「カンタータ第66番」Erfreut euch, ihr Herzen
小林 英夫



Erfreut euch, ihr Herzen: BWV 66 (NBA I/10, p3-42)
カンタータ第66番   《喜べ、汝ら もろ人の心よ》     【喜べ、汝ら心よ】
復活祭第2日。初演1724年4月10日、ライプツィヒ。39歳。台本作者(詩人)名不詳。

1. Coro

Erfreut euch, ihr Herzen,

 entweichet, ihr Schmerzen,

es lebet der Heiland und herrschet in euch.

Ihr könnet verjagen

 das Trauren, das Fürchten,

 das ängstliche Zagen,

der Heiland erquicket sein geistliches Reich.

Erfreut euch, . . .

第1曲 合唱

喜び躍れ、心たちよ、

 消え去れ、心の痛みよ、

救い主は生きて、あなたたちに命じておられる。

さあ、あなたたちのもとから追放してしまいなさい、

 悲しむ心を、恐れる心を、

 不安におびえる心を。

救い主は心を生かし、そこを主の国として下さる。

喜び躍れ、. . .


押韻:1 Herzen−2 Schmerzen, 3 euch−7 Reich, 4 verjagen−6 Zagen

 BWV 6と同じく、復活祭第2日のためのカンタータです。この年、ドイツ・プロテスタント教会では復活祭を独自に4月9日に祝いました。独自にというのは、1724年と1744年の2回の復活祭だけは、同じドイツの中でプロテスタント教会とカトリック教会の復活祭の日付がずれていたからです。暦の話に深入りするとカンタータの話ができなくなってしまいますので、はしょりますが、1582年に発布されたグレゴリオ暦は、ドイツのカトリック諸邦ではおおむね1585年頃までに切り換えが済み、ローマと同じ復活祭を祝っていました。しかし、プロテスタント諸邦ではカトリック教会に対する反撥・因縁などなどがからんで、その実施が1700年の3月となり、しかも復活祭の日取りを独自に(ドイツ・ローカル基準で)計算したため、1724年には4月9日(プロテスタント)と4月16日(カトリック)、1744年には3月29日(プロテスタント)と4月5日(カトリック)という、ねじれた復活祭になっていました(他の年は結果的に一致していたようです。その後1775年に復活祭の日取り計算も世界基準に揃えられています)。

 復活祭の日付がずれたということは、復活祭を基準日にして定める2月中旬頃から11月下旬までのすべての日曜日に対する〜主日という名称と、日付で固定されていない祝日の日取り(カンタータ関係の大きなところでは、聖金曜日、復活祭第1日〜第3日、昇天祭、聖霊降臨祭第1日〜第3日、など)がずれてしまったということです。もしかするとこの年、ドイツのプロテスタント諸邦はカトリック諸邦からことあるごとに嫌味を言われ続けていたのかもしれません。翌年のBWV 42の、カトリック教会には言いたいだけ言わせておけ、という開き直りの言葉にも、この1年間の鬱憤がこもっているように思えてきます。

 それはさておき、このカンタータBWV 66には、聖書朗読箇所からの引用がありません。これは全6曲のうちの終結コラールを除く5曲の音楽が、既存の世俗カンタータ(バッハのケーテン宮廷楽長時代の1718年12月10日に初演された、ケーテン侯レオポルドの誕生日祝賀カンタータBWV 66a Der Himmel dacht auf Anhalts Ruhm und Glück 《天はアンハルトの誉れと幸いを心にかけたまい》 【天はアンハルトの名声と幸を望む】 全8曲の歌詞のみ現存)からのパロディー(リサイクル使用)で、音楽に合わせた歌詞のはめ込みとわずかな手直しによって転用されているからです。礼拝のために指定された聖書朗読箇所はBWV 6のものと同じく、ルカ福音書24章13〜35節のエマオ云々というところですが、散文である聖書を歌うために冒頭合唱を作曲していたのではリサイクル効率が悪いので、旧作をフルに活用し、全曲のバランスを考慮した結果、終結コラールのみ新作したものの、聖書の直接の引用は断念したものと思われます。

 というわけで、華やかな冒頭合唱は旧作のフィナーレ合唱(第8曲)からのリメイクです。あとで(後半第4曲と第5曲)、エマオに向かう二人の弟子(あるいは心の中の半信と半疑)に対応するように「希望」と「不安」を擬人化したデュエットが置かれている関係で、ここにあてはめられた歌詞でも心とその状態が擬人化され、わずかにes lebet der Heiland の部分が聖書朗読箇所の23節にある復活の朝の天使の言葉の引用『イエスは生きておられる』(ルター訳では間接話法 er lebe 彼は生きている)に対応しています。 sein geistliches Reich (直訳:彼の霊的な国)とは、現世にある信徒が信仰によって復活を先取りしたとき、心の中に生まれる、キリストとともに生きる領域(神の国、天国、来世)です。

2. Recitativo (Basso)

Es bricht das Grab und damit unsre Not,

 der Mund verkündigt Gottes Taten;

der Heiland lebt, so ist in Not und Tod

 den Gläubigen vollkommen wohl geraten

第2曲 レチタティーヴォ(バス)

墓は開かれ、私たちの心も苦しみから解放される、

 その開いた口は神の御業を告げる。

救い主は生きて、苦しみと死をともに通り抜けて

 信ずる者たちを完全な幸福へ導いている、と。



押韻:1 Not−3 Tod, 2 Taten−4 geraten


 第2曲は、旧作の第1曲のリメイク。復活の日の朝の天使(かつ、開いた墓の口)による復活宣言です。

 イエスの遺体の葬られた墓は聖書の記述によれば、岩に掘られた、まだ誰も葬られたことのない新しい墓で、その入口は大きな石(厚みのある円盤状の回転石)を転がして開閉するようになっていました。下は発掘されたそのような当時の墓の写真で、入口(人が屈んで通れる程度の高さ)の左端に回転石が少し見えています(左手前は支えのための別の石)。


 バスのレチタティーヴォの背景に穏やかな弦の和音が聞こえると、まるでマタイ受難曲のイエスのようですが、ここでは朝の光の中の天使のイメージでしょうか。末尾の弦楽の下降パッセージは、話が済んで墓の口が閉じる地響きかもしれません。

3. Aria (Basso)

Lasset dem Hochsten ein Danklied erschallen

 vor sein Erbarmen und ewige Treu.

Jesus erscheinet, uns Friede zu geben,

Jesus berufet uns, mit ihm zu leben,

 täglich wird seine Barmherzigkeit neu!

Lasset dem Hochsten . . .

第3曲 アリア(バス)

いと高き神に感謝の歌を響かせよ、

 主のあわれみとまことは永遠。

イエスは姿を現わし、私たちに平安を与える、

イエスは私たちを招き、ともに生きて下さる、

 日々、主のいつくしみは新らしい。

いと高き神に . . .



押韻:2 Treu−5 neu, 3 geben−4 leben

 第3曲は旧作の第2曲のリメイク。前半は旧約聖書詩編136番などにも見える神への感謝と永遠性への賛美、後半は復活したイエスから平安を受けて(ルカ福音書24章36節など)、ともに生きる(マタイ福音書28章20節など)ことの新鮮さがテーマで、永遠で、しかもいつも新しい神の恵みが歌われます。

 ロンドのように繰り返される音階的なオクターヴ上昇に、いと高き神に . . . の言葉があてはめられ、まるで初めからこの言葉のためにこの音楽が書かれたかのように聞こえてきます。

4. Recitativo (Alto & Tenore)

( Hoffnung : Tenore)

Bei Jesu Leben freudig sein

 ist unsrer Brust ein heller Sonnenschein.

Mit Trost erfullt auf seinen Heiland schauen

 und in sich selbst ein Himmelreich erbauen,

ist wahrer Christen Eigentum.

Doch weil ich hier ein himmlisch Labsal habe,

 so sucht mein Geist hier seine Lust und Ruh,

mein Heiland ruft mir kräftig zu:

,,Mein Grab und Sterben bringt euch Leben,

 mein Auferstehn ist euer Trost.''

Mein Mund will zwar ein Opfer geben,

 mein Heiland, doch wie klein,

wie wenig, wie so gar geringe,

 wird es vor dir, o großer Sieger, sein,

wenn ich vor dich

 ein Sieg- und Dank-lied bringe.

( Hoffnung : Tenore) − ( Furcht : Alto)

Mein Auge sieht den Heiland auferweckt,

−Kein Auge sieht den Heiland auferweckt,

es hält ihn nicht der Tod in Banden.

−es hält ihn noch der Tod in Banden.

Wie, darf noch Furcht in einer Brust entstehn?

−Last wohl das Grab die Toten aus?

Wenn Gott in einem Grabe lieget,

 so halten Grab und Tod ihn nicht.

( Furcht : Alto)

Ach Gott! der du den Tod besieget,

 dir weicht des Grabes Stein, das Siegel bricht,

ich glaube, aber hilf mir Schwachen,

du kannst mich starker machen;

 besiege mich und meinen Zweifelmut,

der Gott, der Wunder tut,

at meinen Geist durch Trostes Kraft gestärket,

 daß er den auferstandnen Jesum merket.

第4曲 レチタティーヴォ(アルトとテノール)

(希望:テノール)

イエスとともに生きる喜ばしさは

 私たちの胸を明るく照らす太陽の光。

慰めに満たされ、救い主を仰ぎ見て、

 自分自身の胸の内に天の国を建設することこそ、

心からキリストを信じる者のかけがえのない財産。

私はこの現世にありながら、天の爽やかさを味わい、

 私の霊はここで天の楽しみと安らぎを求める。

救い主は私に力強く呼びかけている、

「私の墓と死はあなたたちに生命をもたらし、

 私の復活はあなたたちの慰めとなる」と。

私の口から捧げようとするものは、

 わが救い主よ、あまりにも小さく、

取るに足りない、貧相なものになってしまいます、

 偉大な勝利者であるあなたの前に出たとたんに。

それでも私はあなたの前に

 勝利と感謝の歌を捧げずにはいられないのです。

(希望:テノール)−(不安:アルト)

私の目は復活した救い主を見る。

−誰の目にも復活した救い主など見えないのでは。

主はもはや死の絆につながれてはいない。

−主はいまだに死の絆につながれているのでは。

どうして、今さら胸に不安が芽吹くのか。

−墓が死者を釈放することなどあるのでしょうか。

たとえ神がいっとき墓にその身を置いたとしても、

 墓も死も、神を納めておくことなどできないのだ。

(不安:アルト)

ああ、神よ、あなたは死を打ち負かす御方です、

 あなたのためなら墓石も開き、封印も破れるはず。

私はそう信じます、しかし弱い私を助けて下さい、

あなたなら私をもっと強くすることができるはず、

 どうか私と私の疑いを打ち負かして下さい。

神は、なんと不思議な業を行われる御方でしょう、

私の霊を慰めの力で強めて下さいました、

 私の心に復活したイエスの姿が認められるように。



押韻:1 sein−2 Sonnenschein, 3 schauen−4 erbauen, 7 Ruh−8 zu, 9 Leben−11 geben, 12 klein−14 sein, 13 geringe−16 bringe, 23 lieget−25 besieget, 24 nicht−26 bricht, 27 Schwachen−28 machen, 29 Zweifelmut−30 tut, 31 gestarket−32 merket

(脚韻外:5 Eigentum, 6 habe, 10 Trost, 17 18 auferweckt, 19 20 Banden, 21 entstehn, 22 aus)

 第4曲は旧作の第3曲のリメイク。これだけの長丁場を歌詞のあてはめで作るのは驚嘆に価します(もちろん、イエスの言葉に対するコンティニュオの縁取りなど、音楽面での手直しもなされたでしょうが)。

 この曲の中央に置かれた、聴きごたえのあるデュエットのカノンを、エマオに向かう二人の弟子たちの対話にあてるというのが、バッハのリサイクル計画の主眼であったと考えてよいでしょう。旧作の世俗カンタータの歌詞を手元で確認することができませんので推測でしかありませんが、1行の中の1語だけを変更して2者に対話させるという、気の利いた詩の仕立て方は、旧作の枠組みを踏襲したものと思われます。

 テノールとアルトのそれぞれに与えられた名称、擬人化された Hoffnung(希望)と Furcht(恐れ、不安)は、外からはエマオへ向かう二人の弟子として、内からは一人の心の中の半信と半疑として読まれますが、聖書の復活記事の中では、BWV 42で見たように Furchtのほうが復活したキリストに出会う前の閉じこもっていた弟子たちの状態です。それに対比させるなら Hoffnungのほうは復活したキリストに出会った女性たちの状態となるはずですが、聖書中にそのような「希望」は見られません。

 しかし、カトリック教会で現在も用いられているグレゴリオ聖歌の復活の続唱 “Victimae paschali laudes”(過越しのいけにえに賛美を)の中に、復活の朝にイエスの墓を訪れたマグダラのマリアという女性の目撃証言という設定で、 Surrexit Christus spes mea「私の希望であるキリストは復活した」というフレーズがありますので、復活祭の典礼劇などのドイツ語化されたものを通して(あるいは直接グレゴリオ聖歌から)、詩人(あるいはバッハ本人)の頭の中では Hoffnungと女性たちがリンクしていると考えてよさそうです。

 この “Victimae 〜” の詩想と旋律素材は、ルターの手を経て有名な復活節コラール “Christ lag in Todesbanden” 《キリストは死の縄目につながれたり》 【キリストは死の絆につきたまえり】 となっている(ただし、マグダラのマリアの目撃証言はコラール詩には見えません)もので、バッハ作品にも最初期の同名のカンタータBWV 4(1707年頃)や、数種のオルガン編曲などがあります。

 また、バッハはライプツィヒのトマス教会学校で、音楽ばかりでなく、ラテン語を教える義務を負っていましたし、自身がラテン語学校の生徒だった頃も大変優秀な成績で、家庭の事情で転校した(10歳の頃、父親の死去に伴い、独立していた兄の家に引き取られる)にもかかわらず、平均年齢18歳という最上級生に14歳で進級したそうですから(たぶんラテン語も優秀で)、コラール “Christ lag 〜” ばかりでなく、その源泉であるグレゴリオ聖歌 “Victimae 〜” への馴染みも深かったはずです。

 カノン部分のHoffnungの、私の目は復活した救い主を見る、という歌詞がいかにも目撃証言風であること、次のder Tod in Bandenの言葉が上記コラール詩の in Todesbandenの書き替えらしいことなども考え合わせると、 Hoffnung(希望)が直接または間接に “Victimae 〜” につながることは確かなようです。

 カノン前のレチタティーヴォでイエスの言葉の引用のように表現されている ,,Mein Grab 〜 Trost.'' は、内容的にはイエス自身の受難や復活に関する預言(良い羊飼いは羊に命を与える。私は再びあなたたちと会って、あなたたちを喜ばせる。など)に対応していますが、逐語的な関連付けはできませんので、ここでは聖書ではなく、既存のコラール詩の書き替えによって、韻律的な制約に合わせているものと思われます(例えばコラール “Christ lag in Todesbanden” より hat uns bracht das Leben → bringt euch Leben 、コラール “Christ ist erstanden” より will unser Trost sein → ist euer Trost)。

 カノン後のレチタティーヴォでは、 Hoffnung Furchtを論破し、 Furcht が納得したように見えるかもしれませんが、実際の転換点は神に祈り、信仰を表明することによって変化する自分自身の内面を、神からの働きかけ(不思議な業、奇跡)として受け入れたところにあります。イエスの墓が開き、封印が破れたということを信じることが、自分自身の心の復活(不安に閉ざされた心を開く)につながっています。他者からの説得ではなく、神との直接対話によって、キリストの復活を信じるという構図は、エマオへの道での弟子たちへのイエスの介入や、閉じこもる弟子たちへのイエスの出現にも共通するものです。なお、イエスの墓に封印をしたという記述は、マタイ福音書27章66節だけ(マタイ受難曲では66cの末尾)にあるものです。


5. Aria-Duetto (Alto & Tenore)

( Hoffnung: Tenore) − ( Furcht: Alto)

Ich furchte nicht des Grabes Finsternissen

−Ich furchte zwar des Grabes Finsternissen

und hoffete, mein Heil sei nicht entrissen.

−und klagete, mein Heil sei nun entrissen.

Nun ist mein Herze voller Trost,

 und wenn sich auch ein Feind erbost,

will ich in Gott zu siegen wissen.

Ich furchte . . .

第5曲 二重唱アリア(アルトとテノール)

(希望:テノール)−(不安:アルト)

私は恐れなかった、墓の暗闇を。

−私は恐れていたけれど、墓の暗闇を。

確信していた、私の救いが奪われることはないと。

−嘆いたけれど、私の救いが奪われてしまったと。

いまや私の心は慰めに満たされ、

 たとえなお敵の怒りに襲われることがあっても、

きっと神において勝利することができる。

私は恐れ . . .



押韻:1 2 Finsternissen−3 4 entrissen−7 wissen, 5 Trost−6 erbost

 第5曲は旧作の第4曲のリメイク。なお、このカンタータにリサイクルされなかった旧作の第5〜7曲の音楽は失われているため、旧作そのもの(BWV 66a)は復元されていません。

 再び1語違いの対話がありますが、もはや音楽はいたちごっこ(カノン)ではなく、協調(協奏)に転じて、ヴァイオリンも交えた喜びの舞曲となっています。

 このカンタータの中に幾度か出てくる Trost という言葉は、マイナス方向に傾いた心を積極的にプラスに転じるような働きかけのことで、訳しにくい言葉のひとつです。やむを得ず辞書に従って「慰め」としていますが、日本語で感じられる消極的な意味(せいぜいプラスマイナスゼロの気休め)ではありません。

6. Choral

Alleluja!

Des solln wir alle froh sein,

Christus will unser Trost sein.

Kyrie, eleis.

第6曲 コラール(合唱)

アレルヤ(主を賛美せよ)。

さあ、皆で喜びたたえよう、

キリストは私たちの慰めとなって下さる。

キリエライス(主のあわれみを)。



 押韻:(2 sein−3 sein)

 詩・曲とも11世紀末ないし12世紀初頭にさかのぼるドイツ語による最古の賛歌(プロテスタント・コラールとしての初出は1533)「キリストは復活した」“Christ ist erstanden” 全3節中の第3節。

 コラール定旋律のEKGからのコピーは、詩節によって旋律がやや異なりますので全節分をを見ていただくために、スペースの都合で最後に掲げています。“Christ lag in Todesbanden”と同じく、グレゴリオ聖歌 “Victimae paschali laudes” の旋律素材の匂いもあるのですが、それらとの比較は、また別の機会に。

 最初のAlleluja(またはHalleluja)はヘンデルのメサイアの通称ハレルヤ・コーラスで有名ですから、知らない方はないと思いますが、ヘブライ語の、賛美せよ(ハレル)+主を(ヤー)、という意味で、ヤーとは、旧約聖書の神の固有名ヤーウェの略称です。ヤーウェの語義は、存在そのもの、完全な存在、自立的存在、といったところですが、神の名をみだりにとなえてはならない、という掟(十戒のひとつ)によって、ヤーウェと呼ばずにアドナイ(主)と読みかえることが習慣となっていました。その伝統があるため、神の名に代えて、ギリシャ語ではKyrios, Kyrie、ラテン語ではDominus, Domine、ドイツ語ではHerr、英語ではLord、日本語では「主」と呼ぶのが慣わしとなっているわけです。日本語の聖書や、この対訳などもそうですが、3人称代名詞「彼」と訳したのではそっけないと思われる箇所では、「主」を使うのが便利ですので(彼のあわれみ→主のあわれみ、など)、翻訳では「主」が原文より多くなる傾向があります。

 末尾のキリエライスについては、昨年のBWV 91の解説を御覧下さい。



<付記>

1724年と1725年の復活祭前後の教会暦とバッハ・カンタータの演奏記録(主として樋口隆一氏による)

受胎告知の祝日 1724.03.25(土) BWV 182 再演 1725.03.25(日) BWV 1 初演
聖金曜日 1724.04.07(金) BWV 245 初演 1725.03.30(金) BWV 245 改訂再演
復活祭第1日 1724.04.09(日) BWV 4 再演 1725.04.01(日) BWV 249 初演

および BWV 31 再演 および BWV 4 再演か
復活祭第2日 1724.04.10(月) BWV 66 改作初演 1725.04.02(月) BWV 6 初演
復活祭第3日 1724.04.11(火) BWV 134 改作初演   1725.04.03(火) BWV 4 再演か
復活祭後第1主日 1724.04.16(日) BWV 67 初演 1725.04.08(日) BWV 42 初演
復活祭後第2主日 1724.04.23(日) BWV 104 初演 1725.04.15(日) BWV 85 初演
復活祭後第3主日 1724.04.30(日) BWV 12 改訂再演 1725.04.22(日) BWV 103 初演
復活祭後第4主日 1724.05.07(日) BWV 166 初演 1725.04.29(日) BWV 108 初演
復活祭後第5主日 1724.05.14(日) BWV 86 初演 1725.05.06(日) BWV 87 初演
昇天祭 1724.05.18(木) BWV 37 初演 1725.05.10(木) BWV 128 初演
復活祭後第6主日 1724.05.21(日) BWV 44 初演 1725.05.13(日) BWV 183 初演

[日付の固定した受胎告知の祝日以外、1724年のカトリック教会での各祝祭日は上記の一週間後です]

2001. 03. Koba.







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