3月21日(日)
イオアニナ発、カカビア行きのバス。 午前8時30分発のカカビア行きのバスに乗る。カカビアは、ギリシャとアルバニアとの国境地点の名前である。さあ、アルバニアに入れるかどうかである。カカビアまでは1150ドラクマ。イオアニナ発カカビア行きは、5:00、6:45、8:30、10:00、11:00、13:15、14:30、16:00、19:00の一日9本運行されている。
始めはいい道を走っていたが、途中からだんだん道が細くなり、ついに非舗装になった。これはなかなか面白そうである、と思っていると、突然、目の前に立派なゲートが現れた。国境である。
ギリシャ−アルバニア国境が見えた。 まず、ギリシャ側の出国審査。当然問題なしと思っていたら、係官が、
「パスポートにビザがありません」
と言うので、アルバニアのビザのことかも思って、
「向こうの国境で取れるはずです」
と答えたら、
「それはアルバニアのビザのことでしょう。私が言っているのは我が国のビザのことです。どうしてビザがないのに今ここにいるのですか」
と言うので、
「日本人はビザ無しでギリシャに入国できますよ。ちゃんと入国スタンプもあるでしょう」
と言った。しかし、係員は、
「調べてみます」
と言って、私のパスポートを持って奥に引っ込んでしまった。10分以上経って、ニコニコした顔で係員が戻って来て、
「あなたの言う通りです。日本人は我が国への入国に際し、ビザは不要となっていました。」
と言う。ギリシャの係員ですらこんな間違いをするくらいだから、ここを通る日本人は少ないに違いない。いよいよ嬉しくなってきた。ギリシャの出国手続きが済んで、ギリシャ側のゲートから、アルバニア側のゲートまで歩いて行った。まず、パスポートコントロール。日本人は、ビザ代29USドル。ビザそのものはパスポートには押さず、パスポートには、小さな小さな入国スタンプを押すだけなので、余りいい記念にはならなかった。ちょっと残念。でも、晴れてアルバニアに入国を果たした。
カカビアは山の中に国境の建物があるだけで、町ではなかった。アルバニアの最初のそこそこ大きな町は、ギロカステルである。そこで、ギロカステルまで、アルバニア人の二人連れとタクシーを相乗りした。国境からギロカステルまでは約30kmある。相場がさっぱり分からないのが、ギロカステルまで1500ドラクマ払った。国境には両替所がなかったので、ドラクマで払うしかなかったのである。他のアルバニア人は、一人500レク払っていた。自分が払ったのが高かったのか安かったのか、さっぱり分からん。
アルバニア側に入った。 タクシーは凸凹道を飛ばし、ギロカステルに向かった。大分前にNHKテレビでアルバニアの番組を見たことがあったが、その時に見たとおり、途中にはトーチカが多数作られていた。もちろん、今では使われていない。
道端には戦争用のトーチカが(これはかなり大きな方)。 相乗りした二人のアルバニア人は、途中の小さい村で降りてしまい、途中からは自分一人だけが乗客となった。昼前にギロカステルに到着、とにかくどこでも良いから市内のホテルに行ってもらうことにした。
ホテルは丘の上の眺めのいいところにあった。シャワーなし、トイレ共同のシングルが1100レク。暖房はない。実は、フロントのおばさんは、最初は600レクと言っていたのだが、途中から1100レクと訂正した。確かに、壁には料金表が貼ってあり、アルバニア人は600レク、外国人は1100レクと書いてある。ここではUSドルは受け取ってもらえず、ドラクマ払いなら可とのこと。10000ドラクマ=4600レクらしい。と言うことは、1レク≒1円なので、勘定がしやすい。それに、このレートだとすると、さっきのタクシー代は恐らくごまかされてはいないことが分かる。
ギロカステルの街。
丘の上からギロカステル市内を眺める。 アルバニアは以前に10分の1のデノミをやったのであるが、口で言うときはデノミ前の金額を言う人がいる(もちろん、デノミ後の金額を言う人もいる)ので、大変に分かりにくい。この部屋でも、フロントが
「11000レクです。」
と言うのである。すると、1100レク払えばよいことになる。後で近くのレストランに昼食に行ったが、
「700レク」
と言われたので70レク払った。それでおやじが何も言わずに受け取ったところを見ると、どうやらそれで良かったようである。一食70円である。これを見ても分かるように、物価はかなり安いようである。
午後からは、山の斜面に作られた旧市街、道路沿いの新市街、山の上のギロカステル城などを見て歩いた。日曜なのに、ほとんどの店は営業している。品物も豊富である。人々は人なつっこく、道を歩いていると皆が声をかけてくる。これがつい最近まで鎖国していた国かと我が目を疑う。アルバニアは全くオープンな国になったのである。
ギロカステル城を訪れた。
城には、だ捕された米軍機も展示されている。 道を歩いていると、4人でテーブルを囲んでいる人がいたので、もしや、と思うと、案の定、麻雀をしていた。アルバニアが中国と手を組んでいた時代に入り込んだ文化であろう。
アルバニアの少年たち。
同上。
3月22日(月)今日は、エンベルホッジャ記念館を見に行こうと思って行くと、閉まっていた。何でも、アルバニアでは、今日は祭日らしい。銀行も閉まっている。これはまずい。両替ができない。レクは、あと800レク(すなわち800円)ぐらいしか残っていない。
それで、とにかくサランダに行くことにした。サランダは、ギリシャのCorfu島からのフェリーも着くところだし、両替屋がいるかもしれないと思ったからだ。
国道沿いまで出ていって、サランダ行きのバスに乗った。200レク。これで、残りあと600レクしかなくなった。
バスはサランダに向けて走るが、途中でトラックが事故を起こしており、それを助けていたので、かなり時間をロスした。
サランダに行く途中、事故を起こしたトラックが道をふさいでいた。 そのあと、山道に差し掛かると、今度は我々のバスがホースから水漏れを起こし、オーバーヒートした。それで、我々は後続のバスを待って30分以上も山道で待機、やっと別のバスが来て、それに拾ってもらった。そんなこんなで、サランダまで結局3時間もかかった。
続いて、我々のバスが故障。 バスを降りると、早速闇両替屋がいた。200USドル替える。1USドル=140レク。レートは悪くない。
この闇両替屋のおっさんは、自宅で民宿もやっていて、泊めてあげると言うので、ついて行った。一泊1400レク。奥さん、子供さん、おばあさんまで出てきて、一家で大歓迎してくれた。
やっとお湯にありつけたので、シャワーを浴び、洗濯もした。
泊まった民宿の部屋。 ところが、午後から急に悪寒がして、関節が痛くなった。熱を測ると、38℃を越えている。昨日のホテルが暖房がなく、異様に寒かったからだ。
布団にもぐりこんで、朝まで寝る。
3月23日(火)まだ頭が痛い。熱は、やはり38℃台である。咳と鼻水もひどい。
今日は土砂降りの大雨でもあるので、出て行かず、一日寝ている。
3月24日(水)まだ解熱しない。今朝もやはり38℃台である。
ここの民宿の家族は大変親切で、皆で世話をしてくれる。15才くらいの娘さんが、英語を良く話すので助かる。学校で2年間習っただけと言っていたが、とても上手であった。
3月25日(木)まだ熱が38℃を越えている。喉も猛烈に痛い。
お米とガスバーナー、それに小さいなべをもらって、お粥を作った。まずまずの出来。しかも、お米はいわゆる外米ではなく、日本と同じような米であった。産地はどこであろうか。
あまりに喉が痛いので、鏡で喉の奥を見ると、小豆大に腫れ上がっているのが見えた。ここが感染源だ。扁桃腺炎だろうか、それともインフルエンザであろうか。喉の腫れが引き、大量に発汗して解熱するまでは動いてはいけない。咳が少し出る。下痢はなし。吐き気もなし。
3月26日(金)熱は少しだけ下がって、37.5℃になったが、症状としては大差ない。
昼過ぎ、ついに薬屋に行く。丁度、薬屋には医師もいたので、診てもらった。やはりインフルエンザとのことで、Amoxycillinという抗生物質500mg錠を買う。1錠10レク。20錠買う。昼食時から服用開始。
夕方、熱が下がり始めた。37.3℃。夜中に発汗がある。
3月27日(土)朝起きて体温を測ると、35.8℃であった。平熱に戻った。気分もよい。抗生物質が効いたようである。
でも、まだ喉は少し痛いし、咳と鼻水もある。今日も一日寝ていることにする。
夕食に、普通のご飯を炊いた。今まではお粥を作っていたのを、普通のご飯に切り替えたのである。思ったよりもうまく炊けた。こんなにおいしいのならば、毎日でも炊きたいぐらいだ。しかし、あまりにうまく炊けすぎて、漬物も欲しくなってしまった。しまった、上手に炊きすぎた!
3月28日(日)熱は下がったが、今日も一日休養日とする。
昼頃、少しだけ市内を歩いてみたが、何も面白いことはなし。近くのButrintにも行きたかったが、タクシーが一台も無いのでやめた。夕方までまた寝る。
サランダの市内の様子。
3月29日(月)今までの数十回の海外旅行の経験の中で、旅先でこんなに長くぶっ倒れたのは初めてだったが、ようやく何とか回復したようである。朝8時に民宿を出発。ここの家族には、本当にお世話になった。
8時30分のバスでギロカステルまで戻る。10時30分到着。まず郵便局に行き、葉書を出す。そのあと、散髪に行く。200レク。まあまあの出来。
それから街道沿いまで戻り、カカビア行きのバスを待っていると、運良く、アテネまで行くバスが来た。これに飛び乗る。チラナを今朝早くに出てきたバスであろう。イオアニナまで6ドル。
カカビアまでは1時間ほど、午後1時半に着いた。しかし、着いてからが大変だった。バスの乗客のほとんどはアルバニア人で、出国手続きに時間がかかることかかること、全員の手続きが済んだのは午後3時過ぎ。それから車両の出国手続き。これに小1時間。
やっとアルバニア側を出国し、続いてギリシャ側の入国手続き。これも時間がかかる。まず、人間の入国手続き。やはり、アルバニア人は時間がかかる。私は別の窓口なので、たったの一分で通過したのに、アルバニア人たちは皆、パスポート以外にいろいろな書類を持って専用の窓口に長蛇の列をなして並んでいる。
これは参ったと思いつつ、国境のゲートを抜けたところで座っていると、イオアニナ行きの市バスが来た。次のバスはあと1時間以上も先のはずなので、ここで長らく停車するのかと思いきや、すぐに折り返して発車しそうな雰囲気である。
それで、私もこのバスに駆け込んだ。乗ってみると、バスの時計は、私の腕時計よりも1時間進んでいた。どうやら、アルバニア滞在中にギリシャでは夏時間になり、1時間進んだようだ。そのおかげで、バスに待たずに乗れたのである。ラッキー。
イオアニナでは、バスターミナル前のホテルに泊まった。4000ドラクマ。ここも暖房がなく、お湯も出ない。ガチガチ震えながら朝まで耐えなければならなかった。