日韓高速船の思い出



 私は以前、よく船で韓国に行っていた。はじめは下関−釜山を結ぶ関釜フェリーしかなかったが、途中から、 下関−釜山間の水中翼船が就航したので、よく利用した。これが日韓高速船株式会社の運行していた ジェットライナーである。

 下関市の主導で計画が立てられ、第3セクター方式で経営することが決定され、 平成3年(1991)年7月に下関−釜山間を約3時間で結ぶという触れ込みで運行開始したが、 思ったように乗客が集まらず、わずか一年半後の平成4年12月には運休、そして 日韓高速船株式会社は倒産してしまった。

 実はその当時、私は私事で小倉によく行っていたので、そのついでに、 韓国にも足を伸ばしたものである。そのとき、いつもお世話になっていたのが、 このジェットライナーである。わずか一年半の運行ではあったが、その間に 何度お世話になったか分からない。

 私の記憶では、一度だけ、下関ではなく、小倉からこのジェットライナーに乗った 記憶があった。しかし、その記憶は鮮明ではなく、もしかるすと私の記憶違いでは なかったかとも思っていた。しかし、先日、家の大掃除をしていたらジェットライナーの パンフレットがひょっこり出てきた。そして、私の記憶は間違いではなかったことが 証明されたのであった。

 以下に、ジェットライナーのパンフレットを示す。これは、就航して間もない頃の パンフレットである。運行時刻は、往路が下関9:30発、釜山12:45到着で、帰路が 釜山13:40発、下関16:55到着の一日一往復となっている。毎日の運行である。

初期のジェットライナーのパンフレット(表面)初期のジェットライナーのパンフレット(裏面)

 一方、以下は、ジェットライナーの末期のパンフレットである。少しでもお客を 増やすため、下関発、小倉経由釜山行きとしたことが読み取れる。下関を午前9:30出港は 変わらないが、小倉港に寄港して10:05発、釜山に13:15到着となり、小倉を経由する ことで所要時間が30分長くなった。帰路も同様で、小倉を経由して下関まで戻る。

 私が、小倉からジェットライナーに乗船したのはいつのことであったのか、 はっきりとした記憶はない。ただし、旅行記録から推測すると、平成4年(1992)年9月の ことであったようである。下関から出国した場合は、出国地点が「Kanmon」と表示された スタンプがパスポートに押されるが、小倉から出国した場合は「Kokura」のスタンプが 押されるのではないかと期待して、わざわざ小倉から乗ったのである。果たして、 その結果は、下関と同じ「Kanmon」でがっかりしたのを記憶している。

 その日は、日曜日であったように思う。小倉港まで歩いて行ったのか、バスに乗ったのか、 あるいはタクシーに乗ったのかまったく記憶がないが、とにかく小倉港まで行ったことは 確かである。乗客は私以外に数人しかいなかった。そのうちの一人のおじさんが、

「この船はいつも空いちょる。この前乗ったときなんか、乗客はワシともう一人の二人だけ じゃったもんなぁ。待っちょる間、恥ずかしったら、ありゃせん」

と言っていたのを思い出す。

末期のジェットライナーのパンフレット(表面)
小倉経由に変わっている。
末期のジェットライナーのパンフレット(裏面)


 上にも述べたように、ジェットライナーが運航開始したのは平成3年7月のことであった。 一方、JR九州のビートル2世が博多−釜山間を運行開始したのは、それよりも少し早い、 平成3年3月のことであった。両者は釜山到着時間を合わせてあり、ジェットライナーで 行くと、対馬を過ぎたあたりで左側からビートル2世が近づいてきて、最後は両船が 揃って釜山湾に入っていったものであった。

 ジェットライナー倒産の原因として、JR九州のビートル2世との競合を挙げる人がいるが、 それは恐らく間違いであろう。なぜなら、私は当時のビートル2世にもよく乗船したが、 ジェットライナー同様、がら空きの状態であったからである。ただ、JR九州は経営母体が 大きかったため、がら空きの状態でも倒産することなく運行を続けられただけである (ちなみに、高速船ではなく普通のフェリーであるが、大阪・神戸−釜山間のフェリー、 オリンピア88(大阪国際フェリー)も乗客が集まらず、経営難から倒産した)。

 ジェットライナー倒産の原因として、天候を挙げる人もいる。すなわち、玄界灘は 荒れやすく、ちょっと波が高くなっただけでジェットライナーは運休した。それが 乗客に嫌われたのだと。

 しかし、この分析も私にとっては「?」である。なぜなら、現在、博多−釜山間の 高速船は就航率が97%あり、台風でも来ない限りまず欠航はない。ジェットライナーも、 言われているほど就航率が低いようにも思えなかった。少なくとも、私はジェットライナーに おそらく10回以上搭乗したと思うが、一度も欠航したことはなかった。

 それに、現在、博多−釜山間の高速船は日によっては最高6往復の高速船が運航されており、 満席になることもしばしばである。天候の影響は、今も昔も同じはずである。 なぜ当時だけ天候が原因で乗客が逃げ、今は天候に関係なく乗客が集まるのか説明ができない。

 実は、はじめがらがらであったJR九州のビートル2世は、平成5年の夏以降、 突然、満員御礼状態になったのである。 それまでいくら宣伝しても閑古鳥が鳴いていたのが、ある事柄を契機に、乗客が満員に なったのであった。これも、私が、実際に当時のビートル2世にしょっちゅう乗っていて、 自分の目で平成5年の夏以降の乗客数の突然の増加を確かめたのであるから間違いない。

 では、その「ある事柄」とは何なのか?−−−−−−

 それは、韓国のビザが不要になったことである。 その年の夏、韓国の大田(テジョン)で万博が開催された。その当時、日本人が 韓国に行くにはビザが必要であったが、その期間だけビザが免除された。そして、 万博が終わった後も、ビザの免除は継続されたのであった。その措置は、 ビザなしで滞在できる期間を拡大しながら、現在まで続いている。

 私が思うに、ジェットライナーやビートル2世のような高速船が飛行機に比べて 優れている点は、席さえあれば当日でも乗れるという手軽さではないかと 思うのである。韓国に行くのにビザが必要ならば、何週間も事前に渡航手続きを 開始しなければならない。そうすると、ビザと一緒に飛行機の切符も手配してしまう。 ところが、韓国のビザが不要になると、特別な事前準備をしなくても、 例えば土曜の朝に急に思い立って港に行っても、それですぐに乗れてしまうのである。 思い立った当日に、釜山まで行けてしまうのである。

 こうして、ジェットライナーが運休した僅か8か月後に 韓国のビザはなくなり、JR九州のビートル2世はお客が増えて、 採算ラインに乗るようになった。平成15年ごろからは韓流ブームが巻き起こり、 一日四便に増便しても連日満席、席がまったく取れない状態となった。 また、同じころから、韓国人が大挙して日本に観光に来るようになった。 これにより、ビートル2世のお客数はさらに増加した。

 結局、ジェットライナーは非常に不運であったのだと思う。 時代に余りに先んじていたとも言える。今から18年も前のことであり、当時は外国に行くと 言うと飛行機と決まっていた感があったし、韓国のビザも必要であった…。 もちろん、韓流ブームなど想像もできない時代であった…。また、韓国人が日本に観光に 来ることもほとんどなかった…。 ジェットライナーがあと数年遅く、せめて韓国のビザ免除以後に運航開始 していたならば、また展開は違っていたかも知れないのではないかと、 つくづく思うのである。

(おわり)


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