カメルーン→ガボン


3月13日(金)

 早朝起床。朝食を食べていると、何か黒いものが視界に入った。蚊である。急いで蚊取り線香を取り出し、火をつけた。これで安心と思って、続けてパンを食べていると、右足の甲がチクッとした。蚊にやられてしまった。念のために、蚊が止まらないかどうか見ていたつもりであったが、黒い靴下をはいていたので、見えなかった。しばらくして、蚊取り線香が効いてきたのか、蚊がふらふらになったので、うまくはたいて仕留めた。慣れた人は、はたいた蚊を見て、それがハマダラ蚊かどうか調べるらしいが、自分は見ても分からない。ハマダラ蚊というぐらいだから、羽がまだらなのだろうか。いずれにせよ、蚊に咬まれてから潰しても仕方ない。マラリア予防薬にお願いするしかない。

 7時前にホテルを出発。タクシーで空港まで行った。2000CFA。空港7時10分着。ポーターがまとわりついてきてうるさい。荷物検査も執拗でねちっこい。不審物の検査というよりは、難癖を付けて賄賂を要求するのが狙いらしい。何とか通過。次に、カウンターで荷物を預ける。空港税10000CFA。何と、成田空港よりも高い。全くボッタクリである。何も頼んでないのにずっとまとわりついてきたポーターが、チップを払えと言うので、お情けで100CFAだけあげると、怒って帰って行った。その後、出国検査、手荷物検査をして、待合室に行った。待合室だけは冷房が入っていて涼しい。

 8時50分に、搭乗のアナウンスがあった。飛行機まで歩いて行くのであるが、途中、さっきカウンターで預けた荷物が地面に山積みにしてあるので、それを自分で台車に乗せなければならなかった。こんな空港は初めてだ(後で知ったことだが、アフリカにはこのような空港は実は多いのである)。

カメルーン航空機(ドゥアラの空港にて)。

 席は自由席なので、後ろの方の窓際に座った。定刻9時10分ちょうどに、1秒も違わず動き始めた。アフリカの飛行機も、割合まともに運行しているようである。機体はボーイング737であったが、乗客は30人もいなかったので、がら空きであった。

 離陸後、サンドイッチが出る。ジャングルの上を飛び、次に海上に出て、リーブルビルを目指す。到着直前、リーブルビル附近に乱気流があって、猛烈に揺れた。

ガボンのリーブルビル空港に着陸。

 リーブルビルには10時着。空港ロビーに入って、そのきれいさにびっくりした。ドゥアラの空港とは全く違う。それに、全館冷房していた。

 入国するとき、係官が途中で席を外したままどこかに行って帰ってこなくなり、大分待たされた。税関検査は、まあまあ簡単。

 外に出て、市内までのバスが無いかどうか探す。普通なら、外に出た途端に、タクシードライバーがわっと寄ってきて、口々に自分の車に勧誘するはずであるが、ここでは誰も寄って来ない。不思議だ。空港の前の通りまで出ていく。中国の小公共汽車のような、バンを利用したミニバスが多数通っている。何台かに、市内に行くのかどうか聞いてみたが、いずれも「ノン」。そのうち、見るに見かねたタクシードライバーが一人来て、

「もし市内に行くのなら、2000CFAで行くよ」

と言う。ふっかけた値段ではなかったのでOKしても良かったが、サントメや赤道ギニアに行くときもここの空港を使うはずなので、市内と空港との間を何度も往復する必要がありそうだったから、もしバスがあるのならば、そのルートをぜひ見つけておきたかったので、断った。更に何台かに尋ねたが、やはり「ノン」。やっぱり、素直にタクシーにしようかと考え始めたとき、街の中心に行くと言うミニバスが来た。料金200CFA。

 市内までは、かなり遠かった。「ここが終点だ」と言われて降りたが、どこだか分からない。たまたま、同じバスに乗り合わせていた中学生くらいの女の子の3人連れが、

「ヴー・ザレ・ウー、ムッシュー?」

と聞いてきてくれたので、現在位置を尋ね、今からホテルを探しに行きたいと言った。ここは、リーブルビルのガール・ルチエール(バスターミナル)で、モンブエ市場のすぐ近くであった。それなら、好都合である。目星をつけていたホテルモンブエの近くである。でも、この女の子たちは、ホテルモンブエを知らなかった。

「ホテルメリディアンならば知っているから、そちらにしたらどうですか」

と教えてくれたが、ホテルメリディアンと言えば、エールフランス系列である。日本で言えば、ホテル日航や全日空ホテルのようなものだ。そんな高い所はかなわないので、
「ホテルモンブエを探したい」
と言うと、
「どう行けばよいか、聞いてあげましょう」
と言う。とても親切である。

 女の子たちは、色々聞いて回ってくれて、

「このミニバスに乗ってください」

と言った。そこで、お礼を言って、バスに乗った。ホテルモンブエはこの近くのはずで、バスで行くほどの所ではないはずだったが、折角の親切なので、乗ることにした。女の子たちは運転手に、

「ホテルモンブエの近くで降ろしてあげてください」

と頼んでくれた。

 バスで5分も行かないうちに、運転手が、
「ここで降りろ」
と言った。その瞬間、別の乗客が、

「私もたまたまここで降りる予定で、ホテルモンブエを知っているから、連れて行ってあげましょう」

と英語で言い、運転手に2人分のお金を払ってしまった。降りてから、バス代を払おうとするが、受け取らない。普通なら、ニコニコして

「大した額じゃないですから、いいですよ」

と言うところが、この男は、(作り笑いをしているものの)何か引きつった顔で、

「いらない」

と固辞する。これで、とっさに、おかしいと気付いた。しかし、まだ、悪い男と決まったわけではないので、取り敢えず、一緒に歩いて行った。道中、この男は英語で、

「ガボンは危ないから気をつけなさい。初めて来たところでも、何度も来たことがあるかのように歩きなさい。旅行者のようなそぶりは見せず、あたかも、当地に住んでいる外国人のように振る舞いなさい。まあ、私にピッタリ付いておくのが、今は一番安全です」

としきりに繰り返す。これは完全に怪しい。この国は危ないことを強調し、だから私について来いと言うのは、人を騙すときの常套文句である。すると、急に男は、
「この路地の奥にホテルモンブエがある」
と言って、細い路地に入ろうとした。これで決まりだ。「あばよ」と言って逃げると、後ろから、
「本当だ。私を信じてくれ」
と言っていたが、追いかけては来なかった。

 それから、バスを降りたところまで戻り、色々な人にもう一度道を聞いた。地図と比較すると、バスを降りたところまでは正しい。カメルーンと違い、ここでは英語はほとんど通じず、フランス語しかダメである。さっきの男のように、片言でも英語を話す奴は、タイで日本語を話すペテン師みたいなものだろう。さっきの中学生の女の子のように、フランス語しか話さない人は、多分信用できる。

 さて、皆に聞いたとおりに行ってみたが、ホテルモンブエは無かった。モンブエ市場に出てしまった。「マルシェ・モンブエ」とは言わず、はっきり「オテール・モンブエ」と言ったつもりだが。市場はとても活気があり、物も豊富であった。果物だって、山のようにある。カメルーンよりも豊かだ。なおも歩いていると、スタジアムに出た。それで、地図と照らし合わせて、やっと位置と方角とが大体分かった。そこで、地図通りに歩いて行くと、ホテルモンブエに出た。やっぱり人に聞かず、自分で探すのが一番確かである。

 ホテルモンブエは、冷房無し10000CFA、冷房付き14000CFAで、値段はリーゾナブルであるが、本日は満室だと言われ、断られてしまった。今12時過ぎだから、チェックアウトした人の一人くらいいそうなものだが、部屋は無いといわれた。そこで、近くの、Hotel Equateur に行った。12時30分であったが、最後の一部屋であった。リーブルビルは、ホテルの絶対数が不足しているらしい。1泊23000CFAで、しかも最低3泊することが条件であったが、OKした。一応、1泊20000CFAを宿代の上限と考えていたから、やや予算オーバーだが、ここの町はホテルがタイトそうだし、今日の午後だけでサントメプリンシペのビザと切符の手配が出来るとは思えなかったので、明日は土曜日だということを考えると、最低でも月曜日まではリーブルビルに滞在しなければならないだろうと思われたからである。このホテルは、高いだけあって、部屋はとてもよかった。温水も常時出る。それに、オーナーがフランス人のおばちゃんなので、従業員の教育も行き届いている。

Hotel Equateur の客室。

 さて、シャワーを浴びてから、サントメプリンシペ大使館に出かけていった。ガイドブックによると、モンブエ通りをまっすぐ行った、ブリュシャール通りにあるらしい。歩きながらサントメプリンシペ大使館を探したが、見つからなかった。そのまま更にまっすぐ歩いていると、ついに、レオンカルファ通りとの交差点に出てしまった。

 交差点には、中学生か高校生くらいの若者が、道沿いに数百人たむろしていた。学校が終わって、集団下校でもするのかと思いきや、そのうちの一人が寄って来て、

「ヒーホー、モナミ(本人はニーハオと言っているつもり。彼らは、東洋人は皆中国人だと思っている)。危ないから、この集団には近づかない方がいいよ」

と言う。

「へえー、そんなに危ない中学生どもか」

と思って眺めていたが、皆たむろしてぶらぶらしているだけで、別に変わった様子も無い。でも、自分はサントメプリンシペ大使館を探しに来たのであって、たむろしている中学生とは関係ないので、ブリュシャール通りを今来た方向に戻り、サントメプリンシペ大使館をもう一度探し始めたが、やっぱり見つからない。そこで、近くの店の人に尋ねると、サントメプリンシペ大使館は、レオンカルファ通りにあるので、この先の交差点を左折してまっすぐ行けと言う。そうだとすると、ガイドブックの地図が間違っていることになる。そこで、またさっきの中学生が大勢たむろしていた交差点まで行った。これ以上うろちょろするのもいやだし、タクシーを拾ってサントメプリンシペ大使館まで行こうと思い、交差点の近くでしばらく待っていた。

 タクシーはすぐに来たが、タクシーが交差点に差しかかってスピードを落とすと、集団の中の一人が、そのタクシーに飛び蹴りを喰らわせたので、タクシーは全速で走り去った。

「何や、こいつらアホか」

と思って見ていると、別の一人が、また別のタクシーに飛び蹴りを加えた。そのタクシーも、全速力で逃げていった。後続のミニバスが、それを見て、やはり全速力で通り抜けようとしたが、何人もがそれに飛び乗って、ミニバスを止めようとした。

 そのうち、大型バスが来て、止まった。バスには、若者が鈴なりになって乗っており、続々と降りてきて、集団は更に大きくなった。と、突然、サイレンを鳴らしながら警察の車が現れて、交差点の所で、催涙弾を3発発射した。若者たちは、四方八方に逃げ惑った。一体何が起こったのかすぐに飲み込めず、しばらく唖然として逃げ惑う学生たちを眺めていたが、これは現実だと気がついて、急いでレオンカルファ通りを、集団とは反対の方向に早足で歩き始めた。本当は走りたかったが、一人だけ急に走り出すと、却って危ない気がしたから、早足で歩いたのである。

 そのうち、交差点の方から、1台のタクシーが、100km以上と思われる猛スピードで走ってきた。見ると、兵士が運転していて、助手席の別の兵士が機関銃をこちらに向けて構えたまま、猛スピードで走って来ているのであった。周りの学生たちが、

「ス・ネ・パ・タクシー(あれはタクシーじゃない)!」

と悲鳴を上げ、一斉にレオンカルファ通りに向けて走り出した。こうなれば走るしかない。自分も走り出した。この集団に巻き込まれると危ない(もうすでに半分巻き込まれていたけど)、と思った。しかし、若者は走るのが早いので、すぐに追いつかれ、集団の真ん中に飲み込まれてしまい、百人近い若者と一緒に、レオンカルファ通りを西に走った。ニセタクシーがその集団を追って、レオンカルファ通りを西に走り始めたので、目の前5〜6m位の所を銃口が通りすぎた。もう全力疾走である。しばらくすると、さっきのニセタクシーが折り返してきたので、また銃口を向けられた。走って走って、市場の近くまで戻ると、街は平穏であった。結局、サントメプリンシペ大使館を発見しないまま戻って来てしまったが、もう一度行くのは危ないので、少なくとも今日は諦めることにした。

 ホテルに戻って、オーナーのフランス人のおばさんにそのことを話すと、横で聞いていたガボン人の従業員が、

「工業高校の学生たちだ。授業をろくにせず、学生を働かせてばかりいることに対する反抗のデモだ。昨日始まったデモが、今日は更に大きくなったらしい」

と言う。オーナーのフランス人のおばさんは、
「この国でデモなんて聞いたことが無い」
と言うと、ガボン人従業員も、
「私たちだって記憶が無い。でも大丈夫。機関銃は脅しだけで、実際には発砲しないから」
と言う。まあ、とんでもない経験であった。デモなら、幕でも掲げてスローガンを叫びながら歩きそうなものだが、ただ集まっているだけなので、まさかデモだとは思わなかった。しかし、学生たちが大型バスで乗りつけたところを見ると、背後で糸を引いている奴がいるのであろう。

 この話をホテルでしたことで、一ついい情報が得られた。サントメプリンシペ大使館は移転し、海岸沿いの、独立通りのエールフランスのオフィスの近くにあり、ここから歩いて10分くらいだということであった。そこで、再び出かけていった。海岸の方に通じる道はのどかで、雑貨屋や食堂も多い。その食堂も、ドゥアラのような高級レストランもあるが、いかにも安食堂という感じに見えるところも多い。市場も充実しているし、店も食堂も多いし、この国は、食べるには困らない。ガボンは豊かな住みよい国である。さっきのようなデモは極めて異例の事態として、一般的に言えば、人々の表情も穏やかで、治安もよく、街はきれいで、とても気に入ってしまった。そんなことを考えながら歩いているうちに、海岸に出た。エールフランスのオフィスのある角を北に折れ、少し行くと、サントメプリンシペ大使館は確かにあった。しかし、大使館は閉まっていた。平日午前中のみ開館との札が掛けてあった。残念、また月曜日である。

リーブルビルの独立通り。

 出て来たついでに、海岸に沿いの独立通りに沿って歩いてみた。途中、かなり大きな薬局を見つけたので、マラリア予防薬のラリアムがあるかどうか聞いてみたところ、あるという答えであった。この間ドゥアラで買ったマラリア予防薬はパリュドリンで、クロロキンよりは効果があるが、ラリアムにはかなわない。サントメプリンシペのマラリアはアフリカでも一、二を争う悪性で、薬剤耐性も強いらしい。予防薬の中では一番優れていると言われているラリアムを服用するに越したことは無い。それに、パリュドリンは毎日服用しなければならないが、ラリアムは週一回1錠で良い。その点でも、ラリアムは楽だ。ただ、このラリアムと言う薬は非常に高価で、8錠入り一箱が31700CFAもした。1錠当たり、1000円弱の勘定になる。でも、命の方が大事だから、買うことにした。今晩夕食後から飲み始めるとして、毎週金曜日はラリアムを飲む日ということになる。

 薬局で薬を買ったあと、ガボン航空のオフィスに行った。サントメプリンシペまでのフライトスケジュールと、値段とを調べるためである。聞いてみたところ、ガボン航空のサントメ行きは金曜と日曜の週2便だけであった。どうもうまくいかない。今日金曜だが、サントメプリンシペのビザがまだ取れていないから、明後日の日曜の便には乗れず、来週金曜の便まで待たなくてはならない。それで行ったとして、今度はサントメで週末になるから、ガボンに戻ってくるためのビザ申請が出来ない。週明けを待ってからサントメのガボン大使館でビザ申請するとすると、結局、再来週の金曜にしか戻って来られないことになる。リーブルビル空港では、72時間のトランジットビザが取れるという情報があるし、さっき入国したとき、それらしきカウンターがあるのを見たが、確かめた訳ではないから、100%確実とは言えない。東京のガボン大使館では、リーブルビル空港でトランジットビザが取れるという情報は誤りであると言われて否定された。もし本当に空港でトランジットビザが取れるのであれば、来週金曜の便で行って、わずか2泊しかしないことになるが、日曜の便で戻って来てもいいのであるが。

 さて、どうするかであるが、いくつかの方法が考えられる。一つは、ガボン航空でなく、サントメ航空を使うことである。

 もう一つの方法は、船で行くことである。しかし、現在のところ、両者ともスケジュールが分からない。サントメプリンシペ大使館か、市内の旅行会社で聞いてみれば分かるだろうが、月曜日の話になる。

 別の手は、赤道ギニアに先に行って、それからサントメに行くことである。ガボン航空は、マラボへは、毎週日曜と水曜とに運行している。赤道ギニアのビザはすでにドゥアラで手に入れたから、航空券さえ取れればいつでも行ける。明後日日曜の便で行くことも可能だが、ホテルを3泊払ってしまっていたのと、赤道ギニアではサントメプリンシペのビザは取れないために、ここリーブルビルでサントメプリンシペのビザを用意しておかなければならないということと、リーブルビルをもう少し見たかったということから、例えば来週水曜の便でマラボに行き、再来週の日曜の便でリーブルビルに戻ってくる。日曜の夕方にはリーブルビルからサントメに行くフライトがあるから、ガボンに入国せずにサントメに向かうことが出来る。そして、再来週の金曜の便で戻ってくればよい。その間、マラボかサントメでガボンのビザを取ればよい。

 ガボンのビザはなかなかの厄介者で、いちいち本国にテレックスで照会するので、発給までに時間がかかる。今回のビザを東京で旅行会社に取ってもらったときも、大体2週間かかった。そのビザは、今日入国するのに使ってしまったから、サントメから戻ってきてガボンに再入国するのために、どこかでガボンのビザをもう一度取らなければならない。ガイドブックによると、マラボとサントメのガボン大使館に限り、テレックス無しで、即日で1ヶ月ビザを発給してくれるのだそうである。だから、マラボかサントメのどちらかでガボンに再入国するためのビザを申請して、リーブルビルまで戻って来て、その後、土曜か日曜の便でドゥアラに戻れば、バッチリである。この案は悪くはないのであるが、席が全て空いているかどうか分からないので、今のところ絵に描いた餅でしかない。それに、全部ガボン航空利用も面白くない。サントメ航空や赤道ギニア航空にも乗ってみたい。これらのスケジュールは、旅行会社で聞いてみないと分からない。


3月14日(土)

 時差ぼけは特に感じないが、それでも知らない間に疲れが溜まってきているらしく、朝からずっとベッドでごろごろしていた。昼には、ホテルのメードが、「掃除をしていいですか」と言いながら部屋に来たので、掃除をしてもらった。ここのホテルの従業員は、皆、愛想がいい。

 昼から、スコールになった。午前中部屋で寝ていたから、午後からは街を見に行きたかったが、この滝のような雨ではダメである。25万円も航空運賃を出してここまで来たのに、もったいない話である。遠方で落雷があるらしく、部屋の電気が時々瞬間的に消える。スコールは夕方まで続いたので、その間ずっと部屋にいて、本や新聞を読んでいた。

 夕方、街をぶらつく。スコールが上がったので、気温がぐっと下がって涼しい。半袖では少しひんやりするぐらいである。近くの串焼き屋の兄ちゃんや、同じく近くの雑貨屋の、セネガル人のおっちゃんも、皆、愛想がいい。

セネガル人の経営する雑貨屋。


3月15日(日)

 朝8時から、市内を見て回る。日曜なので、通りは静かで、人通りもまばらである。すると、突然、サイレンを鳴らしながら、白バイが走って来た。またデモか、と思っていると、そうではなかった。自転車レースをやっていて、その先導であった。アフリカ人だけでなく、ヨーロッパ人も混じって、「ツール・ド・ガボン」をやっている。リーブルビルは坂が多いから、出場選手は大変であろう。

ツール・ド・ガボン。

 市内をかなり大きくぐるっと回って、途中のカフェテリアでミートスパゲッティー(800CFA)を食べて、昼前に帰ってきた。午後になると、昨日同様、スコールが来たので部屋にいて、雨が上がったのを見て、3時頃からまた出かけて行った。モンブエ市場や、教会をいくつか見て、帰りにミカン(500CFA)を買って帰ってくる。

カフェで歓談する地元の人々。


3月16日(月)

 朝から、サントメプリンシペ大使館に行って、ビザ申請をした。大使館は、独立通り343号にある。要写真2枚。料金23920CFA。サントメプリンシペ大使館の北隣には、ルーマニア大使館があった。本来ならビザは、すぐに発給されるはずであったが、今日はボスの出勤が遅れているからという理由で、明日受領となった。サントメ航空の切符はどこで買えるのかを大使館の人に聞くと、Mistral Voyagesと言う旅行会社で売っているという。親切にも、大使館員が、官用車でミストラルボヤージュまで送ってくれた!こんなことをしてもいいのだろうか。のどかな大使館である。

 このミストラルボヤージュは、やはり独立通りにあり、ガボン航空の国際線オフィス(国内線オフィスではない)の北隣の、カジノのある建物の中にあった。その北隣は、昨日ラリアムを買ったオーシャン薬局である。ただし、ミストラルボヤージュの入り口は、カジノのある建物の裏手にあり、分かりにくい。サントメ航空は予約がオンラインになっていないため、台帳が置いてある、ここミストラルボヤージュまで来ないと予約できない。昨日のガボン航空もそうだったが、ここでも英語は通じず、フランス語で話さなければならなかった。サントメ航空は、火、木、金曜日の週3便で、明日の便が取れた。帰りは金曜のガボン航空で、往復チケットは、ペックス割引料金で125100CFAであった。

 これで、何とかメドが立った。明日午前中にビザをもらい、午後の飛行機でサントメまで行く。明後日、サントメでガボン再入国のためのビザ申請をし、金曜に戻って来てリーブルビルで1泊し、それから赤道ギニアに向かう。日曜朝のマラボ行きに乗ってもいいが、飛行機ばかりではつまらないので、土曜日に陸路で赤道ギニアに向かえばよい。文句の付けようが無い完璧な日程だ。

 明日出発と決まったから、一度ホテルに戻って、延泊分23000CFAを払うと共に、金曜日の夜の分も予約しておいた。金曜日のサントメからのガボン航空は、午後9時頃の到着なので、ホテルのタイトなリーブルビルでは、予約しておく方が安心である。現に今リーブルビルにいるのだから、今、ここで予約しておけばいい。

 ホテルで少し休んでから、再び街に出かけて行った。昨日と同じカフェテリアでミートスパとオムレツを食べる(1450CFA)。カフェテリアと言っても、屋台に毛の生えた程度の店構えであるが、電気と水道も引いてあり、材料は全て冷凍庫に入れてあった。ミートスパを注文すると、見ている前でスパゲッティーを茹で、冷凍庫から肉を取り出して炒めていた。お皿もきれいに洗ってある。これなら、食べても安心。アフリカでもこれくらいきれいにできるのだから、中国はもう少し何とかならないものだろうか。もしかすると、中国(特に田舎)は、アフリカより衛生状態が悪いのかもしれない。

路上の露店。

 ミートスパを食べたあと、民俗博物館に行った。ガボンの伝統的な楽器や民芸品、住居の模型などがある。ファン族の伝統的格闘技の写真は、日本の相撲とそっくりであった。面白いことは面白いが、展示場は余り大きくなく、これで1000CFAは高い。訪問者名簿を見ると、1月15日に日本人が一人ここを訪れている。今日の自分は、約2ヶ月ぶりの日本人訪問者である。西アフリカは日本からは最も遠い地域の一つであるし、ガボンはビザ取得が面倒だから、訪れる日本人は少ないのであろう。

 博物館を見た帰りに、家に葉書を出そうと思って、博物館の向かいの郵便局に行ったが、丁度お昼休みに入ったところで、目の前で入り口を閉められた。そこで、海岸沿いにぶらぶらと歩いていると、CK2というスーパーマーケットがあった。ミストラルボヤージュの北隣で、オーシャン薬局の裏にある。日本のホームセンターのようで、中は大変に広い。テレビ、ビデオから、家具、日用品、園芸用品、スポーツ用品、日曜大工用品、その他何でも揃っている。これなら、リーブルビルでの生活に何の不自由もない。極端に言えば、日本とほぼ同じ生活が出来る。ただし、品物はほとんど全てがフランスからの輸入品なので、そこそこの値段が付いていた。現地の人には、なかなか手が届かないのかもしれない。でも、その割には、このスーパーマーケットは、一般庶民風の買い物客で賑わっていた。

 店の中を一通り見て外に出ると、この店も閉まるところであった。昼から午後3時頃までは、官公庁や大きな店は休みである。午後は、とんでもなく暑いか、スコールが来るかのどちらかだからである。そんなわけで、こちらも昼休みにして、ホテルに帰って昼寝をした。

 3時頃、再び出ていく。今度は郵便局は開いていた。日本まで葉書260CFA。帰る途中、アフリカに来てから自分以外のアジア人を初めて見た。韓国人ぽい中年のおばさんで、タクシーを必死に呼んでいるのに、かわいそうに、どのタクシーにも無視されていた。観光客には見えなかったが、かと言って、商社マンや大使館員の奥さんという風でもなく、どっかの田舎の農家のおばちゃんが突然ガボンに現れた、と言うような、やや不釣り合いな感じに見えた。アジア人は珍しいので、つい、じっと眺めてしまった。自分もアジア人でありながら、その自分が見ても珍しいのだから、現地の人にとって、このおばちゃんや自分は、とてつもなく珍しいはずである。

野菜を売るスタンド。

 夕方、いつも行く串焼き屋に行って、串焼き3本+1本を食べる。「+1本」と言うのは、もう3日連続なので、串焼き1本をおまけしてくれたからである。


  


      ページ目へ


旅行記一覧へ 


トップページへ