セネガル→ギニア→セネガル


12月22日(水)

 ダカール市内を観光する。マーケットや、独立広場、それにあちこちの店を見てまわる。昼食は道を歩いていて見つけたレストランに入ったのだが、入り口からは普通のレストランにしか見えなかったのが、中に入ってみるとブドウ棚のオープンテラスのいいレストランであった。お昼の定食が2900フラン。これで、ステーキ、ポテト、ライス、サラダ、スープ、パン、ソフトドリンクが付いている。

 午後から、カメラを探す。砂のせいで壊れたからだ。しかし、なかなかカメラを売っているところがない。写真屋はあちこちにあるのだが、いずれも現像してくれるだけで、カメラを売っていない。やっとのことで、市場で中古のカメラを発見。35000フランと言うので、値切るが、値切り交渉もうまく行かない。しぶしぶ、28000フランで妥協した。でも、見たところ、10000フランぐらいの価値しかないように見えた。


12月23日(木)

 午前7時、ホテルを出発。まだあたりは真っ暗である。タクシーで空港まで。3000フラン。どうやら、3000フランが公定料金らしい。パリから着いたときは、深夜だったにもかかわらず2500フランで来たが、これは特に人の良い運転手に当たったのだったようだ。

 ガーナ航空GH531便で出発。9時定刻に動き出した。機体はDC−9であり、イタリア語の表示があることから、アリタリアのお古らしい。乗客はまばら。この便は知る人ぞ知る「アフリカ西海岸各駅停車」と呼ばれている便で、セネガルのダカールを出発し、ガンビアのバンジュル、ギニアのコナクリ、コートジボワールのアビジャンを経由してガーナのアクラまで行く。それでも元々より経由地が減ったのであって、以前は、カナリア諸島のラスパルマスを出発し、セネガルのダカール、ガンビアのバンジュル、ギニアのコナクリ、シエラレオネのフリータウン、コートジボワールのアビジャンを経由してガーナのアクラまで行っていたから、もっとすごかったのだ。

ガーナ航空機の機内。

 フライトタイムわずか20分でバンジュルに到着。せっかくガンビアに来ているのに、ビザがないのでストップオーバーできない。

ガンビアのバンジュル空港ターミナル。

 バンジュルで降りた人は3人だけであったが、乗る方は沢山乗って来て、 DC−9は満席になった。ほとんどの国がフランス領であった西アフリカにあって、ガンビアもガーナも元イギリス領であったために、両国は割合に関係が深いらしい。

 バンジュルで1時間停まって、10時20分にバンジュルを離陸、ギニアのコナクリに向かう。約50分で定刻11時10分に到着。空港に降り立って、むっとする真夏の蒸し暑さに迎えられた。モーリタニアは寒く、セネガルは涼しく、そしてギニアは暑い。

 ギニアという国は、元フランス領でありながら独自路線を貫いている。たとえば、通貨としてセーファーフランを用いず、独自通貨のギニアフランを使っている。また、ここのフランス語は他と少し表現が異なっているものが多い。たとえば、空港にも「アエロガール、コナクリ」と表示がある。「アエロポール」とは言わないのである。バスターミナルも「ガール・ルチエール」と言わず、「ガール・ヴォワチュール」と言う。

 コナクリでの入国も色々不愉快な目にあうことが多いと聞いていたが、入国、税関共にすんなり通過した。

 ここの空港の銀行も閉まっていた。闇両替屋に両替してもらう。500フランスフランをギニアフランに換えて、120000ギニアフラン。1ギニアフラン=0.07円のレートである。全部5000フラン札で来た。手垢にまみれて、真っ黒のぼろぼろの札ばかりである。

 タクシーの運転手たちが、「コナクリ市内まで10000フラン」と声をかけてくるが、無視。空港前の通りを多数車が通っている。直感的に、バスがあると感じた。

 予想は的中、市内に行くというミニバスがすぐに来た。たったの300フラン。わずか20円で市内まで行くことができた。

コナクリの市バスの中で。

 11月8日広場近くで降り、歩いてHotel Casa Aluというホテルまで行った。コナクリにはホテルが数軒しかなく、ホテルの場所だけは情報を得ていたので迷わなくて済んだ。一泊30000フラン。部屋は汚いバス・トイレ付きだが、まるでねずみかムカデでも出そうなところであった。ロシア製のクーラーが付いているが、やたら音が大きくてうるさいだけで、全然冷えない。しかも頻繁に停電する。

 このホテルは、市内の中心部からは少し離れているので、ミニバスで市内まで行く。150フラン。まず、帰りの便のリコンファームをしなければならない。帰りは27日のロイヤルエールモロッコである。ニジェール通りにあるモロッコ航空のオフィスに行ったが、閉まっていた。それで、銀行に行って追加両替しようとしたが、銀行も閉まっていた。それで、市場で絵葉書を買い、郵便局に行って家や友達にはがきを出した。そのあと、レストランでミートスパゲッティートマトソースというのを食べた。5000フラン。

 ギニアの公用語はフランス語である。ここでも、英語は全く通じない。どこに行ってもフランス語で話さなければならない。

ミートスパゲッティーを食べたレストラン。

 帰りもミニバスに乗った。バスの中は長椅子になっているのだが、乗った瞬間、右隣に座っている男の様子がおかしいことに気づいた。荷物を水平に持って膝の上に置き、目が泳いでいる。これはスリだと思った。左隣に座っている男はスリではない。しかし、右のポケットにはお金は入っていなかったので、わざと無防備なふりをして様子を見てみた。果たして、右隣の男はしばらくすると左手をするすると伸ばして来て、私のポケットの中を探り始めた。相手が行動を起こす前に、私は相手がスリであることを見破ってしまった。そのうち、11月8日広場に着いたのでバスを降りた。もちろん、何の被害もなし。

 今日、私がダカールから乗ってきたガーナ航空GH531便は、コナクリで我々が降りた後、次にコートジボワールのアビジャンに向かった。帰国してから知ったことだが、本日12月23日、コートジボワールでクーデターが起こって、アビジャン市内で軍人が反乱を起こし、アビジャン空港も閉鎖されたのであった。コナクリから飛び立った同便は、アビジャンで足止めになったのだろうか。私は一つ手前で降りて、助かったと言える。


12月24日(金)

 午前中、エコバンクと言う銀行に行って500フランスフラン追加両替した。129500ギニアフラン。空港での闇両替より少し良かった。

 それからモロッコ航空オフィスに行った。大分待たされたが、リコンファーム完了。市場を見たりする。そのあと、道を歩いて見つけたRestaurant LegendでAtieke poulet avec du rizというアフリカ料理を食べる。6500フラン。

 昼から、市内を見て歩く。郵便局にもう一度行き、昨日はがきを出さなかった人にも手紙を出す。

 市内で、白人の乞食を見た。


12月25日(土)

 今日は、ホテルの近くを歩いてみた。この辺は高級住宅街のようである。新築のきれいなアパートもあるし、ギニアビサウやコートジボワールの大使邸もある。さらに少し行くと、Hotel Camayonneという高級ホテルもあった。

 昼食は市内に行って、レバノン人の経営するファーストフード店に行った。ギニアにはレバノン人が多い。レストランや商店を経営している。レバノン内戦や中東戦争の時に逃げて来たらしい。このファーストフード店のレバノン人のマスターも中東戦争のときに逃げて来たという。このレバノン人は英語が話せたので、不便なフランス語はやめて英語で話をする。昨年、ベイルートに行った時の話などをする。

 食事が終わってなお和やかに話をしていると、急に、体格のよい黒人が3人入って来てテーブルに座った。この3人は、英語を話している。それに気づいたレバノン人のマスターは急に下を向いてしまい、黙りこくってしまった。黒人のウェートレスが、フランス語で応対する。

 雰囲気がおかしいのに気づいた私は、じっと黙って座っていた。英語を話す黒人たちは、やがて食事を済ませて出ていった。するとレバノン人マスターも元のように明るくなり、また英語で話し始めた。でも、なぜさっきは英語を話せないふりをして黙ったのかを聞くのはやめた。

 あとでよくよく考えると、あとから入って来た3人の黒人は、シエラレオネ人かリベリア人だったのではないだろうか。と言うのも、ギニアの隣国で、英語を話す国はシエラレオネとリベリアだけだからだ。両国とも内戦をしており、それで難民が大量にギニアに流入して来ている。難民に混じって、ならず者もかなりギニアに来ており、内戦のどさくさで手に入れた武器を持ってコナクリ市内で強盗を働いていると聞いたことがある。レバノン人のマスターが急に緊張して英語を話せないふりをしたのは、そのためだったのではなかろうか。


12月26日(日)

 今日は日曜日なので、多くの店が閉まっている。食堂も開いていない。市場でバナナとオレンジを買う。

 昼には、高級ホテルのHotel Camayonneに行って、そこのレストランで食事をすることにした。昨日は外から見ただけだったが、今日はホテルに入った。中は冷房が効いていて涼しい。ロビーにはお土産ショップがあり、ビジネスセンターではインターネットも使える。プールもあり、バカンスの白人客たちが泳いでいる。その先に海の見えるレストランがあり、そこで、チリソース煮に似た、ピリ辛のえび料理を注文した。25000フランもしたが、たまにはこんな贅沢もいいと思う(と言っても、日本円に直せば1700円ぐらいだが)。

高級ホテルの Hotel Camayonne。


12月27日(月)

 もう、コナクリで見るところはなくなってしまった。今日の午後のモロッコ航空でダカールに戻るわけだが、かと言って、午前中にどこか見に行くところもない。

ホテルの従業員たちがヤシの実を取ってくれた。

 昼にホテルを出発。ギニアフランがまだ残っているので、マラリアの予防薬を買い、なるべく使い切るようにする。それでもまだ残るので、空港までタクシーに乗ることにした。

 運転手に空港内には入らなくてよいと告げて、空港前のロータリーで下車。近くの食堂で食事を取った。原地人用の食堂で、薄暗く汚い部屋の中にテーブルが三つ置いてあった。メニューはハヤシライスのようなぶっかけご飯だけ。洗ったのかどうかも分からないような食器に盛ってくれ、ハエがぶんぶん飛んでいる中で食事。300フラン。

 空港での手続きはごった返していた。ギニアでは、出国のときに税関で難癖をつけられて賄賂を要求されることがある、と聞いていたので、やや緊張する。案の定、カバンを開けろと言われた。

 ところが、私がカバンを開けたとたん、後ろからフランス人バカンス客らしい5人組がやってきた。それを見た係員は、私を相手にするよりも、そのフランス人の方が金になると思ったようで、せっかく私がカバンを開けたのに、中身も見ずに、「行け」と言った。そんな訳で、賄賂を要求されずに税関を無事通過した。

 待合室で、フランス人5人組が来るかどうか見ていたが、なかなか出てこない。どうやら、税関で相当もめているようである。フランス人たちが出て来たのは、30分以上経ってからであった。私は運が良かった。

 モロッコ航空AT502便の定刻は15時10分であったが、出発予定時刻を過ぎてもまだダカールから到着していなかった。15時40分、ようやくダカールからの便が到着。これが折り返して、ダカールまで行く(正確に言うと、ダカール経由でカサブランカまで行く)のである。16時40分離陸。

 機内放送は、アラビア語とフランス語だけであった。そう言えば、コナクリの空港のアナウンスもフランス語だけであった。西アフリカではフランス語は必修科目である。

 17時50分、ダカール空港に着陸。またタクシードライバーたちが寄って来て「市内まで10000フラン」と言うので無視。空港前の道路を500メートルほど歩いて、そこで流しのタクシーを拾った。パシャホテルまで3000フラン。


   


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