日本→フランス→セネガル


平成11年12月16日(木)

 出発前に、名古屋空港で保険をかけようとして、保険会社のカウンターまで行った。

「海外旅行保険をかけたいのですが」
「はい、どうぞ」

申し込み用紙を渡されて記入する。

「渡航先はどちらですか」
「セネガル、モーリタニア、ギニア、ガンビアです」
「えっ?」
「西アフリカのセネガル、モーリタニア、ギニア、ガンビアです」

そう言うと、保険会社の社員はあからさまに非常にいやな顔をした

「セネガルは戦争国ですから、保険はかけられません」
「いえ、セネガルは戦争をしていませんよ」
「それはあんたの決めることやない!戦争をしてるかどうかは、当社が判定することや」

保険会社社員は急に態度が悪くなった。その社員はファイルを1冊取り出し、戦争をしている国のリストを見た。セネガル、モーリタニア、ギニア、ガンビアのいずれも戦争をしている国のリストにはなかったが、それではバツが悪いと思ったのか、その社員は戦争をしている国の名前を一つ一つ読み上げ始めた。

「アルジェリア、アンゴラ、エチオピア、コンゴ、コンゴ(旧ザイール)、スーダン、シエラレオネ、ソマリア、...(途中略)...リベリア、ルワンダ。これらの国は戦争をやっとるんだ!」
「でも、その中にセネガルはなかったでしょう」
「そんなことを言っとるんやない!わしは、アフリカにはこんなに戦争をしている国がある、と言っとるんだ!」
「でも、戦争している国には行かないんだから、関係ないでしょう」
「向こうで何かあって、保険が出なくても知りませんよ!いいんですね!」
「だから、戦争をしている国には行きませんと言ってるでしょう!」

私がそう言うと、保険会社のおっさんは、憮然とした表情で契約書を作り始めた。アフリカは事故や病気の確率が高いので、仮に戦争をしていなくても保険会社は掛けさせたくないようだ。

 それにしても、保険会社のその資料も古い。エチオピアで戦争をしているのはエリトリアとの国境付近だけだし、その戦争のもう一方の相手国であるエリトリアはリストには含まれていない。スーダンも南部でゲリラが活動しているものの、実際には内戦というほどではないのにリストに入っているし、正真正銘の内戦が続いているギニアビサウはリストに入っていない。全くいい加減なリストである。

 キャセイ航空で出発。台北で1時間止まる。さらに香港で約3時間待ち。パリ行きに乗り換える。乗客はフランス人が多かった。


12月17日(金)

 現地時間の午前5時半、シャルルドゴールに着陸。トランジットの手続きをとろうとするが、給油人員のストライキとかで、空港は混乱していた。われわれのダカール行きも出発時刻が定まらず、そのためにトランジットの手続きができないので、搭乗券が出せない。代りに、朝食券と昼食券とをくれた。

 しばらくすると、英語もフランス語も話さない中国人が来て、カウンターで困っていたので、通訳をしてやった。上海から来て、偶然にも私と同じようにダカールまで行くという。この人は、昨日の上海発パリ行きのエールフランスで来るはずだったが、シャルルドゴールのストのためにパリから上海にエールフランスが飛んで来ず、それで中国国際航空で香港に出て、そこから私と同じキャセイ便で来たという。

 定刻だと、ダカール行きは午後4時30分発である。まだ10時間もある。しかし、こんなストの状況では、いつ出発できるかも怪しい。暇なので、上海から来た中国人と駄弁って時間を過ごした。

 すると、いかにもみすぼらしい身なりをした別の中国人がいきなり我々の目の前に現れた。その中国人は我々にテレホンカードを見せて曰く、

「パリのこの番号に電話したいのだけど、どうしても通じない。どうやればいいんでしょう」
「カードをさして、番号をダイヤルするだけだと思うけど」
「昨日からずっとそうしてるんだけど、通じないんですよ」
「何?昨日からずっとここで電話をかけようとしている?そんなあほな...子供でもあるまいし...」

きっと、出稼ぎに来た中国人だと思った。その中国人曰く、

「パリ経由でキューバまで行く予定で昨日北京からここまで来たんだけども、降りるときに航空券を飛行機の中に忘れてきてキューバには行けず、しかもパスポートを家に忘れて来たんですよ。それで、フランスに入国するわけにもいかず、それで昨日からここにずっといるんですよ」

パスポートを家に忘れて来た!そんなあほな話あるわけがない!パスポートがなければ、中国を出国できないはずだ。

「パスポートを家に忘れたのならば、中国を出国できないだろう」

と、上海から来た中国人が言った。

「えっ、そうなの?」

北京から来た方の中国人は、しばらく考えている。

「あっ、そうそう、パスポートは航空券と一緒に、北京から来た飛行機の中に忘れてきたんだった」
「じゃあ、その航空券とパスポートとを見つけることが先決だ。何航空で来たの?」
「エールフランス」

どうやら、昨日北京発のエールフランス便は飛んだようである。

「それなら、カウンターで事情を話して、パスポートと航空券を探してもらわないと。ところで、あんた、お金は持ってるの?」
「ある程度はね...それより、パスポートが出てきたとして、キューバのビザでフランスに入国できるよね?」

こいつは完全なあほだ。

「キューバのビザはキューバのもの。フランスとは何の関係もない。キューバのビザを持ってたって、フランスには入れないよ」
「でも、北京で手配を頼んだ男が言うには、それでフランスに入国できる、ということだったんだ。そして、もし困ったことがあればこの番号に電話しろと。でも、通じない...」

「あんた、騙されたんだ」上海から来た中国人が言った。

「そんなことは絶対にない!私はその人を信用している!」

本当は、こいつは航空券もパスポートも持っているのだが、無くしたことにして何とか入国しようとしているのではないかと思った。でも、こんなやつを相手にしていても仕方ないので、適当にあしらって話を終えた。

 空港内を見てまわったり、椅子でうとうとしたりしても、なかなか時間が経たない。暇だ。やっとのことで、昼になった。

 もしかするとダカール行きの搭乗券がもらえるかもしれないと思い、再度カウンターに行ってみた。すると、例の北京から来た中国人がまだいるではないか!いやなものを見てしまった、と思ったが、仕方ない。そいつが私を見て、

「通訳!通訳!」と言う。

「私とこの人とは関係ないのですが」とカウンターの人に言った。

「でも、通訳お願いします」とカウンターのエールフランスの職員は言う。

いやだったがOKした。

「洪さん(この時点で初めてこの中国人の名前を知った)のパスポートはすでに機内に忘れていたのが発見され、警察で保管しています。航空券はキューバ行きですし、フランスのビザもないようですから、次のキューバ行きのフライトでハバナまで行くように手配します」

やっぱり、パスポートと航空券とをなくしたというのは本当だったらしい。でも、多分、故意に機内に置いてきたのだろう。職員の言葉を通訳すると、この男は、見る見るうちに泣きそうな顔になった。

「私はキューバには行きたくない!キューバには友達も親戚もいないんだ!行ったってどうしようもない。この電話番号に電話さえできれば、ビザがなくともフランスに入国できるから、私はフランスに入国したいんだ。ただ、電話が通じないだけなんだ。その点をよく説明してくれ」
「ビザがなければ、フランスには入れないと何度言ったら解るんだ。諦めなさい」
「電話さえ通じれば!」
「そう思うのなら、パスポートは警察にあるのだし、警察に行って話してみたら。警察には電話もあるだろうし、警察で電話を借りたら?」
「うん、そうする!」

こいつは、どこまでもあほのようだ。

 結局、この中国人は警察に行くことになり、私は無事ダカールまでの搭乗券を手にした。ということは、ダカール行きの出発の目処は立っているのだろうか。

 今日はダカール行きは3便あったが、朝のエールアフリクはキャンセル、昼のエールアフリクはストのために出発が遅れている。しかし、私の乗るエールフランスのダカール行きは、幸いにも定刻に離陸した。エールアフリクから替わってきた人がかなりいたらしく、乗客は黒人で満席であった。

 離陸してすぐに熟睡してしまったので、目が覚めたときには、もうダカールに着陸しようとしていた。午後9時50分着陸。

 バスでターミナルまで。大きくはないが、きれいな空港である。アフリカには珍しく、入国審査もスムーズ。

 私は簡単にイミグレを通ったが、例の上海から来た中国人は列の最後に並んだので、なかなか順番が来ない。待ってやる義理はなかったが、市内までタクシーを相乗りすれば安くなると思い、待ってやることにした。かなり待って、やっとその中国人の番になったが、今度は何かイミグレでもめている。向こうから中国人が「通訳してくれ」と手招きするので、仕方なく行った。この中国人も英語もフランス語も分からないので、入国カードがメチャメチャだったのだ。書くのを手伝ってやる。

 次に荷物のピックアップ。私はナップザック一つなので、預けた手荷物はなかったが、この中国人は大きなカバン2個を預けていた。それが出てくるのがまた遅い。大分待ってやっと出てきたが、カバンは2つとも南京錠が壊されて、中身を荒らされていた。それを見た中国人の怒ること怒ること、
「空港責任者に今から会いに行って抗議するから、一緒に来て通訳しろ」
と言い出した。そんなのに付き合わされるのはかなわないから、
「もう夜の10時を回っている。責任者などもう帰宅しているに違いない。気持ちは分かるが、今日は無理だ。抗議は後日にしろ」
と言うと、
「それもそうか...」
と中国人はしぶしぶ納得した。

 続いて税関。私はほとんどフリーパスだったが、中国人はいろいろと係員からいちゃもんをつけられ、もめている。先に外へ出て待つ。

 両替に行きたっかたが、中国人がいつ出てくるかも分からないので、出口のところで待っていた。待っていると、タクシードライバーたちがよってくる。「市内まで10000フランでどうだい」と言ってくる。ここで言うフランとは、CFA(セーファーフラン)であり、旧フランス領のアフリカ諸国の共通通貨である。これは、1フランスフラン=100セーファーフランの固定レートである。1フランスフランは約17円なので、10000セーファーフランとは、約1700円ということになる。

 やがて、中国人が大きな荷物をカートに載せて出てきた。両替に行くので、少し待ってくれるように頼んで、銀行のある出発ロビー側に行った。しかし、銀行は閉まっていた。まあ、もう夜の11時だから、閉まっていても不思議ではない。それに、今までの経験では、アフリカの空港はそもそも銀行がなかったり、あるいはあったとしても昼間でも閉まっていることが多かった。

 そこで、ロビーにいた人相の悪そうな兄ちゃんに両替してもらった。500フランスフランで手数料5000セーファーフランを差し引いて45000フランなどとぬかしやがるので、立ち去る振りをすると手数料は2500フランに下がった。それでも高かったので、もう一度立ち去る振りをすると、また下がった。結局、410フランスフラン両替し、手数料1000フランとして、40000フランで合意した。

 元の場所に戻ると、中国人がいなくなっているではないか。あんな馬鹿でかい荷物を2つも持っていたのだから、歩いてどこかに行ったとは考えにくい。どうやら、私を置いて自分だけ先にタクシーで行ってしまったらしい。さんざん待って、通訳までしてやったのに、すっぽかされた。全く、とんでもない野郎だ。

 仕方ないので、自分独りで市内まで行かなくてはならなくなった。こんなとき、私は出発ロビー側に行く。待っていると、5分もしないうちに、ヨーロッパ行きの夜行便に乗る客を乗せたタクシーが市内から来た。降りた客と入れ替わりにすばやく乗る。市内まで3000フランというところを、2500フランに値切った。到着ロビー側にたむろしていた運転手たちは10000フランと言っていたから、よく値切っても5000フランぐらいにしかならなかっただろう。出発ロビー側で拾って正解。

 市内までは高速道路のような割合広い道である。気温は思ったよりも低く、湿度も低いので、爽やかで過ごしやすい。日本の秋のような気候である。

 よくガイドブックには「最初の一泊だけはホテルを予約し、二泊目からは自分で探すのがよい」などと書いてあるが、私はこれはナンセンスだと思っているので、普通は私はホテルを予約して来ない。なぜなら、日本から来ようが、隣の国から来ようが、初めての国は初めての国なのだから、最初の一泊だけ予約するのならば、旅行中も国が変わるたびにホテルを予約しなければならないことになるからである。そんな馬鹿なことはしないのであるから、日本から到着する一泊目だって予約する必要はないと考えるからである。ただ、今回は、到着が深夜になることが明白であったので、例外的にホテルを予約して来ていた。ホテルに着いたのはもうほとんど0時近かったが、何とか着いた。予約してきたのはソフィテルである。でも、現地ではトゥランガホテルと言った方が通りが良い。ソフィテルといえば高級ホテルだと思うが、その割には宿泊費は一泊7000円弱と比較的リーゾナブルで、部屋の設備を考えるとむしろ安いくらいであった。


12月18日(土)

 外に出ると、朝っぱらから、いろいろな人間が声をかけてくるのでうるさい。モロッコ並みにしつこいので困る。民芸品を売りに来る奴や、単なる詐欺師のような奴もいる。全部無視。

ダカール市内

 とりあえず、今日はダカールからから北上してモーリタニアに向かうことにした。今回の旅程は割合と無駄が多く、セネガル−モーリタニア−セネガル−ギニア−セネガル−ガンビア−セネガルと移動する予定である。すなわち、セネガルに4回も入国するわけだが、セネガルはビザがいらないので、特に問題ない。ガンビアはギニアに行く往路か復路に立ち寄れば効率がよいが、ガンビアのビザを持っていないので、ビザ申請してからでないと行けない。今日はもう土曜日だから、月曜日にビザを申請すると受け取りは火曜日午後、するとモーリタニアに行く時間がなくなってしまう。とすると、ビザ申請をせずにまずモーリタニアに行き、一度ダカールに戻ってくる。それからガンビアのビザ申請をしているとギニアに行くのが遅くなるから、やはりガンビアのビザ申請をせずにギニアのコナクリへ。となると、ギニアに行く往路にガンビアには立ち寄れない。ならぱギニア滞在中にガンビアのビザ申請をすればよいようだが、コナクリにガンビア大使館はない。とすると、一度ダカールに戻ってこなければならない。それからダカールでガンビアのビザ申請をして、ガンビアに向かうしか手はない。そんなわけで、上記のような日程しか組めなかったのである。

 ダカール→コナクリは23日のガーナ航空GH531便、コナクリ→ダカールは27日のモロッコ航空AT502便で、出発前に予約だけしてきていた。今日は土曜日なのでだめだろうと思いつつガーナ航空のオフィスに行くと、運良く開いていた。チケットをその場で購入。コナクリまでの往復で213700フラン。大体36000円ほどであった。

 それから、バスターミナルへ行く。サンルイ行きのバスに乗る。モーリタニアとの国境地点はロッソのはずであるが、ロッソ行きのバスが見当たらなかったから、とりあえずサンルイまで行くことにしたのである。バスは満員であった。かつてのフランス植民地時代の首都、サンルイまでは約5時間かかった。途中の道は舗装されていて良い。サンルイに着いたのはもう夕刻であった。いまからロッソまで行くと遅くなってしまう。そもそもロッソに宿泊施設があるのかどうかも分からない。今から行ったところで、もしホテルがなかったらピンチだ。西アフリカでは、ホテルのない町は結構あるのである。そう考えると、今晩はサンルイに泊まるのがよさそうだ。

ダカールのポンピエバス・タクシーターミナル。

私の乗ったバス。

 サンルイは中州の上にできた街であった。川岸からは鉄橋を歩いて渡る。この鉄橋は、もともとドナウ川に架けるために作られたのだが、途中で計画が変更となり、はるばるセネガルまで運ばれてここに架けられたといういわく付きの鉄橋らしい。サンルイ市内を歩いていて見つけた安ホテルに泊まる。一泊10000フラン。

サンルイの鉄橋。


  


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