南氷洋を南下


12月12日(木)

 午前8時30分にオーストラリアの税関職員と出入国検査官が船に乗り込んできて、出国検査を終えた。

 午前10時に出航。甲板に出て、碇を上げたりする様子をN先生と見に行った。船には、四川電視台の取材班3人が乗船しており、出港の様子をテレビカメラに収めていた。


12月13日(金)

 朝から大変に眠い。午前中はほとんど寝ていた。昼からもずっと寝ていた。日頃の疲れが出て来たようである。この先はまだまだ長いから、一日寝ていることにしよう。


12月14日(土)

 N先生と話をしたりして一日過ごす。また、四川電視台の取材班がインタビューを申し入れてきたので、それに応じたが、質問の中国語があまりよくわからず苦労した。たぶん、このインタビューは、実際の放送では使いものにならないだろう。

 今日は昨日ほど眠くないので、船内をあちこち探索した。雪龍号の建物は、旧区と新区とに分かれる。旧区は7階がブリッジ、6階が船長室と通信室、5階が医務室とコピー室、4階と3階が船員の居住区、2階が観測隊員の居住区、1階が厨房・食堂と観測隊員の居住区、地下1階が図書館と機械室、地下2階がトレーニングルームなどとなっている。新区は1階が海洋学観測室となっている他は、隊員の居住区になっている。ちなみに、われわれの部屋は新区2階の207A号室である。また、新区の2階にはミーティングホールもある。旧区、新区ともに船首の方にあり、船尾側にはエンジンルームやヘリポートがある。また、船の真ん中はコンテナー室になっている。


12月15日(日)

 眠たい。そろそろ暴風圏である。中国語では「西風帯」と言う。揺れはまださほど大きくはないが、これからであろう。この日は、余りに眠たくて、夕方まで起きられなかった。

 夕食後、また寝る。近くの部屋の、坊主頭の若い研究者は、杭州の海洋学の研究所の人らしい。我々は、一休さんというあだ名を付けた。

 今晩から暖房が入った。


12月16日(月)

 まだ眠たい。ほとんど一日寝ていた。

 午後、「一休さん」がやってきて、卓球をやろうと言うので、N先生も連れて、地下2階のトレーニングルームに行った。卓球台のほか、バスケットのゴール、プール、サウナもあった。ただし、プールに水は入っていなかった。1時間ぐらい一緒に卓球をした後、部屋に戻る。

 その後、またまた眠たくなって、寝てしまった。夜、部屋のトイレの水が止まらなくなったので、すぐに言って、直してもらった。


12月17日(火)

 午前7時、南緯55度を通過。我が国では、南緯55度以南を、南極地域と定義している。南極地域に入ったことを、極地研究所に連絡する。

 夕方、テーブル型の氷山を見た。外気温2℃。この日もほとんど一日中寝ていたのと同じである。夜、トイレがまた壊れた。今度はゴムパッキンを交換して、バッチリ直った。

初めて氷山を見た。


12月18日(水)

 「おーい。飯だぞー」この日もN先生に起こされる。毎日N先生に起こしてもらわないと、朝食までに起きられないとは、情けないことである。

 ほとんど揺れないうちに、暴風圏は通過したようである。二人とも全く船酔しなかった。

 昼前、短時間だが吹雪になった。午後になり、氷山がかなり増えてきた。今日も、一日のうち16時間ぐらい寝ていた。


12月19日(木)

 夜半頃から断続的な衝撃を感ずるようになり、その回数がだんだん増えて行った。朝になって見てみると、船は一面の海氷の中を進んでいた。南緯65度を越えている。いよいよ来た、という実感がわいてくる。この日は、今までと違って、全く眠くない。

海氷の中を前進する「雪龍号」。

 海氷は昼頃には消え、再び普通の海を航行し始めた。海氷を避けて航行しているのである。後でわかったことだが、船は一度北上し、進路を真西にとって少し行き、再び南下したらしい。

 午後、今度はトイレの水が出なくなった。毎日何かのトラブルがある。


12月20日(金)

 隣の部屋のMさんという人は、いつもベレー帽をかぶり、カメラをぶら下げて、どうも科学者には見えないなと思っていたが、聞いてみると、在米の中国人で、旅行作家だということであった。中国大陸の生まれだが、幼いときに台湾に移り、台湾で鉱産会社に勤めて油田のボーリングの技術顧問などの仕事をしていたが、それで本人曰く巨額の富を築いたので、会社を辞めてアメリカに移住し、今は台湾で稼いだ巨額の富を元手に世界各国を旅行して、本を書いたり、写真展を開いたり、あるいは講演をしたりして暮らしているのだと言う。この人はサイエンスのことは全く分からず、また、中山基地に行くに当たって、身体検査もしなかったと言う。一応報道関係者ということになってはいるものの、こんな人が船に乗っているということは、雪龍号(あるいは中国南極考察委員会と言った方が正しいかも知れないが)は事実上、一般人を受け入れる場合もあると言うことである。この人がいくら払って雪龍号に乗っているのか聞いてみたいものだ。

 そんなことを考えながら部屋で寝ころんでいると、放送が入った。「ごみのある人は、今、海に捨ててください」と言っている。甲板に出てみると、皆が出て、腐るものも腐らないものも関係なく海に捨てている。プラスチックや瓶でもおかまい無しだ。環境保護団体のおばちゃんたちが知ったら、さぞかし怒るであろう。

 そのあと、Hさんが観測隊の記念スタンプを借りてきてくれたので、絵はがきにスタンプを押していた。スタンプは四種類で、郵便局の日付印に似た「中国 南極中山站」というスタンプなどがあった。絵はがきに押すついでに、自分のパスポートにも記念に押しておいた。

 昼から、N先生と一緒に艦橋まで行って、操舵しているところを参観した。船長が直々にいろいろと親切に説明をしてくださった。こまめに舵を斬り、小さな氷板も一つ一つ丁寧に避けながら航行しているのには頭の下がる思いであった。船長の話では、23日頃からチャージング(砕氷船が一旦後退し、再び全速で前進して氷に乗り上げ、自重で氷を割りながら進むこと)をしながら進まなければならなくなりそうだとのことである。中山基地に着くのは年末頃かも知れない。

力強く前進する「雪龍号」。


   


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