カメルーン→フランス→日本


3月26日(木)

 昨日の晩は、蚊で寝られなかった。蚊帳を吊っているのに、蚊帳の中に蚊が入ってくるのである。電気をつけてみたが、どこも破れていないし、蚊帳のすそもきちんと折り込んである。一匹たたき潰して寝たが、また咬まれたので、またたたき潰す。しばらくすると、また咬まれる。蚊帳の網を、蚊がくぐり抜けて入ってくるとしか思えない。昔、家の網戸を蚊がくぐり抜けて入って来るのを見たことがあるから、あり得ない話ではない。マラリアになるのはいやだ。今、雨期で、マラリアが結構はやっているようである。マルチンもマラリアにかかっていると言っていたし、ココビーチでの警官も、しきりにマラリアの薬を欲しがっていた。

 午前中、エールフランスに行った。カメルーン、ガボン、サントメプリンシペ、赤道ギニアと回ったので、もういつでも帰れる。あと、ヤウンデとリンベくらいに行ってみても良いが、絶対に行かなければならないという程でもないから、もし予約が変更できるものなら、早い目に切り上げて帰るのも一つの手だと思ったからだ。ただ、持ってきた航空券は、予約変更不可であると、出発前に旅行会社から聞いていた。でも、ダメもとで、聞いてみるだけ聞いてみる価値はある。結果は、ドゥアラ−パリ間は、追加料金600フランスフランを払えば、予約は変更できるということであった。パリ−成田間は、ここでははっきり分からないので、パリでもう一度聞いて欲しいが、恐らく一切の変更が出来ないチケットではないかと言われた。と、言うことは、早い目にドゥアラを離れても、日本に帰るのは多分同じになる。フランスなどに足止めされるのはあまり嬉しくはないが、でも、マラリアの危険がないことだけはありがたい。そこで、空席を探してもらったが、今週も来週も、パリ行きは全便満席ということであった。それでは仕方ないので、最初の予約通り、来週水曜日の便に乗るしかない。そこで、予約の変更は諦めて、リコンファームだけしてもらった。

 オテルボーセジュールは蚊が多いので引き払い、近くの、オテル・レジダンシアル・ラ・ファレーズに移った。ここは、自由通りに面した高級ホテルであるが、もう最後ということで気が大きくなってきて、ここに泊まることにした。1泊22500CFAだが、来週水曜まで6泊するということで値切って、1泊20000CFAに負けてもらった。ここもアパート形式の部屋で、食卓、テレビ、ソファー、冷蔵庫、キッチンのあるダイニングルームと、机、ベッドのある寝室との二部屋が続きになった、大きな部屋である。オテルボーセジュールとは違い、お湯もじゃんじゃん出る。ただ、キッチンを使うには、毎日5000CFA払って、元栓を開けてもらわないといけないので、キッチンを使うのはやめたが、自炊をすれば、下宿にも使えそうな、いい部屋であった。

 昼から、食料を大量に買い出しに行った。キッチンは使えないものの、冷蔵庫があるので、まとめ買いしても大丈夫である。こうなると、もう、泊まっているというより、住んでいるという感じになってくる。

 今日、タクシーに乗って、やっと相場が分かった。今まで、乗る前に値段交渉をしていたので、いくら交渉しても、300CFA以下にはならなかったが、今日、初めて、値段交渉せずに乗って、降りるときに500CFA払うと、運転手は黙って360CFAのお釣りをくれた。それで、140CFAであることが判明した。それから、黙って乗って、降りるときに140CFAを渡しているが、それで誰も文句を言わない。値段交渉をするということ自体、「私は相場を知りません」と言っているのと同じことなので、今まで、ずっと2倍以上払っていたことになる。全くばからしい話だ。


3月27日(金)

 今日は、ほとんど一日、ホテルで休養していた。衛星放送に映画専門チャンネルがあって、邦画を日本語のまま、吹き替え無しフランス語の字幕で放送していたので、丁度いい暇つぶしになった。今日は金曜日なので、ラリアムも忘れずに飲んだ。いつでも風呂には入れるし、食べ物は買い込んであるし、クーラーはあるし、快適そのものである。ドゥアラはスコールが余り来ないので、午後はかなり暑いが、少しだけ出て行った。でもすぐに帰って来て、またクーラーを入れて、寝ころびながら衛星放送を見て過ごした。


3月28日(土)

 今日は、日帰りでリンベに行くことにした。8時過ぎ、ホテルを出て、ガール・ルチエールまで歩いて行く。途中、アエロフロートのオフィスがあった。アエロフロートは、以前は隔週にドゥアラに来ていたが、今はフライトは無いはずであるが、オフィスは閉鎖していないようだ。でも、朝早かったし、土曜日だったので、当然ながら閉まっていた。それに、オフィスの場所は、ガイドブックの地図とは違っていた。更に少し北に歩くと、ナイジェリア領事館があった。でも、ナイジェリアに行ってる時間はないから、今回はここに用はない。さらに歩いて、バスターミナルに出た。

 リンベ行きのミニバスはすぐに見つかった。9時出発。出発して少しすると、街の看板に英語の表記が混ざり始めた。カメルーンは、ほとんどフランス語圏だが、一部だけ英語圏があるのである。最初は高速道を走っていたが、途中でインターチェンジを降りて、田舎道を走り始める。田舎道と言っても、きれいに舗装してある。道の両側には、ゴムの木、バナナの木、畑などが広がる。途中、検問が6回もあるのには閉口したが、約1時間でブエアに着いた。ブエアは少し高原のようになっていて、大分涼しい。霧がかかって、少しかすんでいた。小さな町だが、町全体が市場のようになっていて、とても活気がある。ここでミニバスはしばらく停車したので、その辺を少しだけうろついた。

 リンベに11時少し前に到着。リンベも余り大きい町ではなかった。ここは英語圏なので、看板も全て英語表記、人々の会話も英語である。リンベは港町だと聞いていたが、不思議なことに、全く港町らしさが無い。むしろ、山あいの地方都市のような感じである。小高い丘が近くまで迫り、地形もそんな感じである。歩いているうちに港に出たが、港は小さく、海も汚なかった。リンベ市内をぐるっと回って、昼食に牛肉の串焼きを食べて、市場なども見て、さっきバスを降りたところまで戻ってきた。もうこれで見る所は終わりである。

リンベの町。

果物を売る人。

牛肉のバーベキュー。

 帰りのバスを待つが、来るのはタクシーばかりである。しばらく待って、やっとドゥアラに行くと言うミニバスが来たので、それに乗り込んだが、運転手が途中で「ドゥアラに行くのはやめた」と言い出して、降ろされてしまった。乗客が二人しかいなかったからである。何も無い田舎のど真ん中で、その人と二人だけ道端に立って、次のバスを待った。しかし、バスはなかなか来ないので、その人と二人で、マイフォートと言う町までタクシーで行って、そこからドゥアラ行きのミニバスに乗った。このバスも、途中でガソリンを入れたり、運転手が買い物に行ったり、さらには、運転手の友達(?)の家に行くために道をそれたり、いろいろ寄り道をしたが、3時前にはドゥアラに帰って来ることができた。

 それから、ホテルには直行せずに、鉄道駅を見に行った。駅の周囲は兵士が大勢立って警備に当たっており、雰囲気がものものしかった。駅舎に入ると、中はガランとしており、切符売り場は開いていたものの、誰も並んでいなかった。列車の時刻を書いた紙が窓口の近くに張ってあったが、日付は何と、4年前のものであった。4年間ダイヤ改正をしていないのか、それとも、昔の掲示をそのまま放置してあるのか、何ともよく分からない。列車は日に2本だけで、午前7時15分の急行と、午後1時30分の普通だけである。ヤウンデまで、急行で3時間、普通で4時間であった。

 駅に行ったあと、町をぶらぶらしてから、ホテルに帰ってきた。夕方、6時過ぎには寝てしまう。


3月29日(日)

 昨日早く寝たのに、起きたら7時半だった。昔は、外国に来ると余り寝られなかったのが、最近は全く反対になって、外国へ来ると寝すぎて困る。テレビをつけると、フランスの衛星放送の時刻は8時半になっていた。腕時計を確かめると、やっぱり7時半。ニュースを見て、その訳が分かった。ヨーロッパでは、今日からサマータイムで、1時間早くなったのである。確かめてないが、当地では赤道直下だからサマータイムは無いであろう。今日からは、カメルーンとフランスとで、1時間の時差が生じることになる。実は、帰りの飛行機は、ドゥアラ午後10時30分発、パリ午前6時到着となっていたので、どうして、来る時よりも飛行時間が1時間長いのか、ずっと不思議に思っていた。帰りはヤウンデ経由なのだろうと、勝手に考えていたが、実は、サマータイムのせいであったのだ。

 今日は日曜日なので、部屋の窓から外をのぞくと、道には車も人通りも少なく、ひっそりしている。店も閉まっている。こんな日は出て行くのが気味悪いから、一日中、ホテルで本を読んだり、テレビを見たりしていた。


3月30日(月)

 朝から、市内のあちこちをぶらついたが、これと言ったものも無く、昼過ぎには帰って来た。外は蒸し暑いし、見る所はネタ切れだし、全く暇である。順調に旅行出来すぎて、ドゥアラに戻って来るのが早すぎた。と言うよりは、サントメで、ガボンのビザが、通過ビザしかもらえなかったせいである。本当なら、あそこで観光ビザをもらって、ガボンをもう少し見るつもりでいたのが、4日間の通過ビザしかもらえなかったから、すぐに赤道ギニアに出国するしかなくなってしまい、結局、ドゥアラで暇を持て余すことになっているのである。明日は、日帰りでヤウンデにでも行ってこないと、暇で仕方がない。折角だから、行きは7時15分の急行列車でヤウンデまで行って、帰りはバスででも帰ってくることにすればいいだろう。


3月31日(火)

 起きたら、7時半であった。しまった。列車を逃してしまった。今からでもバスでなら行けないこともないが、もう面倒くさくなって、ヤウンデ行きはやめてしまった。

 今日、ちょっといいレストランに昼食に行った。3000CFA。いかにも上流階級という感じのカメルーン人が、何人も食事に来ていた。帰りに、マンゴーを買って帰って食べる。とてもおいしい。


4月1日(水)

 さて、今日がアフリカ最後の日である。今晩には、ドゥアラを離れることになる。午前中、お土産をいくつか買いに行った。民芸品や、アフリカ音楽のCDなどを買う。

 今日も、ちょっといいレストランに行った。3900CFA。ここのレストランは、昨日のレストランとは違い、ヨーロッパ人が多く来ていた。

 午後8時、ホテルをチェックアウトした。鍵を返すと、フロントが、「こんな時間にチェックアウト???」と驚いていたが、飛行機が夜行便だから仕方ない。タクシーを拾う。今まで、全くスコールが来なかったのに、帰る時になって、スコールになった。激しい雷雨の中を空港まで行った。

 空港に着いたときには、もうすでに搭乗手続きが始まっていた。荷物検査では、係員は、「今からパリに帰るんだろ。それなら、残ったセーファーフランを全部置いて行きな」と言うが、もちろん持って帰って来た。待合室で待っていると、急に鼻水が出て来て、のども痛くなってきた。あーあ、クーラーに当たりすぎて、風邪をひいたみたいだ。ホテルのクーラーは、入れるか切るかしかできず、温度調節が出来なかったからである。一度も下痢もせず、体調も崩さずにここまで来たのに、帰る直前になって風邪をひいた。旅行に出ると、大体帰る間際に体調が悪くなることが多い。今回もそうなってしまった。

 エールフランス機は、聞いていた通り満席。来たときと同じで、乗客のほとんどはヨーロッパ人であった。ドゥアラからほぼまっすぐに北上して、パリを目指す。ナイジェリアの上を飛び、ニジェールを横切って、アルジェリアの上を飛ぶ。最後は、アルジェリアとチュニジアとの国境線に沿って飛び、地中海に入った。チュニジアでは、真夜中の砂漠に黄色い電気がたくさん輝いているのが見えたので、驚いた。


4月2日(木)

 パリ時間午前6時10分、シャルルドゴール空港に着いた。まず、荷物を受け取って、入国する。そのあと、コンシーニュ(荷物預かり)を探すが、インフォメーションで聞くと、ないと言われたので、RER(郊外急行線)の駅まで行く。TGVの駅の隣がそれである。パリ北駅まで47フラン。切符売り場の人は、ニコニコして、「こんにちは。どうもありがとう」と日本語で言ってくれる。

 郊外急行線で、パリ北駅までは約30分であった。そこで降りて、荷物預かりを探すが、やっぱり見つからない。またインフォメーションで聞くと、国鉄のパリ北駅にはあると言うので、地下道を歩いて、国鉄のパリ北駅まで行った。コインロッカーがあり、1回20フラン。これで身軽になって、また地下鉄で、サンミッシェルまで行った。この辺は本屋が多いらしい。フランス語のコンピューター関係の本を買いたかったので、行ってみたのである。しかし、着いたのが早すぎて、本屋はまだ開いていなかった。それに、本屋街というほど本屋が多いわけでもない。

 本屋が開くまで、セーヌ川の方に行ったり、街を見たり、ぶらぶらしていた。そのうちに本屋が開いたので、コンピューター関係の専門書を10冊ばかり購入した。領収書をもらうときに、本のタイトルと値段を明記し、「朝日大学」の名前を入れて欲しいと言ったが、向こうがベラベラとまくし立てるので、うまく話が通じない。アフリカではフランス語で会話に問題なかったが、フランスは流石本場だけあって、初心者お断りのようだ。それでもあれこれ言って、なんとか、うちの大学の指定する様式の領収書と明細書とをもらった。

 本を購入して外に出ると、外はかなり強い雨になっていた。アフリカから着いたばかりなので、寒く感じる。それでなくとも、昨日から風邪気味である。また郊外急行線で、シャルルドゴール空港まで戻った。成田行きは13時30分発なので、11時30分から搭乗手続き開始である。もう11時前だから、市内をのんびり見ていては乗り遅れてしまう。

 空港に11時30分ちょうどに着いた。チェックインをして、まだ時間があったので、ついでに風邪薬を買いに行った。
「ちょっと風邪気味なので、風邪薬を下さい」
と言うと、
「それだけでは分かりません。症状を詳しく説明してくれないと」
と言うので、のどが痛いとか、鼻が出るとか、熱はまだないとか、昨日の夜からだとか、色々説明させられた。こちらが一言喋るたびに、向こうが矢継ぎ早にまくし立てるので、ここでも会話にならなかった。最後には、薬局の人は、「もう少しフランス語を勉強したら」と言いたげな顔で、呆れたような目つきでこちらを見ていた。やっぱり、初心者お断りである。もちろん、そんなフランス人ばかりでもないと思うが、でも、やっぱり噂は基本的には正しかった。


4月3日(金)

 成田空港、午前8時10分着。極地研に直行すると、丁度今日はお花見だというので、皆さんと一緒に、加賀公園にお花見に行った。その後、いつものように秋葉原に寄って、またまた部品を買い込んでしまった。それから、普通列車で穂積まで帰った。

(おわり)


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