グルジア→トルコ→日本


平成19年3月21日(水)

 今日は作業2日目である。昨日はあと少しで完成というところでお開きになってしまったから、 今日は作業がうまく進むことを期待する。

 チェリゼ博士がホテルまで迎えに来てくれたので、京大教授とともに博士の車に乗り込む。 M.Nodia研究所に一度寄ってから、Dusheti観測所まで。

ドゥシェティ観測所にて。機器設置の合間に昼食

 Dushetiに着くと、昨日の停電は復旧していた。早速作業開始。フラックスゲート磁力計 と呼ばれる装置と、プロトン磁力計とよぱれる装置の調整。でも、色々トラブルが あって、なかなかうまく稼動しない。結局、フラックスゲート磁力計の方は、 本体を開けて中の基板上のスイッチを切り替えることで解決したが、プロトン磁力計の 方は夕方近くまでやってもうまくいかなかった。そうこうしているうちに、また、ドゥシェティの町 全体が停電。停電はしばらくして復旧したが、その後も断続的に停電。日も暮れて夕方暗く なってきたので、今日もこの辺でお開きとなった。

 夜、ドゥシェティの近くの小さな食堂で、グルジア料理の夕食。 出てきた肉料理では、その豚肉が鶏肉そっくりの味なのでびっくりした。チェリゼ博士は、

「豚はすべて放し飼いですよ。これが豚の肉の本当の味ですよ。養豚場で育てられた豚の肉しか 食べたことのない日本人のあなた方には分からないでしょう」

と言っていたが、私はあれは今でも鶏肉だと思う。そのほか、サラダや、中国の小籠包のように 中にスープの入った肉まんのような料理、ヒンカリ (ただし、中国の小籠包よりもずっと大きかった)などをいただく。もうお腹いっぱい。

グルジア料理のひとつ、ヒンカリ。小籠包のように中にスープが入っている。

 こんな田舎町の食堂に外国人が来ることは珍しいからか、帰り間際に食堂のウエイトレスに簡単な ロシア語で話し掛けると、相手はえらく喜んでいた。片言でもいいから、言葉が通じることは 楽しいものである。

 帰りの車の中で、チェリゼ博士がかけていたラジオのニュースで、相撲(今、名古屋場所だったの だろうか)の結果を速報していた。グルジア出身の力士「黒海」が日本で活躍しているからだという。 そう言えば、そんな力士もいたのを思い出した。グルジアからも力士が来るとは、相撲の国際化である。


平成19年3月22日(木)

 今日は、午前中、M.Nodia地球物理研究所で学術交流である。我々は講演をすることに なっているので、まず、京大教授が講演。そのあと、僭越ながら私も講演。

 午後からは、また博士の車でドゥシェティ観測所に行き、昨日の続き。 夕方まで色々やるが、やはり機械は不調。そのうちにまた停電。毎日停電している。

 研究所は気を利かせて、今晩、オペラに我々を招待してくれていた。そんなわけで、 いつまでもドゥシェティにいるわけもいかず、機器の設置は完了していなかったが、 我々は途中で切り上げてトビリシに戻らなければならなかった。 その途中、少しだけ、ムツケタという町に立ち寄って、 11世紀に建立された古い教会を見る。トビリシに遷都される以前は、ここムツケタが グルジアの首都であったらしい。

古都ムツケタのスベティチョベリ教会

 夜、研究所のご招待で、市内のオペラ座に行き、オペラを観賞した。 我々のために、最前列のかぶりつきの席を用意してくれていたのには恐縮した。 オーケストラの生演奏とともに、ドン・パスカーレというイタリア語のオペラの 上演が始まった。オペラはすばらしかったと思うけれども、残念ながら 芸術の心得のない私には、その真髄をお伝えできないのはご容赦願いたい。 グルジアのオペラは、多数の海外公演にも出かけており、見る人が見れば、 きっと、すごいオペラなのだろうと思う。

市内のオペラ座

オペラを観賞


平成19年3月23日(金)

 明日早朝の飛行機で帰るから、実質今日がグルジア滞在の最終日である。 今日もチェリゼ博士の車でドゥシェティに行く。何とか磁力計が動いてくれる ことを祈る。

トビリシ市内で見た、非常に奇妙な建物

 午前中、研究所で学術交流が予定されていたので、それに出席。昨日は 我々が発表したが、今日はグルジア側の研究者の発表を聞く。

 それが終わって、いつものように、一時間かけて車でドゥシェティまで。 夕方まであれこれやるが、結局ダメ。時間切れということもあって、磁力計は 一度持って帰って、日本でチェックすることになった。

 夕方、トビリシに帰ってきて、初めて市内観光。ムトクバリ川の断崖絶壁 に建つメテヒ教会を見て、それから旧市街の中にある大聖堂を見に行った。 大聖堂は規模は大きいものの、新しい建物で、歴史の重みが感じられない のがちょっと残念であった。たまたま今日はグルジア正教がロシア正教の 支配から独立した100周年の行事が行われていた。

トビリシ市内とムトクバリ川

旧市街の大聖堂

 グルジアの公用語は言語学的に系統不明(周辺諸国のどの言語とも関係がないそうである)の グルジア語であるが、中年以上の人にはロシア語も良く通じる。しかし、若い世代は 英語を話す人が増えつつある。若い人には、ロシア語で尋ねても英語で返事が返ってくる ことが多かった(でも、単にこっちのロシア語が下手なだけかも!)。

 そんなわけで、トビリシの街中は、ビルマ文字かタミール文字に似た、 丸っこいグルジア文字の洪水である。全く読めない。 グルジア文字は3世紀に作られたらしく、ロシアなどで使われてるキリル文字よりも ずっと古いことをグルジア人は誇りにしている。また、この文字は発音と綴りが 完全一致しているらしく、そのこともグルジア人は非常に誇りにしていて、 あちこちでその話を聞かされた。それで、我々が、日本語も綴りと発音は 一致していますよ、と言うと、グルジア人は決まって、グルジア文字以外にそんな文字が この世界にあるとは信じられない、というような顔をしていたので面白かった。

これがグルジア文字。全く読めません!

 グルジアは経済的には相当苦しいようで、街中には 新しい建物もあることにはあるが、旧ソ連時代からの古い建物をそのまま使っている 場合も多く見受けられた。空港だけは新しくてきれいだが、チェリゼ博士によると、 空港のいいのは見た目だけで、実際には突貫工事で作ったので雨漏りがしたり風で 屋根が吹き飛んだり、見えないところで数々の問題があるらしい。そして、 見えるところだけ繕って、その裏では問題山積というのは、まるで グルジアの国家そのものを象徴しているようだ、とも言っていた。 博士によると、失業率は公式発表で25%、しかしその実、おそらく50%を越えているだろうとの ことであった。確かに、トビリシで地下鉄に乗ると、駅には柄の悪そうな若者がたむろして いるし、車内にはスリとおぼしき輩もうようよしている。どうも雰囲気が余りよくない。

 グルジアは少し前までビザが必要であったが、現在、日本人はノービザである。 経済的に行き詰まっているので、観光振興策なのだろう。しかし、このように外国人の 受け入れを急速に進め過ぎると、観光公害の弊害が出てくる ことは容易に想像できる。いや、その一端がすでに見え隠れし始めている。 素朴なグルジアの良さが失われ、外国人を狙った犯罪のみが横行するような国に ならないことを祈りたい。

 グルジアは経済発展を目論んで、NATOに加盟したらしい。そのため、ロシアから 種々の対抗措置を受けているという。ロシアに通じる道路は閉鎖され、グルジア人が ロシアに渡航する場合はビザが必要となった。ロシアと決別し、EUとの関係強化に 乗り出したグルジアであるが、上に述べたように、現在の経済状態は決して良くない。 この国は現在、大きな岐路に立たされている。今から10年後、グルジアは果たしてどんな 国になっているのだろうか?


平成19年3月24日(土)

 午前3時起床。3時半に研究所の車が迎えに来た。こんな真夜中に 申し訳ないが、飛行機の時間が早朝だから仕方ない。

 午前6時のトルコ航空機でイスタンブールまで。2時間半のフライト。 時差が2時間あるので、トルコ時間の午前6時半到着。

 我々は、午後6時の成田行きを予約していた。待ち時間が12時間もある。 それで、京大教授とともに、一度市内に出て行くことにした。空港地下から メトロに乗り、それからトラムに乗り換えて、旧市街まで行って、 ブルーモスクを見たり、グランドバザールを見たりした。

イスタンブールのグランドバザール

 イスタンブールは今日は雨で、いつものようにスリッパ履きの私は、 地下道の大理石の階段で滑って転んでしまった。 お尻を打撲して痛いの何の。それで、近くのジューススタンドでしばし 休憩。絞りたてオレンジジュースが1.5リラ。

ジューススタンドでしばし休憩

 少し休憩して痛みが治まってきたので、カリエ博物館を見に行った。入場料10リラ。 キリスト教のモザイク絵が多数壁に描かれている。イスラム教の影響で、顔が塗りつぶされた のもある。壁の絵は一度はしっくいで固められていたらしいが、アメリカの技術で しっくい剥がしに成功し、甦ったのだそうだ。この辺はキリスト教文化と イスラム教文化の接点、融合地帯である。

キリスト教のモザイク絵もあり、トルコは文化の融合地帯であることがわかる

 カリエ博物館を見た後、軽く昼食。それから、近くにあるフェティエ博物館を見に行った。 こちらのほうはカリエ博物館よりずっと小さかった。入場料2リラ。

 これで大体見たいところは見終わったので、少し早かったが、地下鉄で空港まで。 午後6時まで空港で待機。

 トルコ航空TK50便成田行きは定刻出発。乗った途端に疲れで寝てしまった。 成田に着くまで、ずっと熟睡していた。


平成19年3月25日(日)

 日本時間12時半、定刻に成田空港に到着。

(おわり)


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