメ。博物館の駐車場で延々交渉したがダメ。時間がもったいないので、やむなく2リヤル払う。要するに根負けした格好になってしまった。
入場料500バイサ。入り口に、日本語で「自然歴史博物館へようこそ」と表示があったが、"Nature and History Museum" ではなく、"Natural History Museum" なのだから、「自然史博物館」の方が正しいと思う。もちろん、英語が元のアラビア語の正しい訳になっているかどうか分からないが。
博物館では、オマーンの地質、地理、地下水と灌漑の仕組みなどの展示と、別の建物に鯨の展示があった。
自然史博物館を見学。 帰りは、幹線道路まで歩き、そこからミニバスに乗って、今度はオマーン博物館を見に行った。道が非常に分かりにくいが、何とか到着。入場料500バイサ。展示は昨日の国立博物館のものと大差なく、オマーンの民俗文化に関するものであった。
見終わってから、ルイ地区に戻って昼食。たまたま通りがかったレストランに入って食事をしたが、店員はとても親切である。店員と楽しく話をしていると、たまたま店内にいた客の中の一人のオマーン人が親しげに話しかけて来た。しかし、ちょっと馴れ馴れし過ぎるので、少し警戒していた。
食事を終えて店を出ようとすると、この男が、「どこに泊まっているの?」と聞いてきた。オマーンは治安の良い国だが、それでも泊まっているホテル名は明かさない方が良いのは言うまでもない。ただ、昔、タイで知らずに泥棒宿に泊まってしまったこともあり、そのときは地元の人との会話中にホテル名を正直に答えて、そこは泥棒宿であることを教えてもらって事無きを得たようなこともあり、ケースバイケースでなかなか微妙である。でも、やっぱりホテル名は明かさないというのが旅の安全管理の原則である。
そこで私はつい、いたずら心を起こしてしまった。どうせ今泊まっている Corniche Hotel の名を明かさないのなら、昨日泊まった Seeb Novotel の名前を出してやろう、はるばる40kmも離れた Novotel まで無駄足を運ばせてやろう、と思ったのである。それで、ホテル名を答えて、しばらくして重大なことに気づいた。「Seeb Novotel」と言うつもりで、口が勝手に「Corniche」と言ってしまったのである。要するに、言うときになって両方のホテル名が頭の中で混乱し、勘違いして言い間違ったのである。でも、言ってしまったものは仕方ない。
昼から、ムトラ地区にあるスーク(市場)を見に言った。大したことない。Tシャツ1.500リヤル。
夜、ホテルで寝ていると、部屋に電話がかかってきた。出ると、昼、レストランで会った男だ。やっぱり来たか。「眠い」と言って断るが、「降りて来い」の一点張り。男は最後には、「こっちから上がって行く」と言い出した。それはかなわないので、仕方なくロビーに降りて行った。別の男をもう一人連れている。わざとロビーの一番フロントに近い椅子に座る。
男は、
「今からディナーに行こう、マイフレンド」
とか、
「マスカットの夜景を見ながらドライブしよう、マイフレンド」
とか誘ってくる。もちろん、私はその手に引っかかるほどアホではない。
「もう私は寝ていたんだ。悪いが帰って欲しい」
と言うと、男は、
「実は、ウイスキーの飲めるところを知ってるから紹介するぜ。イスラム国で酒を飲むのも乙なもんだぜ、マイフレンド」
と言って来た。予想通りだ。たかりである。イスラム国のオマーンでは、堂々と飲酒のできるところはない。ただ、高級ホテルの外国人用バーなどに限って、酒を出すのである。そう言うところには、外国人と同伴でなければ入れないから、私を誘おうとしているのである。こんなのにホイホイついて行くと、ン百ドル払わされる羽目になる。
「行かない。行きたくない」
と断固拒否すると、
「どうしてなんだ、マイフレンド?」
と困ったような表情をする。ここで引いたら負けだ。
「マイフレンド、マイフレンドってうるさいな。ちょっと昼にレストランで話しただけで馴れ馴れしくするな。我々の話はすべてフロントに聞こえてるぞ」
と言うと、男は顔が引きつって、逃げるようにして帰って行った。
8月21日(月)帰国したらすぐ、次の旅行のためにインドのビザを申請するつもりでいたが、もしかするとここマスカットで簡単に取れるのではないか、ということに気づいた。ただ、もう明日の夜にはマスカットを離れるわけであるから、それまでに間に合わなければ申請はできない。
とにかく、ルイ地区にあるインド大使館に行った。受付で言うと、ビザ申請用紙を渡された。翌日発給という。OKだ。要写真2枚。申請用紙に記入し、窓口に提出すると、係の人は、
「今から大使に会ってもらいます。2階に上がって、1号室の大使を訪ねてください」
というではないか。えっ、ビザ申請に面接ですか?まるでどこかの国の留学ビザの申請みたい。でも、大使に会えるのも面白そうだし、行けと言われたのだから行くしかない。
言われた通り2階に上がり、1号室の大使に面会した。大使は言った。
「オマーン人ならビザは翌日に発給できるが、君にはビザはすぐには出せない。東京のインド大使館に照会を依頼し、回答が来てからになる。急いでも3日はかかるだろう。それに、通常のビザ代12リヤルに加えて、君の場合は東京までの通信費8リヤルが追加負担になる。それでも敢えて申請するかね?」
そう言うことならダメである。料金の高さもさることながら、こちらは明日の夜には出発するから、3日も待てない。と言うわけで、大使に丁寧にお礼を言い、インド大使館を後にした。
午後、暑かったがムトラ地区やルイ地区を見て回る。マンゴー4個で500バイサ。夕食に魚の料理1.500リヤル。
ワジ(地下水の川)。
8月22日(火)昨日買ったマンゴーはとてもおいしかった。オマーン滞在も今日で最後なので、まだ行っていないマスカット地区に行くことにする。マスカット地区の少し先に水族館があるということなので、タクシーで行く。1リヤル。見学無料。でも、水族館というよりは、海洋生物研究所のようなところで、理科室で標本を見ているような感じだった。
水族館の展示。海亀の頭蓋骨。 帰りはマスカット地区まで歩いた。マスカット地区で、丘の上の監視塔跡を見る。その後、Oman-French博物館を見る。500バイサ。ムトラまでタクシー相乗り200バイサ。
丘の上の監視塔跡。 昼から、スークでお土産に乳香などを買う。
夕方、食事を済ませてから出発。ミニバスで空港まで400バイサ。
タイ航空TG508便は23時15分発。
8月23日(水)カラチに現地時間の午前1時30分着。こんな時間なのに、大勢乗って来たので驚く。午前2時30分出発。バンコクに9時15分着。
バンコクに着いたとき、マスカットから夜行便で寝不足のために頭がボーっとしていた。その時、高級スーツをバシッと着こなしていい身なりをしたインド人らしき夫婦が近づいてきて、男の方が、
「今からJALで東京まで行くのですが、ゲートが分かりません。日本から来られた方とお見受けしますが、もしや、あなたもJALで東京に行かれるのではないですか?もしゲートがお分かりでしたら教えてくれませんか」
と丁寧な英語で言って来た。
「すみません、私は大阪に行くので違います。インフォメーションで聞いてください」
と言うと、この男は自分の財布を取り出して見せ、
「分かりました。そうします。それと、実は出発前に日本円を用意してきたんですが、どうも違う国の札をつかまされたのではないかと思って心配なんです。ちょっと見てくれませんか?」
と言う。見ると、男の財布には、なんと伊藤博文の千円札が何枚か入っていた。
「これは古い日本円ですよ。今は変わりました」
と言うと、夫婦で顔を見合わせて、
「やっぱり。あの両替商はどうも怪しいと思っていた」
などと言い、今度は女の方が、
「今後こんなことがあるといけませんから、新しい日本円をちょっと見せてください。ちゃんと本物を知っておかないと」
と言ってきた。
この時点でこの夫婦は相当怪しいのであるが、夜行便で着いたばかりで意識朦朧としていた私は、言われるままに自分の財布を取り出してしまった。普通は、大きな現金はパンツの中に入れ、財布には小額しか入れていないのであるが、何を思ったか、バンコク到着直前に、日本に着いたら日本円がいるからと思って、機内でパンツの中から日本円をすべて財布に移し替えていたのである。その財布を、ぬけぬけと取り出してしまったのである。その瞬間、男が私の財布にすっと手を伸ばしてきた。はっ、と我に返り、すぐに財布をしまい、
「私も日本円は持っていない。成田空港の銀行で騙されることはないから、ここで日本円を見ておく必要もないでしょう」
と言って、その場を離れた。危なかった。普段では絶対引っかからないようなトリックでも、頭がボーっとしていると、つい注意散漫になって警戒心を緩めてしまう。いくら意識朦朧としていても、この程度のトリックに引っかかりかけるとは、全く自分としたことが情けない。でも、被害に至らなかったのは幸いであった。路上ならば財布をひったくられている所だっただろうが、空港の中なのでひったくっても逃げようがないからすぐに捕まる。それで、この詐欺師夫婦は、ひったくるのではなく、私が財布から日本円を取り出したら、それを見るふりをして、その間に財布から何枚か抜き取るつもりだったようである。空港の中だったので助かった。
タイ航空TG620便マニラ経由大阪行きは定刻11時10分に出発。途中、マニラ空港に着陸。1時間ばかり待ち時間があるので、トランジットラウンジに行く。関空に21時20分到着。
(終わり)
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