「カンタータ第40番」Dazu ist erschienen der Sohn Gottes
小林 英夫



Dazu ist erschienen der Sohn Gottes: BWV 40
カンタータ第40番   《神の子の現れたまいしは》     【そのとき神の子は現れたり】
降誕祭第2日(殉教者ステファノの記念日)。   初演1723年12月26日、ライプツィヒ。  38歳。

1. Coro

Dazu ist erschienen der Sohn Gottes,

 daß er die Werke des Teufels zerstöre.

第1曲 合唱

いまや神の子が現れた、

 悪魔の働きを滅ぼすために。

(ヨハネの第1の手紙3章8節)



 バッハのカンタータの日本語表題は現在一般に、《杉山好氏の文語訳による もの》と、【角倉一朗監修バッハ叢書によるもの】とのいずれかが用いられ ています。ニューグローブ音楽辞典の日本語版などでは後者が用いられてい るようですので、この資料では上のように併記しておきます。

 バッハのカンタータは、音楽による説教といった内容であることが多く、 このカンタータでも、すでにクリスマスの2日目ということもあって、キリ スト降誕の持つ意味を考えさせる内容になっています。

 第1曲はこのカンタータ全体に対する主題提示で、1行目の「神の子が現 れた」が、続く第2曲〜第3曲において「慰めと救い」の到来として展開さ れ、2行目の「悪魔の働きを滅ぼす」ことが、第4曲〜第6曲の蛇(=悪魔) に対する勝利として展開されています。第7曲〜第8曲は信徒へのメッセー ジと締めくくりにあたりますので、単純化すれば起承転結の4部構成となり、 各部に置かれた合唱(冒頭合唱と3曲のコラール)が大きな比重を占めてい ます。

 冒頭のDazuは daその + zu ために で、daの内容はdas以下の2行目 全体です。従って、Dazuを訳す必要はないのですが、何もないとさびしいの で、いまや、を入れています。

 この語形をDazuとするか、Darzuとするか (意味は同じ)については、新全集版の楽譜(ただし、この巻はベーレンライ ター社の本年版カタログでは未刊。そろそろ出ていてもよいのではないかと 思います)で確認する必要がありますが、私見を述べることが許されるなら、 Dazuが妥当であると考えます。 これは、第1曲の歌詞が聖書の直接の引用であること、私の手元にある3種 のルター訳ドイツ語聖書(複製1545年版=ルター存命中の最後の出版、1875年 ライプツィヒ版、1956年改訂の現代語版)のいずれもが、該当箇所を Dazuとしていることを根拠とするものです。


ルターがDazuとしておいたものが、バッハ時代にはDarzu となっていて、再び19世紀末にDazuに戻っていたとは考えにくいものがあります。もち ろん、バッハ自身が自筆譜にDarzuと書いた可能性は否定できません(バッハ自身が日常 的にDarzuを用いていて、記憶に従って歌詞を書いた場合など)ので、新全集 版本体(ベーレンライター版でもミニチュアスコアやヴォーカルスコアでは信 頼度が劣ります)を参照して確認する必要があるわけです。

2. Recitativo (Tenor)

Das Wort ward Fleisch

und wohnet in der Welt,

das Licht der Welt bestrahlt

den Kreis der Erden,

der große Gottessohn

verläßt des Himmels Thron,

und seiner Majestät gefällt,

ein kleines Menschenkind zu werden.

Bedenkt doch diesen Tausch,

wer nur gedenken kann:

der König wird ein Untertan,

der Herr erscheinet als ein Knecht

und wird dem menschlichen Geschlecht,

O süßes Wort in aller Ohren,

zu Trost und Heil geboren.

第2曲 レチタティーヴォ(テノール)

御言葉(神の子キリスト)は生身の人間となり、

 この世に住むことになった。

世の光となって輝き、

 地を一面に照らし出した。

偉大な神の子が

 天の玉座を捨て、

大いなる威厳ある身でありながら、あえて

 ほんの小さな人間の赤子の姿となった。

この損得の持つ意味をよく考えなさい、

 あなたがたに少しでも考える力があるなら。

王たる者が家臣の身となり、

 主たる御方が下僕の姿を取ってまで、

卑しい人間にすぎない私たちのために、

 おお、何と耳に優しい御言葉でしょう、

慰め主、救い主として生まれて下さったのです。



押韻:2 Welt−7 gefällt, 4 Erden−8 werden, 5 Gottessohn−6 Thron, 10 kann−11 Untertan, 12 Knecht−13 Geschlecht, 14 Ohren−15 geboren


 第2曲は、聖書・コラール詩などの既存の詩句によらない、創作詩を 歌詞とするものです。バッハのカンタータの中に置かれた創作詩は、 説教者の視点であることが多く、この詩もそのように位置付けられま すが、他にも、現場の目撃者の証言風であったり、場面への仮想関与 であったりします。詩人とバッハの関係は、全体構成を含む台本の提 供であることもあれば、どこかに発表された詩をバッハが取捨(ある いは加筆修整)して取り込むこともあり、場合によってはバッハ自身 が詩を書くこともあったようです。このカンタータの場合、創作詩部 分の詩人が誰であったかは不詳とされています。

 この資料では、創作詩、コラールなど押韻された詩については、ま ず押韻位置で改行し、それでも長いものや、訳の都合のある場合には、 さらに途中で改行しています。

 ドイツ詩の押韻や韻律の特徴については、サンプルの種類と数があ る程度に達した段階で書けるようになるだろうと思っておりますが、 当分の間はふれないでおきます。

 この詩は、新約聖書フィリピ人への手紙2章6〜7節「キリストは神の 姿でありながら、神であることに固執せず、自分を無にして、しもべ にすぎない人間の姿になった」を内容的な下敷きとして書かれてい ます。

 1〜2行目は、キリストの誕生を示唆するヨハネ福音書1章14節の 「御言葉は肉体となって、私たちの間に住んだ」 das Wort ward Fleisch und wohnet unter unsをアレ ンジしたもので、聖書のunter uns(私たちの間に) をin der Welt(世界の中に)に変えて押韻させたも のです。

 8行目Menschenkindは人間の子供。キリスト自身を 指す言葉として聖書中にしばしば登場する「人の子」 Menschensohnとは異なる語です。

 14行目のsüßes Wort「甘い言葉」は、次の行の Trost und Heil「慰めと救い」を指すものですが、同 時に「御言葉」であるキリストへの呼びかけとなっています。

 その他、多数の語や表現が聖書にリンクしていますが、詰め込みす ぎて消化不良を起すといけませんので、割愛します。

3. Choral

Die Sünd macht Leid.

Christus bringt Freud,

weil er zu Trost

in diese Welt gekommen.

Mit uns ist Gott

nun in der Not:

wer ist, der uns als Christen

kann verdammen?

第3曲 コラール(合唱)

罪は心を苦しめるもの。

 キリストは心に喜びをもたらすもの、

キリストは慰め主となるために

 この世に来られたのだから。

私たちとともに神はおられ、

 悩みをともにしていて下さる。

誰が、キリストとともにある私たちを

 罪に定めることができるでしょう。



押韻:1 Leid−2 Freud, 4 gekommen−8 verdammen, 5 Gott−6 Not

 詩はカスパル・フューガーKaspar Fuger c1532-92作の降誕節 コラール「われらキリストのともがら」“Wir Christenleut” 1592 全5節中の第3節。定旋律はDresden Gesangbuch 1593。コラールで は、歌詞が本来とは異なる旋律で歌われる場合もありますので、調べられる範囲内 で、両方を書いておきます。

 コラールは、バッハのカンタータの中でさまざまに用いられますが、一番多いの はこの曲のように、前にある独唱曲(説教、証言)に応答する会衆の唱和として、音 楽的な区分の締めくくりに歌われるものです。

 7〜8行目はローマ人への手紙8章1節「キリスト・イエスに結ばれている者は罪 に定められることがない」を前提にした表現です。



4. Aria (Bas)

Höllische Schlange,

wird dir nicht bange?

Der dir den Kopf als ein Sieger zerknickt,

ist nun geboren,

und die verloren,

werden mit ewigem Frieden beglückt.

第4曲 アリア(バス)

地獄に住まう蛇(悪魔)よ、

 おまえは不安ではないか。

勝利者としておまえの頭を打ち砕く御方が

 今、お生まれになった。

罪のゆえに滅びに定められた人類も、

 永遠の安息を喜べるようになったのだ。



押韻:1 Schlange−2 bange, 3 zerknickt−6 begluckt, 4 geboren−5 verloren

 第4曲から第6曲まで、蛇が登場します。この部分では特に創世記3章15節 が詩の内容に関連しますので、引用しておきます。

 Und ich will Feindschaft setzen zwischen dir und dem Weibe, und zwischen deinem Samen und ihrem Samen. Derselbe soll dir den Kopf zertreten, und du wirst ihn in die Ferse stechen.(ルター訳聖書1875年版)
 「お前(蛇)と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたし(神)は敵意を置く。  彼(キリスト)はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」
(新共同訳聖書。補足は小林。なお、解説中で特に聖書名を明記しない場合は、 適当に抜粋・要約しての引用です)。

 聖書では蛇は悪魔(神に敵対する勢力)の化身として扱われ、旧約聖書創世 記3章では、蛇が女(イブ)をそそのかし、女が男(アダム)をそそのかして、 神が食べることを禁じた木の実(俗説ではリンゴ)を食べさせたことが、人類 に原罪をもたらし、死ぬべき宿命を招いた原因であるとされています。

 この詩の6行目のewigem Friedenは直訳すれば永久平和です が、特に死者関係の永遠の安息の意味で用いられる表現で、キリストの誕生 と、人間の安らかな死との関連は、ルカ福音書2章29〜30節に記述された シメオン老人の言葉「神の救い(キリストの誕生)を見たので、預言された とおり安らかに死ぬことができる」を下敷きにしています。


5. Recitativo (Alt)

Die Schlange, so im Paradies

auf alle Adamskinder

das Gift der Seelen fallen ließ,

bringt uns nicht mehr Gefahr;

des Weibes Samen stellt sich dar,

der Heiland ist ins Fleisch gekommen

und hat ihr alles Gift benommen.

Drum sei getrost, betrubter Sünder!

第5曲 レチタティーヴォ(アルト)

蛇はかつて楽園において

 すべてのアダムの子孫の上に

魂の毒を降らせることを許されたけれど、

 もはや私たちに危害を及ぼすことはできない。

女から生まれる者として、

 救い主は肉の身体のうちに生まれ、

蛇の毒をすべて取り去って下さった。

 それゆえ安心しなさい、罪に悲しむ人々よ。



押韻:1 Paradies−3 ließ, 2 Adamskinder−8 Sünder, 4 Gefahr−5 dar, 6 gekommen−7 benommen

 1行目のParadiesパラダイスは、ここでは天国ではなくエデンの園です。

6. Choral

Schuttle deinen Kopf und sprich:

Fleuch, du alte Schlange!

Was erneurst du deinen Stich,

machst mir angst und bange?

Ist dir doch der Kopf zerknickt,

und ich bin durchs Leiden

meines Heilands dir entruckt

in den Saal der Freuden.

第6曲 コラール(合唱)

その頭を振り、何か言ってみよ、

 逃げられるものなら逃げてみよ、齢経た蛇よ。

いまさら何をおまえの毒牙に作り直して、

 私をおびやかし、恐れさせることができようか。

おまえはすでにその頭を砕かれ、

 私はもう、苦しみを忍んで下さった

わが救い主によって、おまえから引き離され、

 喜びの広間の中にいるのだから。



 押韻:1 sprich−3 Stich, 2 Schlange−4 bange, 5 zerknickt−7 entruckt, 6 Leiden−8 Freuden

 詩はパウル・ゲルハルトPaul Gerhardt 1607-76作の コラール「汝の神に向かいて羽ばたき昇れ」“Schwing dich auf zu deinem Gott” 1653全17節中の第2節。定旋律はダニエル・フェッター Daniel Vetter ?-1721編の「わが願いは堅く」 “Meine Hoffnung stehet feste” Leipzich 1713のもの。 このように、詩と旋律の表題の異なるものは、おおむねバッハ自身の選択に よる組み合わせです。

 本来のコラール詩節では、1行目の命令文は第1節から引き続いて信徒に 向けられており、言え、の内容が2〜8行目にわたっているらしい (:による分離)のですが、この節だけが切り離された場合、1行目と2 行目以下が異なる対象に向けられているように聞き取ることは困難ですの で、四捨五入して1行目も蛇に向けられたものとして訳しています。

 1行目の「頭を振って、言う」というのは、侮辱、嘲弄の表現で、詩編 22の8節や、その引用的表現であるマタイ福音書27章39〜40節(マタイ受難 曲では58aの末尾)に見られます。

 2行目のalte Schlange「年とった蛇」はヨハネ黙示録 12章9節に見えるもので、そこではDrache「竜」、 Teufel「悪魔」、Satanas「サタン=悪魔」 のようにさまざまな呼び替えがなされています。

 6〜7行目のdurchs Leiden meines Heilands「私の救い 主の苦しみを通して」はキリストの受難の意味で、これはこのコラールが 降誕節用ではなく、一般用にキリストの受難に対する感謝の視点で書かれ ているためですが、結果的に前に引用した創世記3章15節の「蛇がキリス トのかかとを砕く」という部分にさりげなくふれていることになります。 キリストの誕生を祝うカンタータの中に、人の死や苦しみ、キリストの受 難などに目を向けた部分があるのは、作品に陰影を与えるもので、クリス マス・オラトリオの中から有名な受難コラールの旋律が聞こえてくるのと 同様、バッハの奥行きを感じさせるものです。

7. Aria (Tenor)

Christenkinder, freuet euch!

Wutet schon das Höllenreich,

will euch Satans Grimm erschrecken:

Jesus, der erretten kann,

nimmt sich seiner Kuchlein an

und will sie mit Flugeln decken.


Christenkinder, . . .

第7曲 アリア(テノール)

キリストに従う子供たちよ、喜びなさい。

地獄の者どもがいかにあばれようと、

 悪魔の猛威があなたがたを驚かそうと、

イエスはあなたがたを救い出し、

 母鳥がひな鳥の世話をするように、

御翼の陰に包み込んで下さる。


キリストに従う子供たちよ、 . . .



押韻:1 euch−2 Höllenreich, 3 erschrecken−6 decken, 4 kann−5 an

 この詩の冒頭に置かれたChristenkinder(直訳:キ リストの子供たちよ)という呼びかけは、クリスマスの翌日に、きのう 生まれたばかりの赤子キリスト(Christkind)を礼拝す るつもりで教会に来た信徒たちの意表を突くものです。この詩では信徒 たちのほうが赤子や雛鳥呼ばわりされているわけですから、クリスマス は、神の子キリストが人間の命を得て生まれてきたというだけでなく、 信徒たちがそのキリストから神の命を得て新しく生まれた者であること を再確認する機会でもあるという、いわば逆転の発想によって、
キリスト誕生の喜びに信徒として の自分自身の誕生の喜びを重ねた、二重の喜びが促されていること になります。

 さらにこの詩は、初演当日に朗読されたかもしれない(アルフレー ト・デュルによる指摘:レオンハルト盤のライナーノート参照)マタ イ福音書23章34〜39節に関連しますので、一部抜粋しておきます。

 34 だから、わたし(イエス)は預言者、知者、学者を あなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、…

 37 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分 に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるよ うに、(wie eine Henne versammelt ihre Küchlein unter ihre Flügel)わたしはお前の子らを何度集めようとした ことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。…
(新共同訳聖書。ドイツ語部分はルター訳聖書1875年版。補足は小林)

 詩の5〜6行目が下敷きにしている部分については、ドイツ語を添え ましたので直接の関連についてはわかっていただけると思いますが、こ の聖書朗読箇所は殉教者ステファノ(ステパノ、シュテファン)の記念 日のために用意されたものです。つまり、このカンタータの初演当日 (12月26日)は降誕祭第2日であるとともに、ステファノの記念日でも あったため、キリストの誕生については前日(降誕祭第1日=クリスマ ス当日)の朗読(ルカ福音書2章1〜14節:キリストの誕生と羊飼いへの 告知)に後続する、同15〜20節の羊飼いの礼拝の場面が、ステファノの ためには上記のマタイ福音書が、用意されていたわけです。

 「バッハ時代のライプツィヒでは、12月26日を、クリスマス第2日お よび殉教者ステパノの記念日として、隔年ごとに祝う習慣があった」 (東京書籍版バッハ事典:礒山雅ほか編著)という記述が確かなら、奇 数年である1723年のこの日は殉教者ステファノの記念日として祝われて いたことになります(羊飼いの礼拝の場面を扱ったクリスマス・オラト リオ第2部の初演は1734年12月26日=偶数年ですから)。

 キリスト教史上最初の殉教者とされるステファノは、初代教会におい て使徒の下に置かれた奉仕者(執事あるいは監督)の一人に選出され、 その説教による民衆への影響力が大きかったためにユダヤ人たちから神 を冒涜する者として訴えられ、エルサレムの町の外に引き出されて石で 打たれて殺されています。

 このような殉教者を記念する礼拝で、このカンタータの初演が行われ たとすれば、歌詞の中でのキリスト誕生の扱いが控えめなのも納得でき ますが、かといって殉教者を記念する意図が優先されているようにも感 じられません。バッハにとってはライプツィヒ赴任の初年度ということ で、この日にどのような礼拝・説教が行われるのか把握しきれず、手探 り状態だったのかもしれません。

8. Choral

Jesu, nimm dich deiner Glieder

ferner in Genaden an;

schenke, was man bitten kann,

zu erquicken deine Bruder:

gib der ganzen Christenschar

Frieden und ein selges Jahr!

Freude, Freude uber Freude!

Christus wehret allem Leide.

Wonne, Wonne uber Wonne!

er ist die Genadensonne.

第8曲 コラール(合唱)

イエスよ、あなたの身体となった者たちを

 いつまでも恵みの中で養って下さい。

人々の祈りに応えて、

 兄弟のように励まして下さい。

キリストに従う者の群のひとりひとりに

 平和と幸福な新年を与えて下さい。

喜びを、喜びの上に喜びを。

 キリストはすべての苦しみを防いで下さる。

歓喜を、歓喜の上に歓喜を。

 キリストこそは恵みの太陽。



押韻:1 Glieder−4 Bruder, 2 an−3 kann, 5 Christenschar−6 Jahr, 7 Freude−8 Leide, 9 Wonne−10 Genadensonne

 詩はクリスティアン・カイマンChristian Keymann 1607-62 作のコラール「こぞりて喜べ、汝らキリスト者よ」“Freuet euch, ihr Christen alle” 1646全4節中の第4節。定旋律はアンドレア ス・ハマーシュミットAndreas Hammerschmidt 1611-751646

 1行目Gliederは身体の部分、つまり手足耳目などなど、 全体として一つの身体を形成している要素の意味ですが、ここではコリント 人への第1の手紙6章15節「あなたがたの肉体は、キリストの身体(の要素) である」eure Leiber Christi Glieder sindを踏まえて、信 徒がキリストに分かちがたく結ばれていること、キリストの働きの一部を 担っていること、などが表現されています。


<付記>

 今回取り上げる3曲のカンタータは、132番が待降節(アドヴェント)第4 主日(日曜日)、91番が降誕祭(クリスマス)第1日、40番が降誕祭(クリス マス)第2日のものです。主日というのは日曜日のことで、降誕祭第1日、第2日、 第3日という3日連続の祝日には主日という名称は付きません。同様の3日連続 の祝日は復活祭と聖霊降臨祭(ペンテコステ)にもあり、やはり〜主日とは別に 扱われます。〜節というのは、何らかの意味、意向をもった礼拝が継続する期 間のことで、待降節、降誕節、四旬節、復活節などがあります。

 クリスマスは日付けとして12月25日に固定されていますので、降誕祭第1日、 第2日、第3日は曜日とは関係なく自動的に12月25日、26日、27日に固定され、 曜日を基準とした〜主日などとの関係(間隔)は7通りあることになります。 そのあたりの年毎のカレンダーについては、次の機会に書きたいと思います。

 マリアの潔めの祝日用のカンタータ群(82、83、125番)はいずれも、第4 曲で見たシメオン老人の言葉をもとに、死をテーマにすえたカンタータです。 つまり祝日の名称と、カンタータのテーマとの間にギャップが見られるわけ ですが、そのあたりの事情はそれらのカンタータを扱うときに取り上げます。

 第7曲のところでふれた、殉教者ステファノの記念日については、やはり 降誕祭第2日に初演されながら、明らかに殉教者の記念のために書かれたカン タータ57番Selig ist der Mann《試練に耐えうる人は幸いなり》 【その人は幸いなり】があります。

 これから聖書を買おうと思っていらっしゃる方は、新共同訳聖書の旧約聖書 続編つき、という版を入手されるのがおすすめです。ルター訳聖書には、現代 のプロテスタント教会で使用していない旧約聖書外典が入っており、19世紀末 の大改訂まで削除されていなかった(つまり、バッハ時代にも読まれていた) のですが、現在日本語で普通にそれを読めるのは上記の版しかありませんので。 なお、この版の用いている固有名片仮名表記をこの資料でも優先して用いま す。
 

2000. 11. Koba.







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