ガボン→赤道ギニア→カメルーン


3月21日(土)

 朝6時半起床。シャワーを浴びて、朝食をとって、7時45分出発。バスターミナルまで歩いて行った。

 ガール・ルチエールでは、客引きがすごい。何人もの客引きが、私の両手と背中の荷物とを引っ張るので、3方向からの引っ張りだこになった。そのうちの一人などは、
「ランバレネ行きはこっちだ」
と言うので、
「私はココビーチに行くのであって、ランバレネに行くのではない」
と言うと、
かまわん。行き先をランバレネに変えろ
と言ってくる。呆れた客引きだ。

 さて、ココビーチ行きのミニバスは、ターミナルの端の方に停まっていた。先客が1人いるだけで、ミニバスの中はがらんとしている。運転手に聞くと、「9時に出発して、11時にはココビーチに着くだろう」と言う。ほんまかいな。アフリカのバスは、満員になり次第出発だろうから、本当に9時に発車できるかどうか、いささか怪しい。8時45分の段階でも、乗客は5人ほどであった。しかし、8時50分を過ぎた頃から、突然続々と客が集まってきて、9時には本当にミニバスは満員になった。全部で15人。

ココビーチに行くミニバス。

 9時10分、出発。始めのうちは、5分置きに停車して、運転手が物を買いに行ったり、ガソリンを入りたりするのでうんざりしたが、途中からは快調に走り出した。

 9時50分、検問でストップ。乗客は全員、身分証を提示しなければならなかった。小学生くらいの女の子が1人でバスに乗っていたが、この子は身分証を持っていなかったので、バスから降ろされ、詰所まで連れていかれそうになった。皆が、
「子供だから、大目に見て見逃してやってくれ」
と頼んだが、検問に来た兵士は、
「こっちに来い」
と言って、その子を連れて行った。詰所は少し離れていたので、バスからは良く見えなかったが、5〜6人の大男の兵士が、その小学生の女の子を取り囲んで、何か言っていた。運転手は何度も様子を見に行ったが、首を振って帰ってくるだけであった。乗客の中の一人が、
「大人が数人で行って頼めば、何とかなるだろう」
と言ったので、乗客の中から数人が、運転手とともに詰所に行った。
「ワシらが3000フラン払うから、何とか見逃してやってくれ」
と頼んでいるのが聞こえたが、ダメであった。

 バスはこのため、30分近く停まったが、結局、この女の子自身が5000フランの罰金を払うということで釈放され、女の子はバスに戻ってきた。10時20分発車。

 道は、途中から舗装していない砂利道になったが、きれいに整地してあるので、かなりの速度でバスは飛ばした。バスは日本車である。アフリカは日本車が多いので、思ったよりも交通はスムーズだ。これが中国だと、中国製のバスなので、スピードも出ず、日に何回もエンストする。

ガボンの田舎道。

 ココビーチには、12時過ぎに到着。荷物代込みで、5000CFA。多分、少し多い目に取られたのだろう。ミニバスを降りたところで、警官に呼び止められ、パスポート登録のために、派出所まで来いと言われた。警官に連れられて派出所まで行く間、1人の男がずっと後を付いてくるので、気持ち悪いなあと思っていると、この男が、
「あんた、中国人だろう。フランス語は話せるの?私が通訳してあげましょうか」
と、正確な中国語で話しかけてきたので、心底驚いた。でも、通訳してもらう必要も無かったので、お礼を言って断った。悪い人でもなさそうだったが、ガボンのこんな田舎町で、流暢に北京語を操る黒人が現れると、却ってうす気味悪かったからである。それに、リーブルビルでの英語を話す男や、サントメでのフランス語を話す泥棒少女を思い出し、現地の言葉以外を話す人間には、どうしても警戒感があったからだ。もしかすると、中国に留学していたのかもしれないが、それならエリートのはずで、身なりはかなりみすぼらしかったから、やっぱり不可解だ。まあ、こっちも相当みすぼらしい格好をしているから、人のことは言えないけれども。派出所での手続き費、2000CFA。このようなこまごまとした手続き費がことある度にかかるが、正式の費用なのか、一種の賄賂なのか、どうもよく分からない。

 今日、対岸の赤道ギニアに行くのはやめて、今日は、ココビーチに1泊することにした。近くの、Motel Esperanceに投宿。12000CFAで冷房付きである。ベッドも清潔。ところが、部屋に案内してくれた従業員が言うには、

「申し訳ないですが、この部屋だけ冷房が壊れているんです。他の部屋はまだ掃除中なので、しばらくここで待っていてください。他の部屋が空き次第、呼びに来ますから」

と言うことであった。そこで、窓を開けて、部屋で休んでいた。窓からはビーチも見える。なかなかいい所だ。波の音も爽やかである。でもやっぱり暑いなあと思って、壊れているとのことであったが、クーラーのリモコンをふと見ると、何とクーラーは日本製で、リモコンが全て日本語で書いてあった。かなり複雑なリモコンで、しかも、設定が目茶目茶になっていたので、一度全部リセットしてから温度設定をしなおすと、クーラーは快調に動き出した。壊れていると思って使ってなかったから、フィルターなどもきれいである。これでバッチリ。部屋で涼んでいると、従業員が、他の部屋が空いたことを知らせに来て、冷房が効いていたのでびっくりして、
「これは一体?」
というので訳を話すと、
「そうでしたか。助かりました」
と納得していた。部屋には、エアコン用に、220Vを100Vに落とすトランスが設置してあったし、リモコンの表示も全て日本語であるところを見ると、これはどうやら、どこかの家で使われていたエアコンを廃棄したものが、はるばるここまで運ばれてきて、修理されて使われているものであろう。捨てた人も、自分の家のエアコンが、まさかガボンに運ばれてまた使われているとは、想像もつかないであろう。温度設定したついでに、時刻も合わせておいたが、その直後に停電があり、時刻が0時0分0秒に戻ってしまったので、それ以上は合わせなかった。

 夜、また蚊帳を吊って寝る。

ココビーチの様子。


3月22日(日)

 さて、今日はガボンを出国して、赤道ギニアに行く日である。朝7時30分に船着き場に見に行ったが、船はまだ来ていなかった。一度ホテルに戻り、8時半にもう一度見に行くと、今度は船が来ていた。すでに3人くらいが待っている。カヌーだと聞いていたが、モーターボートであった。

ココビーチの船頭たち。

 ガボンの出国スタンプをもらうため、近くの、イミグレーションオフィスに行ったが、ボスがまだ来ないとの理由で、待たされた。9時にボスが出勤して来たので、3000CFA払って、出国手続きをしてもらった。出国印が無いらしく、ビザとは別のページに、

「ココビーチより、ガボン共和国を出国したことを証する 1998年3月22日」

と手書きで記入したパスポートが返却された。

 浜辺に戻ると、ボートはすでに出てしまっていた。仕方がないので、浜でずっと次のボートを待った。9時50分になって、1人の男が来て、

「アカラヨン(対岸の赤道ギニアの町の名前)に行くなら、私のボートに乗れ」

と言うので、ついて行った。乗る前に、値段交渉をした。昨日、地元の人に色々聞いて、対岸まで3000CFAとの情報を得ていたので、
「私が3000CFAで、荷物1000CFAの合計4000CFA」
と言うと、
「OK。すぐに出発するから、乗って待っていなさい」
と言うので、ボートに乗り込んだ。男は、
「ちょっと用がある」
と言って、降りて行ったので、ボートの中で待っていたが、なかなか帰って来ない。1時間が経ち、1時間半が過ぎたが、男は帰ってこない。やっと男が戻ってきたので、
「すぐに出るというから待ってたのに、どうしたんですか」
と言うと、
「すぐに出るだと?ふん、すぐに出てやってもいいけど、それなら20000CFAだ」
と言うので、
「さっき、4000CFAと言ったじゃないか」
と言うが、男は聞き入れない。その時、丁度赤道ギニア側から、1台のボートがやって来た。そこで、
「約束が違うんなら、ボートを変わらせてもらう」
と言って、荷物を担いで、ボートを変わろうとしたが、男が邪魔をするので、変われない。それでも、赤道ギニアから来たボートは、我々のボートに接近しようとしたが、このボートは子供が運転していたので、男が現地語で何か言うと、帰って行ってしまった。きっと、
「あっちへ行け。こいつは俺の先客だ。手を出したらタダではおかんぞ」
とでも言ったのだろう。でも、そのすきに岸に上がることに成功した。

ぼったくりの船。

 岸に上がると、別の船頭たちが寄って来て、
「お前は最低の人間だ」とか、「これでもうお前は対岸には行けない」
とか言ってきた。それを聞いた、近くの店の人が、
「この人は、朝からずっと待ってたんだ。仕方ないだろう」
と弁護してくれた。
「すぐに出ると言うし、4000CFAだと言うから乗って待っていたのに、今になって、すぐに出るなら20000CFAはひどいよ」
と言ったが、船頭は、
「4000CFAなどとは約束していない」
としらを切る。

 押し問答をすればするほど、船頭たちとの間に険悪な雰囲気が漂ってきた。もうこれで腹を決めた。いくら店の人が味方してくれても、対岸に連れてくれるのは船頭である。その船頭たちが敵では、どうしようもない。今日はリーブルビルに戻って、明日、朝一番に空港まで行って、どこでもいいから、ガボンを脱出するために、取れるところの切符を取って、飛行機で飛ぼう。と言っても、行った先のビザを持っていないと入国できないから、行き先は、マラボかバータかドゥアラかヤウンデしかない。しかし、とにかくその中のどこかに行こう。そう思って浜辺を離れ、昨日バスが着いた所で、リーブルビル行きのバスを待った。今、11時30分である。昨日バスが着いたのは正午を少し回った頃であったから、半時間くらい待っておれば、バスが来るに違いない。昨日は検問で長く停まったから、もしかすると、今日は昼までにはバスが来るかもしれない。それでリーブルビルに戻り、明日空港に行こうと思った。

 問題は、すでに一度ガボンの出国手続きをしてしまっているということである。これは、本当は大問題である。ただ、幸い、出国印が無かったために、係員はビザとは違うページに手書きで出国証明の文句を書き入れただけであったので、その上から、サントメプリンシペで買った切手でも張って隠してしまえばバレない。ビザの期限は4日間なので、明日には絶対にガボンを出国しなければならない。だから、もしリーブルビルに戻るのならば、今日中に戻らなければピンチだ。

 バスを待っている間、1人のオッサンがやって来て水をくれと言うので、持っていたミネラルウォーターを分けてあげた。その人が、
「あんなになってしまって、これからどうする気だ」
と言うので、
「とにかく、リーブルビルまで戻る。今後はそれから考える」
と言うと、
「そうか」
と言った。その時、浜の方から1人の男がやってきて、
「赤道ギニアに行くんだろ。なら、俺の船に乗れ」
と言った。私は、すぐに返事が出来なかった。男は、
「すぐ出発するから」
と言った。この男について行って、すぐ出発しなかったり、或いはまたトラブルになったりして、その間にリーブルビル行きのバスが来て、もし折り返して行ってしまうようなことがあると、本当に絶体絶命のピンチに陥る。もし、乗るとしたら、賭になる。どうすればよいのか迷った。すぐには返事が出来なかった。それを察してか、さっき水を分けてあげたオッサンが横から、
「モンテ。ス・ジャン・エ・ボン(乗りな。この男はいいヤツだ)」
と言ってくれた。この一言で、決心した。この男に賭けることにした。確かに、この男は人の良さそうな顔をしていたし、それに、さっき、浜で罵声を浴びせてきた船頭たちの中に、この男はいなかったような気がする。

 浜に行くと、船頭のワイフたちが井戸端会議をしていたが、船頭たちはいなかったので、そのすきに、この男の船に乗った。船は、赤道ギニア側から来たものだった。それなら、さっきのトラブルとは何の関係もない。顔を見たことがないはずである。私が、赤道ギニアの船に乗るのを見た、船頭のワイフたちの1人が立ち上がって、

「ふん、あっち側に行くのかい!あっちはこっちみたいにいい人ばかりじゃないよ。向こう側は泥棒ばかりだ。お前なんぞは、着いた途端に、有り金全部を巻き上げられて、それで一巻の終わりだ」

と言った。騒ぎを聞きつけて、近くのバーから船頭が何人か出て来た。そのうちの1人が、

「その船に乗ることは許さん。降りろ」

と言ったが、無理に力ずくでも引きずり下ろしには来なかった。まもなく船が岸を離れると、さっきの船頭のワイフの1人が、

「気違いの中国人め!とっととあっちに行っちまえ。お前なんか二度とココビーチに来るな。二度とガボンに来るな」

と言っているのが聞こえた。

良い方の船。

 船は、約15分で対岸の小さな村に着いた。ここはすでに赤道ギニア領である。ここで、おばちゃんが1人乗ってきた。更に続けて川を上流に向かって遡り、約1時間で、やや大きな村に着いた。荷物代込みで7000CFA。ちょっと高いけども、事情が事情なので、そのままOKした。ところが、着いた所は、アカラヨンではなく、コゴと言うところであった。最初、聞き間違えて「ココ」と聞いてしまい、ココビーチに戻ったのかと思ってびっくりしたが、そうではなく、赤道ギニアのコゴという町であった。

赤道ギニアのコゴの町。

 上陸すると、全てがスペイン語であった。サントメのポルトガル語の嵐から脱出し、ガボンのフランス語にほっとしていたのに、また違う言語圏に入ったのである。まず、入国手続き(3000CFA)、税関検査(4000CFA)、検疫(4000CFA)。係員は皆フランス語を話すほか、英語もある程度話せる。皆とても親切だ。でも、税関検査は非常に厳しく、荷物を全部開けさせられて、所持品を隅から隅まで調べられた。

 手続きが済むと、係官の1人が、
「今からすぐバータに行くのですか。それとも、今晩はここで一泊するのですか」
と聞くので、午前中のトラブルで気疲れしていたこともあって、
「できれば1泊したいのですが、ここにホテルはありますか」
と聞くと、
「ありますとも。私が今から連れて行ってあげましょう」
と言って、ホテル(と言うより、宿屋)に案内してくれた。スペイン語圏なので、「ペンション」という表示があったが、とにかく、泊まるところには違いない。電気も水道も無いところであったが、1泊3000CFAは安い。

 この親切な係官によると、バータまではバスで4時間で行けるそうなので、明日午前中に出れば、午後にはバータに着けるであろう。

コゴでの宿の女の子。


3月23日(月)

 朝8時に出発。船着き場の近くでバスを待った。昨日の親切な税関の係官は、
「バータ行きのバスは毎時1本あって、所要時間は4時間だ」
と言っていたが、こんな国で、そんなに頻繁にバスの便があるとは思えない。でも、宿の人も、
「バータ行きのバスは多いよ」
と言っていたから、実は、思ったよりも交通網は発達しているのかも知れない。道行く人に聞いても、
「そこで待っておればよい。車はすぐに来る」
と言うだけ。

早朝のコゴ

 9時過ぎ、
「1台のトラックがバータまで行くから、それに乗れ」
と地元の人が呼びに来てくれた。トラックはすぐ近くに停まっていたが、荷台には荷物が満載に積まれ、荷台の少しだけ空いているスペースに、すでに10人近くが乗っていた。私も荷台に立って乗る。

 9時15分出発。途中、近くの村でも人を乗せたので、荷台はすし詰め状態になった。ジャングルの中のデコボコ道を、トラックはかなりの勢いで走った。日本車なので、走るのは良く走るのである。そのため、荷台から振り落とされないように、荷物にしっかりとつかまっていなければならなかった。

 11時過ぎ、前方に1台の車が立ち往生しているのが見えた。故障らしい。我々のトラックも停まって、修理を手伝う。1時間近くかかって、壊れた部品を取り外したが、替えの部品が無いので、立ち往生している車の乗客をこっちに乗せて、先に行くことになった。壊れた部品は、バータで調達して、コゴに向かう他の車に託すという。他車の乗客も拾ったせいで、我々のトラックには20人以上が乗ることになり、荷物につかまりながら、ほとんど片足で立って荷台に乗ることになった。身動き一つ出来ない。

 午後1時、検問と小さな店のある、分岐点に差しかかった。ここで小休止。検問はあったが、チェックは無し。30分ほど停まって、トラックは更に深いジャングルの道へと入っていった。そのとき、皆が、
「このトラックはバータへは行かない。バータは(さっきの分岐点の)あっちの道だ。我々は今からムビニに行く」
と言った。顔が青ざめた。まあ、4月1日までにドゥアラに着けばいいから、ムビニに行くのなら行くでいいけども、行き先がコロコロと変わるのは困る。
「ムビニにはいつ着くの」
と聞くと、
「今ここだから、この調子だと、夕方6時頃になるかな。それから折り返してバータに行くから、バータには、早くても夜中の12時だ」
と言った。

ジャングルの道。

 そのうち、皆が、
「お前の時計をよこせ」
とか、
「お前は空手はやらんだろう」
とか、
「バータまで20000CFAだ」
とか言ってきた。皆がしつこく、
「お前は日本人だろう」
と聞くので、
「いや、中国人だ」
と言うと、
「なるほど。バータには中国人が多いからな」
と言っている人もいたが、
「ごまかしても無駄だ。途中でまた検問があるから、パスポートチェックでいずれ分かるぞ」
と言っている人もいた。

 午後2時頃、山の中で急に天候が悪くなり、スコールが来た。雨の中をずぶ濡れになりながら走る。運良く、少し行ったところに小さな集落があったので、そこで雨宿りをした。その間に、運転手に、
「ムビニには何時ごろ着くの」
と聞いたら、
「ムビニ?冗談言っちゃいかんぜ。このトラックはバータに向かってんだ」
と言ったので、皆に担がれていることがはっきりした。運転手は、荷台の上での会話を知らないから、本当のことを言ったのだ。
「バータにはいつ頃着くの」
と聞き直すと、
「あと半時間だ」
と言った。こんなジャングルの中からあと半時間でバータに着く?この男の言っていることもよく分からない。

 小雨になったので、出発。さらに密林の中のドロドロの道を走る。午後3時過ぎになって、道端に、「K27」と書かれた小さな標識を見つけた。バータまであと27kmに違いない。ホッとした。少し行くと、ジャングルが少し浅くなり、集落が増えてきた。3時半、タクシーとすれ違った。タクシーとすれ違うということは、バータ近郊まで来たということである。

 午後4時、検問で停車。バータまであと10kmと言う。やれやれ助かった。パスポートチェック。手続き費(その実は、賄賂)3000CFAを要求された。今まで中国人と言っていたのに、日本のパスポートを取り出したので、皆の目付きが一瞬鋭くなったが、検問なので仕方がなかった。日本人と言うのも言わないのも、どっちも怖い。

 4時半、バータ市内に入ったが、荷物を先に届けに行くので、市内をあっちに行ったりこっちへ来たりで、街の中心に着いたのは、午後5時半頃になった。何がバータまで4時間だ。その倍もかかっている。荷物代込みで、5000CFAで話をまとめる。それにしても、バータのすぐ近郊に来るまでに、ジャングルの中ですれ違った車は、わずか3台だけであった。 「バータ行きのバスは毎時一本ある」なんてとんでもない。

 運転手は、近くのパンアフリカンホテルまで送ってくれたが、このホテルは満室であった。近くの別のホテルも満室。3つ目に行ったホテルは空いていた。10000CFA。電気はあるが、水道は無く、ため水を使う。トラックの旅で、全身汗まみれ、服も荷物もドロドロなのに、充分洗濯できないのはつらい。それでも、下着とTシャツとだけは、軽く洗った。

 公用語がスペイン語である赤道ギニアでは、英語は全く通じない(ホテルや航空会社でもダメ)が、フランス語は良く通じる。それに、バータの町には、確かに中国人が多い。たまたま出会った中国人に、道を中国語で聞くと、とても親切に教えてくれた。

バータの町。

同上。


3月24日(火)

 まず、赤道ギニア航空のオフィスに、切符を買いに行った。マラボに行くためである。ここバータは、居心地が良さそうな町なので、もう少し滞在したかったが、昨日のホテルは、テラスに通じるドアに鍵が無く、少し安全性に問題がある。昨晩は何も起こらなかったが、もう1泊するのはいやだ。そんなわけで、もし可能なら、今日にでもマラボに行きたい。それに、マラボは赤道ギニアの首都だから、もうすこし良いホテルがあるかもしれない。昨日洗った下着とTシャツは、汚れが全く落ちていない。2晩続けて水道のないホテルに泊まっているから、出来たら、今晩は洗濯のできるところに泊まりたい。ただ、マラボも何しろサントメのように島の上の町なので、水が充分にあるかどうか分からない。

 航空会社のオフィスは、ホテルから徒歩1分の所にあった。今日の空席もあり、片道26500CFA。国内線だからだろうが、思ったよりも安かった。12時30分の出発だが、10時30分には空港に行くようにと言われた。

 10時過ぎにホテルを出発。向かいの赤道ギニア航空のオフィスにもう一度顔を出し、
「今から空港に行きます」
と挨拶すると、親切な係員が
「ちょっと待て。今からスタッフが空港に行くから、一緒に乗せてあげる」
と言ってくれた。実は、始めからそれをちょっぴり期待して、オフィスに立ち寄ったのである。

 空港は、まるで田舎のJRの駅のように小さい建物が一つあるだけであった。中は薄暗く、倉庫のように雑然としていた。

 来たのは、ロシア製の飛行機であった。サントメ航空よりはずっと大きく、一応ジェット機であった。パイロットはスペイン人であった。12時45分に離陸。マラボには13時30分に着いた。検査は割合厳しい。

バータからマラボへまでは赤道ギニア航空国内線に乗った。

 市内に向かうタクシーは、10000CFAとふっかけてくるので、値切ると、3000CFAになった。それでも高かったので、更に値切って、2000CFAでまとめた。市内までは15分程度。市内でホテルをいくつか当たるが、どれも満室であった。6軒くらい行ったが、どれもダメ。次第に、運チャンも焦り出した。
「これは、本当に泊まるところが無いかも知れん。長期滞在者が多いからな」
と運転手は言った。それからも更に数軒回って、最後にやっと一軒、一部屋だけ空いているというところを見つけた。市内をあちこち行ってホテル探しをしてくれたので、タクシー代は、やっぱり3000CFA払ってあげた。

 このホテルも、電気も水道も無いところであった。1泊10000CFAはバータと同じ。でも、電気だけでもあるだけ、バータの方がよかった。このホテルでも、夜間のみ自家発電をしているが、部屋の電灯も扇風機も壊れているので、実質的には、電気は無いのと同じであった。

 少し休んでから、市内に出ていった。この町も、物が無く、多くの店はシャッターを降ろして、休業していた。サントメほどひどくはないが、それでも半ゴーストタウン状態である。パンも売っていない。市内をあちこち(と言っても小さい町だが)を歩いて、やっとバナナを売っているのを見つけて、今晩の夕食と明日の朝食用に買う。電話局も郵便局も休み。もしかすると、ゼネストか何かではないかと疑いたくなる。あのサントメでも、郵便局はやっていた。

赤道ギニアの首都、マラボの町。

 町を歩いていると、1人の男が英語で、
「ハロー、マイフレンド。私が市内を案内してあげましょうか」
と言いながら近寄ってきたので、
「自分で見ます」
と言うと、
「チェッ」
と言いながら立ち去っていった。夕食がバナナだけではお粗末なので、たまたま開いていた店で缶詰めを買う。1000CFA札を出してお釣りをもらうと、後ろに並んでいた婆さんが、
「そのお釣りは私にくれ」
と言う。死んでもやるもんか。

 この町にも中国人は多く、中華料理店と漢方医があちこちにあったが、中華料理店は全て閉まっていた。漢字の看板が少しある。

 早い目にホテルに戻って、いつものように蚊帳を吊って寝ようとするが、余りに暑くて寝られない。今日はスコールが来なかったので、特に暑い。


3月25日(水)

 こんな国は早く脱出して、何でもあるドゥアラに戻りたいので、朝から切符を買いに行く。今日は、商店は開いていた。郵便局もやっている。パンも、あちこちで売っている。やっぱり、昨日はゼネストだったのだろうか。

 カメルーン大使館で、カメルーン航空のオフィスの場所を聞くと、とても親切に教えてくれた。独立通りの西の方にあるらしい。行ってみると、今日の午後にフライトがあり、席も取れるとのこと。65000CFA。発券する時になって、プリンターが紙詰まりを起こし、何度やってもダメで、1時間も待たされた。

 帰りに、教会や港、郵便局などに行く。マラボは、かつてのスペイン統治時代には、サンタイサベラというかっこいい名前で呼ばれた町であるから、美しい街並みを想像していたが、実際はその逆であった。しかし、教会の近くだけは、ヨーロッパ風のきれいな街並みが残っていた。郵便局では、家に葉書を出したほか、記念切手をおみやげに多数買った。切手はかさばらないので良い。

スペイン風建築物の残るマラボ中心部。

 市内の店は、昼前には全部閉まってしまった。マラボ市内は、また昨日のようなゴーストタウンになった。どうやら、ここの町は、午前中だけしか活動していないようである。

 午後、どこかの国の要人が来たらしく、軍の警備の車が先導して、VIPの車が通って行った。午後3時にホテルを出発。午後になると、タクシーも少なくなり、すぐに拾えない。やっと1台見つけ、空港まで行く。2500CFA。

 荷物検査、搭乗手続きは簡単。この時、前に並んでいたカメルーン人が、流暢な日本語で話しかけてきたので、とても驚いた。ココビーチでの中国語を話すガボン人の時も相当驚いたが、今回はもっと驚いた。ただ、この人は身なりもしっかりしており、いかにもエリートという感じであった。それにしても、この人の日本語は、ほぼ完璧であった。

 出国手続きも簡単。しかし、良かったのはそこまでであった。待合室で飛行機を待っていると、二人の警官が、一人一人乗客の顔を覗きながら見て回り始めた。これはやばいと直感した。もちろん、こちらは何も悪いことはしていないが、彼らの目的はほぼ明らかであった。案の定、待合室にいた十数人の中から光栄にもご指名を受け、別室に連れて行かれた。

行ってみると、そこには机が一つ置いてあり、30才前後の若い警官が1人、ニヤニヤしながら座っていた。
「カバンの中の物と、ポケットの中の物を全て出してここに置け。パスポートもだ」
と、その若い警官は命令した。首に吊り下げた貴重品袋からパスポートを取り出そうとすると、
「その袋ごとここに置け」
と言った。私を連行した二人の警官と、この若い警官の3人は、机に並べられた私の所持品の中から現金を全て分別し、机の上に並べ、一枚一枚数えながら、
「もっと持っているはずだ。出せ」
と言った。一番大きな現金はパンツの中に入れてあったが、
「それで全てです。何しろ、貴重品袋まで出したんですから」
と、とぼけた。

やがて、若い警官が言った。
「この金を、お前はどこで手に入れた?」。
どこで手に入れたもクソも無い。日本から持って来たものだ。
「この金は、お前がマラボ滞在中に働いて手に入れたものだろう!」
警官は言った。
「私は、昨日バータからマラボに着いて、もう今日ドゥアラに行くのです。マラボで働けるわけが無いでしょう」
と答えたが、この若い警官は、
「やかましい!お前がマラボで働いていたことは、もうとっくの昔に調べがついているんだ。白を切ろうたって無駄だ。何なら、おまえが働いていた中華料理店の名前を出してやってもいいんだぜ」
と言った。相手をするのがアホらしくなってきた。赤道ギニアには中国人が多いから、恐らく、中国人を見つけると、誰彼無く、この手で恐喝しているのであろう。こんな相手には何を言っても無駄だから、話を聞くだけ聞いて、後は、相手が要求額を切り出してくるのを待つしかない。

警官は続けた。
「外貨持ち込み申告書を見せろ」
「そんなものありません」
「そら見ろ。日本から持ってきた金なら、外貨持ち込み申告書があるはずだ。外貨持ち込み申告書を所持していないということこそ、お前がマラボで不法に働いたことの何よりの証拠だ」
と、引き出しから何枚かの外貨持ち込み申告書の用紙を取り出して見せながら、その若い警官は言った。
「でも、コゴで入国したとき、税関で外貨持ち込み申告書なんてくれませんでしたよ」
「人をなめるな、この野郎!」
警官は立ち上がりざまに、思いきり机を叩きつけた。こんなことくらいでは私はおじけづかないが、外貨持ち込み申告書が無いということは事実なので、弱点を握られてしまったことは確かである。早く賄賂の額を提示して欲しかったので、少しおびえるふりをしてみせた。ただ、一つ心配なのは、机の上の現金全てを没収されることであった。

警官は更に続けた。

「我が国のどこの入国地点でも、外国人は入国の際に、所持している現金の額を申告しなければならない。お前はそれを怠った上に、観光ビザで入国して不法に働いた。赤道ギニア共和国入国管理法ならびに労働法、外貨管理法の3つに違反した。これから、市内の本署まで連行して、より詳しい調べを行う」

これを聞いて、
「ああ、これで助かった。次は賄賂だ」
と思った。今から本署に連行して取り調べなど行えるわけは無く、出来ないことを言うのは、賄賂要求の伏線であることが多いからだ。思った通り、

「と言いたいところだが、今回は初犯ということで、特別に罰金300フランスフランで見逃してやる。今日の担当がこの俺で良かったと思え。他の人間なら、お前は牢屋にぶち込まれているところだぞ。金を置いて、とっとと立ち去れ。二度とこんなことをしたら許さんぞ」

と若い警官は言った。現金全部でなくて良かった。

 待合室に戻ると、もう搭乗が始まるところであった。カメルーン航空機は、4時50分にマラボ空港を離陸、水平飛行する間もなく、すぐに降下を始めた。5時4分、ドゥアラ空港に着陸。飛行時間わずかに14分。今までに乗った国際線の中では一番短かかった、釜山→福岡の飛行時間35分を大幅に塗り替える最短記録だ。

 カメルーンでの入国、税関共に問題なし。タクシーで市内まで。いくら交渉しても、3000CFA以下にはならなかった。やはり、空港で客待ちしているタクシーはダメである。ホテルボーセジュールにまた泊まる。クーラーも入るし、水も電気もある。検問も無いし、賄賂も必要ない。二週間前に日本から来たときは薄汚く見えたドゥアラの町が、今日赤道ギニアから来ると美しく活気のある町に見える。全てが正常だ。店も開いている。物もある。思わず、部屋でガッツポーズを取ってしまった。


  


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