星夜の逢瀬〜趙雲〜







夜空に星が瞬いている頃、宮殿の廊下を歩きながらため息をついた。
主人について生まれ故郷を離れたはこの頃望郷の念が彼女を
襲っていた。特に眠りにつく時は寂しさが彼女を襲い、睡眠時間を
削られている程だ。だが、主人にその事を悟られまいと懸命に昼間は
普段通り仕えている。彼女を襲う望郷の念は何も彼女一人に限った事では
ないのだ。彼女の主人、尚香ですら生まれ故郷から離れているのだから…。
弱い自分の心にそう叱咤激励しながらはこの蜀の地で懸命に
働いていた。そして今日も眠れぬ夜に彼女は庭へ降りていく…。

見上げると満天の星空が広がっている。調練から帰った後、今まで事後処理を
していた趙雲は人気のない庭を歩いていた。
「見事な夜空だな…。」
一人そう呟くと辺りの静けさに耳を澄ませる。風に揺れる木々の騒めきだけが
自然の音として心地よく音を奏でていた。深呼吸をし、夜の冷たい澄んだ空気を
堪能する。するとどこからか小さな音が聞こえてきた。木々の騒めきではない
誰かが草を踏む音。

このような時間に誰が庭に降りているのだ…。

不審者かと咄嗟に身構えをする。そして音のする方向から現れた人影は
宮中にいる女官のものであった。自分の早合点に心の中で失笑すると
女官に声をかける。
「このような時間にどうかなされましたか?」
「…え、…趙雲様…。」
自分が居る事に驚いているような表情だ。その女官に見覚えは
あるものの、名前までは知らない。ただ、彼女が呉から劉備に嫁いできた
孫尚香付きの女官だという事だけは分かる。
「こちらでの生活には慣れただろうか。」
「私の事、御存知なのですか…?」
「ええ、奥方についてみえる女官殿…違いますか?」
「はい…と申します。」
消え入ってしまいそうな小声で自分の言葉に答える。
殿か…。夜も遅いこの時間、庭に用があるとも思えませんが…。」
「いえ…あの…眠れなく…夜の冷たい空気をと…。」
「…そうか…。」
二人の間に沈黙が流れる。自分にとっては何でもない沈黙もにとって
この沈黙は重いらしい。居心地悪そうに目を伏せている。
「生まれ故郷が恋しい…といった所ですか。」
突然の確信に触れる言葉に驚いたらしい。伏せていた瞳が自分へと向けられる。
そして恥ずかしそうに頬を染めると身を縮こまらせた。
「別に隠すこともないと思いますが…。」
「いいえ…。」
「貴女はまだ若い。無理に背伸びすることもないでしょう。」
目の前の彼女を怖がらせないようにと軽く微笑む。だが、一層身を
縮こまらせている所を見ると生来の引っ込み思案のようだ。
「それとも…私が怖いですか?」
予想外の言葉に伏せていた瞳が上を向く。焦った様に何度も首を振る様に
笑って見せると再び彼女が頬を染めた。
「確かに私は武人ですから、殿の様な女官殿には怖い存在かもしれませんね。」
「…いえ…。その…怖いとは…。」
「でしたら、上を見て下さい。」
懸命に顔を上げるに微笑みながら、空を指さす。
「今日は星が綺麗です。」
空を見たの瞳に流星が映る。脅えの色が濃かった彼女にもようやく本来の
姿がちらほら見え隠れしてきた。珍しい流星に大きな瞳は嬉しそうに天の星を
視界に映す。
「星は何処で見ても同じ…貴女の故郷とここ成都でも同じです。」
「…そうですね…。」
笑顔を見せた彼女に頷き返す。天を見上げたまま、歩こうとしたが足元の
小石に躓きかけたのを横目で捉えるとさっと腕を伸ばした。咄嗟の判断で
自分の方に抱き寄せたものの、腕の中で硬直している彼女に気付き
苦笑いを漏らす。
「…失礼。」
「いえ…あの……その…趙雲様は…その…。」
言語中枢に支障を来す程は焦っていた。年ごろの少女ならば、この態度は
当たり前なのかも知れないと一人心の中で笑うと軽く頭を下げる。
「あ、頭を上げて下さい…!…趙雲様は…悪くありませんから…。」
慌てたままは頬に手を当て、しどろもどろに言葉を紡ぐ。
「…その…助けて頂いて…ありがとうございます。」
「いえ。私の方こそ…」
「…いいえ。…私が…私が足元に気を配っていれば良かったのですから…
趙雲様は謝らないで下さいませ。」
「しかし…。」
「…いいえ。…宜しいのですわ。」
意外にも強固な所を見せる彼女に笑顔を見せるとほっと安堵の息を漏らす。
「…殿。」
「はい?」
「部屋に戻られた方が良いですよ。…深夜に私と居ては、良くない噂も立ちます。
さあ、戻られよ…。」
この言葉に素直に頷く彼女にもう一度微笑んで見せるとが安心したように
笑顔を見せ、軽く頭を下げる。庭を出ていこうとして、一度立ち止まると
こちらを振り返った。
殿?」
「…あの…。」
何度も言葉を紡ごうとするが、中々声に出来ないに苦笑して見せると
こちらから彼女の求める言葉を投げ掛ける。
「毎日…ではありませんが、この時刻に私は庭に居ます。気が向いたら
私の話相手になって下さるか?」
「…はい!」
嬉しそうに礼を施す彼女の後ろ姿を見送ると押さえきれない笑みを隠すように
自らの手を口許に当てた…。




<あとがき>
尚香ちゃんにわざわざ御嫁入りして貰って女官ヒロインちゃんに
蜀にお越し頂きました(笑)私としては保護者な趙雲が好きなので。
蜀の武将ヒロインちゃんでは保護者にはきっとなれませんからね。
どこかほのぼのとした二人の御話でしたー。