月夜
いつになったら彼女は慣れてくれるだろうか。 夜、人気のない時刻に重ねる逢瀬。互いにただ、話すだけなのに その人気のなさと夜の闇の所為か、一向に彼女は慣れてくれない。 決してやましいことはないのだから、あの様に脅えなくともいいのでは ないだろうか。 それとも…やはり私が怖いのだろうか…? 静かな夜の庭。風が木々を揺らし騒めきが耳へと届く。そして少し離れた 所から草を踏む音が近づいてきた。…恐らく彼女だろう。瞳を閉じながら、 彼女が現れるのを待つ。 ──気付いたら、自分の胸の中に彼女が居た。 最初は年端もいかぬ彼女が望郷の念に捕らわれていたから、それを 解き放って自由にしてやろうと思っただけだった。 話を聞いて、それで気が紛れるのなら幾度でも付き合った。 ふと気が付くと控えめに微笑むその笑顔を見るのが嬉しいと思う自分が居た。 だが、それも彼女が成都に慣れ、それを喜ぶ心ゆえだと思った。 でも、それだけではない事を私も悟ってしまった。 どうしたら彼女が微笑んでくれるだろうかと考える自分が居る。 いつもあの笑顔を見る事が出来たら…と思ってしまう。 これはもしや…愛しいという気持ちなのだろうか…? 「…趙雲様…?」 見上げる瞳に気付くと静かに微笑み返す。何処か不安そうな色を帯びた その表情を心からの笑顔へと変えてやりたい。 「今宵の月は…特に綺麗だ…そう思いませんか?」 「そうですね。」 安堵したような彼女の表情にこちらもほっとしてしまう。たまに見かける 宮廷内の彼女はいつも緊張している表情だ。せめて自分と居る時だけでも 自然体で居られたら、楽になるだろう。 すぐ後ろにある大木に背を預けながら彼女を見る。月を見上げていた彼女が こちらの視線に気付くと…表情に脅えの色が映った。 やはり、私は彼女から見ると怖い存在なのだ。 彼女を愛しいと思う心に気付いてしまった私にそれは…酷く辛い事。 もし私が馬超の様に身近に女性がいれば、女性の気持ちに敏感に なれたかもしれない。 もし私が姜維の様に素直で人好きのする笑顔を持っていれば、怖がられる事も なかっただろう。 ──でも、私は私でしかない。 ため息が漏れ、目の前の彼女の表情に不安が彩られていく。笑顔を見たいだけ なのに。ただ彼女が笑ってくれれば、それだけで私はいいのだ。ただ、 それだけを望んでいるのに…。私では彼女の笑顔を見る事が出来ないのだろうか? 「…趙雲様…辛い事がおありですか?」 「…殿…?」 予想外の彼女の言葉に驚きが隠せなかった。彼女に分かってしまう程、 表情に心の変化が出てしまっていたのだろうか。自然体で居て欲しいと 思っているのに、反対に気を使われているようでは…。 「…もし、私の勘違いでしたら申し訳ありません。でも、今の趙雲様は… とても辛そうに見えます。」 「…そう、…ですか。」 「あ、あの差し出がましい事を言って申し訳ありません…でも…。」 「いや…そんなに恐縮しないで欲しい。…ただ、私は…。」 ──私は…何を言うつもりなんだ? 気付いてしまったこの気持ちを殿、貴女に打ち明けたらどうなるのだろう。 私に脅えてしまう貴女に…私のこの気持ちは迷惑に違いない。 心配そうに私を見上げる瞳に、ただ笑いかける事しか出来ないのだ。 故郷を思って夜空を見上げる彼女の話を聞くだけしか出来ない。 ──彼女の支えになりたいのに。 「趙雲様、無理はなさらないで下さい。」 「…殿…。」 「今の趙雲様は…何かを押さえていらっしゃるように見えます。 押さえ込む事で…無理が生じていらっしゃるのではありませんか?」 ──いっそ打ち明けてしまおうか…。 「いや、そうではないのです…。」 「…趙雲様…。」 悲しげに見つめるその視線を交差する事も、思いを打ち明ける事も出来ず、 ただ顔を背ける事しか出来ない自分が不甲斐ない。 「…私では趙雲様の思いを計り得ないのは承知しております。でも… そんな辛い表情の趙雲様を見ているのは…私も辛いのです…。」 「殿…今、何と…?」 再び予想外の言葉に背けていた視線を合わせた。見上げていた瞳と ぶつかり、彼女の頬が薄紅に染まる。 もし、彼女の先程の言葉が真実ならば…。 「…趙雲様にとって私は…ただの女官でしかないかもしれませんが…私には…。」 「殿、…私の話を聞いて貰えるだろうか。」 もし、この希望的観測が正しいものならば…。 この言葉を口にしてもいいだろうか? 「貴女を…殿を愛しいと…そう思っているのです。」 <あとがき> 切ない趙雲を、と思っていたのに結局はハッピーエンドでした(苦笑) いえ、いいんですよ。別に失恋させたかった訳ではありませんから。 星空の〜の続きの二人です。実はもっと積極的な趙雲も考えていたのですが、 今回は別の彼で。またネタあればその時は積極的な彼にお越し願おうと 思っています。 |