マダガスカル→コモロ→フランス領マヨット


平成17年8月8日(月)

 さすがに、冬のマダガスカルは冷える。夜半頃から気温がぐんぐん 下がってきて、寒くて寒くて寝ているどころではなくなってきた。 持って来た衣服を全部着込み、両足を抱えて丸まって寝る。 日本で言うと12月ぐらいの気候か。ホッカイロが 恋しいぐらいの寒さである。

 今日はまず、イヴァトゥ村をぐるっと一周。店はあちこちにあって、 雑貨、肉、野菜などを売っている。20年ほど前の 中国の田舎に似た感じである。

肉屋では、肉をぶら下げて売っている。

小さな雑貨屋。

イヴァトゥ村のメインストリート。

同上。

 村はさほど大きくないので、すぐに一周できてしまった。それで、バスに 乗って、アンタナナリボまで行く。400アリアリ。40分ほどでタナに到着。

 タナも、いまひとつパッとしない田舎町であった。街角は人々で溢れ返って いる。店もたくさんある。しかし、見たいものも特にないし、基本的には イヴァトゥ村をただ大きくしただけのようなところであったので、1時間 ほどぶらぶらしてから、すぐに帰ってきた。帰りのバスの中で、ラジオの ニュースがかかっていたが、日本では郵政法案が否決されて、国会は解散、 小泉首相は総選挙の実施に踏み切る模様であると報道していた。 村に戻ってきてから、歩いて空港 まで行き、空港内のお土産屋で絵葉書と切手を買って、宿に帰ってきた。

どこに行っても人は多い(アンタナナリボ)。

 午後からは、宿で、スタッフと駄弁りながら過ごす。かなり寒いので、 暖炉に火が入っていたが、薪が湿っていてうまく燃えてくれない。それで、 皆でわいわいがやがや言いながら、薪をくべていた。

 夜、早い目に就寝。夜半を過ぎると猛烈に寒くなってくるので、暖かいうちに 早く寝て、早起きした方が良いようだ。

 昨日もあったが、今日も夜になって停電。かなり長い間停電していた。


平成17年8月9日(火)

 昨日早く寝たのだが、明け方まで爆睡していた。部屋は相変わらず凍えるように 寒いが、窓の上の方にあった隙間を目張りしたので、寒さは少しだけましになった。 今日は、また次の国、コモロに移動である。マダガスカルはわずか2泊だけであったが、 貧しい国ではあるものの、物価も安く、また、人々が素朴で、いいところであった。 旅行者の間で人気がある理由が分かったような気がする。

田舎の安ホテル。一体いくらで泊まれるのだろうか?

 朝9時前にホテルをチェックアウトして、空港に向かう。ホテルから空港まで、 歩いても15分ぐらいであったが、バスに乗った。100アリアリ。空港で2時間ほど 待って、マダガスカル航空MD152便に搭乗。ここアンタナナリボからコモロまでは 週一便、毎週火曜日のこの便だけの運行である。しかも、それとて、便名こそ マダガスカル航空であるが、実際にはモーリシャス航空に運行委託していて、 機材と乗務員はモーリシャス航空である(しかし、建前上はあくまでマダガスカル 航空なので、モーリシャス航空の周遊パスが使えず、私はこの区間だけ別に ノーマルの航空券を取らなければならなかった!)。

 アンタナナリボからコモロの首都、モロニまでの飛行時間は、わずかに1時間15分。 乗客は意外に多い。始め、マダガスカル島の未開のジャングルの上を飛んでいたが、 しばらくして海に出、順調に飛行する。やがて、眼下に、とがった岬を持つ島が 見えてきた。おそらく、コモロ諸島を構成する島の一つ、アンジュアン島であろう。 コモロ連邦共和国は、この島の独立問題で、過去に19回の クーデターが起こっているのである。

マダガスカルのアンタナナリボを出発し、コモロのモロニに向かう飛行機。

グランドコモロ島に間もなく着陸。

 飛行機は次第に高度を下げ、グランドコモロ島のモロニ国際空港(ハハヤ空港)に 着陸した。海辺にむき出しの滑走路が一本あるだけの空港だ。気温は摂氏27度もあり、 10℃そこそこしかなかったアンタナナリボから来ると、天国である。もうこれで、 凍えずに済む。

 飛行機に乗ってきた人数が多かったこともあって、入国審査は、恐ろしく混雑 していた。私はビザを持っていないので、入国時に申請することになる。面白い ことに、ビザカウンターは、イミグレーションの向こう側にあった。イミグレーション の係官にパスポートを提示すると、係官は、まず私のパスポートに入国印を押してから、 パスポートをビザカウンターに回した。その後で、ビザ申請用紙に記入。かなり 待たされたが、やがて名前が呼ばれ、パスポートを返してもらった。ビザと入国印とは、 全く別々のページに押してあった。普通、ビザを取ってから、入国印を押すだ ろうが。何で、入国印を先に押してから、ビザを取るのだ? しかも不思議なことに、他の人はビザ代として 20ユーロを払っているのに、私は費用を要求されなかった。ただでビザをもらって しまったのだが、こんなので良かったのだろうか。何だかいい加減だ。

 アフリカでは良くあることなのだが、案の定、空港に銀行はなかった。しかし、 コモロでは、ユーロの現金が通用するので、特に問題ではない。タクシーでモロニの 市内まで。地元の人は、タクシーを一人500コモロフラン(≒1ユーロ)で相乗りして いるが、外国人は相乗りさせてくれず、5ユーロ。それなら、私一人で貸切りのはず だが、やっぱり現地人を後から相乗りさせてくる。まあええわ。

 空港前の道は、全く何もない一本道であった。道の両側には、ゴツゴツした溶岩の 塊が転がっている。その道を、タクシーは猛スピードで飛ばし、モロニの市内に 向かう。

グランドコモロ島、モロニの空港前の道。のどかなものです。

 空港からモロニの市内までは、かなり遠かった。はっきり時間を計ってはいないが、 30分くらいかかったと思う。市内に入って間もなく、運転手が私の車に相乗りしている 他の3人と何かコモロ語で話し、そして急停車した。そして、乗客の一人と運転手が、 あっと言う間に入れ替わった。乗客の運転で、車は再び発進。100mほど先に、警察がいた。 最初の運転手が言うのに、無免許運転なのだそうだ。無免許なら、 当然、タクシーの営業許可もないだろう。ほんまに、何から何まで、 いい加減な国である。

 警察官の横を無事通過し、モロニの町の中心部に入ったので、安くていいホテルに 行ってもらう事にした。無免許運ちゃんのお勧めの所があると言うので行ってもらったが、 着いた所は、薬局の2階で、看板も何も出ていないところであった。薄汚い宿を 想像していたが、2階に上がってみると、意外にきれいなところであった。愛想の良い 青年がオーナー。一応、水道も電気もある(ただし、断水していた)。青年は、 「あまりに簡素な部屋なので、外国人の方には気が引けるのですが」と言いながら 部屋を見せてくれたが、私にとっては充分な部屋であった。蚊帳もある。 一泊7000コモロフラン。ユーロ払いの場合は、15ユーロ。大体2000円というところ。 物価の高いコモロでは、まあ、こんなものだろう。

これが泊まった宿。薬局の2階ですが、看板も何も出ていません。

 宿が無事決まったので、市内見物に出て行く。人々は割合陽気で、私を見ると、 「サヴァ?」とか、「ニーホー」とか挨拶してくれる。治安はまあまあ良好で、 市内は平穏であると言える。これが、過去に19回もクーデターが起こった 国であろうかと我が目を疑うほどである。それに、コモロは イスラム国であり、道行く人々を見ていると、男性は白い帽子、女性は ベールを身に付けている。市内にはモスクがあり、祈りを捧げる人々の姿も 見られた。

モロニの市内の様子。

 モロニの町自体は大きくない。1時間も歩けば、一周できてしまった。 港の近くはフランス風の建物もあって、古には如何にモダンな街であっただろうか と想像を馳せることができる。多くの旅行者をして、「ここはアフリカと言うよりも、 むしろ地中海だ」と言わしめた景観である。しかし、一歩中に入ると、入り組んだ 路地が迷路のように走る、いわゆる、アラブの旧市街となる。間口1間ばかりの 商店が群がり、細い路地の割には大勢人が往き交う。人々はにこやかに、 「ハロー」とか「ボンジュール」とか声を掛けてくれる。 旧市街を見た後、マルシェ(市場)を少し見て、その後、博物館を訪れたが、 博物館は閉まっていたので、代わりにドライカレーを食べて帰って来た。 ドライカレーは1000コモロフラン。と言うことは、大体、2ユーロ。

港付近の様子。古いが立派な建物が多い。

コモロ博物館に行くも休み。

 折角来たコモロなので、もう少し長居したいのであるが、フライトの関係で、 明日の朝移動しなければならない。その一つ後のフライトでは接続が悪く、 日程が大きくずれてしまうからである。ちょっと残念ではある。

 今の時期のコモロは、気温は高いものの湿度が低くてからっとしており、 夜は良く寝られそうだ。網戸の窓から入ってくる風も心地よい。マラリア を用心して、ベープマットを焚きながら、蚊帳を吊って寝る。


平成17年8月10日(水)

 朝、タクシーで空港に向かう。エア・オーストラルという初めて乗る飛行機で、 フランス領マヨット島に向かう。エア・オーストラルのUU946便は、午前11時 の出発予定。こんな国では、出発2時間半前に空港に着いていないと安心できない から、市内から空港まで30分かかるとして、逆算すれば、午前8時には出かけ なければならないだろう。宿で出してくれた朝食をかき込むようにして食べて、 それから、荷物を担いでタクシースタンドまで歩いて行く。

 空港に向かう場合は、必ずしもすぐに4人集まるわけではないので、相乗りせずに 空港まで行く。5ユーロ札がなかったので、運転手は嫌がっていたが、5ドルで 納得させる。空港までタクシーを飛ばしても、やはり30分かかった。

タクシーを飛ばして空港まで。途中の海は透き通るようにきれい。

 空港に着いたのは、午前8時半頃であった。フライトは11時なので、2時間半 前であったが、空港はすでに人々でごった返していた。皆、尋常でないほどの量の 荷物を持ち、割り込み、順番無視、人の荷物をどけるなどなど何でもありであるので、 もう何が何だか、訳が分からなくなっていた。私も最後尾に並ぶ。

 辛うじて搭乗券を手にし、出国ゲートに並ぼうとすると、係員に呼び止められた。 外国人は、出国に先立ち、何か、出国許可のようなものをもらわなければならない らしい。それで、現地の人とは別の窓口に行かされ、書類に記入させられた。 しばらく待って、パスポートが返却されたので、再び出国ゲートに並ぶ。

 コモロと言う国は、何だか知らないが、やたら手続きばかりが煩雑な国である。 到着した時は、イミグレーションで入国印をもらった上で再度ビザ申請、ホテルでは 警察に届け出るレジストレーション用の書類に記入、そして、出国時には、まず 出国許可の手続きをしてから、再度イミグレーションである。

 待合室も、人であふれ返っていた。程なくして、我々の乗る、エア・オーストラル機 が到着。巨大な、ボーイング777型機である。何で、こんなコモロなど という田舎の国から、B777が満席になるほど大勢の人が乗るのだ? 世界七不思議である。

小さなモロニ空港に、見上げるばかりに巨大なB777型機が来た。

 10時半になり、搭乗が開始された。タラップのところで、最終のパスポートチェック。 コモロでは出入国の手続きも煩雑と述べたが、飛行機に乗るためのパスポートチェックも 煩雑であった。何しろ、空港に入るのにパスポートチェック、飛行機のチェックイン カウンターでパスポートチェック、出国許可申請にパスポートチェック、出国ゲートに 並ぶのにパスポートチェック、イミグレでパスポートチェック、荷物検査でパスポート チェック、搭乗ゲートでパスポートチェック、そして、タラップの下でもう一度パスポート チェックである。

 それだけではない。タラップの下で私のパスポートをチェックした係員は、

「君のパスポートには、フランスのビザがない。従って、このフライトに搭乗させる ことはできない」

などと言い出したのである!何を言っているんだ。日本人はビザなしてフランスに 行ける。マヨットはれっきとしたフランス領ではないか!

 しばらくああだのこうだの押し問答になったが、最後には搭乗OK。でも、乗り込む のが遅くなってしまい、窓際の席を取りたかったのに(コモロの空港ではコンピューターが 機能していないため、自由席であった)、内側の席しかなくなってしまった。

 全てが煩雑かつ遅々として進まないため、出発は遅れ、結局、モロニのハハヤ空港を 出発したのは、11時30分を過ぎてからであった。マヨットまで、わずかに45分間の フライト。12時過ぎ、マヨットに到着。ここで、あの巨大なB777型機に乗ってきた ほとんどの人は降りてしまった(この飛行機はさらにレユニオンまで行く)。つまり、 コモロとフランス領マヨットの間を、300人以上もの人が一気に移動したことになる。 この人たちは、一体何の用事があるのだ?

 マヨット入国問題なし。外に出て、今からどこに行くか考えた。マヨットは、 グランド・テールとプチット・テールの2つの島からなっており、マヨットの首都の マムズはグランド・テール島にあるが、空港はプチット・テール島の南端にある。 しかし、プチット・テール島の中心地は、島の北端のジャウズというところである。 要するに、空港は一番不便なところにある、ということだ。

マヨットでは、民族音楽の生演奏で観光客を出迎えてくれる。顔に塗っているのは、日焼け止めのおしろい。

 空港で渡された地図を見る限り、ジャウズまでは歩いて半時間以上かかりそうで あった。もしマムズまで行くとしたら、ジャウズからさらに船に乗らなければならない。

 しばらく考えたが、結局、ジャウズまで歩いて行くことに決定し、てくてくと歩き 始めた。歩き始めて5分もしないうちに、パマンジという村に到着。そこで、一軒の レストラン兼民宿を発見。これはラッキー。ここに泊まることにした。明日の飛行機は 朝9時半だから、空港の近くに泊まれることは何かと都合が良い。

 聞いてみると、朝食つきで一泊35ユーロ。マヨットでは一般的に宿泊費は50ユーロ以上 と聞いていたから、これならさらにありがたい。部屋は大変にきれいで、エアコンも付いて いる。シャワーは冷水だけであったが、まあ、気温も高いことであるし、これは我慢する ことにする。

空港近くにあるレストラン兼民宿に泊まる。きれいでいい宿でした。

 とにかく最初に、シャワーを浴びて、それから下着とTシャツを洗濯。マダガスカルも コモロも水が不便で、ずっと着たきりだった。それから、市内見物に出て行く。 道を半時間ばかりてくてくと歩いて、プチット・テール島の北端のジャウジまで。 そこからフェリーに乗り、グランド・テール島のマムズに渡る。フェリーは、ジャウジ→ マムズは無料(逆方向は75セント)。早朝から深夜まで、約30分おきに運行されている。 対岸までの所要時間15分。

マヨット島の昼下がり。人っ子一人いません。

プチット・テール島のビーチ。対岸に見えるのがグランド・テール島。

プチット・テール島とグランド・テール島とを結ぶフェリー。所要15分。

マヨットの首都、マムズ市内。

 マムズには店やオフィスがいくつか集まり、田舎の国の割には、まあまあ賑わっていた。 その辺をすこしぐるっと歩いてみたが、途中で雨が降り出したので、フェリーターミナルに 戻ってきた。フェリーに乗ってから、グランド・テール島とプチット・テール島の中間地点 ぐらいまで来た時に両方の島を見てみると、グランド・テール島の上にだけ厚くて黒い雲が かかり、プチット・テール島の上は晴れていた。数キロしか離れていない両島で天気が 全く違うのはやや不思議ではあった。

 夜、宿で魚料理の夕食。少し高くて13ユーロもしたが、料理そのものはとてもおいしかった。

今晩は宿で魚料理。さすがレストランが本業だけあって、おいしかったです。


   


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