熟年留学のすすめIV

アメリカの大学 サバイバルマニュアルA

そしてシンプルライフの決心

古野


SCSU-Southern Connecticut State University

前回に引き続きアメリカの大学でのサバイバルマニュアルをお届けする。そして最後に、わたしが熟年留学によって、シンプルライフの決心に至った経過を語ることにしよう。

ポイント13 英語I2年生で履修するのがベター

英語IIは続いてとるとよい。ペーパーの書き方がぐっと上手になる。

アメリカの大学では、例外なく必修の英語クラスがある。いろいろな呼び方があるが、基本的には、読書とディスカッションと作文の英語Iと、ペーパー・論文執筆のノウハウを教えてくれる英語IIである。

このクラスを1年生の最初のセメスターに取ると追いついてゆけないだろう。わたしは1年の後半のセメスターでトライしたが、苦労した。2年生になると、読書の要領が分って来るから、何とかなる。この読書量が基本になって、ディスカッションと作文が組立てられるので、読んで、読んで、読み続けることが成功の秘密。宿題のリーディングだけでなく、日本語でもよいから、幅広くそのトピックスについて考えを深めることがよい。

英語IIIを修了したら、一気呵成に続いて取るのがよい。2年生の後半にもなると、1年次のようにペーパーを避けるわけにはいかなくなる。MLAとかAPAスタイルの論文執筆マニュアルを知らないとペーパーを受け取ってもらえない。このクラスでは、テーマの選び方から始まって、取材、執筆、校正の方法まで徹底的に鍛えられる。

ポイント14 マルチメディアを使った勉強が良い

自然科学系の必修科目として「気象・天文学」をとった時は、少年少女向けの図書にすっかりお世話になった。なにしろ絵が多いので、説明が分かり易い。専門用語の解説も苦にならない。今なら、コンピュータによるマルチメディアの教材を使うとよい。子ども向きのCD-ROMは豊富にある。 内容は大学の入門クラスの授業には十分である。

地域の図書館が充実しているので利用するとよい。インターネットも大いに利用するとよい。子ども向きの良いプログラムが豊富にある。日本語が使えるコンピュータを持っているのなら、インターネットで日本のサイトにつなぐこともよい。

マルチメディアを大いに利用して楽すべし。文字を主体とした分厚いテキストブックを読むよりはるかに勉強が面白くなるし、短時間で予習が出来る。

ポイント15:なぜOne Paragraph, One Ideaかを理解する

ペーパーを書く際にも、ディスカッションの場でも、自己主張を明解にすることがアメリカでは強く求められる。

多民族の移民社会であるアメリカ社会ではコミュニケーションが生きるための大切なノウハウになる。自己主張、自己の望むことを伝えないことには、生きてゆけない。そのためには自分の考えが整理され、明解になっていなければ、他人に伝わるはずがない。

英語Iのクラスではこのことを学ぶことが強調される。One Paragraph, One Ideaをコミュニケーションの基本にすることがアメリカ社会では教え込まれる。書く時でも、話す時でもこの原則を使う。英語が十分理解できない人も大勢いる。持って回った表現などまったく不要である。

このポイントを早く押さえてほしい。ライティングやディスカッションが楽しくなる。帰国してからもこのやり方を続けていたら、日本ではあまり評判がよくないことが分った。その点だけは念のため。

ポイント16:異質な意見は歓迎される

アメリカの大学はアイディアの競争の場である。クラスでは、友人間、教授との間の競争である。アイディアとは発想と思考のふたつのプロセスが含まれる。

発想法とは、アイディアの獲得方法・手段である。思考法は論理的であることにつきる。ディベート、ペーパー、クラスでの発言では、論理的であることが絶対条件である。論理さえ外さなければ、思考法においては他者との違いは出ない。従って、発想法の優劣が、アイディア競争では勝負を決める。いかに手慣れた発想法を持っているか、そしてディベートでは、相手の発想法をいかに見抜くかということがポイントである。

日本人にとっては、文化の均質性のなかで育まれ、異質のアイディアを排除することが当たり前と思っている。従って、自己と他人の区別が不明瞭になり、自己の存在への関心が薄れてゆく。そんな日本人にとって、多様性を容認しながら、自己主張をぶつけ合うアメリカ社会の中では、戸惑いを感じることは無理もないが、横並びアイディアでは生き抜いてゆけない。「物言えば唇寒し」という状況はない。アメリカ憲法を手始めに、「表現の自由」の意味を再考してほしい。

日本人にとってはなかなか難しいが、多様性と個性の共生という課題を乗り越えれば、アメリカ社会でのコミュニケーションは、ぐっと楽になる。クラスでの討議が楽しくなること間違いない。

そのためには、先ず、多様性と個性の共生が矛盾することではないことを理解すること、そして個性の発揮のために自分なりの発想法を見出せばよい。わたしは日本文化に伝統的に潜む「陰陽法」というのを再構築して利用している。いつか機会があったら、紹介してみたい。

発想法を鍛えるには、世界中の人たちの発想法を見つめるのが早道だろう。そのことが、わたしに比較文化・文明論に向かわせた理由だったし、熟年留学の魅力のひとつだと思う。

ポイント17:夏休みには他の大学での単位修得が楽しい

2年と4年次の夏休みにわたしはフランスで語学プログラムを履修したが、夏冬の休みに他の大学で単位履修することはお薦めである。

近所のコミュニティカレッジで、取り損なったクラスの履修を計画したり、旅行を兼ねて見知らぬ州の見知らぬ大学で学んだり、セメスターの間の休暇は息抜きを兼ねて、普段と違うことをするとよい。見聞をひろめるためにもよいし、友達が沢山できる。

アメリカ国内のサマーセッションはもち論、カナダ、ヨーロッパへの留学プログラムも多数あるし、他大学での履修単位の認定もアメリカの大学では難しくない。事前に届けて、許可をもらっておけばよい。

フランスブルゴーニュ大学キャンパス
夏休みに語学プログラムを履修した。

ポイント18 クラブに参加すること

友人、スタッフ、教授とのコミュニケーションはなんといってもキャンパスライフを成功させるポイントである。サバイバルにとって重要なことである。キャンパスライフは楽しくないといけない。

学校を面白くするには、授業がエキサイティングであることは勿論だが、それに加えて、クラスメイト、スタッフ、教授とのコミュニケーションが良いことである。そのためには積極的に関係を作り上げてゆく必要がある。とはいっても教授のオフィスを訪ねることだけではない。学校がつまらないと、通学も億劫になって、ついサボってしまう。

日本人同士の交友はオフキャンパスで十分できるが、キャンパスの交友関係では、ひと工夫が必要だろう。クラスメイトや寄宿舎のルームメイトは、ほとんどセメスター毎に変わってしまう。そこで、クラブに参加することを薦める。

わたしの場合は、People To Peopleという外国系の学生が主なメンバーのクラブと、フレンチクラブの二つに所属していた。

People To Peopleでは、毎年、インターナショナルフェスティバルを開いたが、その会場での折り紙デモンストレーションがわたしの役割で、4年間続けた。このイベントのお陰で、沢山の友人が出来たし、クラブの顧問教授がアメリカ史の教師だったので、歴史クラスでのコミュニケーションでもまったく違和感がなかったし、勉強方法でも親切なアドバイスをもらった。

フレンチクラブでは、教授との交流に加えて、オペラ観劇会を始めとして、映画会、講演会、ベークセールと次から次へと、イベントを企画し、実施する。友人は増えるし、お知らせの連絡ひとつ取っても、ネットワーキングを実体験できる。役員として参加すれば、学校との講演依頼、イベント会場の交渉、スポンサーの獲得などを通じて、自然に交渉・マネイジメントを覚える。クラブの役員になることが学業成績として評価されるのももっともだと思う。

ポイント19:趣味的クラスの履修を心がける

アメリカの大学生活は毎日緊張の連続である。気を変えて、糸が切れないようにする工夫がいる。それには、趣味的クラスをとるのもひとつの方法だ。どこの大学でも、ユニークなクラスがいろいろ用意されている。木工、彫金、陶芸、写真、演劇、映画、コーラス、ジャズ、ギターなどと枚挙にいとまがない。いくら趣味といっても単位をとることは易しいことではないが、生活に潤いができることは間違いない。

わたしはピアノのクラスをとった。ドレミではなく、CDEFには戸惑ったが、楽しいセメスターになった。週1回のクラスだったが、毎朝ピアノ室で練習した。

他にバーディングが趣味なので、鳥類学を取りたかったが、生物学入門が履修済みであることが要求されたので、諦めたが、未だに悔やんでいる。

ポイント20:パスタイムの工夫

パスタイムとか娯楽はぜったいに必要である。トピックスを仕入れることも出来るし、何といっても気晴らしになる。遊びの中で見つけたトピックスについて書いたことは多い。生き生きした文章になる。


バーディングの集会

バーディング、マウンテンバイク、映画、小旅行、スキー、水泳と週1日は勉強を忘れて楽しんだ。ペーパー、宿題に追われると遊んでいる暇はないとつい思ってしまう。が、タイムマネージメントが大学サバイバルのポイントのひとつだから、遊びのために、1日ぐらいの隙間を作ることは腕の見せ所と努力してほしい。時間のやりくりが下手な人に教えるが、そのコツは先に遊んでしまうことである。

熟年留学のほんとのおすすめ

シンプルライフを求めて

成功する留学生活はシンプルライフにつきる。学業に専念できる日常生活は必須のものだ。カードを使いすぎて、親にも言えず、悩んでいる若者がいる。交友関係が広がりすぎて、電話が通じにくい人がいた。いつも何々しなくてはいけないと強迫観念に付きまとわれている学生がいた。安定した留学生活は、錯綜した生き方では実現できない。贅沢な生活は学業をスポイルする。生活費はぎりぎりでよい。

わたしにとっての留学生活は、少ない費用のやりくりの中で、自然に簡素な生活を送らざるをえなかったが、ともあれ、私の熟年留学はシンプルライフの選択を決心させてくれた絶好の機会だった。

シンプルライフとは、簡単で質素な生活である。自由な生き方である。お金が掛からない生活である。お金をかけない生活である。それは沈黙のある生活である。執着のない生き方である。面倒のない生活である。退屈しない生活である。学業に専念できる生き方である。

入り組んだ生活をすっきりさせたいと思っている人は、恋に悩む若者から、形見の整理をはじめたお年寄りまで、あらゆる世代にわたっている。少ない所有物と豊かな内面生活を願っている人が多いだろう。現代生活の複雑さを嫌って、なんとかシンプルライフに戻りたいと思っているに違いない。

ところが、現実問題として、どうやってそのような生き方ができるかというと、教えてくれる人はいない。幸いなことに、わたしの留学生活は、このシンプルライフの決心を固める期間だった。アメリカ人の家に間借りしての自炊生活であったことと、大学生だったので考えることが当たり前の暮らし方だったことが、その実験ができた大きな理由だろう。人生の仮決算をしながら、その方法を模索することができた。

結論として、キッカケを作れば、誰もが容易にシンプルライフを実践できると思う。そのキッカケのひとつが熟年留学であったと言いたい。

ハウスメイトの死

1993年秋に、ニューヨークタイムスからインタビューをうけた。ホームステイ先のライス・エステスの生き方に関心を持ったそうだ。日本からの塾年留学生とともに暮らす生き方を、ひとつの老年の過ごし方のアイディアとして、読者に紹介したいとのことだった。

掲載記事を読んで、86歳のハウスメイトであるライス・エステスは、まさにシンプルライフを実践していることに、初めて気が付いた。そこで、彼の生活をよく見れば、わたしの実験にも、役立つことが多いだろうと思った。

たとえば、彼は毎週日曜日に教会へゆく。教会の人々との交流はもちろんだが、霊的人生への関心がその大いなる理由のように見えた。そこで、わたしはクェーカーの集会に出席することにした。毎週日曜日の沈黙瞑想の集会の中で、意外にも、霊的な成長を期待している自分に驚いた。クェーカーの集会では沈黙瞑想の後、出席者の内面生活の披瀝がある。説教もない集会に出席を続けるうちに、次第に、内面生活の充実を維持することの意義が分ってきた。シンプルライフにとって、内面生活の充実は大事である。

この記事をキッカケに、シンプルライフの試みも一層真剣なものになっていった。

95年秋から、彼が肝臓の不調で病院通いをするにつれて、ますます彼の生活は簡素なものになっていった。周辺を整理し、リビングウィルを書きながらも、その生活態度には、死を恐れる様子は微塵もなかった。

わたしの方も、965月に卒業のメドがたって、この生き方の実験も終わりに近づいたことを感じ、帰国することにして、荷物の整理、留学生活のまとめなどを始めた。

そして、3月に彼の死を迎えた折りに、これからの人生にシンプルライフを続けようと決心することができた。

最後に、わたしが熟年留学の期間に得た、シンプルライフを実現するための2つの重要なポイントを述べたい。

自信をもって自己学習する

すべては変化するとわたしは思っている。だから、生きることはその変化を見極め、判断し、その変化を予測しなくてはならない。その時、どんなやり方で判断をしてよいのか分からないと困る。簡素生活をおくるための最大の課題はこの発想・思考法だ。わたしの場合は陰陽法という古来からあるものを使っている。

熟年留学の最大の成果は、チュートリアルシステムを通じて、自己の問題解決法に自信を深めたことだろう。あらゆることに好奇心をもって、問題を見つけ、解決すること。そのために、自分なりの発想・思考法を磨いてゆくことを、今後も続けてゆくだろう。

生きがいの再考

留学の動機をよく聞かれた。最初のうちは、図書館情報学を学んで図書館の改革をしたいと実用的な答えをしていたが、最後の1年になると変わってきた。シンプルライフの模索ですと。とくにライス・エステスの健康が損なわれてから、彼の生活意識にひきずられるように、人生の仮決算を意識するようになった。学業ではなく、生きることの意味を考えるようになった。

わたしが人生に求めているものは幸福である。幸福とは自由であることと思う。自由であることは、あるがままに在ることと決めたい。自ずから由っていると解したい。鈴木大拙は、“自由とは束縛からの解放でなく、あるがままに在ること”という。賛成である。勿論、束縛、拘束からの自由という意味もあるだろう。だが、幸福としての自由はあるがままの自由である。この自由を求めて、わたしは生きてゆきたい。ひとは束縛からの自由を云々する。が、これはわたしにとっては関心事ではない。

留学生活を支えてくれたマンガ本

(おわり)