Computer Meditation

瞑想とは?

瞑想は気持ちが良い。難しくやると、修行みたいになって、続かない。
瞑想とは、呼吸を整えること。物事を考えることではない。
画像を見つめながら、静かに、規則的に、息を吐いて、吸っているだけである。


やり方-1(初めてやる時)

コンピュータ画面に画像を出しておく。スクリーンセイバーの作動を3分後に設定する。(スタート-設定-コントロールパネル-画面)

1)画面の前に、約1m以上離れて座る。
椅子でも、ソファーでも、畳にでも、何でも良い。立っていても良い。

2)手を好きなように組み合わせる。その組んだ手を下腹につける。

3)背筋を伸ばす。腹部をゆったりとさせる。背中を丸めないこと(丸めると腹部を圧迫する)。腰骨をまっすぐ立てる。

4)気持ちが整うまで、座ったまま、前後左右にゆっくり体を揺する。

5)心が整ったら(やる気が起きたら)、先ず、鼻から息を吐く。音をたてないように。口は閉じたまま。

6)吐き終わったら、自然に鼻から息を吸う。音をたてないように。口は閉じたまま。

7)ゆっくりとした呼吸を心がける。吐く息を長めに、吸う息は自然に。

8)画像を軽く見つめる。凝視してはいけない。半眼でもよい。顔の筋肉を緩める。微笑むと良い。

9)画像をなんとなく見ていれば良い。いろいろな連想が働いても心のままにする。

10)呼吸の数を数えたり、コンピュータのクロックを見たりしていると心が落着く。声・音を出さないように。

11)スクリーンセイバーが作動したら(3分経過したら)、深く深呼吸して、徐々に、普段の状態に戻る。立ち上がるときは、静かに。


やり方-2(こころ構え)
瞑想をする前に、心構えとして、次のことを実行してほしい。
心、脳と身体、精神と肉体、あたまとからだ、理性と感情、これらのことばを自分なりに定義すること。

とくに、「心」を意識している人は、その「心」の扱いが難しい。脳と身体の関係の中で「心」をいかに位置付けるか。「心」と精神の関係は、「心」と肉体との関係は、などなど。

友人は、「心」と理性(あたま)と感情(からだ)の3つを、生きてゆくための3機能と考えて、使い分けているいるとのこと。

定義が上手くゆかなくても構わない。これまで、漠然と考えていたものを見直すだけでよい。

ちなみに、わたしは身体があるだけと思っている。


やり方-3(日常生活)
自由な生活を念じつつ日々を送ること。

自由は壁を打ち破ると開けてくる。一撃の下に壁を打ち壊す必要がる。一撃の下にだ。大きな壁が出来るまで耐えて、一撃の下にだ。

壁とは、伝統、文化、生活、意識、社会通念、常識。生きてゆくための道具と思っているもの全てだ。

失うものは何もない。瞑想一徹。それが壁を形成する。後は打破あるのみ。

そうすれば、超越的な孤高、すなわち弧絶を感じることが出来る。(鈴木大拙「禅と日本文化」第1章)

弧絶のなかに自由がある。そのことを信じて瞑想するとよい。


このサイトの目的

長らく「瞑想」を生活の基盤においていて、健康上の快適さと精神の開放感を感じている。

座禅から始まって、ヨガ、天台小止観、天風会、阿字観まで、いろいろなやり方を試してきた。

総じて宗教系の瞑想は難しすぎるし、ヨガ系のものは、修行っぽくなって、これまた、難しい。ともに、自宅で気軽に出来るようになるには、かなりの時間、年単位の時間が掛かる。

密教系の瞑想には、曼荼羅を見つめるものがある。といっても、曼荼羅を目に前に置くことも煩わしい。

瞑想の会に出席するのも、続くものでもない。

昨今、自分なりの瞑想法が見つかったと思っている。
眼、耳、鼻、手、舌を意識して使う呼吸法である。

やってみれば、簡単なことなので、それをお伝えしたくなる。
インターネットを使って、「瞑想の世界への近道」をお知らせすると決めた。

とりあえず、初心者を対象とする。

現在の画像は阿字観の「月輪観」である。

2001年3月24日 土曜日