日本→中国→ロシア


平成6年12月22日(木)

 平成6年12月22日の早朝、私は東京行きの列車内にいた。目的地は北京。西に行くために東に向かうのは何となく変な感じがする。しかし、飛行機が成田発だから仕方ない。青春18切符で普通列車を乗り継いで成田まで。飛行機は午後4時だから充分可能である。

 私が乗ったのはユナイテッド航空。理由は一番安かったからである。ニューヨーク→東京→北京と飛んでいる。東京−北京往復で6万5千円であった。スチュワーデスは金髪の人は一人か二人で、ほとんどが中国人であった。離陸後はまっすぐ西に進み、上海上空で北に進路をとって北京に到着した。韓国上空は飛ばなかった。

 降り立った北京首都空港は小雪が舞っていた。気温氷点下7度。昨年氷点下35度を経験していたので、何とも感じなかった。北京で一泊すれば、明日は国際列車の車内である。目的地はロシアのイルクーツク。北京発モスクワ行の、北京−イルクーツク間を乗車するのである。

小雪ちらつく北京に到着。

 切符は日本ですでに予約してあった。今回は今までとは180度反対に、割合贅沢に旅行をした(と言うより、しなければならなかった)。国際列車の切符は中国国際旅行社を通じて予約するのであるが、切符のみの手配は出来ず、必ず前日一泊のホテルもセットで予約しなければいけない。しかも切符は現地渡しであるので、空港での出迎えを付けてその人に持ってきてもらうことにした。

 出迎えを省略すれば何千円か安くなるが、乗車当日自分で国際旅行社に出向いて取りに行く気はしない。今までに何度となく、ここではないと言われてたらい回しにあったり、担当者が不在だから明日又来いなどと言われたことがあったからだ。これは笑い事ではなく真面目な話である。中国では本当にそういう事があり得る。出発当日に切符を取りに行っても、担当者が不在であれば彼等は平気で「明日取りに来い」と言いかねない。「今日の切符だから何とかしてくれ!」と言っても無駄(経験者語る)。だから、時間に余裕がないときは少し余計目に払ってでも持ってきてもらう方が絶対確実である。

 本日は、北京の新僑飯店に泊まる。


12月23日(金)

 一日、北京市内をぶらつく。特に見に行くところもなし。

 夕方、友人のLさんに連絡をとる。Lさん夫妻と一緒にシュアンヤンロウ(シュアンはさんずいに刷、ヤンロウは羊肉;北京風しゃぶしゃぶ)の夕食。

 今晩の列車でロシアに出発するので、タクシーで駅に向かった。Lさん夫妻も見送りに来てくれた。

 北京−モスクワ間の国際列車は現在2系統が存在する。モスクワ−ウランウデ間はいずれにしてもシベリア鉄道であるが、ウランウデで分岐し、モンゴルを経由して中国に入り北京に至る路線と、モスクワからカリムスカヤ(チタの近くの駅)までシベリア鉄道を通って、ここから支線に入ってモンゴルを通らずに直接中国に入り、満州里、ハルピン、沈陽を経由して北京に至る路線の二つである。前者は中国国鉄、後者はロシア国鉄の運行である。

 今回の旅程は、まず後者のロシア側の列車で北京を出発し、沈陽、ハルピン、満州里、ザバイカルスク、カリムスカヤ、ウランウデを経てイルクーツクまで行く。次に、来た道をウランウデまで戻り、支線に入ってナウシキ、スヘバートルを経由してモンゴルの首都ウランバートルまで行く。そのあと、ウランバートルからザミンウデ、二連、集寧、大同を経て北京に戻る。こういう予定であった。

 列車は午後20時32分発、毎週金曜日と土曜日に北京発で運行している。駅には一時間ぐらい前に行った。北京駅には外国人および軟席(一等席)に乗る中国人乗客専用待合室があるのだが、不思議なことにこの国際列車に乗る乗客は別のところで待たされた。駅の正面玄関を入ってすぐのところに、「モスクワ行き乗客待合せ場所」と書かれた見落としそうに小さい紙が張ってあり、そこで立って(!)待つのである。しかもこの掲示は中国語だけで書いてある。これでは外国人には分からないではないか!中国人は一体何を考えているのだろうか?

 そこで暫く待っていると、列車に乗るロシア人が続々と集まってきた。彼等は中国とロシアの間を往来する運び屋なので、集合場所は良く知っているのである。

 さて、30分ほど待っていると、服務員がやってきて、我々を列車まで誘導した。途中、外国人及び軟席旅客専用待合室の中を通って、北京駅一番線ホームへ出た。余計に、外で立って待たせる意味が分からなくなった。

 北京発モスクワ行き国際特急列車(列車番号19)はすでにホームに入っていた。中国の車両と似たグリーンの車体であるが、中国の車両より少し明るいグリーンである。前から2両はチタ止まり、その次の車両はイルクーツク止まり、その次の4号車はモスクワ行き、5号車はノボシビルスク止まり、6号車と7号車はまたモスクワ行き、8号車が食堂車、9号車から後は満州里行の国内列車を併結していた。これも不思議な話で、中国国内の列車時刻表には、北京−満州里直通列車は載っていない。また、去年満州里を訪れたときにも、駅の時刻表に北京行き直通列車は書かれていなかった。しかし、この列車の後部には確かに満州里行きが併結されていた。

 私はイルクーツクまでなので、3号車の15番であった。ところが、3号車はドアが閉まっていて入ることが出来ない。中国でもロシアでも各車両に二人ずつその車両担当の車掌がいて、ドアの開閉などの業務を行っている。私の乗る3号車の車掌は業務を放り出してどこかに行ってしまったのである。そこで、開いていた1号車に行き、そこから乗ろうとした。するとロシア人の女性車掌が飛んできて切符を見、車両が違うと言う。

「マグー・ヤ・イッチー・フ・バゴン・トゥリー・チェーレズ・エータット・バゴン、パタムーシュタ・ターム・ザクルィータ?(3号車が閉まっているのでここを通って行ってもいいですか?)」

とロシア語で言ってみたが、

「ヤ・ニェ・パニマーユ!ガバリーチェ・パルースキ!(それどういう意味?ロシア語で言って!)」

と言われてしまった。発音が悪くて通じなかったのでなく、動詞の変化か何かがおかしい(ロシア語の語形変化は極めて複雑である。例えば、名詞は6つの格と単複で合計12通りに変化するが、変化のパターンは規則変化だけでも11通りあり、形容詞はそれらを修飾するために、原級だけで28通りに変化する。比較級、最上級も同様)ので嫌味を言っているのである。この女性車掌に限らず、ロシア人の車掌は総じて中国人をやや馬鹿にしている感がある。日本人も馬鹿にしているかどうかはわからないが、見た目には日本人も中国人も区別が付かないから、私も頭ごなしに怒鳴られて追い返されてしまったわけである。

 仕方がないので3号車に戻って暫く待っていると、入口が開いた。そこでLさん夫妻に別れを告げて車両に乗り込んだ。男性車掌に切符を渡して、自分のコンパートメントで荷物の整理などをしていた。すると3号車担当のもう一人の車掌であろうと思われる女性車掌がやってきて、

「パカジーチ・バーシ・ビリェート!(切符を見せなさい!)」

と大声で言った。もう一人にすでに渡したと言っても信じない。ああだのこうだの押し問答をしていると先ほどの男性車掌が戻ってきて、やっと許してもらうことが出来た。

北京発モスクワ行き列車のコンパートメント。

 そのうち、不思議なことに気が付いた。列車の中がやけに静かなのである。それもそのはず、私の乗った車両には、二人の車掌以外には、私と、隣のコンパートメントに中国人の乗客がもう一人乗っているだけだったのである。隣の中国人の乗客は30代後半の女性で黄慶華さんと言い、駅の待合せ場所で見たロシア人と同じく、この人もまた運び屋であった。

 列車が発車するとすぐに黄さんは私のコンパートメントにやってきて、いろいろと話しかけてくる。その目的はすぐに分かった。黄さんは自分のコンパートメント一杯に荷物を入れていて、それでも入り切らない一部の荷物が廊下に積み上げられていた。それをこちらのコンパートメントに置いて欲しいと言うのである。無人のコンパートメントに入れておくと、国境越えのときに持主不明として持って行かれる可能性があるからだ。黄さんが持ってきたのは、ジーンズ数十本であった。もし自分が預かったとして、ロシア入国のときに税金がかかったらいやだから預かれないと言ったが、黄さんは、「シンチポーム」と言えば問題ないと言う。そんなロシア語は知らなかったので意味を尋ねると、(友人への)贈物と言う意味だと言うことであった。後で辞書を引いてみたが、それらしい単語は載っていなかった。この単語はいまだに“?”である。結局、荷物を置く場所だけは提供するが、責任は持たないと言うことで話をまとめた。


12月24日(土)

 翌朝7時、列車は沈陽に到着した。プラットホームでは売り子が手押し車を押して列車を待っていた。ロシアに入ると食べ物がないから、と言いながら黄さんはプラットホームに降りて行った。帰ってきた黄さんは、カップラーメン50個とソーセージ(正確な数は忘れたが数十本)を買ったので運ぶのを手伝って欲しいと言う。いくらロシアに食べ物がないと言っても、そんなに買ってどうするのだ。思わず吹き出しそうになった。ホームに降りたついでに、コップを持ってくるのを忘れたことを思い出し、もしあれば買っておこうと思った。中国では駅の売店でよく大きめのほうろうカップを売っている。

「有杯子没有?(コップある?)」

と聞くと、白酒が出てきた。杯子(ペイツ)と白酒(パイチィウ)の発音が似ているから間違えたのである(単に私の発音が悪いだけか??)。結局コップは無かった。しかし、心配はいらなかった。車掌に言えばコップは貸してもらえたのである。

 黄さんは、カップラーメンが思ったより高かったので、50個も買うと痛いとしきりに言っていた。普通は一個3元5角(約40円)だが、売り子は国際列車であることを知っているので一個5元(約60円)でしか売らないのだそうだ。

 コンパートメントでくつろいでいると、黄さんがやってきて、暇だからこっちに来ないかと言う。そこで隣に行って、話し相手をしていた。黄さんは南京の出身で、昔は国内で商売をしていたが、最近は専ら中国とロシアの間を往復して商売をしていると言っていた。先週もモスクワに行っていて、三日前に飛行機で北京に帰って来て、北京で「ブツ」を速攻で仕入れて、また売りに行くところだと言う。黄さんの仕入れていたものは衣類が多かったが、ファミコンのカセットなどもあった。そのファミコンのカセットは、以前香港で見たことのある海賊版に酷似していた。黄さんはそのラベルを一つ一つ剥し、別のラベルに張り替えながら話をしていた。このファミコンカセットをいくらで売るのか聞くと、一つ25ドルだが、20ドルまでは負けるという答えであった。

 黄さんの持っているロシアのビザは1年間有効のマルチビザ(何回でもロシアに出入り自由のビザ)でしかもロシア国内はどこでも行けると言うものであった。私の持っているビザは一回限りで、しかも何月何日にどこから入国し、その次にどこに行って、何月何日にどこから出国するという旅程が記入された、がんじがらめのビザである。日本ではそういうビザしか取得できない。黄さんが言うには、中国のロシア領事館ではマルチビザが取れると言うのである。しかし私は余り信じられなかった。たしかに黄さんはマルチビザを持っていたが、それは中国のロシア領事館でビザ申請をしたからではなく、中国人に対してはマルチビザを発給するというだけのことではないかと思う。日本人が中国でビザ申請をしても駄目なのではないかと思う。

 私は以前からモンゴルに興味があり、いつか行ってみたいと思っていた。そういう意味で、今回の旅行はモンゴル行きが一つのメインイベントであった。黄さんはロシアにしょっちゅう行っているわけだから、途中モンゴルに立ち寄ることもあるはずである。そこで、モンゴルに行ったことがあるか聞いてみた。黄さんは一言、

「ウランバートルに行ったことがあるが、モンゴル人は貧乏で、教育の程度も低い。私は良い印象を持っていない」

と言った。それに、モンゴル経由の列車は中国が運行している列車なので、ロシア製の列車ほど防寒について考えた設計になっていない。夏は良いが冬に乗ると凍え死にそうになる、とも言っていた。それを聞いて、帰りの列車のことが早くも心配になった。

 午後、列車はハルピンに到着した。ハルピンと言えば、中国東北区で沈陽と並ぶ大都会である。しかし、ここでも新たに乗ってくる乗客はいなかった。結局、車両には私と黄さんだけのまま列車はハルピンを出発し、満州里に向かった。

 列車は夕方、油田で有名な大慶に停車した。停車中にプラットホームに降りると、駅員が寄ってきて、ロシアに行くのかと言う。そこで、自分は日本から来て、イルクーツクまで行くのだと答えると、驚いた様子であった。冬に乗っているのは商売人だけで、観光客などいないからであろう。

 大慶を出て少し行った昴昴渓駅で、列車は停車をした。チチハル近郊の通勤列車と行き違いをするためである。一応時刻表に載っている停車であるが、実際には限りなくテクニカルストップ(運転停車)に近いものであった。それにしても横柄な通勤列車である。貨客混合の普通列車のくせに、国際特急を待たせるとは。しかもすれ違いの駅が、ド田舎の何もない小さな駅である。まあ、向こうは毎日、こちらは週に二回だけの運行だから、許してやることにしよう。


12月25日(日)

 翌朝5時、列車は中国領最後の駅、満州里駅のホームに滑り込むように到着した。列車に乗り始めて三日目になる。出発は23日であったから、25日、すなわちクリスマスの朝である。昨年の今頃もここにいたかと思うと、感慨新たであった。昨年はロシアのビザを持たずに来て、国境を目前にして退散したのである。今年は遂にロシア側に入ることが出来る。男性の方の車掌が

「満州里からは乗客が沢山乗ってくる」

と言った。その通り、中国人、ロシア人そしてブリヤート人(ロシア領内に住む小数民族。モンゴル人にかなり近い。ウランウデはブリヤート自治区の首都)と思われる乗客が大勢乗ってきて、車両はいっぱいになった。私のコンパートメントにも、中国人の3人連れが乗ってきた。聞くと、一人はもとロシア(当時はソ連)に留学していて、卒業後もロシアに残って働いているのだそうだ。あとの二人は母と兄だそうである。この人達は現在ノボシビルスクに住んでいて、沈陽の実家に里帰りしていたそうである。ノボシビルスク行きの車両に空席がなかったので、とりあえずこの車両に乗っておいて、後で車両を替わると言っていた。

 列車は満州里で2時間停車した後、食堂車から後ろの満州里止まりの車両を切り離し、前半部だけになって北京時間午前7時に満州里を出発した。5分ほどしたところで再び停車、中国側の出入国審査官ら数人が乗り込んできた。この出入国審査官がまたぶっきらぼう、というよりむしろ横暴で、恐ろしいぐらいであった。出入国審査官の後ろには、機関銃を持った人民解放軍兵士二人がついていたので、気味が悪かった。彼等は扉を蹴って開けて乗り込んでくると、すぐにロシア語で

「電気をつけろ!」

と怒鳴った。そのあと、車内をじろじろと見て回った。彼等は車内を一通り見ると、車掌に

「茶ぐらい出せ!」

と命令した。男性の方の車掌がすぐにロシア紅茶を入れて持ってきた。どうやら、ロシア人と中国人は互いに相手を馬鹿にし合っているようである。乗り込んできた出入国審査官達の行動は、「お前らいつも俺達をバカにしやがって。思い知らせてやる」という感情がありありであった。

 出国手続きが済むと、列車は再びゆっくりと動き出した。「中国」と書かれたゲートをくぐると、続いて「CCCP」と書かれたゲートが見えた。遂にロシアである。

中国を出国し、ここからロシア。

 ロシアに入ってすぐに、今度はロシア側の出入国審査官が乗り込んできた。隣の黄さんは私に預けた荷物が心配らしく、検査の前に私のコンパートメントまでやってきて、やっぱり「シンチポーム」と言って欲しいと頼みに来た。それと、今日はクリスマスなので、荷物検査に先だってメリークリスマスに相当するロシア語の「パズリャフリャーユ・ス・ラジェストボム」と挨拶すれば、ロシア人はキリスト教徒だろうからきっと心象を良くして検査がスムーズに行くはずだ、とも言った。しかし、私は黄さんの荷物を肩代りすることには抵抗があった。

 そのうち、パスポートチェックと税関検査が始まった。私は「パズリャフリャーユ・ス・ラジェストボム」と挨拶した。税関係員は一瞬ニコッとしたようにも見えた。しかし、次の瞬間には元の顔に戻っていた。一人一人の荷物を検査し、寝台の下から黄さんのジーンズが出てくると、税関係員は、

「これは誰のものだ」

と言った。「私のものです」とも「シンチポーム」とも言えなかった私は、ただ黙って座っていた。声が聞こえていたらしく、黄さんはじっとしていられなくて、隣のコンパートメントから覗きに来た。その途端、ロシア人の税関係員は

「あんたには関係無い。引っ込んでろ!」

と怒鳴りつけたので、黄さんは隣のコンパートメントに逃げ帰った。彼等は、

「これを持ち込むには税金がかかる」

と言いながら、数を数え始めた。隣から、「シンチポーム!」と叫ぶ黄さんの悲壮な声が聞こえてきた。

 結局、黄さんには14万ルーブル(約4000円)の税金が科せられたが、ジーンズは持ち込むことが出来た。荷物検査が終わると、乗客は全員廊下に立たされて、車両検査が始まった。床板や天井板を外して、密航者がいないか調べるのである。ここまでやるのはロシアだけである。ただし、この検査は形式的なものだと言う人もいる。

 全検査が終わるまでには1時間以上かかったので、列車がロシア領最初の駅ザバイカルスクに着いたのは、北京時間午前8時30分ごろ、ザバイカルスク時間の午前10時30分頃であった。中国は全土で北京時間を採用しているが、ロシアは、地域毎にローカルタイムを採用している。しかし、列車や飛行機などの運行は全てモスクワ時間で表示されている。従って、列車内に掲示された時刻表の表示は午前3時30分である。北京時間は日本時間より1時間遅れなのであるが、モスクワ時間は北京時間より5時間遅く、さらにザバイカルスク時間はモスクワ時間に対して7時間進んでいるので、結局日本時間より1時間早いタイムゾーンに入ったことになる。時計を遅らせたり進めたり大変ややこしい。

 ザバイカルスク駅に着いたと言っても、ホームには着かず、列車は直接車庫のようなところに入った。ロシアと中国では軌道幅が違う(中国は標準軌の1435mm、ロシアは広軌の1520mm)ので、台車交換をするのである。台車交換は満州里で行われると聞いていたが、そうではなく、ザバイカルスク駅構内で行われた。作業のときは乗客を乗せたまま車体をつり上げ、台車交換をするとも聞いていたが、ここでは全員降りるように言われた。以前ロシアとチェコの国境を通過したときは乗客を乗せたまま台車交換をしていた。その時は、荷物検査のときに使い残しのルーブルが見つかって、銀行に連れて行かれたので、やはり交換作業は見られなかった。今回期待していただけに、残念であった。ただし、モンゴルから中国に入るときにもう一度チャンスがあるので、その時はとくと眺めることにしよう。

 車庫で降ろされて、同室の3人の中国人家族と一緒に市内をぶらついた。少し歩くと、市場があった。中国人がロシア人相手に物を売っているのである。私はロシアルーブルを持っていなかったので、ここで闇両替をしようとした。ところが、何たることだ!彼等が言うには、ロシアではドルも新鮮さが勝負で、なるべく新しいドル紙幣の方が交換レートが高いと言うのである。特に、1990年以前に発行されたドル紙幣はロシア国内では価値がないと言うのである。私が持ってきたドル紙幣は1988年の発行のものであった。中国では何年発行のドルでもいいのだが、ロシアが駄目だと言うものだから、とその中国人の闇両替屋は、申し訳なさそうにしていたが、結局、ドルは受け取ってもらえず、人民幣をルーブルに交換してもらった。

ザバイカルスクの市場。

 ここの市場で売られている物は、衣類や日用品であったが、まるで子供騙しのようなちゃちな品物ばかりであった。辺りは氷点下20度で風も結構きつい。1時間ほど見ているとだんだん寒くなってきた。そこでザバイカルスクの市内の方に向かって歩いて行った。10分ぐらい歩くと、ザバイカルスク駅舎が見えた。いかにもロシア風の建物である。駅の裏側には切符売場と小さなキオスクがあったが、キオスクは閉まっていた。更に少し歩くと、ザバイカルスクのメインストリートに出た。と言っても舗装もしていない凸凹道である。その道沿いにログハウスのような作りの小さな商店が何軒か並んでいた。缶詰、ソーセージ、ピクルス、パンなどが売られていた。パンは直径20センチ近い丸くて平たい形をしており、一個1200ルーブル(約30円)であった。かなりかたく、ほのかに酸味のある黒パン(ライ麦のパン)で、お世辞にも美味しいとは言えないものであった。

小さな商店。

 市内を1時間ばかりぶらつくと、もう見る所はネタ切れである。駅に戻って、列車が入るのを待った。駅構内の線路は、標準軌と広軌の両方が引いてある4線式であった。先ほど買った黒パンをかじりながら、寒風吹きすさむプラットホームで座っていると、しばらくして台車交換を終えた列車が戻ってきた。北京から来た車両に、ザバイカルスク発の車両が併結され、再び十数輌の編成になっていた。

ザバイカルスク駅の時刻表。

ザバイカルスク駅に入構するモスクワ行き列車。

 列車はザバイカルスクをザバイカルスク時間の午後2時前に出発した。車窓の景色は、単調な荒れ地であった。思ったより白樺などの木は少なかった。ザバイカルスクを出て少し行ったところで、モスクワ時間と6時間の時差の地域に入った。日本時間と同じである。夕方まで、いくつかの駅に停車したが、シベリア鉄道本線に合流するまで大きな町はない。いずれも小さい駅であった。合流点のカリムスカヤは夜中の到着であったので、それまでに眠ってしまった。夜中にふと目を覚ますと、列車は比較的大きな駅に停車していた。タラップの所まで行ったが、今までとは違ってグッと冷え込んでいた。気温氷点下25度。車掌にカリムスカヤかそれともチタかと聞いてみたが、どちらでもなく運転停車であると言われた。駅名を確かめようかと思ったが、余りに眠たかったので、そのまま戻ってまた眠ってしまった。

深夜、どこかの駅に停車。


 


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