フランス領レユニオン→セイシェル→モーリシャス
→マレーシア→日本


平成17年8月13日(土)

 午前4時起床。昨日あらかじめ調べておいたのであるが、午前5時の 始発のバスで空港まで行けるはずである。土曜日でも午前5時の始発のバスは あることも、きちんと確かめた。ホテルのすぐ近くにバス停があるから、その バス停からバスに乗ればいい。

 5時少し前にホテルを出発。一度は、近くのバス停まで行った。しかし、 何となく、バスターミナルまで行った方がいいような気がした。理由は特に ないのであるが、「第六感」のようなものである。何となく、始発のバスは 来ないような気がしてならなかった。それで、とにかく、バスターミナルには 行くことに決定。まだ真っ暗の中、荷物を担いで歩いて行く。5分ほどで バスターミナルに到着。

 しばらく待っていると、果たして、始発のバスは確かに来た。いそいそとそれに 乗り込む。程なくして出発。ところがどうしたことだ。バスは 私の泊まっていたホテル前の道を通らず、近道をして、直接海岸沿いの大通りに出て 空港方面を目指したのである!昼間は確かにホテル前のバス停に空港方面 行きのバスは来ていた。早朝なので、どうせ客はいないだろうと思って、運転手が 勝手にショートカットしたようである。バスターミナルまで行って大正解! さもないと、待てど暮らせどバスは来ないところであった。危ない、危ない。

 エア・オーストラルのUU461便セイシェル行きは、B737型機に乗客は20人もいなかった のでがら空き。午前7時にレユニオンを出発。一路北上して、セイシェル諸島を目指す。 セイシェルまでの飛行時間は2時間30分。

 セイシェルの中心地、マヘ島に午前9時半到着。セイシェルは赤道にかなり近いので、 真夏の暑さを期待していたが、降り立ってみると、気温はそれほど高くない。これなら、 気温はコモロやマヨットと同じぐらい、おそらく30℃以下だ。ただ、コモロやマヨットと 違う点は、湿度である。熱帯特有の、むっとするように空気に包まれた。常夏の国を イメージして来たが、天気はあまり良くなく、低い雲が垂れ込めて、どんよりと曇っていて、 陰気な感じであった。

セイシェル諸島マヘ島の、ビクトリア空港に到着。 低い雲が垂れ込めて、天気はあまりよくない。

 入国問題なし。空港内の銀行で40ユーロ換えて、260ルピー。1ユーロ=6.5ルピーの レート。ということは、1ルピー≒20円のレート。

 空港前のバス停から、とにかく、バスでビクトリアの市内に向かう。バスは割合頻繁に やってくる。一回3ルピー。細長い短冊のような切符を渡された。

 モーリシャスやレユニオンでは、ヨーロッパ系、インド系、アフリカ系の人々が入り 混じった多民族国家であったが、ここセイシェルは、ほとんどがアフリカ系の黒人 であった。インド系と思しき人もいるが、ごく少数である。ヨーロッパ系は、観光客 のみのようである。あと、モーリシャスやレユニオンには中国系もわずかにいたが、 ここでは中国系の人を見かけない。要するに、セイシェルは黒人 国家ということだ。

市内に向かうバス。一回3ルピー(約60円)。セイシェルは 黒人国家なので、乗客も皆アフリカ系。

 終点、ビクトリアのバスターミナルでバスを降りる。ゴミが散らかって、何だか 雑然とした所だ。生魚の腐ったような臭いが、あたり一面に立ち込めている。 道や建物も古びており、人々の表情も憂鬱そうである。セイシェルと言えば南の楽園、 真夏の太陽が燦々と降り注ぐ高級リゾートのイメージが強いが、実際に来てみると、 立ち遅れた単なる貧しい黒人国家のようである。天気が悪くて陰気な感じがすることも あって、余計にそんな感じを増幅している。

 セイシェルは、ホテル代が高いことでも有名な国である。なるべく安いところを探す つもりではあるが、最悪、一泊1万円も覚悟して来た。ホテルについては、事前に ある程度の情報を持って来たので、それに従って、目星を付けてあるホテルに向かう。

 それは、ビクトリアの北の郊外にあるゲストハウスで、市内から3kmほどのところに あるはずである。もう一度バスに乗っても良かったが、まだ午前中でもあることだし、 ハイキングがてら、歩いて行くことにした。

 郊外に出て行くと、少し小奇麗な民家も見られ始めた。きっと、高級住宅地なの だろう。さらに道をてくてくと歩いていくと、店も民家も少なくなり、山の中の寂しい 道となってきた。それでもさらに歩く。

ビクトリア郊外の高級住宅地。

 30分ばかり歩いて、道端に、「Calypha」と書かれた、小さく見落としそうな看板が 茂みに囲まれてつつましく立っているのを見つけた。これが、目当てのゲストハウスで ある。横道を少し上って行くと、一番奥に白い建物のゲストハウスがあった。なかなか 良さそうな所だ。声を掛けると、愛想の良いセイシェル人のおばさんが出てきて、部屋に 案内してくれた。今回の旅行では一番良い部屋だ。マヨットの民宿も良かったが、ここは もっときれいだった。朝食つきで一泊40ユーロ。1万円を覚悟してきたが、予算の半額に 収まったので良しとする。ここに2泊。

 ホテルは、山の中にあって、市内よりは少し涼しいし、心地よい風が吹いていて 気持ちが良い。ホテルの周りは林と言うか茂みと言うか、木立に囲まれていて、 緑豊かなところである。海も見渡せ、遠くの島や船、手前の潟のような湿地帯など、 眺めのいいところである。ただ、山の中の何もないところなので、買い物が少し 不便である。10分ほど歩いて、近くの集落まで行かないと、店がない。

ホテルからの眺めは最高。

 荷物を降ろし、部屋で少し休憩してから、ビクトリアの市内に向かう。ホテル前の 道を市バスが頻繁に通るが、手を上げても止まってくれない。どうも、バス停は決まって いるようである。国によって、どこでもバスに乗降できる国と、決まったバス停でしか 乗降できない国とがある。セイシェルは日本同様、後者の国に属するようだ。しかし、 道端にはバス停の印も何もない。少し歩いて、道端に人がたむろしている所を見つけた ので、直感的にバス停だと感じた。そこでバスを待つ。ビクトリア市内まで3ルピー。

 セイシェルの首都であるビクトリアの市内は、中心街の観光客の来るところだけは それなりにきれいにしてあるが、それ以外のところはあまりパッとしない田舎町であった。 土曜日の午後と言うこともあって、ほとんどの店は閉まっており、死んだような町であった。 お土産屋が少しだけ開いている。町の中心部だけは、カメラをぶら下げた欧米人観光客たち が大勢歩いているが、何しろ店がほとんどすべて閉まっているので、皆、ただあてもなく ぶらぶらと歩いているだけである。あと、暇そうにたむろしている地元の青年たち。 相変わらず市内には魚の生臭い臭いが漂っており、さながら、寂れた漁村のようであった。 こんな所の一部だけを人工的にきれいに造り、そこの中だけ欧米人観光客を入れて、 法外な値段を取っているが、「意図的に造られた観光地の失敗」 を見る思いがした。

ビクトリア市内の様子。

同上。

市内の時計台。この辺りが町の中心。

 腹が減ってきたので、市内のレストランで昼食。メニューを見て、98ルピー(約2000円)の 料理を奮発したが、出てきたのは大したこともない食事であった。ウエイトレスは極めて 無愛想。食事を終えて100ルピー札で支払うと、勝手に、お釣りの2ルピーはチップとして 没収された。もう、本当に気分の悪い国である!

これだけで2000円もした昼食。セイシェルは物価が高いのが問題。


平成17年8月14日(日)

 今日は日曜日なので、旅行も休日にする。どうせビクトリア市内に行っても 何もないだろうし。一日中、ホテルで休養。適当に昼寝をしたり、持参の パソコンでこの旅行記を書いたりして過ごした。


平成17年8月15日(月)

 今日は、モーリシャスに戻る予定である。今回の旅行はモーリシャスに始まり、 モーリシャスに終わる。モーリシャスは、この辺の国の中では物価がそれほど高く ないので、このように、南インド洋へのゲートウェイとするには良いかも知れない。

 それにしても、今回訪れた国は、各国が それぞれの顔を持っていて、なかなか面白かった。モーリシャスは インド風、マダガスカルはアフリカとアジアの融合であり、なおかつ、タイム トリップをしたような所、コモロはイスラム風、 マヨットはフランス風の田舎、レユニオンはまるでスイスのような近代的な都会、 そして、セイシェルは物価ばかりが高くて立ち遅れた黒人国家。

 午前中、空港に行くまでの間、少しだけ市内を見たいと思って出かけて行ったが、 人通りは少なく、店もすべて閉まっている。おかしいなあ。今日は月曜日の はずだ。私の旅行はいつも休日にたたられるのであるが、もしかすると、また、 休日か?

 暇そうに客待ちをしていたタクシーの運転手に聞いてみると、案の定、セイシェル は今日は何とかの祝日らしい。セイシェルでは土日祝にぶつかり、全く何も見ることが できなかった。それなら、空港に直行するしかない。それで、バスで空港まで。空港10時着。

 セイシェル航空HM55便は、午前11時30分に出発。モーリシャスまでのフライトタイムは 2時間15分。乗客は意外に多く、ほぼ満席。

セイシェル航空機でモーリシャスまで。

 モーリシャスの入国問題なし。入国の時、宿泊先に「Soleil Levant Pension de Famille」と記入する と、入国審査官が、

「Soleil Levant Pension de Famille に泊まるのかね?あそこの中国人の親父は、ワシの友達じゃよ。 ワッハッハ」

などと言うのにはびっくりした。

 実は、その中国人のハゲ親父から、帰りにモーリシャスに立ち寄る時には、免税店でジョニ赤を一本買ってきて 欲しいと頼まれていた。こちらにもちょっとした魂胆があったので、入国前に免税店で買って行ってやる ことにした。一本500ルピー。

再びモーリシャスに舞い戻る。空港前の意味不明の看板。

 またバスでマヘブルグまで行って、Soleil Levant Pension de Famille に泊まる。部屋代とジョニ赤 の値段がたまたま同じなので、ジョニ赤は部屋代と相殺ということにしてもらう。ただし、その代わり、 明日、クアラルンプルに戻る飛行機が夜10時半の出発なので、明日夜8時まで部屋を延長して使用可と いうことにしてもらった。ウイスキーが手に入ってうきうきのハゲ親父は、一発でOK。私にとっても、 明日夜まで部屋が使える事はありがたい。こっちの思惑通りにうまくいった。

 インド人の多いモーリシャスに帰って来れば、やることはただ一つ。カレーを 食べに行くことである。市内のレストランで、オクトパスカレーなるものを注文。これがまた、 辛いがとてもおいしかった。蛸がコリコリして、何とも言えない歯ざわりである。カレーに蛸が良く 合うことを新発見してしまった!

 夜、猛烈なスコールがある。

今日の夕食は、たこのカレー。


平成17年8月16日(火)

 今日はついに、南インド洋最後の一日である。まだ、モーリシャスの首都の ポートルイスに行っていないので、バスで出かけることにする。行きは、まず、 ポートルイスまでの中間地点ぐらいにある、キュルピップ(Curepipe)という 町まで行く。パス代21ルピー。1時間ほどで到着。バスターミナルに隣接した 市場の建物が、何とも言えない奇妙なデザインである。

 キュルピップは高原都市で、マヘブルグよりはかなり涼しく、空気はひんやりと していた。ただ、雲がかかりやすいため、年中雨が降っているようだ。この日も、 マヘブルグでは晴天だったのに、キュルピップに着くと、しとしとと雨が降っていた。

奇妙な建物、キュルピップのバスターミナル横の市場。

 そこでバスを乗りついで、ポートルイスまで。これも、1時間ほどかかる。ポートルイス は首都だけあって、マヘブルグやキュルピップに比べると大きな町であった。高層建築 もいくつか見られる。車も多い。

 ポートルイスの町を少し見てから、またバスでマヘブルグまで帰って来た。帰りは、 ポートルイス−マヘブルグ直通のバスにしたので、一時間半で到着した。23ルピー。

首都のポートルイスには、さすがに高層建築もある。

 マヘブルグまで帰って来て、宿に戻るために道を歩いていると、背後から声がかかった。 振り向くと、職人たちがペンキを塗っている。その中の頭領とおぼしき一人が進み出て 来て、

「ニーハオ!仕事ならあるぜ。うちで働かないか?」

と言うではないか!何だこれは?出稼ぎの中国人と間違われて しまったようだ!でも、そこは丁重に断り、いそいそと宿に戻った。どうも モーリシャスという国は、変なことばかりがある。

 夕方、バスで空港まで。飛行機は実は夜の10時半だが、モーリシャスでは 午後6時を過ぎるとバスがなくなってしまう。そうなると、タクシーで行かなければ ならなくなるから、空港で4時間も待たなければならないけれども、バスのあるうちに 早い目に空港に行くことにしたのである。

 モーリシャス航空MK642便で、シンガポールを経由してクアラルンプルまで。


平成17年8月17日(水)

 現地時間の午前9時半、シンガポールに到着。モーリシャスとの時差4時間。ここで 1時間余り止まり、午前10時半、クアラルンプルに向けて出発。午前11時半、クアラルンプル に到着。

 ここで、今晩のマレーシア航空、MH52便関西空港行きに乗り継ぎ。しかし、MH52便は午後 11時45分の出発である。今午前11時半だから、実に12時間もの待ち時間がある。過去の 私ならマレーシアに一度入国してどこか見に行ったかも知れないが、もう、今となっては、 見に行く所もない。クアラルンプルも何度も来たし、スルンバンかどこかに行くにしても、 以前行った所である。

 結局、マレーシアには入国せず、空港内で12時間を過ごすことにした。冷房が効いていて 涼しいので、ずっと椅子に座って寝たり、持って来たパソコンでMP3の音楽を聴いたりしていた。

 MH52便は定刻に出発、と思いきや、もう搭乗時刻を過ぎているのにアナウンスがない。どうもいなや 予感...


平成17年8月18日(木)

 午前0時を過ぎ、日付が変わってしまった。まだ搭乗のアナウンスはない。

 午前1時頃になり、飛行機からフライトアテンダントたちが降りてきた。これは絶望的だ。 間違いなく、フライトキャンセルに違いない。

 程なくして、日本語のアナウンスが入った。

「MH52便関西行きは、機体の整備がまだ整っておりません。フライトは、本日午前11時となる 予定です。ご迷惑をおかけします」

 待合室でどよめきと溜息が同時に起こった。あーあ、モーリシャス航空で午前11時に着いて、 もう12時間も待っているのに、さらに12時間待ちである。 それだって、本当に今日の午前11時に出発するかどうか分からないし。

 ただ、良かったことは、マレーシア航空はすぐに空港ホテルを手配してくれたことである。 航空会社によっては、このような事態でも知らんぷりの所もある。自分で好きなホテルを取って、 明日11時に間に合うようにまた来い、というようなところである。もっとひどいところでは、 何時に出発するかも言わず、それまで徹夜で乗客をずっと待合室で待たせるところさえある。 今までそんなトラブルばかりだったから、今回はただでクアラルンプルにもう一泊できて、 かえって嬉しかった。モーリシャスから2晩連続夜行のはずだったが、ゆっくり寝られるし、 風呂にも入れる。でも、大学はまだ夏休みだから、私はこのように悠然と構えていられるけれ ども、仕事のある人は大変である。

 マレーシア航空係員の誘導で、空港に隣接した高級ホテル、パンパシフィックホテルに移動。 預けた荷物は返してくれないので、多くの人が、「今晩の着替えがない」とぶつぶつ言っていた。 私はもともと手荷物だけしかないので関係ないのであるが、荷物の多い人は、このような時の ために、一泊分の着替えだけは、機内持ち込み手荷物の中に入れておきましょう。 フライトキャンセル、ロストバゲッジ、その他、色々なことが起こりますから。

 もう一つ。このような時は、航空会社が食事も負担してくれるの が普通である。私は、ホテルへの移動中、マレーシア航空の係員に直接尋ねて、今晩の夕食 (dinnerではなく、supperと言っていたので、「夜食」と言うのが正しいかもしれない。マレーシア やシンガポールでは、supperとはnight mealの意味で使われる)と明日の朝食が付いている ことを確かめた。ホテルなので、朝食は当然付いていると思われるが、夕食も航空会社負担で 付いているのである。フロントで、クーポンのようなものをくれないので、再度確認すると、 レストランで部屋の鍵を見せろとのこと。こっちから聞かないと説明しない。後で、レストランに 行ったが、食事をしていたのは、私と、マレーシア航空のフライトアテンダント達と、 あと数人だけ。ほとんどの人は、夕食の事を知らないらしい。

ホテルのバイキングで出たドラゴンフルーツ。大変美味。

 朝7時、モーニングコールで目覚めて、今度は朝食に行く。それからホテルをチェックアウト。 空港まで行く。搭乗ゲートに行くと、「フライトの大幅な遅延に伴い、ご乗客の皆様には、 無料でホテル、お食事、ならびにホテル客室よりの三分間の国際電話代をマレーシア航空 持ちでご用意させていただきます」というビラを配っていた。そんなもの、 昨日配らんかい!国際電話代まで付いていたとは、つゆ知らなかった。夜食がついていた ことすら、知らない人も多くいた。

 MH52便は、予定よりも約11時間遅れの午前11時、クアラルンプル空港を出発した。結局、 モーリシャスから到着して、クアラルンプルでほとんど24時間の足止めを食らったことになる。 関西空港までは6時間のフライト。関西空港に日本時間の午後6時半到着。

(おわり)

ほとんど12時間遅れで到着した関西空港は、夏祭り(!?)。


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