「カンタータ第121番」 Christum wir sollen loben schon
小林 英夫



Christum wir sollen loben schon: BWV 121
カンタータ第121番   《キリストをわれらさやけく頌め讃うべし》     【われらまさにキリストを讃うべし】
降誕祭第2日。初演1724年12月26日、ライプツィヒ。39歳。台本作者(詩人)名不詳。

1. Coro

Christum wir sollen loben schon,

der reinen Magd Marien Sohn,

so weit die liebe Sonne leucht't

und an aller Welt Ende reicht.

第1曲 合唱

キリストを私たちはこぞってたたえましょう、

 純潔な乙女マリアから生まれた男の子を。

愛の太陽(キリスト)が輝いて、

 世界の隅々まで照らしているかぎり。

 押韻:1 schon−2 Sohn, 3 leucht’t−4 reicht


 宗教改革者マルティン・ルターMartin Luther 1483-15461524の同名のコラールに基 づくコラール・カンタータで、バッハとしては前日(=クリスマス当日)のBWV 91に引 き続いてルター作のコラールを扱っていることになります。コラール詩は5世紀の教会 詩人セドゥリウスCaelius Sedulius(生歿年不詳、活動期470年頃)作のラテン語降 誕節賛歌Hymnus「太陽の昇る地平から」“A solis ortus cardine”に、旋律もそれを歌 い馴わしてきたグレゴリオ聖歌にさかのぼるものですので、最初にそれを掲げておきま す。

(歌詞粗訳)
 太陽の昇る(東の)地平から
 (西の)地の果てにいたるまで、
 キリストを君主として私たちはほめ歌おう、
 乙女マリアから生まれた子を。

 全8節の原ラテン語詩を、ルターは内容の対応した全8節のコラール詩に翻訳してお り、グレゴリオ聖歌の旋律でそのまま(ドイツ語のリズムに閉じ込めることなく)歌え るように、各節が8音節の4行詩という外形も保たれています。この旋律はおそらく宗 教改革前からドイツ民衆に馴染まれていたものなのでしょう。

 この第1曲のコラール合唱(特に記載されてはいませんが、やはりAlla breve相当の 古風な通模倣様式による重厚な合唱モテトです)でソプラノに置かれた定旋律でも、グ レゴリオ聖歌の旋律はよく残されていますが、中間終止音(上の1段目末尾)のシがド (楽譜45小節のD音)に上げられ、後半発唱音(上の2段目冒頭)のラがソ(楽譜6 2小節のA音)に下げられるなどの相異も見られますので、間をつなぐものとして、ド イツ・コラールとしての初期の旋律形をルーカス・オジアンダーLucas Osiander 1534-16041586の4声編曲の旋律部を借りて写しておきます。



2. Aria (Tenor)

O du von Gott erhöhte Kreatur,

 begreife nicht, nein, nein, bewund’re nur,

Gott will durch Fleisch

 des Fleisches Heil erwerben.

Wie gross ist doch der Schöpfer aller Dinge,

und wie bist du verachtet und geringe,

 um dich dadurch zu retten vom Verderben.

O du von Gott.....

第2曲 アリア(テノール)

おお、神によって高められた被造物(人間)よ、

 理解しようとするな、ただただ驚嘆せよ。

神は肉を通して

 肉(人間)の救いをなさろうとしておられるのだ。

何と偉大な方だろう、万物の創造主は、

まるで取るに足らないおまえのような者を、

 こうして滅びから救い出して下さるのだ。

おお、神によって . . .


押韻:1 Kreatur−2 nur, 4 erwerben−7 Verderben, 5 Dinge−6 geringe

 第2曲の歌詞はルターのコラールの第2節に対応していますので、まず、その粗訳を しておきます。

−Der selig Schopfer aller Ding 幸いなる(聖なる)すべてのものの創造主は
− Zog an ein’s Knechtes Leib gering,      いやしいしもべ(人間)の体を身にまとった。
−Das er das Fleisch durch Fleisch erworb’ 肉を通して肉なる者(人間)を獲得するために、
− Und sein Geschopf nicht all’s verdorb’     彼の被造物(人間)が皆滅びることのないように。

 コラール詩前半2行の「神が(身を低くして)しもべに過ぎない人間の姿となった」 (フィリピ人への手紙2章6〜7節)という神の側からの表現は、歌詞の1行目におい て「被造物に過ぎない人間が神によって高められた」という人間の側からの表現に転じ ています。神が人間として生まれてきたことは、神の計画が人間の存在を否定する(滅 ぼす)ことにではなく、肯定する(救う)ことにあることを示しており、キリストの降 誕の段階で、人間は罪のために失っていた本来の尊厳(神は御自分にかたどって人を創 造された=創世記1章27節。また、旧約・続編の知恵の書2章23節も参照)を取り 戻した、ということになります。

 神が人間となって生まれてくるというのは驚くべきことであり、それによって思い出 された、人間が本来なら神の似姿として創造された存在であるというのも驚くべきこと であるわけで、歌詞の2行目のとおり、解釈するよりも驚くことのほうが重要なのでし ょう。ここでのバッハの音楽も、ガヴォット風の旋律(本来なら2拍子)が3拍子の中 で奏されるという、新鮮な驚きをもたらすものとなっています。

 肉を通して肉の救いをもたらす、というのは、毒をもって毒を制す、というような感 じですが、キリストの受難によって完成する神の人類救済計画の真髄であり、 ローマ人 への手紙8章3節「御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪 として処断された」という記述に集約されているものです。


3. Recitativo (Alt)

Der Gnade unermesslich Wesen

hat sich den Himmel nicht

 zur Wohnstatt auserlesen,

weil keine Grenze sie umschliesst.

 

Was Wunder,

 dass allhier Verstand und Witz gebricht?

ein solch’ Geheimnis zu ergründen,

 wenn sie sich in ein keusches Herz ergiesst.

 

Gott wählet sich den reinen Leib

 zu einem Tempel seiner Ehren,

um zu den Menschen sich

 mit wundervoller Art zu kehren.

第3曲 レチタティーヴォ(アルト)

神の恩恵の無限の本質である御方(キリスト)は、

天をみずからの住まいとすることを

 選ぼうとはなさらなかった、

どんな囲いにも閉じ込められる方ではないのに。

 

何という不思議だろう、

 この世の分別と知恵には及びもつかないこと。

これほどの秘密を深く理解できるのは

 神の恩恵が無垢な心に注がれた者だけなのだ。

 

神は純潔な身体を

 みずからの栄光の神殿として選び、

人々のもとへ向かうために

 不思議な方法を用いられた。



押韻:1 Wesen−3 auserlesen, 2 nicht−6 gebricht, 4 umschliesst−8 ergiesst, 10 Ehren−12 kehren

 第3曲の歌詞はルターのコラールの第3節と第4節に対応しています。

−Die göttlich Gnad von Himmel groß    天来の偉大な神の恩恵は、
− Sich in die keusche Mutter goß;     純潔な母の中にみずからを注ぎ込んだ。
−Ein Mägdlein trug ein heimlich Pfand,    ひとりの少女が秘密の担保(子供)を 担った、
− Das der Natur war unbekannt.     それは自然には不可能なことだった。
  
−Das züchtig Haus des Herzen zart    優しい心の端正な家は、
− Gar bald ein Tempel Gottes ward,     すぐに神の神殿となった。
−Die kein Mann rühret noch erkannt,    彼女は男に触れることなく、知ることもなかったが、
− Von Gott’s Wort sie man schwanger fand.     神の言葉によってのみ彼女は妊娠することになった。


 歌詞の第1段落がコラール詩第3節の前半2行に、第2段落が同後半2行に、第3段 落が第4節に相当しています。歌詞第1行の堅い表現はヘブライ人への手紙1章3節の 「御子は神の本質の完全な現れ」を踏まえたものですが、全体は、やはり不思議、驚き がキーワードとなっており、コラール詩の処女懐胎も歌詞末尾の不思議の中に取り込ま れ、神が人となるその瞬間には音楽も意外な転調を見せています。

4. Aria (Bass)

Johannis freudenvolles Springen

 erkannte dich, mein Jesu, schon.

Nun da ein Glaubensarm dich halt,

so will mein Herze von der Welt

 zu deiner Krippe brunstig dringen.

Johannis ..........

第4曲 アリア(バス)

洗礼者ヨハネは喜びに満ちて跳び上がるほど、

 あなたを、わがイエスよ、よく知っていました。

今こそ信仰の腕であなたを抱き上げるために、

私の心はこの世界を離れ、ひたすら

 あなたの横たわる飼葉桶を目指して急ぎます。

洗礼者ヨハネは . . .



押韻:1 Springen−5 dringen, 3 halt−4 Welt

 第4曲の歌詞は部分的にですがルターのコラールの第5節に対応しています。

−Die edle Mutter hat gebor’n, 高貴な母は産んだ、
− Den Gabriel verhieß zuvorn,   ガブリエルが前もって約束した者を、
−Den Sanct Johann’s mit Springen zeigt,    聖ヨハネが跳躍で証明した者を、
− Da er noch lag in Mutter Leib.     その時彼はまだ母の体の中にいたのだけれど。

 キリストと直接の関係があるヨハネという名の聖人は二人おり、一人はここで上げら れている洗礼者あるいは先駆者の名を冠せられるヨハネ、もう一人は使徒あるいは福音 書記者の名を冠せられるヨハネです。この洗礼者ヨハネは祭司ザカリアとその妻エリザ ベトとの間の息子で、イエスより6ヶ月だけ年長とされ(ルカ福音書1章26節)、教 会暦での祝日もクリスマスの半年前の6月24日に設定されています。このヨハネをみ ごもったエリザベトのもとへ、イエスをみごもったマリアが訪問した際に、エリザベト の胎内で胎児(後の洗礼者ヨハネ)が喜び躍ったというエピソードがルカ福音書2章4 1節に記述されていて、このコラールおよびアリア歌詞の典拠となっているわけですが 、胎児であるヨハネが、やはり胎児であるイエスを認識したとまでは聖書に書かれてい ません。青年期にヨハネは隠者に近い生活を送り、荒野で叫ぶ声となって人々に悔い改 めを促し、ヨルダン川で洗礼を施すという活動を行っており、イエスもヨハネから洗礼 を受けることになります。それに先立ってヨハネは「私より後から来る方は私より優れ ていて、私はその方の履物の紐を解くにも値しない」とイエスの登場を先触れしていま す(マタイ福音書3章など)。やがてヨハネは捕えられ、宴会の余興がらみで首を切ら れるということになります(マタイ福音書14章など)。

 4行のコラール詩のうち3行目だけがアリア歌詞の前半に取り入れられ、他の行の内 容は放棄されています。アリア歌詞の後半はこの日の聖書朗読箇所であるルカ福音書2 章15〜20節の、羊飼いたちの礼拝の場面への参加を表明するもので、現世の時間・ 空間を超越して、信仰の世界の中でベツレヘムのキリスト降誕の現場に行くことが決意 されています。


5. Recitativo (Sopran)

Doch wie erblickt es dich

 in deiner Krippe?

Es seufzt mein Herz:

 mit bebender und fast geschloss’ner Lippe

 bringt es sein dankend Opfer dar.

Gott, der so unermesslich war,

 nimmt Knechtsgestalt und Armuth an.

Und weil er dieses uns zu gut gethan,

 so lass’ ich mit der Engel Chören

 ein jauchzend Lob- und Dank-lied hören.

第5曲 レチタティーヴォ(ソプラノ)

しかし、何という光景でしょう、

 あなたが飼葉桶の中に寝かされているとは。

私の心はため息をつき、

 震えて容易に開くこともかなわぬ唇で、

 感謝の捧げ物を差し出そうとしています。

神は、無限の存在であられたのに、

 しもべの姿と貧しさとを身に受けられたのです。

神が私たちにこれほど良くして下さるのですから、

 私は天使たちの歌声に合わせて、

 喜ばしく讃美と感謝の歌を響かせましょう。



押韻:2 Krippe−4 Lippe, 5 dar−6 war, 7 an−8 gethan, 9 Chören−10 hören

 第5曲の歌詞はルターのコラールの第6節と第7節に対応しています。

−Er lag im Heu mit Armuth groß,    彼は干草の中に横たわった、大きな貧しさとともに、
− Die Krippen hart ihn nicht verdroß,     飼葉桶は彼を少しも怒らせなかった。
−Es ward ein kleine Milch sein Speis, ほんのわずかな乳しか彼の食物にならなかった、
− Der nie kein Vöglein hungern ließ.     彼はどんな小鳥も決して飢えさせたりしないのに。
−Des Himmels Chör sich freuen drob,    上空で天の歌隊は喜ぶ、
− Und die Engel singen Gottlob,     そして天使たちは神への讃美を歌う。
−Den armen Hirten wird vermeld’t    貧しい羊飼いたちに披露される、
− Der Hirt und Schöpfer aller Welt.     全世界の牧者かつ創造主が。


 歌詞はもはやコラール詩に順序よく対応するつもりはなく、前半ではキリスト降誕の 現場での驚きと絶句の有様を伝えようとしています。ナレーションで片付けるわけには いかない、間合いや口調で目撃者としての演技が要求されるレチタティーヴォです。後 半では一旦説教者に転じてから、喜ばしく次の終結コラールへの導入を果たしています 。


6. Choral

Lob, Ehr’ und Dank sei dir gesagt,

 Christ, gebor’n von der reinen Magd,

sammt Vater und dem heil’gen Geist

 von nun an bis in Ewigkeit.

第6曲 コラール(合唱)

讃美と、栄光と、感謝をあなたに捧げましょう、

 純潔な乙女から生まれたキリストに、

さらには父なる神と聖霊とに、

 今よりのち、とこしえに。



 押韻:1 gesagt−2 Magd, (3 Geist−4 Ewigkeit)

 終結コラールはルターのコラールの最終第8節で、キリストの降誕に関連を持たせた 三位一体の神への讃美(栄唱)となっています。ラテン語の賛歌Hymnusは最終節が栄唱 となっていることが多く、ラテン語からの翻訳のコラールでしばしば見られる締めくく りの形です。毎年巡ってくるクリスマスを新鮮な驚きをもって迎えようというカンター タの主旨は、長く引き伸ばされた「永遠」の中に溶け込んでゆきます。

<付記> この対訳・解説のために使用したヴォーカルスコア(Breitkopf 7121)は、 通奏低音のリアライゼーションに小音符を用いていない、英語の歌詞が付随し ていない、などの点で、おそらく旧全集版に基づく初期のヴォーカルスコアが改訂されないまま 出版され続けているものです。歌詞の綴り字でもssを用いない、thを好む、などの旧全 集版時代の慣習が残っていますが、新全集版を参照できる状態ではありませんので、他 の作品との不整合が生じることを承知の上で、修整せずにドイツ語本文といたしました 。また、原コラール詩はEKGではなく手元の複数の資料から再構成したものです。


2001. 12. Koba.







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