2月1日(土)今までは、食事をするにも、歯を磨くにも、トイレに行くにも、全く何をするにもまず並ばなければならない毎日であったが、昨年の越冬隊員達が去って行っただけで、基地はめっきり寂しくなってしまった。内陸調査隊がまだ帰って来ないから、夏の期間では、今が一番人の少ないときである。食堂でも、所々空席が目立つようになった。
荷物の積み降ろしに当たり、昨日の場所は遠すぎると言うことで、雪上車がすぐそばまで近づけるところに接岸場所を変更した。しかし、氷状が思わしくなく、小型艇が岸に近づけないため、輸送は開始できなかった。
昼から、アンテナサイトに残っていた大量の空箱や工具類を整理し、UAP棟まで運んだ。これで、アンテナサイトの後片付けは済んだ。
マトリクスボックスの中にある温度センサーの出力は、余りに不安定で役に立たない。同一温度に対して、1V以上のふらつきがあり、温度をモニターしているのか、電圧のふらつきをモニターしているのか分からなくなっている。
夕方、UAP棟で全天カメラの作業をしていると、Qさんが来て、内陸調査隊が先ほどすぐ近くまで帰って来たと言う噂を耳にしたと言う。
全天カメラを設置するときに、プラスチックドームのくもり止めのためにドライヤーで温風を送り込むのだが、ドームが小さいため、ダクトがそのままでは入らない。そこで、ダクトの先を加工しなければならないのだが、ちょうど良い大きさのジュースの空きかんがあったので、それをうまく加工してダクトに差し込み、温風をドームに導こうとしたが、どうもうまくいかない。HさんとQさんとは、半時間ばかりあれやこれやとやっていたが、ついにあきらめたようで、全天カメラはまた日を改めてと言うことになった。
仕事を終えて、基地の方に降りて行くと、Qさんの言う通り、内陸調査隊の8人が、真っ黒に日焼けし、大きな荷物を抱えて帰って来たところであった。
夕食の時に、基地長と隊長から、内陸調査隊の無事の帰還を祝う言葉があった。内陸調査隊は、予定通り往復600kmの道のりを走破し、最高で標高2320mの地点にまで達したが、発電機が故障したため、予定を繰り上げて帰途に就いたと言うことであった。夏であるにもかかわらず、途中、風速20mを越える風と、氷点下30度以下の寒さとの戦いであったそうだ。
基地長が続けて言うには、内陸調査隊が無事基地に戻って来たことは、本当に喜ばしいことであるけれども、同時に、われわれにはまだ越冬用物資の輸送という重大な任務が残っており、ただただ浮かれてばかりいるわけにはいかない。今晩こそは徹夜で物資の輸送を行うので、調査隊の8人を除く全隊員はこの作業にもれなく参加するように、と言うことであった。
2月2日(日)昨晩から始まった輸送作業は、断続的ながら、基地長の言葉通り夜を徹して続けられた。われわれも、朝になってから、自主的に作業に参加することにした。雪龍号から運ばれてきた冷凍食品をトラックに乗せ、食料貯蔵庫まで運んで、順次入れていく作業である。小型艇が雪龍号まで戻り、次の物資を積んで再びこちらに来るには、大体5〜6時間かかる。次は昼頃である。
また、今日はたまたまデービス基地から、ヘリで6人ほどの来客があった。物資輸送とお客さんとが重なって、隊長や基地長は大忙しであった。
われわれは、物資輸送の合間を見て、UAP棟に行って、データをチェックしたりしていた。UAP棟のある丘の上からは、沖合いに停泊している雪龍号が初めて見えた。昨日は見えなかったのだが、昨晩のうちに氷山が動いて、今日は見えるようになったのである。後で聞いた話であるが、今朝早く、比較的近くにあった大きな氷山がひとつ崩れ、津波が起こって、小型艇はその波をまともに受けて大きく揺れ、積み荷が危うく荷崩れを起こすところであったそうである。
10時半頃、小型艇が雪龍号から戻って来た。予定より早い。コンテナを二つ積んだ別の船を牽引している。船が接岸するやいなや、クレーン車がやって来て、コンテナを釣り上げにかかった。しかし、コンテナが余りに重過ぎて、クレーン車の頭の方が浮き上がってしまった。しかも、クレーン車は後ろ半分が海氷の上で踏ばっているのだが、スタンドの下の氷がミシミシと音をたてている。これ以上やると危ない。
越冬用物資の輸送作業。 結局クレーン車はあきらめざるを得ず、今度は人海戦術で、コンテナの中の物資を一つ一つ取り出して運ぶことになった。中国お得意の作戦である。現場にいた全ての隊員が一列に並び、手渡しで物資を岸に揚げていく。
人海戦術は、午後3時頃まで続いたので、昼食(それとも、今日は昼食は抜かして、早い夕食?)が出たのは午後5時。そのとき、今朝の氷山崩壊に伴う津波の様子を撮ったビデオを放映していた。津波を受けた小型艇は、ひっくり返りそうな程揺れていた。岸にぶつかった津波は、5m以上の波しぶきを上げている。しかも、氷山は何回かに分けて崩れたらしく、津波が繰り返して押し寄せてくる。実際に見てみると、想像していた以上に恐ろしい。
遅い昼食の後、中国の隊員達は、また作業に出て行った。われわれは昼間だけの自主参加でよいが、彼らは二晩続きの徹夜になるのだろうか。
2月3日(月)物資の輸送は、午前3時頃まで続いていた。そのあと昼まで仮眠時間に入ったようで、今日は朝食が出なかった。われわれは深夜作業に参加しなかったせいで、朝はいつも通り起きると、朝食は用意されてなかった。N先生が食堂に見に行くと、当番の人がいて、朝食はなかったものの、インスタントラーメンをくれたらしく、N先生はインスタントラーメン二つを持って帰ってきた。しかし、二人ともラーメンは食べなかった。
午前中、UAP棟に行って、フォトメーターの続きをやった。電圧が出ない原因を調べるため、チャンネル1の光電管とチャンネル2の光電管とを互いに交換してみることにした。光電管を互いに交換しても、チャンネル1とチャンネル2とは依然として出力が低く、チャンネル3だけがある程度出力が出ている。こうなると、DCアンプの部分に今度は疑いがかかってくる。明日はアンプのチェックをしなければならない。
夕方、持ってきた短波ラジオをN先生と一緒に聴いた。UAP棟にアンテナを設置し、屋内に引き込んでダイヤルを回しているうちに、N先生が、日本語の歌を放送している局を発見した。ラジオ日本であった。初めは英語で放送していたが、5時から日本語に変わった。久々に日本のニュースを聞いたが、トップニュースが、マルチ商法でお年寄りなどを騙して多額の金を集めていた男が詐欺罪で捕まったと言うニュース、その次が、20年ほど前に新潟県で行方不明になった女子中学生は北朝鮮に拉致された疑いがあると言うニュースで、「せっかく南極にまで来て苦労してアンテナを設置して日本の放送を探して聴いているのに、何でこんなネガディブな内容のニュースばかり聞かされなければならないんだよ〜」と言いたくなるようなニュースばかりであった。受信状態はあまりよくなく、しかも頻繁にディジゾンデからの強烈なノイズを受けるので、長時間聞く気にはなれなかった。
そのほか、今日は雪龍号から、海洋調査隊の人が大勢押しかけてきた。せっかく南極に来たのに、ずっと船の上だけではつまらない。中山基地も見ておこうと言うわけである。そんなわけで、一昨日の閑散とした基地から、今日は一気にかつてないほど賑やかな基地となった。
可燃性のごみは基地で焼却。
2月4日(火)N先生は、今朝は5時前に起きて、UAP棟にデータを見に行った。
今日、まずやったことは、アンプのチェックである。現物から回路図を書き起こすことから始めなければならない。これは、500kΩと1MΩとを組み合わせた、ゲイン2倍の反転増幅器となっていることがわかった。さらに、光電管を抜き、もちろん高圧も止めて、オペアンプにいろいろな電圧を与えて、動作をチェックした。同時に、記録装置も作動させて、出力電圧をモニターした。すると、いずれのチャンネルも正常に動作しているではないか。しかも、記録装置に表示される値も正常である。
やっぱり光電管であったのかと思い直し、光電管を色々差し替えてもう一度実験した。しかし、結果に変化はなし。光電管は大丈夫なようだ。いよいよ原因が分からなくなってきた。N先生とも相談し、明日にでも極地研究所にFAXで問い合わせることにした。
さて、越冬用物資の積み降ろしは今日の午前中まででほぼ終了し、中国の隊員達は、午後から、鉄屑などの不要物を逆に雪龍号に積み込む作業に入った。南極に捨てるわけにいかないので、中国に持ち帰るためである。UAP棟に置くテーブル類も、昼前にやっと届いた。しかし、リオメーターは連続観測中であるし、フォトメーターは調整中なので、テーブルを室内に置くのはもう少し先の方が良かろうと言うことになった。
ごみの積み込みは夕方までにどれぐらい進んだのか知らないが、夕食の時、基地長から、明日から三日間、春節(旧正月)休暇とするとの発表があった。明日は、旧正月を迎えるために、大掃除をすることになった。ただし、大掃除は実質的には今日の夕方から始まっており、あちこちがいつもよりもきれいにされていた。
夜になってから、基地では雪が降り始めた。ボタン雪のような、比較的湿った大きな雪だ。今までにも、「小雪が舞う」程度の雪はあったが、こんなに本格的な雪は来てから初めてである。見る見るうちに数センチの積雪となった。基地全体がすっぽりと雪に包まれ、南極らしくなってきた。
2月になると、急に気温が下がり、南極らしくなる。
2月5日(水)N先生は、今日は昨日よりもさらに早く、朝2時に起きて、吹雪の中をUAP棟までデータを見に行ったそうである。ついでに、短波ラジオを聴いていて、首都圏の天気予報や交通情報を流している(もちろん日本語で)不思議な放送局を見つけたらしい。4時間の時差があるから、日本では出勤時間帯に当たる。恐らくラジオ短波であったのだろうという結論になったが、真相ははっきりしない。上海で800円で買ったオンボロ短波ラジオでも、アンテナさえ付ければ結構聞こえるものである。
今日は基地に来てから初めての全員休日となったので、日頃忙しい中国の隊員は、こぞって洗濯を始めた。しかし、洗濯機がもともと2台しかないところに、うち1台は先日壊れたから、大混雑となっている。シャワー室と洗濯室は、発電棟の二階にあり、発電機の冷却水を利用して、温水を供給している。水は基地の裏手の莫愁湖から取っており、湖に2mの氷が張る真冬にも、理論上は給水量に問題はないと言うことになっている。とは言うものの、湖から基地に引いて来ている給水管が細く、一度に水を大量に使うと、湖から汲み上げる水が追いつかず、発電機の冷却水の水位が下がって危険なので、シャワーは同時に二人まで、という規則があった。そんな訳で、シャワーを浴びるにも並ばなければならないときがある。給水管は先日やり直したのだが、給水量の問題は解決していない。
午後からは、夏隊、内陸調査隊、越冬隊に分かれて春節記念対抗試合が始まった。全員どれか一つの競技に参加するわけであるが、競技種目がまた面白い。卓球、ビリヤード、バレーボール、サッカーの他、ダーツ、ポーカー、さらには麻雀までが競技種目に入っている。ダーツは、2年前に来たK氏寄贈のものである。N先生は、卓球またはビリヤードを希望したら、人数の関係から、卓球に回された。私は、サッカーを選んだ。サッカーのために、主楼の正面の広くなったところをブルドーザーで整地していたが、吹雪がおさまらないので、試合は見合わせることになった。
夕食の時、黒龍江画報のB記者が頭を丸坊主にしていたので、どうしたのだろうと思っていると、B記者が急に立ち上がって、「皆さん、御注目。これは麻雀のせいです。以上」と言って、また座ったので、皆、なるほどと言う顔をしていたが、誰一人として笑わなかった。
夜、Mさんが、「恭喜発財 年年如意」と書いた新札の二角紙幣を持ってきてくれた。南極で出会った人に記念に渡すために、北京滞在中にわざわざ銀行に行って用意してきたものとのこと。こちらはお返しをするものを何も持ち合わしていないのでバツが悪い。
ペンギンたちとともに。全く人を怖がらない。
2月6日(木)雪はやんだが、風は強烈である。基地周辺は一面の積雪となった。まだ石拾いに行っていないのに、このように雪が積もると、石ころが埋もれて見えなくなってしまう。もともと基地周辺は、5億年前だか何だか知らないが、もろくて汚い石ばかりで、きれいと言える石はほとんどない。どこかの工事現場から拾ってきたような石ばかりだ。持って帰って、人にあげて喜ばれそうな石は、余程探さないと見つけられない。それが、今は雪に埋もれてしまって、捜し当てるのがほとんど不可能に近くなってしまった。
朝、シャワーを浴びた帰りに洗濯をしようとすると、動いていた方の洗濯機の脱水が壊れて回らなくなっていた。脱水は、タイマーが切れても、自然に止まるまで待ってから蓋を開けないと、ベルトを傷めてしまう。ところが、皆一刻も早く洗濯物を取り出したいが為に、タイマーが切れるやいなや蓋を開けて、脱水槽に急ブレーキをかけている。これで、洗濯機は両方とも壊れてしまった。奥の倉庫には壊れた洗濯機がもう一台放置してあるから、洗濯機はもともと3台あったようである。それが、全部壊れてしまった。部屋のコンセントも壊れているのがあるし、基地のコピー機も壊れているし、まともな物は日に日に少なくなっていく。いずれも、丁寧に扱わないからだ。物が壊れると困るのは自分達なのに、そういう概念はないらしい。南極という特殊地域だからこそ、よけいに物は丁寧に扱わなければならないのに、逆のことをしている。
それに、基地には色々な規則があるが、どうも、中国の隊員たちは規則をあまり守っていないらしい。瓶やカンは、きちんとつぶしている人もいるが、つぶさずにそのままごみ箱に捨てている人も多い。それに、洗面所に残飯を捨てる人がいるので、下水の管がいつも詰まり気味である。
ヒーターは「1」の位置で使用するように言われているが、それでは余りにも寒い。それで、我々もやむなく温度を上げて使ったが、それでも、少しは遠慮して、「3」の位置で使っていた。これだと、室内の気温は、何とかガタガタ震わなくても良い程度、多分、10度位にはなる。しかし、他の隊員の部屋の前を通ると、ドアの隙間からとても暖かい空気が漏れてくるのに気づく。きっとヒーターを最大にしているに違いない。
それに、基地では浪費が激しい。食事など、5分も遅れて行くと、食べるものが無くなってしまう事がある。そうなると、遅れて来た人が食事にありつけないことはもちろんであるが、先に来ていた人もお代わりが出来なくなる。皆それを知っているから、食事の鐘が鳴ると一目散に食堂に駆けて行って、お代わりの分まで多い目に入れる事になる。結果として、大勢の人が同時に食堂に押しかけるので、食堂では席が無くなって、椅子の取り合いになったり、立って食べる人が出たりするし、皆が念のためにと多い目に料理を取ると、かえって食べ物が無くなるのを早めることになるし、お代わりの分まで取ったものの、やはり食べ残す人が出てくるから、残飯がどうしても出る。全く非合理的かつ不経済な事を繰り返しているのである(そう言う私も、実はいつも食事を多く入れ過ぎていた一人であるが)。
トイレットペーパーやシャワー室にあるシャンプー、食器を洗う洗剤などは、瞬く間に無くなり、どんどん追加しないと追いつかない。同時に、ゴミも大量に出る。我々の住んでいた宿舎棟だけでも、一日で大きい麻袋一杯のゴミが出るのである。浪費を慎み、ゴミを出来るだけ出さない努力をしようとする気持ちが感じられない。物を丁寧に扱う、規則を守る、物資の節約を心がける、この3点は、今後の中山基地に課せられた課題であろう。
午後、HさんがN先生をビリヤードに呼びに来た。N先生は「卓球またはビリヤード」と言ったのに、いつの間にか、「卓球およびビリヤード」と言うことになっていた。ビリヤード場に行ってしばらく見ていたが、なかなか順番が回ってこないのでUAP棟に行き、リオメーターのデーターを見ていた。ディジゾンデからのノイズの影響で、とてもまともとは言い難いデーターしか得られなかった。N先生にとってはまたまた失望の種になった。何とかディジゾンデのノイズを除去する方法を考えなければならない。とりあえず基地で出来ることと言えば、ノイズをカットするプログラムを作ることくらいであろう。
夜は、旧暦の大晦日ということで、パーティーとなった。中国の人は、皆、芸がうまい。最後に発煙筒を焚いて爆竹の代わりにし、魔除をした。
ただ、私にとっては、中国式パーティーは、気が重い。酒と煙草を強要するからだ。日本では、煙草を強要することはあり得ないし、乾杯にしても最初に一回やるだけで、酒の飲めない人は、一口、口をつけるだけで許される。しかし、中国ではそうはいかない。中国では、10回でも20回でも乾杯をし、しかも毎回飲み干さなければならない。飲み干したことを証明するために、乾杯の度にグラスを逆さにするのである。「なぜ一口しか飲まない」「乾杯と言うのは飲み干すものだ」と迫られても、飲めないものは飲めない。そのうちに、「お前は酔っとらん」「何が気に食わん」「もしこれが皇帝の命令だったとしても飲まない気か」と言われ、最後には「それでも友達か」とまで言われた。見かねたHさんが代わりに乾杯をしてくれて、その場はおさまったが、後でHさんに礼を言うと、逆に、「中国の習慣では、乾杯で飲み干さないことは、相手に対して失礼に当たる。『飲めません』と言うことは許されないことを知るべきだ」と言われた。こんな調子で煙草も勧められるから、本当に困ってしまう。「こんなめでたい日に何で煙草を拒否するんだ」「お前はまだ中国の習慣が分かっとらん」と来る。めでたい事と煙草とがどう結びつくのか、われわれには理解できない。先日も、ある人の結婚16周年だとかで、お祝いの煙草を吸えと言われて、困った。そのときは、Qさんが代わりに煙草を受け取ってくれて何とか逃れたが、煙草を勧めた人は、私を見ながら「何だこいつは」と言うような顔をしていた。酒にしても、煙草にしても、外国人なら、「すみません、吸えません」「すみません、飲めません」で済むかも知れないが、中国語が少しでもできると、外国人扱いしてくれない。中国人は、外国人に対しては、口が裂けても「それでも友達か」などとは言わないからだ。N先生は、「飲めない人に強制する方が間違っている。中国にはまだまだ個人を尊重する精神が根付いていない」と言って慰めて下さったけれども、今日の一件は、自分にとって本当にショックであった。
2月7日(金)今日は春節、すなわち旧暦の正月である。元旦にも言ったが、もういちど新年好。朝起きてみると、基地内はひっそりしている。今日は完全に休日のようだ。そのせいで、今朝は朝食がなかった。
朝から、ディジゾンデのノイズをカットするためのプログラムを作り始める。
昼は、餃子であった。中国では、春節に餃子を食べるのは縁起がよいとされているのである。午後もずっとプログラム作りをしていた。
基地での仕事はおおむね順調で、隊員の多くは、予定より早い目に帰れるのではないかと考えているようだが、N先生がCさんから聞いた話によると、出発は予定通り今月25日で、われわれはまだあと半月ばかり、基地に滞在することになりそうだ。
食事風景。卓球台のテーブルにほうろうの食器。
2月8日(土)三日間の休みが終わり、仕事が再開された。結局、天気が悪くてのびのびにしているうちに、サッカーはうやむやになってしまった。基地では、建物の内装を一部やり変え始めている。
N先生は、昨日までのデータを見ていて、どうもアンテナとマトリクスボックスとの接続が反対のようであると言い出した。現在の接続では、いくつか起こった現象はすべて高緯度側から低緯度側へ広がっていくように見えるものばかりだそうだ。これは経験とは逆であると言う。また接続を元に戻す事になった。これで接続変えは5回目である。
夕食の時、天津のラジオ局のインタビューを録音したものを皆で聞いた。これは、昨日、天津のラジオ局が電話をかけてきたもので、春節の特別番組の一環として、南極と話をしようという企画を局が組んでいたものである。隊長らが、アナウンサーの質問に答えていた。質問は、南極での生活ぶりや、どんな仕事をしているのかと言ったものが主であった。今の南極の気温はどれくらいですかという質問では、隊長が平然とはったりをかまして、「氷点下15度で、風速30mです」と答えていたので、一同、大爆笑となった。こちらの気温はずっと0度前後で、プラスの事も多い。天津の今の気温は氷点下10度くらいであろうから、隊長としては、こちらは夏で向こうは冬であるとは言え、天津よりも南極の方が暖かいとなると申し訳ないと思ったのだ。内陸調査隊は氷点下34度を体験して帰って来たのだから、どうせはったりをかますのならば、南極は氷点下34度ですと言ってもまんざら嘘でもないのだから、そう言ってやれば良かったのに。ただし、風速は、時として30mを越えている。これは、気象棟に行って確かめてきたから、間違いない。隊長の後は、天津出身の隊員と、四川電視台のP記者が電話に出て、アナウンサーの質問に答えて話をした。
2月9日(日)今日は、われわれの部屋の改装の日である。床下に断熱材を入れ、床板を張り替える。それで、すでに改装の済んだ別の部屋に引っ越す事になった。と言っても、213号室から隣の211号室に移るだけである。担当の大工がやってきて、断熱材を見せながら、「こいつは最高品質の特殊断熱材だ。氷点下80度になってもびくともしねえ。南極で使うには持って来いだ。昔はこの断熱材を作れるのは日本だけだったが、今ではわが国でもこんなもん位は自前で生産してらあ」と、にやにやしながら言う。そんなことを日本人に言ってどうするんだ。第一、中山基地では氷点下80度になんかなりっこない。感じの良くない男だ。大工は、自分がベッドやテーブルを運び出すのが面倒くさいから、ベッド、椅子、テーブルも引っ越しするときに一緒に隣の部屋に持って行けと言う。N先生と二人で、部屋の中のものを何から何まで運びだした。
引っ越しを終えて、昼食を食べに行って帰って来て、オーストラリアで買い込んだ洗濯ばさみをたくさん入れた袋を壁の釘に引っかけてあったのを、前の部屋に忘れてきた事を思い出して取りに行ったが、すでになかった。午前中には、確かにあった。まさか、と思って、隣の部屋から運んできた荷物の中を端から端まで、N先生と一緒に探したが、ついに洗濯ばさみは出て来なかった。やはり、取られたと断定せざるを得なかった。前の部屋の改装はわれわれの引っ越しが済んだ後からの予定で、そのうちにお昼になってしまったから、まだ改装は始まっていなかった。昼食に行った時間はおそらく20分程度。その間に、誰かに取られたのである。大工かも知れないが、改装を始める前であるから、他の人かも知れない。それにしても、目ざといのには参った。他人の洗濯ばさみなんか取ってどうするのだ。まるで子供のいたずらである。洗濯ばさみ一袋(約40個入り)の被害。今回なくなったのは下らないものだからいいけれど、いつまたどんな盗難があるかわからない。「残念ながら、これからは貴重品に十分注意しなければなりませんね」とN先生と話をした。
UAP棟の方は、雪龍号に積み残していた机や椅子が届いたので、QさんとHさんとが、部屋の中を整理した。今までのごった返したUAP棟から、ビューティフルなオフィスと言う感じのUAP棟に変身した。
2月10日(月)午前中で、やっとノイズカットのプログラムが完成した。いくらやってもバグが取れなかったので、昨日思い切って、一から作り直したのが良かった。しかし、これを持ってUAP棟に行き、いざ実行してみて、がっかり。飽和しているデータはカットできたものの、飽和に達しないノイズがまだまだ沢山あり、ノイズを除去したと言うには程遠かった。
再び部屋に戻って、プログラムのバージョンアップ。午後にはこれも完成し、新バージョンでもう一度ノイズ除去を試みた。結果はおおむね良好で、ノイズはほぼなくなった。
データーの分析中。 それから、昨日か一昨日位から、磁力計の記録がおかしい。ある成分だけ、突然600nT以上の変化をするのである。数時間経つと、元に戻る。他の成分には、それらしい変化はない。磁力計本体が異常なのか、それとも自然現象なのか、奇奇怪怪である。オーストラリアと共同でやっているインダクションの記録と比較しよう思って、見に行くと、インダクションの記録装置が壊れていた。
こんなことをしていて、今日はゼロ日なのに、夕食に少し遅刻してしまった。その間に、基地長から、重要な発表があったらしく、聞き逃してしまった。後でQさんから聞いたところでは、その重要な発表とは、われわれの帰りの日程の事であった。今、雪龍号は再び洋上まで後退しているが、次に西風が吹いて水路が開けたとき、雪龍号はすばやく基地に接近してわれわれをピックアップして帰途に就く。それに備え、ここ二、三日中に、すべての仕事を仕上げて、いつでも帰れるように準備をしておくように、との事であった。帰りの日程に関する、初めての公式発表である。これは寝耳に水であった。出航は25日の予定で、あと二週間はここにいるものとばかりこちらは思っていたから、まだ未解決の問題がいろいろあっても、そんなに焦ってはいなかったのだが、そういうことなら、明日から頑張らなければならない。
つい先日春節でパーティーをやったばかりなので、今日のゼロ日は振り替えでなくなるものと思っていたが、やはり夕食はいつもより豪勢なものが出た。勘ぐり過ぎかも知れないが、次のゼロ日はないかも知れないから、敢えて振り替えをしなかったのかも知れない。それにしても、日本を出る前に冗談で、「中国はいい加減やから、『今日は天気がいいから、今日出発しよう』と言うて帰りの日程を決めるんとちゃうやろか」と言っていたが、本当にその通りになりそうである。