イエメン→バハレーン→タイ→日本


8月29日(土)

 朝7時出発。タフリール広場からハサバ行きのミニバスに乗る。ハサババスターミナルで、空港行き10番のミニバスに乗り換え。ハサバから空港まで約25分。そのあと、搭乗手続き。

 空港税10ドル分のイエメンリヤルとして、1400YRを残していたが、空港税は航空券に含まれていたので、実はすでに支払い済みであった。そう言えば、出発前に、旅行会社からそのように聞いていたのであっが、そのことを忘れて、1400YRを残していたのである。それなら、昨日、10ドルを追加両替する必要はなかったのであった。それに、外国人は、空港税はドル払いなので、どっちみち、イエメンリヤルを残しておく必要はなかったのである。

 そんなわけで、10ドル分のリヤルが手元に残ってしまったので、空港の売店で、ジャンビアをまた買ってしまった。15ドルと言うところを10ドルに値切って、さらにそれをリヤル払いにして、丁度1400YRを消化した。ジャンビアは当然機内に持ち込めないので、搭乗口のところで別に預ける。

 またエミレーツ航空でドバイまで行き、そこでガルフ航空に乗り換えてバハレーンまで行くのが今日の予定である。ドバイまでの機内では、隣りになったイエメン人のオッサンがずうずうしい奴で、ゴミはこちらに投げつけてくるし、自分のコップはこちらのテーブルの上に置くし、参った。

 ドバイの空港では、免税店を見たりしたが、車まで売っているのには呆れた。

 ドバイで3時間待ちの後、バハレーンに向かう。バハレーンまではフライトタイム50分。途中、飲み物とドーナツとが出たが、何しろフライトタイムが短いので、まだ上昇中から、スチュワーデスは重そうにカートを引いて、食事を配りはじめなければならなかった。機内ではお笑い番組をずっとやっていて、それがまた面白く、バハレーンに着いてイミグレに並んでいる間にも、思い出し笑いが止まらなくなった。一人ニヤニヤしながらイミグレで並んでいると、他人に気味悪がられてしまう。他の人も同じ飛行機で来たのに、他の人は誰もニヤニヤしていなかった。不思議だ。

 入国時にビザを申請する。2週間ビザが15ドル。預けたジャンビアは一階税関事務室で受け取れといわれたので、事務室へ行く。確かに、ジャンビアは、事務室にあった。割と早くイミグレを通り、まだターンテーブルに一般の荷物も出て来ていないのに、私のジャンビアだけはすでに別室に運ばれていたので、ちょっと不思議であった。でも、ジャンビアは、出国の日までこちらで預かると言われた。もちろんOK。バハレーン滞在中に使うものでもない。

 入国手続きを全部済ませて、外へ出た。とんでもなく暑い!ドバイよりも、まだ一段と暑い感じがする。もちろん、イエメンとは比較にならないくらい暑い。

 空港で客待ちをしているタクシーはぼったくりなので、歩いて最寄りのバス停まで行き、バスを待っていたが、バスが一向に来ないのと、余りの暑さとで、タクシーに乗ることに決定、来た一台を拾った。同じタクシーでも、空港の外で掴まえれば、ぼったくりではなかろう。マナーマ市内まで1.30BHD、約600円である。空港内で乗ると、5BHDは取られるから、かなり安くなった。

バハレーンの首都、マナーマ市内。

 市役所前で降り、バハレーンホテルまで歩いて行った。一泊8BHD。バハレーンでは最安の部類であろう。洗濯をしようとしたが、水道の出が悪い。ここは、ドバイほど水が豊富ではないようである。

 この時点で、1BHD=400円、また、BHDとは、バハレーンディナールの略であること、補助通貨単位はフィルスであることまでは分かっていたが、1BHD=1000フィルスと言うことには気づいていなかった。1BHD=100フィルスだとばかり思っていた。夕食に出かけて、カレーを注文したら、600フィルスと言われ、600フィルスということはつまり6BHD、すなわち2400円だと錯覚し、昨日サヌアのレストランでぼったくられたこともあって、つい、

「そんなアホな。カレーにしてはべらぼうな値段だ。旅行者だと思って馬鹿にするな」

と口走ってしまった。そこまで言ってしまったからには、その店で食べるわけにも行かず、出て来てしまった。店主は、明らかに気分を害していた。そのあとで近くの店で買い物をして、お釣をもらってはじめて、1BHDは100フィルスではなく、1000フィルスであることに気づいた。さっきのカレーは、240円であったのだ。それなら、むしろ安いではないか。悪いことをした。アラブ首長国連邦では、1AED=100フィルスであったので、間違えたのである。

 でも、良く考えると、AEDはアラブエミレーツディルハム、BHDはバハレーンディナールの略で、頭文字は同じDでも、ディルハムとディナールで、似てるけれども違う呼び名である。ディルハムとは100、ディナールとは1000という意味なのではないだろうか。


8月30日(日)

 疲れていたので、朝10時過ぎまで寝ていた。それから市内を見に行った。

店先には香辛料が並ぶ。

 博物館が面白そうであるので、歩いて博物館まで行こうとした。ホテルから博物館までは約1.2km、自宅から朝日大学までの距離の3分の2くらいなので、歩いても15分くらいだろうと思って、道をてくてくと歩いて行ったが、余りの暑さに、途中で気分が悪くなってきた。暑いだけならまだ良いが、湿度がものすごい。気温45℃、湿度100%の中を歩くのは、せいぜい5分、すなわち400〜500mが限度である。博物館まで1.2kmの道程を歩くのは無理であった。

 それでも何とか1kmは歩いたが、日射病とまではいかないにしても、体調がおかしくなった。日陰に入って休んだが、動悸がして、めまいもしてきて、立ち上がれなくなった。博物館まであと200m、すぐ近くまで来ていることは分かっていたが、立てなかった。結局、30分以上日陰で休んで、少し回復したので、最後の力を振り絞って残り200mを歩き、何とか博物館まで辿り着いた。入場料500フィルス。

日射病になりかけて、ふらふらの状態でやっとたどり着いたバハレーン博物館。

 博物館の冷房の中に入り、カフェテリアでミネラルウォーターを2本飲み、椅子でさらに30分ほど休んで、やっと体力が回復した。それから展示を見る。バハレーンの画家の作品の展示があったが、今一つであった。砂漠の生物の展示、バハレーン人の伝統的な生活様式の展示、王族の墓(古墳)の模型などはなかなか面白かった。

 帰りは素直にタクシーを拾う。メーターを上げようとせず、
「1BHDです」
と言うので、
「いえ、市内は800フィルスでしょう」
と言うと、しぶしぶメーターを上げた。

 帰って来てからも冷や汗が出て来るので、体温を測ると、35℃以下で、いくら待っても水銀が上がってこなかった。余りの暑さに、体温調節機能がおかしくなってしまったようだ。炎天下で体温を下げよう下げようとしていたのが止まらなくなって、冷房の中に入っても体温を下げようとし続けたために、体温が下がりすぎてしまったらしい。とにかく、体温が34℃台であることには違いなかった。そこで、午後はずっと部屋で休息。そのまま寝てしまった。

 起きたのは、夕方。気分も良くなったし、体温も36.2℃に回復していた。これには懲りた。この国では、少し遠くに行くときは、タクシーに乗るしかない。

 夕食は近くのインド料理のレストランで少し豪勢に食べて、1BHD。


8月31日(月)

 朝から、また市内見物。ショッピングセンターや店を見てまわった。少し歩いては店に入って涼み、また少し歩いては涼み、を繰り返して、昨日のようなことのないように注意した。Tシャツ2BHD。

 そのあと、予約の確認のため、ガルフ航空のオフィスに立ち寄った。念のために、今晩のフライトの予約の確認をしておいた方がいいと思ったからである。カウンターの係員は、ガチャガチャとキーボードを叩いた後、

ミスターサノウ、あと21BHDの追加料金が必要です

と言った。最初は何のことはわからなかったが、説明をよくよく聞くと、

「バハレーンに3日以上滞在していませんので、差額が必要です」

と言うことであった。これを聞いて、やっと理由が理解できた。最初は9月1日にバハレーンに行き、9月4日にバハレーンを離れる予定で予約を入れていたので、3日以上7日以内のPEX料金で発券したのであった。それを、ジブチにいけなくなったために、サヌアで、8月29日にバハレーンに行き、31日にバハレーンから戻る日程に変えたために、(出発日は日数に数えないので)2日になってしまったのである。そうなると、1日以上14日以内という、もう少し料金の高いチケットの扱いになるのである。差額は約8000円である。

 差額を払うぐらいなら、今のホテルにもう一泊した方が安いが、そうなると、エミレーツ航空のドバイ→バンコクも予約を変更しなければならない。バハレーン以外の中近東の国は入国に際しビザが必要で、しかもビザは現地では取れないので、入国せずに空港で乗り継ぐしかなく、従って、予約を一つ変更すると、同日乗り継ぎになるように、芋蔓式にその後の予約も変えなければならなくなるのである。エミレーツ航空のオフィスの場所も分からないし、エミレーツの予約はもう既に2回も変更しているので、また変更すると3回目になる。同じチケットを何度も変更するのも気が進まないし、結局、8000円は痛いが、差額は払うことにした。でも、この出費は、本当に痛かった。

バハレーン門。

 その後、観光案内所に行き、午後からのバハレーン観光ツアーを予約した。他の国では、このような観光ツアーの予約などしないのであるが、ここの国はバスというものがないので、自分であちこちを回るには、タクシーをチャーターするしかない。それならば、旅行社主催のツアーに入った方がいい。

 行ってみると、今日のツアーにはすでに4人の申し込みがあり、自分は5人目であった。要塞や手工芸品の工場、サウジアラビアとの国境に架かる橋などを見るらしい。

 ツアーは午後3時発で、2時45分にここに来るように言われたので、ホテルに2時半までいることにした。フロントでそのように言うと、追加料金無しで、午後2時半まで部屋を使ってよいと言ってくれた。大変親切である。

 2時半にホテルを出発。観光案内所に行って待つが、他の4人が現れない。出発時間の3時を過ぎ、3時10分になったが、客は自分一人だけであった。そのため、ツアーは中止になってしまった。仕方ないので、余り気乗りはしないが、タクシーで観光に出かけなければならなくなった。

 要塞と古墳群を見たいと思い、タクシーを捜すことにした。両方で10BHD以内ならば良しということにして、タクシーを見まわし、まあまあ気の良さそうなじいさんのドライバーを見つけ、早速交渉開始。全く予想通りの10BHDと言って来たので、こちらは6BHDを主張、結局、要塞と古墳群との両方で8BHDと言うことで話がまとまった。

 車は、きちんと整備された高速道路(ただし無料)を飛ばし、古墳群のある所まで行った。古墳は全て昔の王陵で、土を盛り上げて作ってある。このような古墳が、大きいのも小さいのも、あたりにはいくつもあるのである。

ある古墳前にて。

 1時間ばかりそれらを見ていると、もう5時になってしまった。古墳を見終わって、じいさんドライバーに、要塞に行くように言うと、

「要塞は5時までだ。もう閉まってしまったから、今から行っても無駄だ」
と言うので、
「そんなことかまわん。外からだけでも見たい」
と言うと、
「要塞は方向が全然違う。今から行けるわけがない」
と言って、マナーマ市内向けて走り出した。
「要塞に行かないのならば、6BHDしか払わないよ」
と言うと、
「ふん、今に見ていろ」
と言って、じいさんドライバーは、マナーマ市内のタクシードライバーがたむろしている所まで行ってそこで車を停め、

10BHD払え

と言い出したので、けんかになった。すると、じいさんは周りのタクシードライバー仲間たちに向かって、

「おい、古墳群まで行ってやった上に10BHDにまけてやってるのに、こいつ、6BHDしか払わんと言うんだぜ」

と言った。とたんに周りからドライバーたちが5〜6人寄って来て、

「本来なら、古墳群まで往復で15BHDはかかるところだ。お前は何を考えとる。10BHDで何の文句がある」

と言って来た。アホな事を言うな。最初は要塞と古墳群の両方で8BHDということだったのに、いつのまにか、それが古墳だけで10BHDにされてしまったのに、約束が違う。普通なら、ここで大喧嘩をしてでも6BHD以上、びた一文出さないところであるが、財布を見て、困ったことになった。実は、今小銭を持ってなくて、10BHD札しかないのである。仮に大喧嘩をして、相手に6BHDを認めさせたとしても、こっちが10BHD札しか持ってなければ、お釣をもらうことは至難の業である。非常に不服であったが、10BHD払うしかなかった。でも、10BHD払うのであれば、要塞にも行ってほしかった。

 タクシーを降りてから、夕食に行ったので、今度は小銭ができた。全く皮肉なものである。その後、空港に行くためにタクシーを捜したが、どれもこれも、空港まで3BHDと言って来る。ドライバーたちの間で示し合わせているらしい。着いたときは、空港の前の通りでタクシーを拾い、メーターを作動させて、1.30BHDであった。だから、空港まで、1.50BHDもあれば行くはずである。

「メーターを上げろ」

と言うと、乗車拒否された。5〜6台掴まえたが、そのいずれもがである。全くどうしようもない。かといって、バスはないし、もちろん歩いては行けないし、7台目のタクシーに、3BHDで乗った。

 まず、預けてあるジャンビアを取りに行った。午後8時30分、マナーマ空港を離陸、約1時間でドバイに着いた。バハレーンはアラブ首長国連邦より1時間遅れ(イエメンと同じ時間)なので、ドバイ着は午後10時30分である。ここで、午前3時15分までの待ち時間がある。


9月1日(火)

 ここの空港は、昼間よりも夜間の方が活気があるらしく、待合室は、午前0時を過ぎるあたりから人でごった返して来た。航空機も、日付が変わった頃から発着が頻繁になって来た。ヨーロッパから来て、アジア各地に向かう便が、ここで給油をするために立ち寄るのである。

 われわれの飛行機は出発が少し遅れて、午前3時30分発になった。乗ってすぐに眠ってしまった。

 目覚めると、もうバンコクへの着陸体勢に入っていた。機内食は出たはずだが、熟睡していて全く覚えていない。バンコク着、昼の12時30分。アラブ首長国連邦とタイとの間には3時間の時差があるから、ドバイから6時間かかったことになる。

 ドンムアン空港に着くと、ホッとする。もうこの辺りは、何度も来て勝手知ったる自分のテリトリーである。バンコクでは、ジャンビアは、降りるときにスチュワーデスが手渡してくれた。

 空港を出てから、いつものように、29番の市バスで市内に向かう。しかし、途中で渋滞し、2時間もかかった挙げ句、バスは、途中の変なところで運転を打ち切ってしまった。そこから適当に歩いてみたが、自分がどこに居るのか全く分からない。勝手知ったるバンコクのはずであったが、どうも、勝手が違ってしまった。

 仕方なくタクシーを拾い、ペップリ通りまで行く。60バーツ。そこから2番バスでカオサン通りまで行き、ジプシーゲストハウスという名のゲストハウスに泊まる。一泊150バーツ。運河に面した、いいゲストハウスである。部屋もきれい。ここに3泊することにする。

運河に面したバンコクのゲストハウス。


9月2日(水)

 午前中は、ゲストハウスで寝ていた。午後、バングラデシュ大使館に行く。ジブチに行けなくなった分、日程に余裕があるから、バングラにでも行ってこようと思ったからだ。バングラデシュ大使館は、最近移転したらしく、これもいろいろな人に聞いて、やっとのことで見つけた。

 行ってみると、バングラは現在大洪水で、とても観光旅行に行けるような状態ではない、ダッカ市内でも60cmも冠水しており、地方では2mも水がついている、という大使館員の返事であった。でも、ビザ申請は受理しましょう、ということであった。あと1ヶ月すれば水も引くだろうし、ビザは3ヶ月有効なので、無駄にはならないだろう、と言われた。そんなわけで、ビザ申請だけはすることにした。


9月3日(木)

 午前、バングラ大使館にビザの受け取りに行った。日本人はビザ代が不要なのはいいのだが、ビザ受け取り時間になってからビザを作りはじめるので、遅い遅い。一人30分以上かかる。ビザがもらえたのは、午後2時ごろであった。

 それから、パンテーププラザ(バンコクのコンピューターセンター)に行って、ソフトなどを買う。バングラは大洪水ということで、行くのを諦めた。ジブチに続いて、バングラにも行けなくなった。そこで、市内の全日空のオフィスに行って、予約の変更をした。明日の便が取れた。

賑やかなバンコク市内。


9月4日(金)

 午前中はまた寝ていた。昼前に出かけて行って、ドリアンを買う。100バーツ。なかなか美味しいが、一人で食べるには多すぎたので、ゲストハウスのメードに半分やると、大喜びしていた。

 昼から、空港に向かう。飛行機は午後7時発なのだが、余裕を見て、午後3時のバスに乗った。これが大正解。またもや大渋滞に巻き込まれ、バスは全く動かない。市内からわずか25kmしか離れていないドンムアン空港まで行くのに、2時間55分もかかって、空港に着いたのは、午後5時55分であった。出発の1時間5分前だから、早いどころか、むしろやや遅いくらいであった。あと30分遅いバスに乗っていたら、危ないところだった。

 バンコク発の全日空機は、関空まで直行する便と、クアラルンプール経由で関空まで行く便の2つがある。直行便は込んでいたが、クアラルンプール経由の便はすいていたので、昨日、経由便の方に予約を入れたのである。直行便は所要時間が短い分、出発時間が午後11時と遅く、それまで暇つぶしをするのも面倒だし、込んでいるとゆっくり寝られない。その点、経由便は早く出るし空いているから、寝ていくのには打ってつけである。久々に立ち寄ったクアラルンプールのスバン空港は、新しくなっていた。香港の新空港よりはずっときれいである。


9月5日(土)

 午前7時関空着。関空では、ジャンビアはターンテーブルから出て来た。機内持ち込み不可物件の受け取りかたにも、いろいろあるようである。あとから買った方のジャンビアは刃渡りが15cmを超えていたのであるが、結局、税関では荷物の中身を見なかったので、そのまま通ることができた。

(終わり)


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