ロシア→モンゴル


12月26日(月)

 翌朝、つまり列車に乗り始めて4日目の朝、ウランウデには現地時間の午前8時に到着した。この辺りのモスクワ時間との時差は5時間、つまり北京時間と同じである。一晩の間にまた時差のあるところに来たことになる。昨日ザバイカルスク時間からチタ時間になったときに時計を遅らせるのを忘れていたから、ここでまとめて2時間時計を遅らせる。ウランウデはかなり大きな工業都市であった。真っ黒なばい煙を黙々と吐く工場がいくつも連なっているのが車窓から見えた。セレンゲ川鉄橋を渡ると、ウランウデ駅はすぐであった。外に出てみたが、全く寒くない。気温は氷点下15度まで上がっていた。ここではブリヤート系の乗客がほとんど降りてしまったので、少し車内はすいてきた。同室であった中国人の3人連れは、ノホシビルスク行きの車両に空席ができたからと言って、部屋を移動して行った。

ウランウデ駅に停車。

 その後、列車はバイカル湖沿いに比較的景色の良いところを走る。不思議なのは、バイカル湖が全く凍っていないことである。陸上はかなり厚い雪にすっぽりと覆われているのに、バイカル湖にはひとかけらの氷もないのである。これが今年だけの現象であるのか、それとも毎年そうであるのかは、他の乗客や車掌に尋ねてみてもよく分からなかった。

なぜかバイカル湖は凍っていない。

イルクーツクのひとつ手前の駅にて。左端の女性が黄さん。

 イルクーツクには、現地時間午後5時すぎに着いた。なお、ここもモスクワ時間と5時間の時差(北京時間と同じ)がある地域である。モンゴル時間も同じであるので、これ以後、日本に着く直前まで時計を進めたり遅らせたりする必要はなくなった。

 イルクーツクは北緯50度を超えているので、日の入りが早い。到着した午後5時にはすでに真っ暗闇である。予約してある(というより、ビザをもらうために強制的に予約させられた)ホテルは、イルクーツク随一のインツーリストホテル。アンガラ川に面した外国人専用の高級ホテルである。私はガイドブックも何も持っていなかったので、出発前に旅行会社でおまけにもらった簡単なイルクーツク市内地図だけがたよりであった。駅前から適当に市電に乗り、アンガラ川を渡ったところで降りて、積もった雪の中をてくてくと歩いて行った。寒くはなかったが(ちなみに、駅の寒暖計は氷点下14度を示していた)、雪の中はもともと歩きにくいのに加えて街灯が充分にないので、余計におっかなびっくりで歩かなければならない。しかも持ってきた簡易地図は縮尺が書いてないので、この道をまっすぐ行けばインツーリストホテルに出ることは分かっても、歩いてすぐそこなのか、それとも歩くと恐ろしく遠いのかも全然分からない。心細い気持ちになりながら、雪の夜道を荷物を担いで歩くのであった。

 幸い、インツーリストホテルは、それほどは遠くはなかった(かと言って近くもなかったが)。バウチァー(予約証明書)をフロントで提示して、ホテルにチェックインした。部屋は薄汚いシングルで、風呂ではなく、ぬるいお湯しか出ないシャワーである。しかも石鹸など置いていない。テレビをつけると、ブーンという大きな音がして、数分後に画像が浮かび上がってきた。1時間もつけておくと火を吹きそうなテレビだ。ベッドは木箱で作ったような硬いベッドで、非常に寝心地が悪い。でもまあ、冬季割引で一泊69ドルだから我慢することにしよう。

 荷物を降ろすと、まず町に出て行かなければならない。夕食をとらなければならないからだ。また例の簡易地図をもって、薄暗い市内に出かけて行った。メインストリートまでは歩いて20分ほど。ホテル周辺よりは賑やかである。少し歩いてみたが、レストランのようなものは全く見あたらなかった。簡易地図にはレストランが2軒載っていたが、行ってみるといずれも休業中。ホテルに戻ればドル払いのレストランもあるが、いまいち気乗りがしない。そこで、十字路の角にあった食品商店でパンとハムとミネラルウォーターを買って、部屋で食べることにした。これなら全部で100円ぐらいだ。


12月27日(火)

 翌日、目が覚めたときには、辺りはまだ真っ暗であった。日の入りは早く、日の出は遅いのである。ホテル代には朝食が含まれているので、腹ごしらえはしっかりしておこう。若い美人のジェジュールナヤ(フロアー係)にレストランの場所を聞くと、とても親切に教えてくれた。

 朝食はバイキングなので、腹一杯食べることが出来る。朝食を終えて帰ってくると、もうかなり明るくなっていた。部屋の窓から見た白銀の杉並木と、そのむこうをゆったりと流れるアンガラ川はとても美しかった。バイカル湖から流れ出すアンガラ川は、やはり凍っていなかった。気温が氷点下10度以下になると見られる現象なのだが、川面から湯気のように水蒸気が立ち昇っている。その水蒸気が凍ったのか、外に出てみると、空気中をキラキラと舞う氷の結晶が朝日に輝いていた。いわゆるダイヤモンドダストとはこれのことなのだろうか。

早朝のイルクーツク。

 イルクーツクでは、公園や教会、無名戦士の墓などを見た。そのほか、市内を適当にぶらついた。しかし、イルクーツクは大きい町ではあったが、あまり町自体に見る所はなかった。やはり夏に来て、バイカル湖に行かなくては意味がない。後は、市内の商店街をウインドウショッピングして歩くぐらいである。


12月28日(水)

 イルクーツク市内には、金沢通りという通りがある。簡易地図を頼りに出かけて行った。そんなに大きい通りではない。通りには、ロシア語だけでなく、日本語でも「金沢通り」という表示がある。何かあるはずだが、名前の由来は知らない。ガイドブックを持って行かないので、こういう時は困る。

 通りを眺めていると、数人のロシア人青年のグループに呼び止められた。ドルの闇両替をしないかと言う。銀行では1ドル3000ルーブル位だが、3600ルーブルでOKだという。私は自分の持っているドル札を取り出して、彼等の反応を見てみた。彼等は、私のドル札が1988年の発行なのを見て、 「ひゃー、こんな古いのは駄目だ」 と言いながら、どこかに行ってしまった。一体全体ここの国はどうなっているのであろうか。自国のルーブルが日に日に下落していると言うのに、ドル札を選ったりしている余裕があるのだろうか?なお、付け加えておくが、当然ながら正式な(!)銀行ではいつのドル札でも通用することはもちろんである(外貨を交換してくれる銀行には「アボメン・バリューチ」という表示があるが、正式でない銀行も沢山ある。正式かどうかは、1990年以前のドル札を出してみれば分かる)。ただ、古いドル札が通用しないのは、スーパーKが出回っているせいなのかも知れない。

イルクーツクの市街。


12月29日(木)

 今日も、イルクーツク市内観光の続き。

教会。

 夕方、ロシア−モンゴル間の国際列車で、モンゴルの首都ウランバートルに向かった。この列車は列車番号264のイルクーツク発、ナウシキ、スヘバートル経由ウランバートル行き急行である。やはり、後部には国内列車のイルクーツク発ナウシキ行きを併結している。ウランバートルまで行くのは前4輌だけであった。

 264号列車はイルクーツク時間午後6時48分に発車、ロシア人車掌が乗務していたから、この列車はロシア国鉄の運行である。乗客はほとんどがモンゴル人。彼等も山のように荷物を持っていた。同じコンパートメントになったモンゴル人は、兄と妹の兄弟で、やはり大量の荷物を持っていた。私のベッドの下の空間が空いていたので、荷物を置いてもいいですよと言ったが、遠慮してなかなか置こうとしない。見ていないと勝手に置く中国人とは反対である。でも、荷物が余りに多いので、最後には何度もありがとうと言いながら、荷物を入れていた。

 この人はベルラーさんと言う人で、妹と一緒にイルクーツクへ買い出しに出かけた帰りだそうである。彼等が買って来たものは、パン、ハム、ソーセージ、チーズ、ピクルス、各種の缶詰やジュース、さらにはアイスクリームまであった。とにかく、ほとんど全てが食品である。しかもその量が半端でない。例えば、ソーセージを段ボールに一箱一杯、缶詰を段ボール3箱と言った具合である。アイスクリームは廊下の絨毯をまくりあげて、床下の収納庫に入れていた。私も始めは何気なく眺めていたが、途中で重大なことに気付いて、顔面蒼白になった。あの食べ物がないロシアに食料を買い出しに行くと言うことは、モンゴルにはもっと食料がないと言うことである(この予感は後で的中した)!


12月30日(金)

 翌朝目覚めたときには、すでにウランウデを通過して、ウランバートル方面への支線に入っていた。列車は(特急でなくて)急行であるので、かなり小さい駅にも頻繁に停車する。車窓の風景は、ザバイカルスクの近くで見た荒れ地の風景にかなり似ていた。なだらかなはげ山が連なっている。そんな中を、ゆっくりと列車は進むのである。町と言えるものはなく、村と呼べる規模ものも少なく、「集落」としか言いようがないような小さな人家の集まりしかない。どの家も木造の平屋で、柵で庭を囲んでいた。

凍土を列車は走る。

 国境の町ナウシキには午後1時に着いた。ここで前後を切り離し、モンゴル行きの4輌だけになった。切り離したナウシキ止まりの部分は操車場に引き揚げて行った。我々のウランバートル行きは、一度引き込み線に入って、出発まで待機するようである。そのあと、切り離したナウシキ止まりの部分は再びイルクーツク行きになって入線してきた。そして、1時間ほど後に新しい乗客を乗せて戻って行った。そのあと、我々の車両はホームに戻った。

ロシア最後の駅、ナウシキに到着。

 ナウシキもいい加減小さい町である。駅前には市場と郵便局しかない。あとは、民家とおぼしき木造の家がかたまっているだけである。5分も歩けばすべてであった。

ナウシキ駅ホームで列車を待つ。

 ロシアとモンゴルは軌道幅が同じであるから、台車交換をするわけでもなし、何のために止まっているのかよく分からなかったが、列車は延々ナウシキ駅に止まっていた。午後5時ごろになって、出入国審査官が車内に乗り込んできた。私の検査は簡単であったが、ベルラーさん達はすみずみまで調べられていた。そのあと、例のごとく天井と床板を外しての検査が始まった。廊下の床下からアイスクリームが出てくると、ロシア人の係員は驚いて、

「これは一体何だ!」

と我々を睨みつけた。ベルラーさんは

「マロージュナエ!(アイスクリーム!)」

と説明したが、床下に置いたのが悪かったのか、それともアイスクリームは御禁制の品なのか、没収されてしまった。

 出国検査は1時間ほどで終わったが、列車はなかなか発車しない。検査終了後は密航を防ぐためドアは空けてくれないので、外へ出ることが出来ない。ところが、駅に停車したままであるから、トイレが使えない。まだ催してはいなかったが、いつまで止まっているのか分からないので、飲物は口にしないようにした。

 結局、列車は午後7時すぎにナウシキ駅を発車。10分ほど行ったところで再び停車した。どうやらここが国境らしい。もうすでに真っ暗であったが、サーチライトで車体をギンギンに照らしている。線路脇には、分厚いオーバーをはおり、機関銃を構えたロシア軍兵士が、ずらっと並んでいる。一車両に5人ぐらいがついているようである。車内からではよく見えないが、彼等は車体の下にもぐり込んで、台車部分に密航者がいないかどうか調べているようであった。付近には金網のフェンスが張り巡らされている。高圧電流が流されているのであろうか。そのフェンスの向こうは、いかにも「地雷原」という感じのところであった。満州里とザバイカルスクの間はここまで物々しい雰囲気ではなかった。対立している中国との国境より、かつての衛星国モンゴルとの国境の方が物々しいのは少し不思議であった。

 午後7時30分ごろに国境を通過、やっとモンゴル側に入った。モンゴル領最初の駅は、スヘバートルである。ちなみに、スヘバートルとはモンゴルが清から独立したときの有名な将軍の名前らしい。スヘバートル市内が薄暗い中に見えてくると、その異様な雰囲気に驚いた。ロシアのような木造の民家が建ち並ぶ田舎町ではなく、高層建築の林立する極めて人工的、無機的な町が姿を表したからである。しかも、そのアパートと思われる高層建築群にはそれほど多くの明りが見えない。道はだだっ広いが、車もほとんど通っていない。要するに人気(ひとけ)がないのである。その様子は、テレビで見る平壌の雰囲気に似ていた。間違って北朝鮮に来てしまったのではないかと思う程である。

 駅に着いてすぐに入国審査官が乗り込んできた。小柄な中年の女性係官であった。はじめモンゴル語で話しかけてきたが、私の持っていた日本のパスポートを見ると、ロシア語にかわった。ここでは、外国語と言えばまずロシア語である。入国カードと税関申告書がモンゴル語とロシア語のものしかなかったので、ロシア語のものを見せてもらったが、税関申告書はかなり難しい露文で書いてあったので、英語のものはないのか尋ねた。英語のものはないと言われたので、中国語のものはないか尋ねた。中国語なら、取りに帰ればあると言うので、後でもらうことになった。ここでは、入国スタンプをその場で押してくれることはせず、乗り込んできた係員がまず全員のパスポートを集めて持って帰る。そのあと、事務所でスタンプを押して、また車内に持ってくるのである。私以外の乗客はすでにパスポートを渡してしまっていたが、私の入国カードはなかなか来ない。しばらくして、別の係員が入国カードを持ってきた。英語のものであった。急いで記入し、係員に渡した。しばらくして、他の人のパスポートは返されたが、私のパスポートは渡すのが遅くなったので、まだであった。そのうち、車掌がいろいろとばたばたし始めた。発車時間が迫っているようである。少し心配になり始めたときに、係員が私のパスポートを持ってきた。

 スヘバートルを午後9時に出発。ナウシキに着いたのは午後1時であったから、国境越えに8時間もかかったことになる。スヘバートルでは、例のごとく後ろに国内線の車両を連結した。午後11時にダルハンに停車。こんな遅い時間なのに、地元の人が乗り込んできて、食べ物を売りに来た。魔法瓶に入った熱い羊のミルクと、ボーズと呼ばれるラム肉の肉まんである。よく分からないが、発音が似ているから、ボーズは中国語の包子(パオツ)から来ているのかも知れない。


  


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