「カンタータ第172番」Erchallet, ihr Lieder
小林 英夫



Erschallet, ihr Lieder: BWV 172 (NBA I/13, p3-32)
カンタータ第172番   《歌よ、響け》       【歌声よひびけ】
聖霊降臨祭第1日。   初演1714年5月20日、ヴァイマル。  29歳。
台本作者(詩人):推定では、ザロモン・フランクSalomon Frank 1659-1725

1. Coro

Erschallet, ihr Lieder,

 erklinget, ihr Saiten!

O seligste Zeiten!

Gott will sich die Seelen

 zu Tempeln bereiten.

Erschallet . . .

第1曲 合唱

鳴り響け、歌声よ、

 鳴り渡れ、琴の音よ、

おお、至福の時よ。

神は人々の魂を

 神殿として整えて下さる。

鳴り響け . . .


押韻:2 Saiten−3 Zeiten−5 bereiten

 このカンタータは、バッハがヴァイマルの宮廷楽師長に就任して定期的(月1曲程度)にカンタータの作曲を始めてからの第3作目にあたり、ライプツィヒでも再三演奏された記録の残るものです。新バッハ全集ではニ長調稿とハ長調稿の2つの版が出版されており、それぞれに楽器の選択(ただし、復元された古楽器が必要)を加味することによって、4つの時期の演奏が再現できるようになっています。つまり、ニ長調稿は1714年ヴァイマルでの初演時と1724年のライプツィヒでの最初の再演時を、ハ長調稿は次の1731年の再演時と、それ以後の年次不明の再演時とを再現可能にしているわけです。ライプツィヒでのニ長調稿は、オルガン・ピッチ(コア・トーン)を主体に記譜するヴァイマルの記譜法と木管楽器ピッチ(カンマー・トーン)を主体に記譜するライプツィヒの記譜法との習慣の違いに合わせて、ニ長調で書かれるパート譜を増やしてヴァイマールで作られたカンタータをそのままライプツィヒでも演奏可能にしたものですが、実際にはヴァイマルとライプツィヒでの基準ピッチの違いがあって、ライプツィヒでのニ長調は響きが高すぎたため(歌い手に無理がかかる?)、次の再演時にハ長調稿が作られたもののようです。

 歌詞は両稿同一ですが、ニ長調稿の末尾には「冒頭合唱を繰り返す」という指示がありますので、調性や楽器編成を棚上げにして楽曲構成だけから見れば、冒頭合唱を繰り返す演奏がヴァイマル・スタイル、繰り返さない演奏が後のライプツィヒ・スタイルということになります。

 この冒頭合唱は聖書ではなく自由詩を歌詞としており、華やかな前半は祝祭共通に用いうる詩編風の旧約聖書的表現、後半はコリント人への第1の手紙3章16節「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」などを踏まえた新約聖書的表現になっています。歌詞には現れていませんが、3本のトランペットも、3拍子(3/8)も、たぶん、ダカーポによる三部形式も、ここでは三位一体の神(父と子と聖霊)を象徴するものと考えることができます。

 この日の名称である聖霊降臨祭というのは、五旬祭、五十日祭、ペンテコステ(ギリシャ語の50にあたる数値)などの名でも呼ばれる、キリストの復活から50日目に信徒たちに聖霊が降ったという出来事(=聖霊降臨:使徒行伝第2章参照)を記念する祝日で、教会暦では復活祭から数えて50日目の日曜日に祝われます。今年(2001年)なら4月15日が復活祭で6月3日が聖霊降臨祭、このカンタータが初演された1714年やちょうど教会暦の重なった1725年なら4月1日が復活祭で5月20日が聖霊降臨祭ということになります。さらにバッハ当時のライプツィヒでは降誕祭、復活祭と並んで、3日連続の祝日とされていましたので、第1日(日曜日)、第2日(月曜日)、第3日(火曜日)のそれぞれにカンタータが演奏されたわけです。

2. Recitativo (Basso)

Wer mich liebet,

 der wird mein Wort halten,

und mein Vater wird ihn lieben,

und wir werden zu ihm kommen

 und Wohnung bei ihm machen.

第2曲 レチタティーヴォ(バス)

私を愛する人は、

 私の言葉を守る。

私の父はその人を愛し、

私たちはその人のところへ行き、

 その人のもとに住まいを設ける。

(ヨハネ福音書14章23節)



 この日の聖書朗読は、ヨハネ福音書の14章23〜31節で、キリストが受難直前に、最後の晩餐の場において、将来の聖霊の派遣を約束した言葉です。ここで歌われるのはその最初の部分で、BWV 59や
BWV 74では、冒頭曲の歌詞(従って、カンタータの表題)となっています。使徒行伝の中に聖霊降臨の出来事を描いた部分があるのに、最後の晩餐の場面の福音書が扱われているのは、福音書がキリストの言行の記録として重視され、主要な礼拝では福音書に基づいた説教が行われることになっていたためです。副次的な朗読として新約聖書の福音書以外の部分や旧約聖書も読まれていたはずですが、この日にはこの箇所ということが必ずしも記録に残っていない場合もありますので、たいていのカンタータ関係資料には、福音書の朗読箇所だけが指示されています。どうしても詳しく知りたい方のためには、丸山桂介著「バッハと教会」(音友)という資料集があります(ライプツィヒでバッハ当時の記録を調べてきたという労作です)。

 歌詞の前段の「私の言葉」とは、キリストが存命中に弟子たちに与えた数々の教えとして読むことも可能ですが、「愛する」という言葉に関連させて焦点を絞るなら、少し前の同福音書13章34節に見える「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」に集約されているものと考えることができます。楽曲の中で繰り返される(聖書には繰り返しがありませんので、バッハの設定です)und wir werden以下は、キリストと神とが信徒とともに暮らすことで、この部分が聖霊降臨に関係することになります。つまりキリストと神は、信徒の心を神の住居=神殿として(第1曲後半)、聖霊の姿で信徒の内に住むわけです。

 キリスト教の三位一体の神(父と子と聖霊)のうち、いちばんわかりにくいのが聖霊かもしれません。聖霊とは何かを教えるのはその道の専門家にお任せして、ここでは霊という言葉のリンクを少したどっておこうと思います。旧約聖書のヘブライ語で「霊」を意味するのはルーアッハという言葉で、「霊」のほか、「息」、「風」などの意味があります。同系語の動詞形によって「息をする」、「風が吹く」などの表現も可能で、大雑把にいえば、目には見えないけれど確かな動きや働きの感じられるものを指している言葉です。旧約聖書の前のほうから捜すと、創世記1章2節の「神の霊が水の面を動いていた」(新共同訳聖書)、同2章3節の「命の息を吹き入れられた」(同)、同8章1節の「地の上に風を吹かせられた」(同)などが、ルーアッハ系の言葉によっています。新約聖書のギリシャ語では、ほぼそれらの意味に相当するのがプネウマという言葉で、ルカ福音書23章46節の「わたしの霊を御手にゆだねます」および「息を引き取られた」(同)、ヨハネ福音書3章8節「風は思いのままに吹く」(同)などがプネウマ系の言葉によっています。ラテン語訳では主にspiritusの語があてられ、英語のspiritなどに引き継がれていますが、風の意味では別の語を使うことが多くなります。で、ドイツ語では「霊」にGeist、「息」にOdem、「風」にWindがあてられ、完全分業になってしまいましたが、聖書的にはこれら3語(およびその派生語や、同意味の表現)は密接にリンクしているわけです。さらに、聖霊にあてられた同格表現で、弁護者、助け主、慰め主、などと訳されるTröster、あるいは、「風」と並んで聖霊の象徴表現である「火」Feuer、「舌」Zungeなどがその周辺にあります。

 三位一体に関連する表現(あるいはその三番目である聖霊に関する単独表現でも)に、音楽的に3という数値(3拍子、三連符、3声部、3音符単位、3小節単位、3部構成、etc.)が伴うとき、バッハが数象徴を用いたものと考えることができます(ただし、逆は必ずしも真ならず)。


3. Aria (Basso)

Heiligste Dreieinigkeit,

 großer Gott der Ehren.

Komm doch in der Gnadenzeit

 bei uns einzukehren,

komm doch in die Herzenshütten,

 sind sie gleich gering und klein,

komm und laß dich erbitten,

 komm und kehre bei uns ein,

komm und laß dich doch erbitten,

 komm und ziehe bei uns ein!

Heiligste . . .

第3曲 アリア(バス)

聖なる三位一体、

 大いなる栄光の神よ。

どうぞ恵みの時においでになり、

 私たちのもとにお泊り下さい。

どうぞ心の宿においで下さい、

 粗末で、小さな宿ではありますが。

どうか来て下さるようお願いいたします、

 来て、私たちのもとにお泊り下さい。

どうか来て下さるようお願いいたします、

 来て、私たちのもとにお住まい下さい。

聖なる . . .



押韻:1 Dreieinigkeit−3 Gnadenzeit, 2 Ehren−4 einzukehren, 5 Herzenshütten−7 9 erbitten,6 klein−8 (kehre) ein−10 (ziehe) ein

三位一体の神を招くアリアの趣旨に添って、再び3本のトランペットが、時にユニゾンで、時に単独で奏されて、三つにして一つ、一つにして三つという三位一体を象徴しています。こじつけるなら、「思いのままに吹いている」(前掲ヨハネ福音書3章8節)ような1番トランペットが聖霊で、「私と父とは一つである」(ヨハネ福音書10章30節)とでもいうようにユニゾンとなることの多い2番と3番のトランペットが父と子でしょうか。3本がユニゾンとなってしかも三和音の分散音を奏するあたりは、三位一体そのものです。ヴォーカル・スコアが親切に3本分のトランペット・パートを書いてくれているかどうかわかりませんので、念のため、少しだけ下にコピーしておきます。

 歌詞の面では、アブラハム(イスラエル民族の祖。信仰の父と呼ばれる)が見ず知らずの三人の旅人を招いてもてなしたという、創世記18章の物語が前提とされており、この三人の旅人はキリスト教的に三位一体の神の現れと解釈されて、絵画表現にもしばしば扱われています。


(ニ長調稿でもハ長調稿でも、トランペットにはハ長調で書かれたパート譜しかありません。ピストンやバルブなどの機械的部分を持たず、自然倍音列と奏者の吹奏テクニックによって音程を得るバロック・トランペットは、基音調整のために長さの異なる替管部を交換するようになっているため、移調に際して楽譜を書きかえる必要がないからです。従って、バッハはヴァイマルで書いたトランペット・パート譜をそのままライプツィヒでの再演の繰り返しの際にも使い続けていたはずです)。


4. Aria (Tenore)

O Seelenparadies,

 das Gottes Geist durchwehet.

Der bei der Schöpfung blies,

 der Geist, der nie vergehet;

auf, auf, bereite dich,

 der Tröster nahet sich.

O Seelenparadies . . .

第4曲 アリア(テノール)

おお、魂の楽園よ、

 そこには神の霊(息吹)が吹き渡る。

創造の際に吹いた風、

 すなわち聖霊は、もはや過ぎ去ることはない。

さあ、準備を整えよ、

 慰め主(聖霊)は近づいておられる。

おお、魂の楽園よ . . .



押韻:1 Seelenparadies−3 blies, 2 durchwehet−4 vergehet, 5 dich−6 sich

 3拍子(3/4)、三部形式、3声部書法(ユニゾンのオブリガート、テノール、通奏低音)ということで、いわずもがなですが、三位一体の象徴です。paradies(パラダイス)は本来は庭園の意味で、聖書では天地創造の際のエデンの園や、神の国=天国などを指します。ここでは、第1曲の「魂を神殿とする」、第3曲の「心に神が宿る」などを受けて、神とともにある魂が天国を先取りしていることを表現しています。流れるようなオブリガートは吹き渡る風(聖霊)でしょう。


5. Aria-Duetto (Soprano & Alto)

(Soprano) − (Alto)

Komm, laß mich nicht länger warten,

 komm, du sanfter Himmelswind,

wehe durch den Herzengarten!

−Ich erquicke dich, mein Kind.

Liebste Liebe, die so süße,

 aller Wollust Überflus,

ich vergeh, wenn ich dich misse.

−Nimm von mir den Gnadenkuß.

Sei im Glauben mir willkommen,

 höchste Liebe, komm herein!

Du hast das Herze genommen.

−Ich bin dein, und du bist mein!

−du bist mein, und ich bin dein!

第5曲 二重唱アリア(ソプラノとアルト)

(ソプラノ)−(アルト)

おいで下さい、私をこれ以上待たせないで、

 おいで下さい、穏やかな天の風(聖霊)よ、

心の園に吹き渡って下さい。

−私はあなたを元気づけよう、わが子よ。

いとしい最愛の方、甘く優しく、

 あらゆる喜びの満ち溢れる御方よ、

あなたなしには、私は生きてゆけません。

−私からの恵みの口づけを受けなさい。

私は信仰の内に喜び迎えましょう、

 いと高き愛(神)よ、中にお入り下さい、

あなたは私の心を奪ってしまわれた。

−私はあなたのもの、そしてあなたは私のもの、

−あなたは私のもの、そして私はあなたのもの。



押韻:1 warten−3 Herzengarten, 2 Himmelswind−4 Kind, 5 süße−7 misse, 6 Überflus−8 Gnadenkuß, 9 willkommen−11 genommen, 10 herein−12 mein−13 dein

ソプラノとアルトで配役分担のある2重唱で、ソプラノは信徒(魂)役、アルトは神(聖霊)役ということになります。Himmelswind 天の風=聖霊であることや、Herzengarten が前の曲のSeelenparadies にリンクしていることなどはもうおわかりでしょう。第2段落、第3段落の互いの愛情表現は、第2曲の聖書が「愛」へのこだわりを見せていたのを受けたもので、これだけ取り出すと相聞歌とでも呼べそうな親密さがあります。もちろん、愛はキリスト教の最大テーマであるわけですが。

 詩の最終行はバランスから見ると過剰な行ですので、詩人の作は前行で終わっていたものを、バッハ自身が追加した(頻繁な繰り返しのために、言葉を入れ替えた)ものかもしれません。

 なお、この曲では歌と並行してコラールが奏されますので、それについては次ページに。

 この曲の楽器編成は、ニ長調稿ではオーボエ・ダモーレとチェロのオブリガー ト、ハ長調稿の1731年再演時では推定オーボエ(楽器指定なし)とチェロのオ ブリガート、以後の年次不明の再演時ではオルガンのオブリガートのみとなっ ています。
 チェロ(ないしはオルガンの低声部)に繰り返し現れるリズム・パターン は、は、ものの本によれば「至福」Seligkeitのモチーフであり、その上にデュエットの歌唱が乗り、それらの中からオーボエ・ダモーレ(ないしは推定オーボエ、ないしはオルガン高声部)によるコラール定旋律が現れます。

 ちょうど、BWV 6の第3曲で演奏の中からソプラノのコラールが登場したの と逆のケースになりますが、いずれにせよ、このようなコラールの登場の仕方 は人の耳を引きつけるもので、バッハは作品の中のここぞというところで効果 的に活用しています。このようにして
歌詞のないコラールが聞こえてくるとき、そのコラールを知らない者には旋律のもたらす情緒の追加でしかありませんが、教会で子供の頃からコラールに馴染んできた者の耳には歌われていない歌詞が一緒に聞こえてくることになります。

 楽器でコラールが奏される場合、歌唱の場合よりも旋律的に装飾されることが多いので、EKGの該当曲をコピーしておきます(ただし、カンタータでは下の楽譜の4〜6段目=繰り返し相当部が省略されます)。


 このコラール “Komm, Heiliger Geist, Herre Gott” は、詩の第1節が10世紀頃のラテン語による聖霊への祈り “Veni Sancte Spiritus” の15世紀頃のドイツ語訳で、ルターがさらに第2節、第3節を補作しています。定旋律はやはり15世紀頃のドイツのもので、1524年にルターの補作した歌詞と合わせて全3節として出版されています。

 当時の人の耳に同時に響いていたであろう、同コラールの第1節の歌詞を粗訳しておきます。なお、ドイツ語はEKGではなく、BWV 59の第3曲から写しています。


Komm, Heiliger Geist, Herre Gott,

erfüll mit deiner Gnaden Gut

deiner Gläubigen Herz, Mut und Sinn.

Dein brünstig Lieb entzund in ihn’n.

O Herr, durch deines Lichtes Glanz

zu dem Glauben versammlet hast

das Volk aus aller Welt Zungen;

das sei dir, Herr, zu Lob gesungen.

Alleluja, Alleluja.

来ませ、聖霊、主なる神よ、

あなたの恵みの賜物で満たして下さい、

あなたを信じる者の心と気力と思いを。

あなたの熱き愛が心を燃やして下さるように。

おお主よ、あなたの光の輝きによって

人々は信仰のもとへと集められました、

全世界のあらゆる言葉を話す人々が。

あなたに、主よ、賛美を歌うために。

アレルヤ、アレルヤ(主を賛美せよ)。



6. Chorale

Von Gott kömmt mir ein Freudenschein,

wenn du mit deinen Äugelein

 mich freundlich tust anblicken.

O Herr Jesu, mein trautes Gut,

dein Wort, dein Geist, dein Leib und Blut

 mich innerlich erquicken.

Nimm mich

 feundlich

in dein Arme,

 das ich warme

werd von Gnaden:

 Auf dein Wort komm ich geladen.

第6曲 コラール(合唱)

神からの喜びの輝きが私のもとに来るのです、

あなたがその目で

 私を喜ばしげに見て下さる時に。

おお、主イエスよ、私の大切な善(神)よ、

あなたの言葉、あなたの霊、あなたの肉と血が

 私を内側から元気づけて下さいます。

私を抱きしめて下さい、

 喜ばしく

あなたの腕の中に、

 そうすれば私は暖かく

あなたの恵みに浴することができるでしょう。

 あなたの言葉に私のすべてを委ねます。



 押韻:1 Freudenschein−2 Augelein, 3 anblicken−6 erquicken, 4 Gut−5 Blut, (7 mich−8 feundlich), 9 Arme−10 warme, 11 Gnaden−12 geladen

 (終結)コラールは、詩がフィリップ・ニコライPhillipp Nicolai 1556-1608作のコラール「輝く曙の明星のいと美わしきかな」“Wie schon leuchtet der Morgenstern” 1599全7節中の第4節。定旋律もPhillipp Nicolai 1599として歌詞と同時に出版された固有の定旋律ですが、EKGがそれと並べて、Strasburg 1538という記述を載せていますので、より古い原旋律があって、ニコライは改作にあたるのかもしれません。

 ニ長調稿の末尾には、ラテン語でChorus repetatur ab initio(直訳:合唱が最初から繰り返される)と書かれており、ヴァイマルの初演と、ライプツィヒでの最初の再演の際には、冒頭合唱が繰り返されて全曲を閉じていたことがわかります。ハ長調稿には繰り返しの指示はありません。コラールで全曲を閉じるほうがよいと考えたのかもしれませんし、第1部と第2部に分割しないカンタータとしては長すぎると考えたのかもしれません。

 歌詞の中にGeistが入っていること、歌われた聖書(第2曲)のWortともうまく対応していることなどから、このコラール詩節が選ばれたものと思われますが、おそらくもうひとつ、愛情表現という歌詞の流れを上手に受けとめてくれる詩であることも理由にあげてよいでしょう。肉と血という物騒な?表現は、聖餐式の礼拝において信徒が食するパンとぶどう酒を意味するものです。

 トランペット入りで華やかに始まったカンタータは、終結コラールでもソプラノにトランペットを重ねて華やかに締めくくることが多いのですが、このコラールでは、ヴァイオリンが美しい対旋律を奏でるようになっています(やはり聖霊役でしょう)ので、トランペットの出番はなくなっています。



2001. 03. Koba.







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