セネガル→ガンビア→セネガル→フランス


12月28日(火)

 まず、ガンビアのビザ申請に行く。独立広場から少し西に行ったところに、Gambia High Commissionがあり、そこでビザの発給業務をしている。要写真2枚、手数料15000セーファーフラン。午前中に申請すれば、翌日午後受け取れる。

 ビザ申請が済んだので、インターネットカフェに行ってメールを見たりする。それから、博物館に行った。ここで、日本人旅行者らしい女性を見た。若い女性であったが、「I love Fukuoka」と書いてあるどろどろのしかもほころんだTシャツを着て、サンダル履きであった。それに、かなり日焼けしていた。きっと、アフリカ各国を周遊して来て最後にセネガルにたどり着いた、つわものの女性であろう。時々、そんじょそこらの男性では足元にも及ばないようなとんでもなくハードな旅行を続けている女性がいるから、驚いてしまう。

ダカールの博物館。


12月29日(水)

 午前中、市内をぶらぶらする。特に何も見るところはなし。昼から、ガンビアハイコミッションに行ってビザを受け取る。

 今日行ったレストラン・トゥランガのオーナーのにいちゃんは、一見するとマフィアのようにも見えるが実は優しいいい人だった。日本に興味があるらしく、日本の話題で盛り上がってしまった。2人のウェートレスも愛想が良かった。

レストラン・トゥランガにて。


12月30日(木)

 さて、昨日ガンビアのビザが取れたので、今日はガンビアに向かわなければならない。朝一番にガールルチエールに行く。ここでバンジュル行きの車を捜す。運良く、すぐに見つかった。

 例のごとく8人集まるまで1時間ほど待ったが、9時前には出発。コラックまでは道は良いが、そこから先は悪路になる。国境のカラングまで5時間弱かかった。午後2時前に到着。

サバナにそびえるバオバブの木。

ダカールからバンジュルに向かう相乗りタクシー。

南部セネガルの伝統的民家。

 セネガルの出国手続き問題なし。ガンビアの入国手続きも問題なし。こういう国境だと、気持ち良く通れる。ガンビアのイミグレでは、ビザセクションがあるのに気づいた。もしかすると、ここの国境でもビザは取れるのかもしれない。

 国境でチェンマネ。ここでも銀行らしきものはないので、闇で換えなければならなかった。500フランスフランが900ダラシ。1ダラシ=約9.5円である。今回訪れた4ヶ国は全て通貨が違うので不便である。セネガルはセーファーフラン、モーリタニアはウギヤ、ギニアはギニアフラン、そしてガンビアがダラシである。

 ガンビア側に入ると、看板はすべて英語に変わった。それにしても、このガンビアという国は変な国である。地図を見れば分かるが、ガンビア川の流域だけがこの国の領土であり、周りはすべてセネガルに囲まれている。映画ルーツの舞台は、ここガンビアの一小村らしい。

ガンビアはイスラム教国家。

 国境からバーラまでは、約30分で着いた。ここでフェリーに乗り換え。フェリーは午後3時発なので、それまで待つ。料金3ダラシ。フェリーを待っている間、私のスリッパが壊れかけていたので、靴修理屋が寄って来た。修理してもらう。手際良く直してくれた。ダラシのコインがなかったのでセーファーフランで払う。100フラン。

 ダカールから同じ車で来た人は、車の中でもずっと論文を読んでいたので聞いてみると、ガンビア国立大学の農学部の教授ということだった。つい去年までカナダに留学していたという。灌漑システムが専門らしい。私は地球物理学が専門だから、灌漑と関係のありそうな気象学の話などをしながらフェリーを待った。

 フェリーで対岸に渡ると、そこがガンビアの首都バンジュルである。フェリーの所要時間は約20分。バンジュル自体はぱっとしない田舎町であった。

 まずホテル探し。歩いていると、トゥランガゲストハウスというホテルを発見した。一泊80ダラシらしいが、部屋は狭くて汚く、シャワーは水シャワーが共同、トイレももちろん共同、鍵もきちんとしていなかった。ここはやめ。

 さらに少し歩いていると、アポロホテルと言うホテルを発見。こちらの方は割合まともなホテルであった。一泊125ダラシで、部屋にはシャワー・トイレ付き。しかも温水が出る。フロントもしっかりしている。ここに決定。

 バンジュルに隣接した町に、バカウとセレクンダがある。広い意味では、バンジュルとバカウとセレクンダとを一まとめにして、バンジュルということもある。バンジュルからバカウまではミニバスが頻繁に出ているので、夕方、バカウに行ってみた。バカウは海岸のリゾートで、ホテルやレストランがひしめいている。まるでバリ島のようなところであった。来たついでに夕食を取る。ヤッサというアフリカ料理を食べる。

ビーチリゾートのバカウ。


12月31日(金)

 まず、バンジュル市内にあるガンビア国立博物館に行った。展示は民芸品、ガンビアの歴史、ガンビアの自然、ガンビアの動物など多岐に亘る。入場料10ダラシの価値は十分にあった。
ガンビア国立博物館。

 そのあと、昨日はバカウに行ったので、今日はセレクンダに行った。バカウはリゾートであったが、セレクンダは町全体が市場のようなところで、非常に活気があった。ここのマンゴーパークレストランと言うレストランで昼食。ベネチンという名前のアフリカ料理。ご飯の上に魚と炒めた野菜が載っており、ソースをかけてある。なかなかいける。テレビでは、アフガニスタンでエアインデアの旅客機がハイジャックされた事件を繰り返し報道していた。レストランの従業員たちは、テレビに見入っていた。

マンゴーパークレストランのメニュー。

 腹ごしらえが済んだので、セレクンダから少し南に行ったところにある、アブコ自然保護区に行くことにした。いろいろな人に聞いて、やっと行き方が分かった。南に行くバスに乗り、ラミン村の少し手前で降りればよいらしい。自然保護区の入り口の前で、運転手が止めてくれた。入場料30ダラシ50ブツツ。この時、初めてダラシの下の補助単位ブツツのコインを手にした。

 自然保護区は要するに森の中に道が作ってあり、そこを歩くと野生生物が見られるというものであった。猿、鳥、トカゲ、亀などを見かけた。ワニ池もあった。さらに、中には動物園があり、ハイエナ、ライオンなどもいる。

 帰りにセレクンダでパパイヤ、バナナ、パイナップルを買って帰る。帰りのバスの切符売りの兄ちゃんが、「豊橋西」と書かれたジャージを着ていたので驚いた。おそらく、日本から古着を贈ったものが市場に流れて売られているのだろう。

「豊橋西」のジャージを着たバスの切符売り。


平成12年1月1日(土)

 記念すべき2000年の新年は、ガンビアのバンジュルで迎えることになった。ホテルの従業員は会うと皆、「Happy New Year!」と挨拶してくれる。ここのホテルは従業員が明るい。

バンジュル市内の様子。

 今日は旅行も休日にした。一日、部屋で新聞を読んだりしていた。新聞は、来るときにキャセイパシフィックの機内でもらった香港と台湾の新聞である。もう何度も隅から隅まで読んだが、また一から読み直した。何度読んでも、香港の新聞はふざけている。全紙面が芸能面のようだ。


1月2日(日)

 今日、ガンビアを後にして、セネガルに戻ることにした。フェリーでガンビア側を渡り、相乗りタクシーでコラックに向かう。一気にダカールまで行ってもよかったが、もうダカールも見尽くしたので、途中のコラックに一泊することにしたのである。コラックに昼過ぎに到着。

 昼食にステーキを食べた。値段は高くなかった。それからホテル探し。ホテル・アダマ・シールというホテルに泊まった。一泊9000フラン。

 コラックも、全く何もない町であった。ダカールまで、鉄道があるはずで、鉄道にも乗ってみたかったので駅に行ってみたが、駅は廃虚となっていた。廃線になったのだろうか。時刻表も切符売場もなかった。

 その後、市場を見て、市内をぐるっと回って帰って来た。夕方、近くの果物屋でパパイヤを買う。


1月3日(月)

 バスで、ダカールに向かう。ダカールまで3時間のはずが、途中で渋滞して、4時間かかった。それから、ダカール市内のほとんどすべてのバス停に泊まったのではないかと思うぐらい頻繁に停車したので、ガールルチエールポンピエに着いたのは、コラックを出て5時間後であった。

 今日も、パシャホテルに泊まる。部屋はまた310号室であった。ここのホテルは3回目だが、全部310号室であった。部屋に入ると、フェイスタオルはあったが、バスタオルがない。ファム・ド・シャンブル(ルームメード)に言おうと思ったが、いつも同じメードで、前に泊まったときから、人の顔を見るたびに「チップ、チップ」と言うので、避けていると、こないだなどは、「けちの中国人!」と嫌みを言われた。そんな訳で、話をしたくなかったので、まあ、バスタオルぐらいなくとも、フェイスタオルで体を拭いてもいいわい、と思って黙っていた。このおかげで、明日もめることになるのである。


1月4日(火)

 今晩の便でパリに戻ることになる。午前中、お土産などを買いに、市内に出ていった。民芸品や、アフリカ音楽のCD、それにTシャツを買う。

 それから、インターネットカフェに行った。1時間2000フランを先払いし、30分ばかり使ったところで、突然、停電が起きた。停電そのものは数分で復旧し、復旧後、カフェ内のパソコンも、1台を残して全部立ち上がった。しかし、インターネットに接続できない。聞いてみると、立ちあがらない1台がサーバーらしい。他のパソコンは全てそのサーバーを通してインターネットにアクセスするらしく、サーバーがダウンすると全部だめになるのである。店の従業員がサーバーをリブートしようとする。10分経ち、20分経ち、そして30分が経過したがサーバーは立ち上がらない。聞くと、「あと5分で立ち上がる」と言うが、やっぱりだめであった。

 私が見るに、突然の停電で、サーバーのOS(多分Windows NT)がいかれてしまったように見えた。これは、恐らくOSの再インストールが必要だろう。少なくとも、復旧に数時間はかかりそうだ。しかし、店員は、
「あと5分で必ず立ち上がる」
と言う。それで、
「もしあと5分で立ち上がらなかったら、(1時間分先払いして30分しか使っていないのだから)1000フラン返してくれ」
と店員に言うと、店員は
「一度払ったお金は返しません」
と言うので、こっちも頭に来てけんかになった。私だけではない。隣のオーストラリア人や、少し離れたところにいたフランス人も怒り出した。知っている限りのありったけのフランス語の単語を総動員して、とにかく大声で相手に詰め寄って、ようやく1000フラン返してもらうことに成功した。

 ホテルに帰ってくると、いつものメードが、血相を変えて走って来た。
「ボンジュール!サヴア?」
と言うと、
何がボンジュールだ、この泥棒野郎!バスタオルを返せ!
と怒鳴りつけて来た。それで、事情が飲み込めた。バスタオルを盗んだと疑われているのだ。でも、昨日チェックインした時から無かったものは無い。部屋を開けて、
「では、部屋を全部見てください。どこにも隠していませんよ。バスタオルなんか盗むわけないでしょう」
と言ったが、
「部屋はもう既に隅から隅まで見た。怪しいのはお前のカバンだ」
と言ってくる。カバンには鍵をかけていたからである。それで、私は、
「じゃあ、カバンを開けて見せましょう。でも、証人が必要です。このままフロントに持って行って、そこでマネージャー立ち会いの下で開けますから、一緒に来なさい」
と言った。すると、メードは、
「それはだめだ。ここで開けなさい」
と言うので、押し問答になった。こっちも、部屋の中で2人だけのときに下手にカバンを開けて何か抜き取られたり、あるいは、「カバンにバスタオルを隠しているのを見た」と嘘を言われたりしても困るので、「フロントで開ける」と言って譲らなかった。インターネットカフェに続いて、ここでもフランス語で喧嘩なので疲れる。結局、メードは最後には諦めて出て行ったが、まだ部屋の外から、
「バスタオルを盗んだことを黙っといてやるから、口止め料をよこせ!」
と言っていた。

 午後8時、ホテルをチェックアウト。タクシーで空港まで行く。エールフランスは午後11時50分発だったが、午後8時30分に空港に着いたときには、すでにチェックインは始まっていた。アフリカは空港での作業が遅いので、ヨーロッパ行きのように乗客の多い便は、3時間以上前から手続きを始めないと間に合わないのである。それでも手続きは遅れ、結局、エールフランスが出発したのは、0時30分頃であった。


   


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