「カンタータ第91番」Gelobet seist du, Jesu Christ
小林 英夫



Gelobet seist du, Jesu Christ: BWV 91
カンタータ第91番   《讃美を受けたまえ、汝イエス・キリストよ》     【讃えられよ、イエス・キリスト】
降誕祭第1日。   初演1724年12月25日、ライプツィヒ。  39歳。

1. Coro

Gelobet seist du, Jesu Christ,

 daß du Mensch geboren bist,

von einer Jungfrau, das ist wahr,

 des freuet sich der Engel Schar,

Kyrie eleis!

第1曲 合唱

あなたに賛美あれ、イエス・キリストよ、

 あなたは人として生まれて来られました。

あなたの母が乙女であったのは確かなこと、

 それゆえ天使の群れも喜んでいるのです。

キリエライス(主のあわれみを)。


押韻:1 Christ−2 bist, 3 wahr−4 Schar

 このカンタータはコラール・カンタータ、つまり、ひとつのコラールの歌詞と定旋律をカンタータ全体の歌詞と音楽の基盤として展開させたものです。このカンタータでは、第1曲、第2曲、第6曲で元のコラール詩がその定旋律によって歌われ、第2曲〜第5曲ではコラール詩に基づく創作詩が用いられています。

 1724年はバッハがコラール・カンタータを重点的に作曲した年で、30作品ほどが残されていますが、全体構成のプランを練り、創作詩を書いた詩人(台本作者)の名はいずれも分かっていません。

 このカンタータの基盤をなす同名の原コラールは、数ある降誕節コラールの中でも古くから親しまれているもののひとつで、詩の第1節が14世紀頃の作者不詳のもの、第2節以下最終第7節までが、宗教改革者マルティン・ルターMartin Luther 1483-15461524のものです。定旋律は15世紀までさかのぼれるものとされていますが、ルターの補作を経て出版されたものですので Wittenberg 1524としておきます。

 下は福音主義教会讃美歌集Evangelisches Kirchen-Gesangbuch通称EKG(エーカーゲー)に収録された該当曲のコピーです(古めかしい書体ですが、今世紀後半に出版された版です)。



 原コラール各節末に置かれた、Kyrieleisはカトリック教会のミサ曲の最初に出てくるKyrie eleison(主よ、あわれみたまえ)というギリシャ語の祈りがドイツ語化され、一種の掛け声ないしは呪文のようになったもので、万歳、だったり、ありがたや、だったりします(南無阿弥陀佛がナンマイダになった時に、本来の意味への意識が薄れるのと同様の現象です)。このコラールではたぶん、ありがたや、が一番適しているのですが、ふざけていると思われても困りますので、一応カッコ付きで、主のあわれみを、としました。

 天使と人間との協奏コラールとでも言うのでしょうか、管弦楽の中にソプラノの定旋律を織り込み、下3声はポリフォニックなモテト風の動きを見せている、この第1曲の歌詞は原コラール第1節そのまま(ただし、Kyrieleisは分離されてKyrie eleis)です。

2. Recitativo & Choral (Soprano)

Der Glanz der höchsten Herrlichkeit,

 das Ebenbild von Gottes Wesen,

hat in bestimmter Zeit

 sich einen Wohnplatz auserlesen.

−Des ewgen Vaters einigs Kind,

das ewge Licht von Licht geboren,

−itzt man in der Krippe findt.

O Menschen, schauet an,

 was hier der Liebe Kraft getan!

−In unser armes Fleisch und Blut,

(und war denn dieses nicht verflucht,

 verdammt, verloren?)

−verkleidet sich das ewge Gut,

so wird es ja zum Segen auserkoren.

第2曲 レチタティーヴォとコラール(ソプラノ)

いと高き栄光の輝きである御方、

 神の本質に等しい存在である御方が、

定められた時が満ちて

 みずからの住まいする場を選ばれた。

−永遠の神のただひとりの御子が、

光より生まれた永遠の光である御方が、

−いまこうして飼葉桶の中に寝かされている。

おお、人々よ、これを見なさい、

 愛の力がここに成し遂げたことを。

−私たちと同じ貧しい肉と血を、

(しかもそれは呪われた土から取られ、

 罪に定められ、滅ぶべきものではありませんか)

−永遠の善である神が身にまとって下さった、

それは私たちを招いて、祝福するためなのです。



押韻:1 Herrlichkeit−3 Zeit, 2 Wesen−4 auserlesen, 6 geboren−12 verloren−14 auserkoren, 8 an−9 getan, 5 Kind−7 findt, 10 Blut−13 Gut


 第2曲の歌詞は、原コラールの第2節と、それを註釈するような創作詩との組み合わせです。原コラールからは、キリエライス(ありがたや)が除かれています(バッハのコラール編曲では、原旋律のKyrieleisの動き方がその前の部分の末尾に取り込まれているようにも見えます)。

 まず、本来のコラール詩のほうだけ読んで下さい。それが、ルター以来(偶然かもしれませんがルターのこのコラールの出版からバッハのこのカンタータの作曲まで、ちょうど200年)人々に歌い継がれてきた部分で、文字や楽譜に縁の無い人にも親しい、懐かしい思いを抱かせるものです。この旋律を聞いて、この言葉を歌って、ああ今年もクリスマスが来た、と実感する人々も多かったのではないかと思われます。

 それを縁取るように第1曲では音楽が、第2曲では創作詩による註釈が置かれ、いわばインテリ好みに仕上げられているわけです。

 歌詞の1行目〜2行目の堅苦しい表現は、ヘブライ人への手紙1章3節によるもので、

. . . er ist der Glanz seiner Herrlichkeit 御子は、神の栄光の反映であり、
und das Ebenbild seines Wesens, 神の本質の完全な現れであって、
und trägt alle Dinge mit seinem kräftigen Wort 万物を御自分の力ある言葉によって支えておられ
. . . (ルター訳1875) . . .(新共同訳)

の上2行分が、ほぼ原型を保ちながら韻律詩に組み込まれています。(引用の3行目は次のコラール詩の原第3節4行目に関連するということで、ついでに書き込んだものです)。

 6行目の「光よりの光」という表現は、直接聖書に見られるものではありませんが、「神は光であり」(ヨハネの第1の手紙1章5節)、キリストは「まことの光として世に来て、すべての人を照らす」(ヨハネ福音書1章9節)と書かれていることから、キリスト=光よりの光、として信仰箇条に組み込まれたものです(ミサ曲でいえば、Credoの中のlumen de lumine)。次の曲の歌詞に出てくる「光の子」という表現は、光であるキリストを信じたことによって、もはや暗闇の中で手探りして生きる必要のなくなった、キリスト信徒のことで、「光のあるうちに、光を信じ、光の子となりなさい」(同福音書12章36節)などに見えるものです。

 11行目の「呪われた」は、罪を犯したアダムのために「土は呪われた」ものとなり(創世記3章12節)、人間の身体は土から形作られている(同2章7節、3章19節など) がゆえに、必然的に呪われたものだという論法です。「注」

3. Aria (Tenor)

Gott, dem der Erden Kreis zu klein,

den weder Welt noch Himmel fassen,

 will in der engen Krippe sein.

Erscheinet uns dies ewge Licht,

so wird hinfuro Gott uns nicht

 als dieses Lichtes Kinder hassen.

Gott, dem der Erden . . .

第3曲 アリア(テノール)

神が住むには、地の表はあまりにも小さく、

世界も天も神を入れることなどできないのに、

 神はあえて狭い飼葉桶の中にその身を置いた。

こうして永遠の光が私たちのもとに現れたので、

神はもはや私たちを忌み嫌うことなく

 光の子として下さるのです。

神が住むには、. . .



押韻:1 klein−3 sein, 2 fassen−6 hassen, 4 Licht−5 nicht

 この詩は原コラールの第3節と第4節を要約するように書かれていますのでEKGの詩と直訳を並べます。

−Den aller Weltkreis nie beschloß, 彼を全世界は収容することができない、
− der liegt in Marien Schoß,  マリアの懐に横たわる者を。
−er ist ein Kindlein worden klein, 彼は小さな幼児となった、
− der alle Ding erhalt allein.  すべての物事をただひとりで支える者が。
−Kyrieleis. キリエライス。
−Das ewge Licht geht da herein, 永遠の光がこちらの中へ来る、
− gibt der Welt ein neuen Schein;  世界に新しい輝きを与える。
−es leucht wohl mitten in der Nacht それは夜の只中に輝きわたり
− und uns des Lichtes Kinder macht.  私たちを光の子供にする。
−Kyrieleis. キリエライス。

 光の子については前ページに書きましたので参照して下さい。その他は割愛します。


4. Recitativo (Basso)

O Christenheit!

Wohlan, so mache dich bereit,

 bei dir den Schöpfer zu empfangen.

Der große Gottessohn

 kommt als ein Gast zu dir gegangen.

Ach, laß dein Herz durch diese Liebe rühren;

er kömmt zu dir, um dich vor seiner Thron

 durch dieses Jammertal zu führen.

第4曲 レチタティーヴォ(バス)

おお、キリストに従う者たちよ、

さあ、仕度を整えなさい、

 あなたのそばに造り主を迎え入れるよう。

偉大なる神の御子は

 遠来の客としてあなたのもとに来て下さった。

ああ、この愛にあなたの心を委ねなさい、

御子が来たのは、あなたが玉座の前に着けるまで

 この涙の谷を道案内して下さるためなのです。



押韻:1 Christenheit−2 bereit, 3 empfangen−5 gegangen, 4 Gottessohn−7 Thron, 6 rühren−8 führen

 この詩は原コラールの第5節に基づいて書かれていますので、やはりEKGの詩と直訳を並べます。

−Der Sohn des Vaters, Gott von Art, 父の子は、生まれながらの神は、
− ein Gast in der Welt hie ward  ここに世界の中の客となり、
−und fuhrt uns aus dem Jammertal, 私たちを涙の谷から導き出し、
− er macht uns Erben in seim Saal.  彼は彼の広間の中で私たちを相続人とした。
−Kyrieleis. キリエライス。

 カンタータの歌詞がコラール詩を説教風に書き替えたものであることが見えてくると思います。

 両方に出てくる「涙の谷」Jammertalというのは、苦労困難の絶えない現世のことで、詩編84の7節、「(神とともに歩む者は)涙の谷を通る時もそこを泉に変える」Die durch das Jammertal gehen / und machen daselbs Brunnenという記述に基づくものです。


5. Aria-Duetto (Soprano & Alt)

Die Armut, so Gott auf sich nimmt,

hat uns ein ewig Heil bestimmt,

 den Überflus an Himmelsschätzen.

Sein menschlich Wesen machet euch

den Engelsherrlichkeiten gleich,

 euch zu der Engel Chor zu setzen.

Die Armut . . .

第5曲 二重唱アリア(ソプラノとアルト)

貧しさを神はその身に受けて、

私たちに永遠の救いをもたらし、

 満ち溢れるほどの天の宝を与えて下さった。

人となられた神はあなたたちを

天使の栄光ある姿に等しい者とし、

 天使の群れの一員に加えて下さった。

貧しさを . . .



押韻:1 nimmt−2 bestimmt, 3 Himmelsschatzen−6 setzen, 4 euch−5 gleich

 この詩は原コラールの第6節の書き替えですので、同様に。

−Er ist auf Erden kommen arm, 彼は貧しい姿で地上に来た、
− das er unser sich erbarm  彼が私たちをあわれむために、
−und in dem Himmel mache reich 天において富ませるために、
− und seinen lieben Engeln gleich.  彼の愛する天使たちと同様にするために。
−Kyrieleis. キリエライス。

 人間が天使と等しいものになる、というのは、復活に関連しており、ルカ福音書20章36節の「この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり(denn sie sind den Engeln gleich)、復活にあずかる者として、神の子(Gottes Kinder)だからである」(新共同訳。括弧内ルター訳1875)が、原コラール詩のほうの直接の典拠と思われます。(ここでも、
一般人用の神の子Gottes Kinderが、キリスト用の神の子GottessohnあるいはSohn Gottesとは区別されています)。復活後の人体についての詳細は聖書にも書かれていないわけですが、大雑把には、地に属する肉の身体が、天に属する霊の身体として復活する(コリント人への第1の手紙15章35節以下)、ということのようで、土にかけられた呪いは無効となります。

 ここでは、第1節(第1曲)で見たキリスト降誕場面の天使に重ね合わせて、死と復活を経て天使同然となるはずの信徒の姿が先取りされています。ありがたや、で済ませてもよいのですが、深読みすれば、信徒はここで天使を見る位置から、天使として見る位置へと視点の変更を迫られるわけで、あなたは天に宝を積んでいるか(マタイ福音書6章20節など)、天使として、あるいは将来天使となるにふさわしい者として現在を生きているか、と問い掛けられることになります。元々はルターの仕掛けですが、バッハの二重唱も、キリストが神であり人であるように、あなたは人であり天使である、それがキリスト降誕の意味なのだ、とでもいうように、絡み合った二重螺旋(神と人の、霊と肉の)構造を描いています。

6. Choral

Das hat er alles uns getan,

sein gros Lieb zu zeigen an;

des freu sich alle Christenheit

und dank ihm des in Ewigkeit.

Kyrie eleis!

第6曲 コラール(合唱)

私たちのために神のなされた業は

すべて、

 神の大きな愛を示しています。

それゆえ喜びなさい、キリストに従う者は皆、

 永遠に神に感謝を捧げなさい。

キリエライス(主のあわれみを)。



 押韻:1 getan−2 an, 3 Christenheit−4 Ewigkeit

 終結コラールは再び原コラールに戻り、シンプルな4声体で最終の第7節が歌われます。歌詞にも前の曲の緊張感から開放されて、ほっとさせてくれる(自己責任ではなく、神の愛に委ねればよいのだ)ものがありますので、ここではもう、めでたしめでたし、でよいのだろうと思います。


2000. 12. Koba.







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