セネガル→モーリタニア→セネガル


平成11年12月19日(日)

 午前7時出発。ガールルチエール(バスや相乗りタクシーのターミナル)まで歩いていく。ロッソ行きのタクシーブルース(相乗りタクシー)はすぐに見つかった。古いタイプのプジョーで、内部を改造して座席を3列にしてある。そこに8〜11人を詰め込んで走るのである。同じ目的地の人ばかりを集めてタクシーを借り切るわけだが、タクシーと聞いて日本のタクシーを想像してはいけない。相乗りで何百キロも行くのである。

セネガルからモーリタニアに向かう道。

 ロッソまではそれほどの距離でもないが、それでもタクシーブルースで3時間かかった。サンルイの近くは湿地帯であったが、すぐに砂漠になった。モーリタニアに近づくにつれ、木が見えなくなってきた。

 国境のロッソはひなびた田舎町であった。そのくせ、いろいろな人間が声をかけてきてうるさい。物売りもいれば、出国手続きを手伝うとか、モーリタニアのお金にチェンジマネーしてやるとか、川の渡し舟とか、とにかくいろいろである。タクシーを降りて2〜3歩しか歩いていないのに、10人以上に取り囲まれた。

 そいつらを無視して歩くが、ぞろぞろついてくる。イミグレの建物の中までついてくる。うっとうしいことこの上ない。出国手続きをする。油断するとパスポートをひったくられそうだ。

 出国手続きはまあまあ簡単。川岸の方に歩いていく。セネガル川を渡ると、対岸はモーリタニアである。モーターボートの男が、「こっちこっち」と呼んでいるが無視。安易に乗ったりすると、川の真ん中で「もっと金を出せ」と言われるのがオチだ。

 少し歩くと、フェリーが停まっていた。これに乗るのが正解。船上で、乗船券、荷物券、それに税金と3回もお金を請求された。

 川幅は狭いので、わずか5分で対岸に着いた。下船しようとすると、係員が来てパスポートを見せろという。それでパスポートを見せると、私のパスポートを取り上げておいて、イミグレまで私を連れて行き、パスポートと交換に案内料を払えと言う。セーファーフランの小銭だけ渡すと、怒り出したが無視。

 まず、入国審査。これは問題なかった。続いて、税関検査。これは大変だった。やはりパスポートを取り上げておいて、荷物を隅々まで見た後、所持金の検査と称して、財布を提出するように要求された。モーリタニアはこれがあるということは聞いていたが、聞いていた通りだった。お金は何個所かに分散して持っていたので、おとりの財布を提示。係員が財布の中のお金をすべて確かめ、一枚の紙切れに金額を書き込んだ。その後、私の所持金の中から10000セーファーフラン札を一枚抜き取り、「これは手続き料だ」と言った。

 これですべての検査が終了したので、外に出ようとすると、出入り口で警備している警官に呼び止められた。パスポートを出せというので出すと、それを取り上げておいて、「外に出たければ通行料を払え」と言ってくる。また多少のお金を払う。本当はいやだが、パスポートを取られているものは仕方ない。

 外へ出ると、またまた大勢の人間に取り囲まれた。闇両替とか、ヌアクショットまでのタクシードライバーとかである。全部無視。

 ヌアクショットまで行ってる時間がなさそうだったので、ロッソに泊まることにした。セネガル側の町の名前もロッソだが、モーリタニア側のこの町の名前も同じロッソである。セネガルのロッソもなかなかの田舎町だったが、モーリタニアのロッソはさらにみすぼらしい田舎町であった。

 適当に歩いて少し行ったところに食堂があった。発展途上国では食堂の二階がホテルになっていることがある。それで、食堂のおばさんに泊まれるかどうか聞いてみた。すると、ここの食堂はホテルはやっていないが、路地を入って少し行ったところにある「レストラン・ネジャ」が旅館もやっている、と言うので行ってみた。

 レストラン・ネジャもいい加減ぼろいレストランであったが、聞いてみると泊まれると言う。二階にアラビア式の客室がある。マットだけの簡素な部屋である。毛布もない。トイレは共同、シャワーは共同のものすらない。おまけに窓はガラスが入っておらず、風がまともに入ってくる。

ホテル・ネジャの食堂にあった風景画。

 ここの部屋代は一泊3000ウギヤ。100フランスフランでも良い、と言うので、フランスフランで払う。と言うことは、一泊1700円である。1ウギヤが0.57円ということになる。この設備で一泊1700円は高いが、ぼったくりではなく、モーリタニアは物価が高いのだろうと思う。

 セネガルの公用語はフランス語だが、英語もかなり通じた。ここモーリタニアの公用語はアラビア語である。英語は全く通じない。しかし、フランス語は良く通じる。ここのホテルや町中の商店でも、全員がフランス語を話せるようだ。


12月20日(月)

 昨晩は、寒くて寒くてガチガチ震えながら寝た。窓にはガラスが入っていないのに、明け方には、吐く息が白くなるほど冷え込むのだ。砂漠特有の気候である。持っている衣服を全部着込んだが、それでも寒くて寝ているどころではなかった。

ロッソ(モーリタニア)での宿、ホテル・ネジャの客室。アラブ式ホテル。

 朝から、ロッソの町を見て歩く。砂漠の中の何もない町で、5分もあれば端から端まで歩ける。朝市が出ていたが、大した物もない。郵便局から家にはがきを出す。100ウギヤ。時々馬車が通る。町を歩いていると、子供が寄ってくる。銀行で100フランスフラン追加両替したが、3100ウギヤであった。

ロッソの町。

ロッソで出会った子供たち。

ロッソでの食事。


12月21日(火)

 今日、セネガルに戻ることにした。23日ダカール発の飛行機の切符を買ってあるから、今日セネガルに戻っておく方が安全であると思ったからだ。

 モーリタニア出国もまた大変であった。まず、入り口の警官のところで通してもらうのに賄賂。次の税関で大もめ。銀行で換えたのは100フランスフランだけで、それは証明書があったが、宿泊費2泊分はホテルに直接払ったので両替証明書がなかった。ただ、それは別のところに隠してあったフランスフランの中から200フラン補充してつじつまを合わせた。問題は、入国のときに手続き費と称して抜き取られた10000セーファーフランである。セーファーは隠していなかったので、その分だけ差額が生じている。税関係員は案の定それを突いてきた。そんな事言っても、その分は入国のときに税関係員に取られたのだから仕方ない。税関係員がまず賄賂を取ってから金額を記入すればよかったが、金額を記入してから賄賂を取ったから、その分だけ差額が生じることになったのだ。

「この10000フランの違いは何だ!」
「入国のときに、税関で払った手数料です。」
「税関が手数料を取っただと!我がモーリタニアイスラム共和国税関は特に公明正大なことで良く知られている。手数料を取ることなど絶対にない!」
「でも...」
「やかましい!もう一度言ってみろ!公務員侮辱罪でしょっぴくぞ!」
「...」
「いいか、この10000フランの違いはお前がマルシェ・ノワール(ブラックマーケット)で換金したからだ。これは、一週間ほど牢屋に入ってもらわんといかん大罪だぞ!分かってるのかお前!」

理由は何でもいいから、早く賄賂の額を提示してくれ、と思った。

係員は続けて言った。

「別室で調べるからこっちに来い。」

部屋に入るや否や、こっちから100フランスフラン差し出した。入国したときの賄賂がそうだったから、出るときも同額で良いだろう。それを見た係員は急ににこにこして、

「そうそう、君は物分かりがいいねえ。」

などと言っている。全く、くそったれ野郎め。

 次のイミグレーションでも賄賂要求。ポケットに残っていたウギヤ札を全部取られた。さらに、船に乗るときも船着き場の警備の警官に呼び止められてせびられた。わずかに残っていたウギヤのコインまで全部取られた。

 フェリーで対岸まで。セネガルのロッソに着く。セネガル側のイミグレ、税関は問題なく通過。ほっとする。

 ダカールまで直接行く相乗りタクシーを探す。タクシーはすぐに見付かったが、客がまだ3人しかいない。最低でも8人は集まらないと発車しないだろうから、サンルイ行きを探す。サンルイ行きは、幸いにも、あと1人で発車という車があった。それに乗る。

 ところが、走り出して1分も経たないうちに、警官に呼び止められ、身分証明書の提示。それで、乗客の数人が入国手続きを取っていないことが判明して、足止めを食らった。その人たちが入国手続きに行っている間、30分以上待たされた。

 やっとタクシーは走り出したと思うと、今度はボンネットの中から煙が出てきた。じいさんのドライバーは、それでも気にせずに砂漠の中を走っていたが、ついに停車。車を分解して修理しはじめた。こんな調子では、いつ着くのかも分からない。私も修理を手伝う。

 写真を撮ろうとするが、カメラが壊れて動かなくなっていることに気づいた。砂のせいであろう。困ったことになった。

 1時間ほど修理して、何とか直ったようで再び発車。しかし、トラブルはこれだけではなかった。しばらく走ると、前方に、何十台という車がまるで高速道路の渋滞のように停まっているのが見えた。我々のタクシーもそれに近づいていったが、停まっている車の間から若者が数人出て来て我々のタクシーを誘導し、最後尾に付けさせた。そして、ドライバーからキーを取り上げて戻って行った。

 これは困ったことになった。我々は皆、車の中で神妙にしていた。外を見ると、棒や鉄パイプを持った若者が恐らく百人以上、前方にたむろしている。我々より先に停められた車の乗客たちも車の中でじっとしているが、若者たちは、車を一台一台、まるで品定めでもするかのように覗いてまわっている。

 じいさんのドライバーはおもむろにコーランを取り出して、一心に拝み始めた。他の乗客は、皆、青ざめた顔でじっとしている。これは、もしかするとセネガルで暴動が起こったのかもしれないと思った。ちょっとまずいことになった。最悪の場合、生命の危険まで考えなければならない。

 そのうち、若者たちがやってきて、「各車の乗客は外に出て立て!」と言った。我々も外に出て立たされた。

 そのまま、1時間以上経過した。そのうち、どうしたことか、前の方の車から人が来て、

「ダカールに行くのだろう。それなら、今のうちにこっちの車に替わらないか」と私に言って来た。それで、とりあえずその車を見に行った。我々の車の乗客は女性が多かったが、この車の乗客は屈強そうな大男ばかりであった。何かのときには心強い。しかも、どういうわけか、この車のドライバーはキーを持っていた。ラッキー、これは、替わらない手はない。

 荷物を持って、車を替わる。さらに1時間ばかりが経過した。若者たちは、棒や鉄パイプを持ってにやにやしながら我々を監視しているが、とりあえず、今のところ暴力を振るうような素振りはなかった。

 と、突然、前方からパトカーのサイレンの音がした。すると、百人以上もいた若者たちは一瞬の間にどこかに走り去ってしまった。さらに、車を替わったせいで、この車は列の前の方にいてしかもキーを持っていたので、そのすきに間をすり抜けて脱出に成功した!

 我々の車以外にも脱出に成功した車が何台かあって、我々は隊を組んで道を飛ばしてサンルイに向かった。30分くらいでサンルイに到着。町は平穏であった。全身から力が抜け、汗がひたいに吹き出すのが分かった。足はまだ震えている。我々はすぐに脱出できたからよかったが、他の車はどうなったのだろうか。

 しかし、まだこれで安心してはいけない。ダカールまで行かなくてはならないのである。無事着くことを祈るのみである。

 ダカールに着いたのは、もうかなり暗くなってからであった。が、とにかく無事に到着した。道中、何事もなくて良かった。

 ガール・ルチエール・ポンピエで相乗りタクシーを降り、歩いているとホテルがあった。パシャ・ホテルと言う。4つ星の表示があるが、どうみても中級ホテルである。とりあえず値段だけ聞いてみようと思い、フロントで尋ねると、一泊16000フラン+観光税600フランらしい。まあ、これくらいならばいいだろう。310号室。バス・トイレ・冷房付きの広いツインである。


   


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