「カンタータ第74番」Wer mich liebet, der wird mein Wort halten
小林 英夫



Wer mich liebet, der wird mein Wort halten: BWV 74 (NBA I/13, p85-128)
カンタータ第74番    《人もしわれを愛せば、わが言を守らん》     【われを愛する者は、わが言葉を守らん】
聖霊降臨祭第1日。初演1725年5月20日、ライプツィヒ。40歳。
台本作者(詩人):クリスティアーネ・マリアーネ・フォン・ツィーグラー Christiane Mariane von Ziegler 1695-1760

1. Coro

Wer mich liebet,

 der wird mein Wort halten,

und mein Vater wird ihn lieben,

 und wir werden zu ihm kommen

 und Wohnung bei ihm machen.

第1曲 合唱

私を愛する人は、

 私の言葉を守る。

私の父はその人を愛し、

 私たちはその人のところへ行き、

 その人のもとに住まいを設ける。

(ヨハネ福音書14章23節)



 全8曲からなるこのカンタータの第1曲(合唱)と第2曲(ソプラノのアリア)は、前年ないし前々年に作曲されたと見られる同名の聖霊降臨祭用カンタータBWV 59の第1曲(ソプラノとバスの二重唱)と第4曲(バスのアリア)からの転用(パロディー)になっています。

 原BWV 59は全4曲(ここに転用されたほかには、第2曲ソプラノのレチタティーヴォと第3曲4声コラール。なお、詩人ノイマイスター Erdmann Neumeister 1671-1756 によるカンタータ歌詞 1714 には全7曲分があり、バッハは3曲分を作曲せずに残している)という小規模な作品で、ライプツィヒの主要教会(聖トマス、聖ニコライ)ではなく、演奏者、特に合唱に制約のある大学教会(聖パウロ)で演奏されたものと推定されています。従って、聖霊降臨祭という大祝日にふさわしい、より規模の大きい作品への改作は当然の成り行きであったと言えるでしょう。

 BWV 74への改作にあたって、バッハはノイマイスターの詩に戻るのではなく、ちょうどその年(1725年)の4月から5月にかけて一連のカンタータ歌詞を提供している女流詩人フォン・ツィーグラーの詩を用いています。おそらく冒頭合唱のための聖書引用句が共通であることから転用に着手し、第2曲は曲を手直しして新しいアリア歌詞に合わせ、第3曲以下を新作したものでしょう。詩人に旧作(BWV 59)を見せて、歌詞の当てはめを注文したということではなさそうです。

 この日の聖書朗読は、ヨハネ福音書の14章23〜31節で、BWV 172の第2曲のところでも書きましたが、キリストが受難直前に、最後の晩餐の場において、将来の聖霊の派遣を約束した言葉です。詩人は第1曲のために聖書朗読の冒頭部を引用したほか、第4曲にその中間部(去って行くが、再び来る)を用い、さらに第6曲に当日の聖書朗読にはないローマ人への手紙(キリストとともにある者は罪に定められることがない)を用いており、これに第8曲のコラール詩を加えた4曲分が骨格となって、その上に4曲分の創作詩が肉付けされているわけです。詩人の創作詩部分は、今回扱った2作品(BWV 74とBWV 68)で見る限り、「私」が多く登場し(Ich-form 自叙体)、理屈っぽい説教調が少ないのが特徴となっています。

 この冒頭合唱は転用ということもあって、大規模なフーガによる展開は見られず、声楽的には元の二重唱の雰囲気がよく保たれていますが、楽器は拡充され、3本のトランペット、3本のオーボエ族(オーボエ2+オーボエ・ダ・カッチャ)が、弦楽(通奏低音を除くと、Vn1、Vn2、Vlaの3パート)と対等に協奏する3群編成となって、三位一体の数象徴を聞かせてくれます。

2. Aria (Soprano)

Komm, komm, mein Herze steht dir offen,

 ach, laß es deine Wohnung sein!

Ich liebe dich, so muß ich hoffen:

 dein Wort trifft itzo bei mir ein;

denn wer dich sucht, fürcht, liebt und ehret,

 dem ist der Vater zugetan.

Ich zweifle nicht, ich bin erhöret,

 das ich mich dein getrösten kann.

第2曲 アリア(ソプラノ)

おいで下さい、私の心はあなたへと開いています、

 どうぞ、ここをあなたの住まいとして下さい。

私はあなたを愛し、ひたすら待ち望んでいます、

 御言葉が私のもとに到来するのを今か今かと。

あなたを捜し求め、畏れ敬い、愛し、尊ぶ者に、

 父なる神は御好意を示して下さるのですから。

私は疑いません、私の祈りは聞き届けられ、

 きっとあなたからの慰めを得られることを。


押韻:1 offen−3 hoffen, 2 sein−4 ein, 5 ehret−7 erhoret, 6 zugetan−8 kann

 キリストを招き、待ち望む心が一人称で歌われます。住まい(Wohnung)という言葉は第1曲の聖書朗読を受けたものですが、他の部分も、その箇所およびその後続部(ヨハネ福音書14章24〜26節)に対応するように書かれており、ちょうど最後の晩餐の場に同席して、イエスと直接話しているような設定になっています。少し長くなりますが、後続部を新共同訳聖書から引用し、リンクの掛かっていそうなドイツ語を添えます。

 24わたしを愛さない者は(wer mich nicht liebet)、わたしの言葉を(meine Worte)守らない。あなたがたが聞いている(das ihr höret)言葉は(das Wort)わたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のもの(des Vaters)である。25わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。26しかし、弁護者(der Tröster)、すなわち、父が(mein Vater)わたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

 聖書は愛という言葉に満ちていますが、それでもIch liebe dich というストレートな表現はまれであり、それに近い表現を探すとすればヨハネ福音書の21章15節以下で、イエスがペトロに三度「私を愛するか」と問いかけ、ペトロが「私があなたを愛していることは、あなたがご存知です」(du weisest, das ich dich lieb habe) とその都度答えるあたりになります(これとてニュアンスとしては遠慮がちな間接話法)。女流詩人だから、というような言い方をしたら失礼かもしれませんが、一途な思いが込められた詩になっています。


3. Recitativo (Alto)

Die Wohnung ist bereit.

Du findst ein Herz, das dir allein ergeben,

drum laß mich nicht erleben,

 daß du gedenkst von mir zu gehn.

Das laß ich nimmermehr,

 ach, nimmermehr geschehen!

第3曲 レチタティーヴォ(アルト)

住まいの準備が整いました。

あなただけに捧げた心を見つけて下さったなら、

どうか私につらい思いをさせてまで、

 私から去ってゆこうなどとは考えないで下さい。

そんなことは私には決して、

 ああ、もう決して起こって欲しくないのです。



押韻:2 ergeben−3 erleben, (4 gehn−6 geschehen)

 次の第4曲で歌われる、イエスの言葉(一旦去って、再び戻って来る)を先取りして、去って欲しくない、決して去らせはしない、という(女性ならではの?)情念が語られています。去ろうとしてる男の心を察知して、不安に駆られているあたりが、単語単位ではありませんが、やはり聖書の後続部に関連しますので、引用します。

 27わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。


4. Aria (Basso)

Ich gehe hin

 und komme wieder zu euch.

Hättet ihr mich lieb,

 so würdet ihr euch freuen.

第4曲 アリア(バス)

私は去って行くが、

 再びあなたがたのもとへ戻って来る。

私を愛しているなら、

 あなたがたは喜んでくれるはずだ。

(ヨハネ福音書14章28節)



 第4曲は再び聖書からの直接の引用です。去って再び戻るのは、最後の晩餐の文脈の中では、イエスの死と復活の意味ですが、復活後の昇天と聖霊降臨にも重ねることのできる表現であるため、教会暦では聖霊降臨祭の聖書朗読として選ばれたものです。バッハの音楽がIch gehe hin の上昇音形と、und komme wieder zu euch の下降音形で作られているのも昇天と聖霊降臨という意味のほうを表現していると考えられます。

 カンタータの文脈の中では、行かないでとせがむ女心(信徒)に向かって、きっと帰ってくるからと約束している男(イエス)といった位置付けになります。レチタティーヴォではなく、歌詞を幾度も繰り返すアリアになっているのも、つらい別れ(?)の情緒に一役買っています。

 後半の喜びについて、聖書本来の記述は「私が父のもとに行くことを」喜ぶはずだとなっているのですが、ここではその限定が省略されて、「戻って来るのを」喜ぶとも読めるようになっています。詩人の意図は、次の第5曲の喜びの表現を「戻って来る」ほうに重点を置くためであったのかもしれませんが、この省略によって、アリアとして歌われても遜色のない、前後半のバランスが取れた詩となっています。


5. Aria (Tenore)

Kommt, eilet, stimmet Sait und Lieder

 in muntern und erfreuten Ton.

Geht er gleich weg, so kömmt er wieder,

 der hochgelobte Gottessohn.

Der Satan wird indes versuchen,

 den Deinigen gar sehr zu fluchen.

Er ist mir hinderlich,

 so glaub ich, Herr, an dich.

Kommt, eilet, . . .

第5曲 アリア(テノール)

来たれ、急げ、琴を奏で、歌声を響かせよ、

 生き生きとした喜びの調べで。

主は去った時と同じように、再びおいでになる、

 いと高き祝福された神の御子として。

サタン(悪魔)の試みは続き、

 主の民を迫害する者は絶えないだろう。

しかしどんな邪魔が入ろうと、

 私は信じます、主よ、あなたを。

来たれ、急げ、. . .



押韻:1 Lieder−3 wieder, 2 Ton−4 Gottessohn, 5 versuchen−6 fluchen, 7 hinderlich−8 dich

 前半は前曲で省略されていた「父のもとに行く」を受けた、イエスの見送りの祝祭の詩編的表現と、教会暦が10日前に祝った昇天祭での天使の言葉(使徒行伝1章10〜11節:イエスが離れ去って行かれるとき、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」)の再現とによっています。

 後半はこの日の聖書朗読の後続部にある「世の支配者が来る。だが、彼は私をどうすることもできない」(ヨハネ福音書14章30節)に対応した表現で、同じ最後の晩餐の場面の他の福音書に見えるイエスの言葉、「サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、私はあなたのために、信仰が無くならないように祈った」(ルカ福音書22章31〜32節)などにリンクしています。

 サタンの登場する場面でも音楽を支配しているのは「生き生きとした」動きで、もはやサタンには主導権がなく、信徒たちは聖霊(=生命の息吹)の保護下に置かれています。


6. Recitativo (Basso)

Es ist nichts Verdammliches an denen,

die in Christo Jesu sind.

第6曲 レチタティーヴォ(バス)

何ひとつ罪に定められることがない、

 キリスト・イエスの内にある者たちは。

(ローマ人への手紙8章1節)



 ここで弦の和音を背景にしたバスのレチタティーヴォによって信徒たちに対する力強い無罪宣言が行われます。ローマ人への手紙の著者は使徒パウロですが、ここではイエスが乗り移っているものと考えてよいでしょう。罪に定められることがない、というのは、悪魔の支配下から脱するということで、前曲後半の根拠となるものです。キリスト・イエスの内にある者、とは、霊に従って歩む者(ローマ人への手紙8章5節)であり、神の霊を内に宿している者(同9節)ですので、やはり聖霊に強くリンクしています。

7. Aria (Alto)

Nichts kann mich erretten

 von höllischen Ketten

 als, Jesu, dein Blut.

Dein Leiden, dein Sterben

 macht mich ja zum Erben:

 Ich lache der Wut.

Nichts kann . . .

第7曲 アリア(アルト)

何ひとつ私を救うことのできるものはありません、

 地獄の鎖から私を救って下さるのは、

 イエスよ、あなたの血のほかにはないのです。

あなたの苦難、あなたの死が、

 私を(神の国の)相続人にして下さいましたから、

 私は(サタンの)激怒を笑い飛ばしましょう。

何ひとつ . . .



押韻:1 erretten−2 Ketten, 3 Blut−6 Wut, 4 Sterben−5 Erben

 信徒に罪からの救いをもたらしたイエスの受難を回想する詩ですが、バッハは最終行(Ich lache der Wut) の持つ挑戦的な雰囲気を最初から中心に置き、トランペットこそ使わないものの、木管と弦楽に進軍ラッパ風の音形を与えて、受難のイエス=戦うイエスというイメージを強調しています。アルペジオを弾き続ける独奏ヴァイオリンがここでは聖霊役でしょうか。


8. Chorale

Kein Menschenkind hier auf der Erd

ist dieser edlen Gabe wert,

bei uns ist kein Verdienen;

hier gilt gar nichts als Lieb und Gnad,

die Christus uns verdienet hat

mit Büsen und Versühnen.

第8曲 コラール(合唱)

本来ならこの地上にある人は誰ひとり、

この貴い賜物(聖霊)を受ける資格がありません、

 私たちには何もふさわしい行いがないからです。

今ここで大切なものは、ただ愛と恵みだけであり、

キリストはそれを私たちに与えるために

 罪の償いと、神との和解を成し遂げたのです。



押韻:1 Erd−2 wert, 3 Verdienen−6 Versühnen, 4 Gnad−5 hat

 終結コラールは、詩がパウル・ゲルハルトPaul Gerhardt 1607-76 作のコラール「父なる神よ、汝の御霊を遣わし」“Gott Vater, sende deinen Geist” 1653 全16節中の第2節。定旋律はゲオルク・グリュンヴァルトGeorg Grunwald c1490-1530 作の「わがもとに来たれと神の子語りたもう」“Kommt her zu mir, spricht Gottes Sohn” Einzeldruck 1530 のものですが、さらに15世紀の世俗歌謡の旋律にまでさかのぼれるもののようです。

 聖霊を受けることができるのも、キリストの受難があればこそ、と歌って全曲が閉じられます。ソプラノ旋律にトランペットが重なり、華やかさを添えています。 


2001. 05. Koba.







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