その答えが見つかったのは、実は今年(1999年)の
「ヨハネ受難曲」に取り組んでいる時です。
「人々を救うために、あえて十字架につけられる道を選んだイエス。その行動を見て、我々はどうするのか」というのがバッハの受難曲の大きなテーマですが、
イエスの誕生は、常にその受難と一対になったものであり、我々は、その誕生について考える時、同時に、彼が十字架につけられたことと、その目的を考えざるを得ない。そして、
誕生のお祝いは、同時に、彼の死によって救われた我々自身と向き合う機会になるのではないか。クリスマスは単なるセレブレーションではなくて、同時に自分を見つめなおす内省的な時期になり、アメリカでのクリスマスの日のあの静けさは、そのあらわれなのかなぁ、と考えるようになりました。
今回のクリスマスコンサートでとりあげるレスピーギの曲にしてもサン・サーンスの曲にしても、手放しの祝福というよりは、その後の出来事を暗示させる影のようなものが感じられるように思います。特にレスピーギの曲では、
イエスの誕生を告げる天使にしても、イエスの母マリアにしても、あるいは
祝福に訪れる羊飼い達にしても、後にイエスの身におこる事を、その誕生の瞬間に無意識の内に感じていたのではないかと思えるような、喜びと悲しみがないまぜになった、一種物悲しい旋律で表現されているように感じます。私も、私なりに彼の生きざまを感じ考えながら、今回の演奏会を迎えたいと思っています。