「カンタータ第122番」 Das neugeborne Kindelein - BWV 122
小林 英夫



Das neugeborne Kindelein : BWV 122
カンタータ第122番   《新たに生まれし嬰児》     【新たに生まれしみどりご】
降誕祭後の主日。初演1724年12月31日、ライプツィヒ。39歳。台本作者(詩人) 名不詳。

1. Coro

Das neugebor’ne Kindelein,

 das herzeliebe Jesulein,

bringt abermal ein neues Jahr,

 der auserwählten Christenschar.

第1曲 合唱

生まれたばかりの幼な子が、

 愛らしい幼いイエスが、

また新しい年を連れてくる、

 選ばれたキリストに従う者たちの群れに。

 押韻:1 Kindelein−2 Jesulein, 3 Jahr−4 Christenschar


 1724年の大晦日に初演された、年末の最後の最後を飾るコラール・カンタータです(一夜明け た新年にはカンタータBWV 41が初演されているわけですが)。翌年の降誕祭後の主日(1725年1 2月30日)に初演されたBWV 28の内容が年末年始に特化してまとめられていたのに比べると、この カンタータは原コラールの詩を多く取り込んでいることもあって、キリスト降誕の持つ意味に深く関 わる内容になっています。

 同名の原コラールは、詩がキリアクス・シュネーガスCyriakus Schneegaß 1546-971597、定旋律 はメルヒオル・ヴルピウスMelchior Vulpius c1570-1615編『美しい宗教歌曲集Ein schön geistlich Gesangbuch 1609』に所収。詩と旋律とは12年の隔たりがありますが、旋律は別の表題を持っていま せんので、おそらくこの詩のために新作されたものであり、詩の発表された時点では既存の旋律を借 りて歌うよう設定されていたものと考えられます。

 このコラールはEKGには採録されておらず、他の聖歌集資料で見つけたものもバッハの4声編曲 を利用したものでしたので、バッハ以前の単純なコラールとしての形を確認することができませんが 、このカンタータ第6曲の終結コラールに見えるやや変則的な3拍子のもの(ガリヤルド風のリズム [*A]に乗り、ヘミオラで読めば[*B]のようにも読める)が原形に近いのではないかと思いま す。




 この定旋律はカンタータの中で都合4回(第1曲ソプラノ、第3曲リコーダー、第4曲アルト、第 6曲終結コラール)聞かれますが、終結コラール以外の各曲ではドイツ語のアクセント位置に即した [*B]の形(第1曲の8分の3拍子と第4曲の8分の6拍子も大きく見れば)で聞こえるようにな っています。

 第1曲のコラール合唱ではコラール第1節が1行単位で歌われてゆき、絶え間なく流れる器楽のリ トルネッロが前奏、伴奏、間奏、後奏を務めています。前奏部と後奏部(113小節から)は同一の いわばダカーポ形式ですが、中間の各部(入りの音形が認められるのは17小節、29小節、54小 節、72小節、84小節)は様々に変奏されており、長さもまちまちです。もしかしたら、小節数と か、音符数とかを数えると何か象徴的な意味が浮かんでくるのかもしれませんが、とりあえずは、一 年が過ぎて再び新しい年を迎えるという意味のダカーポだと考えればよいでしょうし、前奏部と後奏 部を含めた計7回のリトルネッロに天地創造の7日間(創世記1章〜2章3節)を重ねて、神の仕事 が完成し安息に入るという意味を見てもよいでしょう。

 歌詞の内容もとりあえずは、クリスマスが来れば、新年も間近という人間世界の師走の風景として 読まれます。絶えず動いてやまないリトルネッロと合唱の下3声部に人間の時を、大きく引き伸ばさ れて歌われるソプラノの定旋律に神の時を見ることも可能ですし、第2曲以下を見てゆけば、キリス トの降誕がもたらす新年というのが、罪の介在による神と人間の敵対の時から、罪の赦しによる和解 の時への移行、すなわち古い契約(旧約)から新しい契約(新約)への移行であることが明らかにな ってきますが、第1曲の段階では、古い年から新しい年への時の流れが感じられれば十分でしょう。

2. Aria (Basso)

O Menschen, die ihr täglich sündigt,

 ihr sollt der Engel Freude sein.

Ihr jubilierendes Geschrei,

 das Gott mit euch versohnet sei,

 hat euch den süßen Trost verkündigt.

O Menschen, .......

第2曲 アリア(バス)

おお、人々よ、日々罪にまみれて暮らす者たちよ、

 天使たちと喜びをともにしなさい。

天使たちの喜びの叫び声は、

 神があなたたちと和解して下さるという、

 甘い慰めをあなたたちに知らせているのです。

おお、人々よ、. . .


 押韻:1 sündigt−5 verkündigt, 2 (sein)−3 Geschrei−4 sei

 第2曲と第3曲の歌詞は原コラールの第2節に対応しているはずですが、コラール詩を参照するこ とができませんので、直接歌詞を見てゆきます。1行目の人間(=罪人)への呼びかけは、蛇(=悪 魔)を象徴するようなメリスマ[*C]を伴っており、マタイ福音書3章7節、同12章34節、ル カ福音書3章7節などに見える「蝮(まむし)の子らよ」という呼びかけを連想させる厳しいもので す。それに対して2行目に伴う長大なメリスマ[*D]は、3拍分=12音を単位とする繰り返しに よって、三位一体の神からもたらされる完全な喜びを象徴するもので、グレゴリオ聖歌の時代から長 大なメリスマがユビルス(喜び)と呼ばれてきたことを思い出させます。同じ2行目を歌う別の部分 では、地上に降りてきた天使を象徴する下降音形[*E]も現れます。メリスマの多いアリアという のは歌いきるだけでも大変なのですが、ここではさらに蛇のくねりと、天使の喜びとを歌い分ける必 要があるわけです。



 歌詞の3行目以下のダカーポ・アリアの中間部になっても、通奏低音は[*C]の音形による罪人 への呼びかけを繰り返します。それが消えるのは歌がZ型の十字架の音形[*F]を繰り返す56小 節以下で、神と人との和解はキリストの受難の時点で実現するということが象徴されていることにな ります。



 キリスト降誕の際の天使たちの声は、ルカ福音書2章14節の「Ehre sei Gott in der Höhe, und Friede auf Erden, und den Menschen ein Wohlgefallen. いと高きところでは神に栄光あれ、/地上 に平和あれ、/人々に満足(神の好意、善意)あれ」(ルター訳聖書ではこのような3区分。現代一 般の聖書は「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ」のような2 区分。この相異は翻訳の原本とされたギリシャ語聖書が異なる=異本関係にある、ために生じたもの )の「平和」が、歌詞の「和解」にリンクし、同10節の「ich verkündige euch große Freude大き な喜びを告げる」の「大きな喜び」が、歌詞の「甘い慰め」にリンクしていま す。

 「平和=和解」が、キリストの受難によって実現されるという記述は、 「(神はキリストの)十字 架の血によって平和を打ち立て、…、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」(コ ロサイ人への手紙1章20節)に見られ、バッハの音楽と聖書の思想(神学)との並行関係がよく分 かる例となっています。


3. Recitativo (Soprano)

Die Engel, welche sich zuvor vor euch,

 als vor Verfluchten, scheuen,

erfüllen nun die Luft im höhern Chor,

 um über euer Heil sich zu erfreuen.

Gott, so euch aus dem Paradies

 aus englischer Gemeinschaft stieß,

läßt euch nun wiederum auf Erden,

durch seine Gegenwart,

 vollkommen selig werden:

So danket nun mit vollem Munde

 vor die gewunschte Zeit im neuen Bunde.

第3曲 レチタティーヴォ(ソプラノ)

天使たちは、かつてはあなたたちを

 まるで呪われた者のように避けていましたが、

今や、天上の合唱隊となって空を満たし、

 あなたたちの救いを喜んでいるのです。

神は、かつてあなたたちを楽園での、

 天使にも等しい交わりから追放しましたが

今や再び、地上にあるあなたたちに、

御自身の姿を現わして、

 完全な幸福へと招いておられるのです。

それゆえ、言葉を尽くして感謝しなさい、

 新しい契約の希望の時が満ちたことを。



押韻:2 scheuen−4 erfreuen, 5 Paradies−6 stieß, 7 Erden−9 werden, 10 Munde−11 Bunde

 人(土)にかけられた呪いは創世記3章17節に記述され(
BWV 91の第2曲のところで12節と書 いているのはミスです。お詫びして訂正いたします)、楽園からの追放は同23節に記述されていま す。同24節で楽園の番人とされているのがケルビム(智天使とも訳される天使の階級名ケルブの複 数形)で、楽園追放を扱った絵画の中でアダムとエバ(イヴ)を追い出している天使としてしばしば 描かれています。

 従って、このレチタティーヴォは旧約聖書の楽園追放の場面と新約聖書のキリスト降誕の場面とを 交互に見比べるように書かれているわけで、説教者であると同時に絵本を見開きにして子供に読み聞 かせている母親のような雰囲気を持っています。第2曲での蛇の表現も楽園追放の場面を先取りした ものなのでしょう。

 末尾の「新しい契約」とは、キリストの到来によってもたらされた神と人間との新しい関係であり 、詩の文脈の中では、呪いから救いへ、追放から幸福への転換です。

 契約Bundの語は、BWV 132の第4曲のところでTaufbund(洗礼の約束)、Gnadenbund(恵みの約束) としても見えていたもので、「古い契約」がいわゆる旧約を意味する場合は、律法(十戒)を媒介と して神とイスラエル民族との間に交わされた契約を指します。BWV 106にも引用されているEs ist der alte Bund: Mensch, du must sterben「なんじ、死すべし」。これは昔からの定め(旧約聖書続編シ ラ書14章17節)、のように、「契約」とは訳しにくい場合もありますが、罪=死を前提とすると いう点でやはり旧約的表現です。

 「新しい契約」は、旧約聖書エレミア書31章31節の「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの 家と新しい契約を結ぶ(einen neuen Bund machen)日が来る、と主は言われる」にすでに見えるもの ですが、それを引用した新約聖書ヘブライ人への手紙8章8節をルターはein neu Testament machen のように訳しており、新約、すなわちキリストの受難を前提とした契約(Testament=遺言)と同義語 扱いにしています。この歌詞の末尾の行も、第2曲から繰り返し歌ってきた旧約から新約への転換の まとめとして、エレミア書の預言の実現を扱ったものと考えられます。

 歌詞の3行目からは、背景にリコーダーによるコラール定旋律が重ねられています。上空で歌う天 使たちが姿を見せたというところでしょうか、3本のリコーダー(また三位一体?)の重奏で、上声 部旋律の音域は第1曲や第6曲のソプラノ(人の声)のオクターブ上となって います。前に書いたこ と(BWV 172の第5曲のところで)と矛盾するかもしれませんが、ここでのコラールは歌われていない 歌詞を思い起こさせるというより、レチタティーヴォの語りに対する情緒的なBGMの付加という雰 囲気ですので、逆に言えば、レチタティーヴォのほうに、しっとりと語り聞かせるような口調が要求 されていることになります(レチタティーヴォがマイペースでさっさと行ってしまったのではコラー ルの入る余地がなくなってしまいます)。


4. Terzett

Aria (Soprano & Tenore) & Choral(Alt)

−Ist Gott versöhnt und unser Freund,

O wohl uns, die wir an ihn glauben,

−was kann uns tun der arge Feind?

sein Grimm kann unsern Trost nicht rauben;

−Trotz Teufel und der Höllen Pfort’,

ihr Wüten wird sie wenig nützen:

−das Jesulein ist unser Hort.

Gott ist mit uns und will uns schützen.

第4曲 三重唱

アリア(ソプラノとテノール)とコラール(アルト)

−神は人間と和解し、私たちの友となった、

おお、何と幸いなことか、神を信じる私たちは。

−邪悪な敵とて私たちに対して何ができよう、

いくら怒っても私たちから慰めを奪えはしない。

−悪魔も地獄の門も何するものぞ、

彼らがいかに猛り狂っても無駄なこと。

−幼いイエスが私たちの盾となったのだから、

神は私たちとともにおられ、私たちを守っている。



押韻:1 Freund−3 Feind, 5 Pfort’−7 Hort, 2 glauben−4 rauben, 6 nützen−8 schützen

 コラール詩と自由詩を組み合わせて歌う場合、これまで見てきたもの(BWV 91第2曲、BWV 131第2 曲と第4曲)は自由詩がひとしきり歌われてからコラールが登場するものでしたが、この曲ではコラ ール第3節を歌うアルトの定旋律が先行し、巧みにコラール詩の内容を受け継ぎながら自由詩のデュ エットが絡み、最後はアルトも加わった喜びの三重唱(三位一体?)が完成します。


5. Recitativo (Basso)

Dies ist ein Tag, den selbst der Herr gemacht,

 der seinen Sohn in diese Welt gebracht.

O sel’ge Zeit, die nun erfüllt!

O glaubig’s Warten, das nun mehr gestillt!

O Glaube, der sein Ende sieht!

O Liebe, die Gott zu sich zieht!

O Freudigkeit, so durch die Trubsal dringt

 und Gott der Lippen Opfer bringt.

第5曲 レチタティーヴォ(バス)

今日こそ、神御自身がお作りになった日、

 神の御子がこの世に生まれてきた日。

おお、今や幸いの時が満ちる。

おお、信じて待つ心が今まさに静められる。

おお、信仰はその目的地を見る。

おお、愛が神を引き寄せる。

おお、喜びは悲しみを通り抜け、

 神に唇の捧げ物(讃美の歌)を捧げる。



 押韻:1 gemacht−2 gebracht, 3 erfullt−4 gestillt, 5 sieht−6 zieht, 7 dringt−8 bringt

 第5曲の歌詞はコラール詩からは独立しており、さまざまな祝日の聖歌の歌い出しに用いられる詩 篇118の24節Dies ist der Tag, den der Herr machtを出発点に、キリストの降誕と希望の実現 が歌われます。


6. Choral

Es bringt das rechte Jubeljahr,

 was trauern wir denn immerdar?

Frisch auf! itzt ist es Singenszeit,

 das Jesulein wend’t alles Leid.

第6曲 コラール(合唱)

今まさに喜びの年が明ける、

 もはや何を悲しむことがあるだろう。

心をを新たにせよ、今こそは歌うべき時、

 幼いイエスがすべての憂いを除いて下さる、と。



 押韻:1 Jubeljahr−2 immerdar, 3 Singenszeit−4 Leid

 終結コラールは原コラールの最終第4節。ドイツ語の語感に合わせて「喜びの年」と訳した Jubeljahrは、語源的にはレビ記25章に規定されている「ヨベルの年」に相当します。この年は7年 毎の安息年(休耕年)を7回数えた後に加えられる50年に一回の特別な安息年で、売り渡された先 祖伝来の土地は本来の所有者に返還され、みずから身売りして奴隷(ないし雇い人)となっていた者 は自由人としての身分を回復します。ルターはカトリック教会用語として聖年=恩赦の年を意味する ようになっていたJubeljahrを用いずに、解放の年を意味するErlasjahrをこの「ヨベルの年」の訳語 として新造しましたので、ルター派ではJubeljahrはドイツ的な「喜びの年」となるわけです。カンタ ータの文脈の中では、キリストの降誕によって、楽園の返還と、罪からの解放という恵みの年(50 年に一回ではなく、永遠に続く)が始まるという意味が重ねられており、旧約から新約への移行の総 まとめとなっています。

2001. 12. Koba.







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