日本→(UAE)→カタール


平成17年1月20日(木)

 大学が試験期間に入ったので、自分の試験のないわずかな間隙を縫って、 未訪問国を潰しにかかることにする。今回は中東方面。中東での未訪問国 のうち、今回は、カタールとクウェートを片付けることとしよう。 木曜日の仕事が終わってからすぐに関西空港に向かえば、エミレーツ航空 の夜行便に間に合うから、それで金曜朝にアラブ首長国連邦(U.A.E.) のドバイに到着、すぐに乗り継いでカタールのドーハまで。 それで一泊して、翌日土曜日にクウェートへ。クウェートで 一泊して、日曜日にドバイに戻り、すぐに乗り継いで月曜午後に 関西空港に戻ってくる。それならば火曜日の仕事にぎりぎり 間に合う。さっき「間隙を縫う」と書いたが、まったくその通り、 速攻での訪問である。両国とも、ただ単に未訪問国だから行く だけであり、特に見るような所もない国なので、こんな日程でも 充分である。

 仕事が終わって大急ぎで帰宅、関西空港に向かう。関西空港 午後10時着。エミレーツ航空EK317便は、午後11時15分の出発。 エミレーツ航空は、ずっと前にイエメンに行ったときに乗ったことが あったが、金持ちの国の航空会社らしく、非常に豪華な飛行機である。 今回は前にも増してさらに豪華。機内エンターテイメントは999チャンネル まである。ビジネスクラスが普通のファーストクラスのような感じ、 ファーストクラスに至っては、個室のブース形式に なっていた。これにはびっくり。

エミレーツ航空機のファーストクラスは、個室のブース形式になっている。

 関西空港を出発すると、南に向かうのかと思っていたら、むしろ北の方角 に向かい、ソウル、北京の上空を越えて、中国とロシアの国境に沿って 飛ぶので、少々驚いたが、よくよく考えてみれば、これが日本から 中東に向かう大圏コースなのだろう。その後、中国の北側の国境すれすれに 沿って弧を描くように飛び、パキスタンに入ってアラビア海に 抜け、そこから西に飛行してドバイに到着。ドバイまでは11時間30分の フライト。


平成17年1月21日(金)

 ドバイには現地時刻の午前5時50分到着。日本との時差は5時間。 気温は19度もあり、暖かい。そう言えば、前にイエメンに行ったとき に来たきりだから、ドバイにはもう5年位来ていない。ドバイの 空港は、前とかなり変わってしまっていた。

 ここで、午前8時40分発のEK841便、カタールのドーハ行きに乗り継ぐ 予定。しかし、案内表示板を見ると、同便は「時刻変更」 の表示になっていた。 要するに、出発時刻未定だ。係員に聞いても要領を得ない返事ばかり。 ここは待つしかない。今日中にとにかくドーハまで行ければ良いが、 今回は旅程に余裕がないから、万一フライトキャンセルになったりすると 面倒なことになる。フライトキャンセルにならないことを祈りたい。 こういうときは、絶対にゲートを離れてはいけない。いつ急に出発する かも分からない。それで、ゲートのすぐ近くに座って待っていた。

定刻は8時40分のはずだが、「時刻変更」の表示。 果たしていつ出発するのやら。

 ところがどうしたことだ。EK841便は、定刻よりもずっと早く、 7時40分に搭乗開始した。しかも、放送はなく、係員が口で「ドーハ行き、 搭乗開始します」と言っただけである。ゲートのところでずっと待っていたから いいものの、もし歩き回っていたりしたら、下手をすると置き去りにされて しまうところだった!「時刻未定」というのは、まさか時刻繰上げの ことだとは思わなかった

 乗客はざっと見た感じ、わずかに30人ほど。我々はバスに乗せられ、 飛行機のところまで移動した。飛行機の前にバスが到着すると、ドアが開き、 まず同乗していた係員が降り、それから乗客たちが降り始めた。 私も続いてバスを降りようとしたときである、先に下りた係員が私に、

「危ない!バスを降りないで!」

と言った。「えっ?」と思って立ち止まった瞬間、体の両サイドから衝撃を 感じて、動けなくなってしまった。ドアに挟まれて しまったのである。

 ドアはすぐに開くだろうと思って、挟まれたまましばらく待っていたが、 なかなか開かない。係員が運転手の所に走って行って合図をしているが、 やはり開かない。ドアに挟まれたままの状態を皆にじっと見られて、 恥ずかしい恥ずかしい。

 係員は戻ってきてドアの近くのボタンを押すが、やはりドアは開かない。 係員はもう一度運転手のところに行き、一言二言言葉を交わしているが、 やはりドアは開かない。と、急に、バスは動き始めた。おいおい、 何考えてまんねん!私は体をドアに挟まれたまま、しかも両足は 地面につけた状態でバスが動いたので、足を捻挫しそうになった。

 私はドアに挟まれたまま引きずられたが、バスは数メートルだけ動いて すぐに停まった。係員が顔色を変えて走って戻ってきて、ドアを開けようと いろいろやるが、まだドアは開かない。仕方ないので、 私はドアを少し押し戻して、滑り込むようにしてバスの中に戻った。 この辺は、前に大阪に住んでいたとき、高校、大学に電車で通学して いたから、ドアに挟まれたときのすり抜け方は良く知っている。ただ、 日本の電車のドアと違って、このバスのドアは怪力で締め付けてくるので、 すり抜けるのに少し苦労した。

 それで私は無事バスの中に戻ったが、もう、恥ずかしいこと、 恥ずかしいこと。皆が、

「大丈夫でしたか?」

と聞いてくれたので、

「大丈夫です。きっとドアの故障でしょう。」

と答えたが、乗客の一人のドイツ訛らしい英語を話す欧米人が、

ドアの故障なんかじゃない!あいつらは気が 狂っとるんだ!」

と猛烈に怒っていた。挟まれた本人はそれほども怒ってないのに、何で 挟まれてもいない別の人がそんなに怒るのだろう?ただ、ドアに挟まれた こと自体はドアの故障かもしれないが、私が挟まれたことを知っていて バスを動かしたことは、確かに重大な間違いである。

 われわれはバスに乗ったまま待っていたが、ドアは一向に開かない。 あれやこれややっているが、開かない。かなり長い時間待って、最後に やっとドアは開いた。今度は走り抜けるようにしてドアを通過した。 もう一度挟まれたのではたまらない。それからタラップを上がり、 飛行機に乗り込んだ。

 乗客を出迎えるためにドアのところに立っていた フライトアテンダントも、真っ青な顔をしていた

「お客様、本当に申し訳ございませんでした。大丈夫でいらっしゃいますか? どこもお怪我はございませんでしょうか?」

と平身低頭しきり。外国でこんなに腰の低い言い方をされたことはちょっと 記憶にないほど、向こうは恐縮していた。チープパーサーも飛んできて、

「この件(私が負傷したわけではないので、accident ではなく incident と 言っていた)は、上にきちんと報告してしかるべき処置をとるので、 搭乗券を見せてほしい」

と言われた。まあ、しかるべき処置として、少なくともバスのドアは修理 しないといけない でしょうね。あと、誘導の係員と運転手は厳重注意かな。私には責任者から お詫び状の一通ぐらい来るのだろうか?挟まれていた時間が長かったし、 その間にバスが動いたりしたから、確かに上部に報告しなければならない 事件ではある。

 出発予定時刻よりもかなり早くバスに乗ったのに、こんなことで、飛行機に 乗るのはかなり遅くなってしまった。結局、定刻と同じ、午前8時40分に 出発。ドバイを出発して真西に飛んで、約40分でカタールのドーハ国際 空港に到着。上空から見ていると、砂漠の中にぽつんとドーハの町があり、 その横に空港があるのが見えた。現地時間の午前9時前に到着。ドバイと 一時間の時差がある。

砂漠の国、カタールに到着。

 カタールも長らく観光ビザを発給しておらず、訪れにくい国の一つであった が、最近、空港到着時にビザが取れるようになった。しかも、トランジットの場合 はそのビザすら必要ないという情報も得ていた。滞在は一日だけだから、 うまくすれば、クウェートまでのトランジットということにすれば、ノービザで 入れるかもしれない。それでイミグレで尋ねてみたが、やはりビザを取れと 言われた。それで、イミグレの左横にあるビザカウンターで用紙をもらい、 これに記入して再度イミグレへ。写真不要。ビザ代は55QR(カタールリヤル)だが、 16USDでも可。何と、クレジットカードも可。ビザを取るのに ビザカードで支払いとは、これまた粋なものである!でも、私はカードでは 払わず、ドルの現金で支払った。

 税関は簡単に通過。それで外に出た。まずはともかくチェンマネと思って ロビーの銀行に行ったが、銀行は閉まっていた。近くの人に聞くと、 今日は金曜日なので閉まっている(夕方になると開くらしいが)と言う。 まだ午前中なのに、夕方まで待ってられますかいな。それに、本当に夕方に 開くかどうかも分からないし。出発ロビー側に銀行がないか行ってみた が、出国ゲートの向こう側にあって、行くことができなかった(帰りに気付いた のであるが、実は、ATM が近くにあったのである)。

空港前のモスク。

 タクシードライバーは、ドルでもいいから町まで行くよ、と言っていた が、仮に町まで行っても、町の銀行や両替商も全部閉まっている。イスラム 国は金曜日は休日である。それだけではない。タクシードライバーと 話をしていて分かったのであるが、今日はイスラム国家では犠牲祭の休日 でもあり、3日間の連休の真っ只中なのだそうだ。また休日だ。 私の旅行はいつも休日にたたられる。今回の 旅行もそうなってしまった。休日に当たると、両替に苦労するし、 食事や買い物にも苦労するし、さらに、見所も閉まってしまうし、折角来ても 何もできなくて困ってしまう。

 仕方がないので、市内まで歩いて行くこと にした。着陸前に上から見た 感じでは、それほど遠そうでもない。まだ午前9時半、時間はたっぷり あるから、てくてく遠足がてら、ドーハの市内まで歩くことにした。 空港の警備室で道を尋ね、その通りに歩いて行く。警備員は歩くと 2時間かかると言っていたが、実際には40分ほどで市内まで到着。

空港からドーハ市内に向かう道。

ドーハの町の入り口にある、半月刀をあしらったモニュメント。

 市内をいろいろ歩き回って、中級のホテルを発見。一泊200QRと言う。 約6000円だ。少し高いなあ。でも、カタールもホテル代が高いことで 有名な国だ。もともと金持ちの国で、しかも、観光客など余り来ない から、値引き競争もなく、逆に数少ない観光客から少しでもお金を取らない と経営して行けないので、値段が吊り上っているのだ。物価の安い 国は過去に行きつくしてしまったので、最近訪れる国はどこも お金のかかる国ばかりである。これは致し方ない。

 まず、ホテルフロントでドルをカタールリアルに両替。空港の閉まっていた 銀行の表示レートでは1USD=3.65QRだったが、ホテルでは1USD=3.5USD。 いやだが仕方ない。70ドル替えて、245QR。ホテル代を差し引いて、45QR受領。 このホテルは外観はぼろく、フロントも薄暗くて、200QRは高すぎると思った が、部屋に入ってみると、きれいないい部屋であった。温水もじゃんじゃん出る。 これならまあ、200QRでぎりぎり許容範囲。

ドーハ市内の様子。

 風呂に入ってさっぱり。昼から市内を歩き回る。ほとんどの店は閉まっている が、雑貨店とレストランの一部だけは開いていた。ある食堂で昼食。マトンの ビリヤーニで8QR。ビリヤーニはドライカレーのようなインド料理であるが、 アラブ諸国では広くどこでも見かけることができる。ここの食堂は面白くて、 ビリヤーニのライスはいくらでも追加してくれる。ビリヤーニを半分ぐらい 食べたら、店員がライスを追加してくれた。それをまた半分ぐらいまで食べたら、 また追加してくれた。これでは、永久に食べ終わらない ではないか

昼食にマトンビリヤーニを食べる。

市内のグランドモスク前にて。

 カタールは、サウジアラビアに次いでイスラムの戒律の厳しい 国であり、U.A.E.やバハレーンなどに比べるとはるかにイスラム色が濃い。 道を歩いていても、出会うのは男性ばかり。街中では 女性は一人も見かけない。 さっきの食堂でも、客は男ばかりで混雑していた。まるで、男子校の食堂 みたいであった。空港には女性もいたが、みな、目以外は黒いベールで 覆っている。観光客はほとんど見かけず、現地のアラブ人以外は、インド やパキスタンから来た人々、フィリピン人と思しき労働者、あと、商売の 中国人らしき人々を見かける程度である。

 湾の反対側には高級ホテル群 らしき高層建築が見えるが、市内にはホテルは極端に少ないようで、 特に、安ホテルはほとんど皆無に等しいようであった。泊まっているホテルの 道の反対側の路地を入ったところにいかにも安ホテルという感じの ホテルを1つだけ見つけたが、それ以外には安ホテルらしきものは一軒も なかった。

「Al Jazeera」と書かれたビル。これがかの有名な カタールの衛星放送局だろうか??


 


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