12月21日(土)朝起きて甲板に出てみると、雪が積もっていた。海氷は次第に厚くなり、船はゆっくりとしか進まなくなってきた。
部屋の蛍光灯が一本つかなくなった。外して調べてみたが、どうやらトランスの断線らしいことがわかった。直しようがない。天気は朝から悪い。ときどきみぞれ混じりの雪が降っている。昼頃、またトイレの水が出なくなった。
午後から船はチャージングに入った。艦橋まで行って見てみたが、見ているこちらまで力が入る。「8ノットまで加速」、「これ以上加速できません」、「現在速度は」「5.4ノットです」、「よし、エンジン全開、進路左に5度」、船長がてきぱきと指示を出している。船長の指示通りに氷塊に突進した雪龍号は、見事氷を突き破って進んだ。
チャージングで氷を割りながら進む。 この日、はじめてペンギンとあざらしを見た。夕方までに船は中山基地まであと約350キロ、南緯66゚41'の地点にまで達したが、今日朝から進んだ距離は10キロにも満たない。外気温は氷点下1度、風がとても強い。
12月22日(日)夜中頃までチャージングに伴う振動を感じていたが、朝起きてみると、船は海氷の比較的少ないところを航行していた。昨日船長が言っていた、海氷帯を抜けたのだろう。ここから、中山基地の近くまで、海氷はそれほど厚くないはずである。それに、今日は天気が穏やかで、南極とは思えないほど暖かい。
今日は久々に暖房も暖かいし、シャワーも温水が十分に出る。こんな時に入浴と洗濯を済ましておかないと、今度はいつになるかわからない。しかし、トイレの水は止まったままだ。
夕方、雪龍号はチャージングを再開したが、氷はなかなか硬く、思うように進まない。6〜7回チャージングをしただろうか、いつもより進入速度が速いな、と思っていると、氷にぶつかって、氷の上を勢い良く滑って行って止まり、その後、氷に乗り上げたまま前にも後ろにも動かなくなった。全力で後退しようとするが駄目である。この日は、結局このままであった。
12月23日(月)朝起きたが、船は依然立ち往生したままであった。経験の浅い私は、船が氷の上に乗りあげたまま止まっているので、もしかすると永久に出られないのかと思って内心恐くなっていたが、経験豊かなN先生によると、こんなのは何ともないそうである。一度天気が悪くなれば、気温も上がるし、風が出てきて海流が励起されるから、氷がゆるんで、再び動けるようになるのだそうである。でも、天気が悪くなるまで、あと数日は待たないといけないようである。
部屋では、トイレの水は出るようになったものの、洗面台の蛇口は、冷水、温水ともに空気ばかり出で来て、ろくろく水も湯も出ない。おまけに、たまに出てくる温水はまっ茶色に濁っていて、とても使えたものではない。
12月24日(火)南極圏に入ってから、白夜になったので、慣れないうちはどうも寝つけない。
夜中に吹雪になり、風も出てきた。そのせいで海氷が緩み、氷に乗り上げたままの状態から解放されて、船は少しずつ航行を始めた。しかし、どういうわけか、午前中には再び停船してしまった。この日は、一日中吹雪であった。
今日はクリスマスイブなので、Mさんがふざけて、「甲板を裸でジョギングしよう」と言いだした。そこで、二人で裸になって甲板に出て行って、そこら辺を走り回った。中国の隊員には大受けであったが、N先生によると、日本の場合、昭和基地ならともかく、しらせに乗船中にもしこんなことをしたら、仮に隊員であっても大目玉だそうだ。
12月25日(水)船はまだ動かない。トイレの水がまた出なくなった。シャワーはホースが所々破れていて、湯が飛び散るように漏れてくる。しかも、水と湯が一様に混合されていないので、冷たい水が飛び散って来たかと思うと、次の瞬間には熱湯が飛び散って来る。たいがいなシャワーだ。
クリスマスだというのに、この日も一日、船室で何もせずに過ごすことになった。船に乗っている「外国人」(外国籍の中国人を含む)は、我々2人と、アメリカ籍の元台湾人であるMさんと、オーストラリアの南極局に勤める中国人研究者が1人の合計4人だけである。あとは皆中国の人たちであり、西洋人は1人もいない。そんな訳で、クリスマスを特に祝おうという雰囲気もない。
この夜から、雪龍号はチャージングを再開した。艦橋に行くと、船長は「明日目が醒めたら中山だ!」とはしゃいでいるが、これは冗談。徹夜でチャージングを続けたとしても、最低あと三日はかかるだろう。
12月26日(木)天気が回復した。しかし船は止まっている。全然急ぐ気がないらしい。
しかし、29日には中山基地から数キロのところに着いて、氷の上に荷物を降ろす作業および燃料輸送の準備にとりかかることになっているそうである。果たしてその通りにいくのかどうか。中山基地から4kmのところを最終到達地点だとしても、あと13km残っている。5日かけてまだ1kmしか進んでいないのに、あと2日で13kmも進むつもりなのだろうか。
12月27日(金)今日も、変化の無い一日であった。天気はまあまあであったが、船が全く動かない。結局、この日は一度もチャージングしなかった。艦橋に行くと、船長が、「どうにもならん」と言っている。と言うことは、動かないのではなく、動けないのだろうか。
氷山を背景に。強烈な紫外線で日焼けしてしまった。 聞くところでは、30日にオーストラリアのヘリが来るので、その前日の29日には、氷の上に物資を降ろす作業をするそうである。30日には、我々も基地に入れるであろうとの事であった。
トイレの水が再び出るようになったのでうれしい。
12月28日(土)昼食の時、昨日くじらが見えたという話を聞いた。その後、短時間だけタラップが降ろされたので、初めて南極の氷の上に降り立った。うずうずしていた隊員達は、我先にと下に降りたので、収拾がつかなくなってしまった。リーダーが船の上から、「皆さん、時間です。船に戻ってください。これ以上遠くに行かないでください」と叫んでいるのに、誰一人として船に戻ろうとせず、皆好き勝手に歩き回っている。
昼から、雪龍号は再びチャージングを始めた。明日荷物の積み降ろしという、その前日になって、やっと動き始めたのであるが、氷はなかなか硬く、一回のチャージングで何ほども進まない。それでも、下船に備えて、N先生と一緒に荷造りをした。
ところがどうしたことだ。夜になって、我々が30日に上陸できるかどうかは五分五分になったと言う連絡があった。30日には、オーストラリアのヘリを借りるわけだが、借りられる時間が6時間しかない。それで、隊員を主に越冬隊員からなる第一次隊と主に夏隊員からなる第二次隊とに分け、まず第一次隊員と物資とを輸送し、もし時間的余裕があれば、第二次隊員も輸送する。時間的余裕がなければ、第二次隊員は次にヘリがチャーターできるまで船内に留まる、と言うことであった。
12月29日(日)朝から、中国の隊員がコンテナーの中の箱を次々に甲板に運び出している。重いものは、クレーンで吊っている。われわれは、特にこの作業に参加しなくともよいと言われたが、私物を木枠の箱に梱包する作業を行った。
昼から、少し早いが、新春パーティーが開かれた。外で作業をしている人はそのままにして、作業に当たっていない人間だけで、旧区1階の食堂に集まってパーティーを開いた。日本なら、外の作業が終わって全員が集まれる夜にパーティーを開くところだが、ここでは外で一生懸命作業している人はかわいそうに無視だ。パーティーでは、隊長と船長の簡単なあいさつがあった後、ゲームを楽しんだ。ぐるぐる回ってビール瓶にりんごを載せるゲームでは、りんごを三つもらった。
夕食後、第2弾の宴会があり、こちらは全員参加した。始め、隊員と船員とは別の部屋で宴会をしていたが、途中から船員がこちらの部屋に乱入してきて、カラオケを歌い始めた。船員の多くは、どういうわけか昨日頭を剃ったようである。つるつるの坊主頭(中国語では光頭と言う)の巨漢男が5〜6人、マイクを奪い合うようにしてカラオケを歌う光景はとても異様だ。
12月30日(月)いよいよ今日はヘリが来る日だ。皆が甲板上または氷上に降りて、荷物の積み降ろしにかかっている。天気は快晴、これならヘリは問題ない。第一便は午前10時の予定である。我々も下に降りて、積み降ろしを手伝う。そのうちにヘリが来て、スリング(荷物をネットに入れて、ヘリから吊り下げて運ぶこと)で荷物を運び始めた。
来たのは大小のヘリ各一機で、大きい方は1トン、小さい方は600kgのスリング能力がある。スリングで運ぶのは良いが、中国側が用意したネットがどれも小さく、スリング能力を十分に生かせない。重量に余裕があるからと積み上げると、吊り上げるときにネットからはみ出しそうになる。実際、箱が落下するというアクシデントが2度あった。後で、オーストラリア側から大きいネットを借り、輸送能率はかなり上がった。しかし、今度は逆に、余りにもたくさん積みすぎて、ヘリが持ち上げられないこともあった。日本では重量をきちんと量り、オーバーウエイトにならないように気をつけているが、中国は正反対である。ヘリが持ち上げられる限り、オーバーウエイトなど全然おかまいなしだ。よく考えれば、危険極まりないことである。
この日、絵はがきを、オーストラリア人の隊員の一人に託した。デービス基地から投函してもらうためである。
夕方にはヘリがもう一機追加があり、大助かりであった。それでも物資の輸送はこの日には終了せず、明日以降に持ち越すことになった。本来はこの日のみ、しかも6時間だけの予定でヘリを借りたのであるが、オーストラリア側は、明日も何とかヘリを廻すよう努力すると約束してくれた。そんな訳で、我々は今日も中山基地に入ることができなかった。明日はどうであろうか。
夕方、鯨が船のすぐ近く、おそらく数10mのところまで寄って来るのを見た。
12月31日(火)ヘリは、やはり来ないそうである。朝から氷上に出て、残っている荷物を甲板に積み戻す作業に取りかかった。有名なランベルト氷河が右前方に見える。
午後になって、雪龍号はチャージングを開始した。昼からは気温が上がることもあって、氷は思ったよりスムーズに割れていく。さっきまで、氷はかなり硬いから、チャージングは大変だと思っていたが、これなら、明日にも着くのではないかと思えるほどである。
大晦日であったので、福建から来た隊員の部屋におじゃまして、お茶をいただいた。この人達は、10日にわれわれがフリーマントルに着いたとき、タクシーから船まで荷物を運ぶのを手伝ってくれた人々であった。大晦日を楽しく歓談して過ごした。
ところで、中国人はお茶を飲むときに普通急須を使わないが、福建人だけは例外である。かれらは急須のまわりに小さいカップを並べ、お茶をついで飲む。これを功夫茶と言う。しかも、そのお茶が烏龍茶である。日本人は、中国茶=烏龍茶と思っているが、これも間違い。中国人が普段飲むお茶は花茶、すなわちジャスミン茶である。福建人のみが好んで烏龍茶を飲むのである。
平成9年1月1日(水)新年好(シンニィエンハオ)。いよいよ平成9年である。ついに、船上で新年を迎えることになってしまった。
船は朝から快調にチャージングを続け、夕方には中山基地が見える地点まで近づいた。やっぱり中国の隊員の言っていることは正しかった。今晩遅くには基地から2マイルの地点に達し、着き次第徹夜で燃料輸送管の敷設に取りかかるそうである。定着氷縁から基地までは、せきも慌てもせずにえらくのんびり進んできたのに、基地に着いたら今度は徹夜で燃料輸送とはこれいかに、である。われわれの感覚では、中山で燃料が尽きているわけでもなし、ここまで来てしまったのだから、燃料輸送は明日の朝からでもいいのに、と思うのだが。
雪龍号は順調にチャージングを続け、午後11時に、中山基地から直線距離で約2マイルのところまで近づいた。中国の隊員は全員総出で、燃料輸送管の敷設に取りかかった。
1月2日(木)午前1時30分頃、Cさんが部屋に来て、中山基地に行くには今しかないが、行きますかと言う。真夜中に突然のことなので驚いたが、よくよく聞いてみると、事情はこうであった。燃料輸送管を現在敷設中であるが、それに関連して中山基地までの氷上のルートをすでに確保した。しかし、雪龍号は、燃料輸送終了と同時に現在の位置を離れ、定着氷縁外の洋上まで後退する。そうなると、次に中山基地に入るチャンスは、必然的に6日以降となる。燃料輸送は10数時間で終了するから、雪龍号も夕方にはここを離れる。それまでに中山基地に行きたい人が何人かいるのだが、クラックなどもあるので、安全のために、行きたい人は、気温が一番低く氷が最も締まっている今から揃って行ってもらうことにした。そういう訳で、行くなら今しかないのだが、どうしますか、と言うことであった。こうなれば、また大急ぎである。この機会を逃すと、またまた先になる。
「中山基地」から2マイル地点に停泊する「雪龍号」。手前に見える黒いパイプは、燃料輸送管。 荷物を急いでまとめ、午前2時30分、船のタラップを降りて皆と歩き始めた。基地からHさんが船まで迎えに来てくれていた。燃料輸送管は50m長のものを多数つないで、船から中山基地までの1本の管にするのだが、管をつなぐための準備はほぼ完了していた。船の近くの氷は比較的しっかりしているが、陸地が近づくにつれてクラックが多くなり、渡るのに注意を要するところも数カ所あった。
歩き始めて1時間弱、北京時間午前3時30分頃、われわれは中山基地に到着した。ここで時差が3時間あるから、中山時間午前0時30分である。基地では、真夜中だと言うのに、越冬を終えたばかりのLさんも出て来てくれた。また、われわれは知らなかったが、昨日氷上を相当距離歩いて、すでに中山基地入りしていたQさんも来てくれた。Qさんはさきほど燃料輸送管敷設の際、クラックに落ちて、胸まで氷水につかったそうである。怪我が無くて何よりである。
基地に着いて、まず部屋に荷物を置き、次に食堂で夜食のうどんをもらった。そのあと、部屋に戻って、朝まで仮眠をとった。
朝食は午前7時30分、またN先生に起こしてもらうことになった。朝食後、まず部屋を掃除して、荷物の整理をした。これが中山基地での最初の仕事である。その後、基地周辺を見て歩いた。一昨年のブリザードで吹き飛ばされた我々の観測小屋(超高層物理を表すUpper Atmosphere Physicsの頭文字を取って、UAP棟と呼ばれている)の跡や、リオメーターの建設予定地などを見て廻った。
昼から、リオメーター建設予定地の予備測量を行った。平たいところは下がかなり深い土で、アンカーボルトが固定しにくい。岩盤のところは凹凸があったり、全体がかなり傾斜していたりする。岩盤で傾斜もゆるく、凹凸の少ないところは、30m四方の正方形がとれない。いろいろ思案したが、最後はN先生の判断で、最も良さそうなところを選び出し、中心点付近に印をつけておいた。この日はここまでで夕方になったので、仕事は切り上げて、宿舎に帰った。